圧倒的技術や経験を持つアーティストの背景に迫る【ザ・スキルズ】第一回 ゲビル:若≪和太鼓師 広純 - HIROZUMI≫

インタビュー
音楽
2017.6.15
ゲビル:若≪和太鼓師 広純 - HIROZUMI≫

ゲビル:若≪和太鼓師 広純 - HIROZUMI≫

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編集長として”エンタメ総合メディア”として様々なジャンルの情報を発信していく中で、どうしても話を聞きたい人たちがいた。

一つは約20回に渡り連載を続けている「The Producers(ザ・プロデューサーズ)」。これはエンタメの裏側にてエンタメを支え、仕掛け、多くの良質コンテンツを送り出しているプロデューサー達へと直撃する企画。これまでなぜ成功をなしえたのか?これからの時代どのように仕掛けていくのかなどをリアルに聞き出す連載。

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それとは別にプロデューサーではなく、様々な技術や経験などを元に、ある種「職人」的な圧倒的スキルでもって世にエンタメを発信している人たちがいる。メジャーマイナー問わず、その匠な技術によって生み出される作品は美しくもっと日を当てるべき存在だと感じている。日本古来の楽器や、鍛冶、衣服のデザインや製作、イラストレーターなど様々ではあるが、その圧倒的技術や経験の背景に迫る企画。

それが新連載「The Skills(ザ・スキルズ)」だ。編集長秤谷が、今話を聞きたい人にとにかく聞きたいことを聴きまくるインタビュー。そしてその背景を探る企画。

 

今回は、和太鼓師の家系に生まれ、幼少の頃からそうした伝統ある楽器の文化を守り続けながらも、TVドラマなどの子役などを経て俳優業、そして約20年に渡りゲビルというバンドを続けている男、ゲビル:若こと和太鼓師 広純 - HIROZUMIに話をきいた。絵師、和楽器BARの経営など、一貫した筋を通しながらも多岐に渡るその才能には、やはり圧倒的「スキル」が存在する。

ゲビル:若≪和太鼓師 広純 - HIROZUMI≫

ゲビル:若≪和太鼓師 広純 - HIROZUMI≫

――元々テレビの世界で活躍されて、俳優もやっていらっしゃったんですよね。

そうですね、あまり自分では言っていなかったのですが、9歳から19歳まで俳優の事務所に所属していまして。ドラマ『のんのんばあとオレ』(NHK)に出演したり、コカコーラのCMに出させてもらったり、『金田一少年の事件簿』や色々やっていました。

――元々役者志望だったんですか?

いや元々は両親が和太鼓の会を運営しているので、生まれた時から和太鼓がある生活で、和太鼓では物心がつく前から舞台には立っていました。でも9歳の時に、親と一緒に新聞を読んでいたら、ある事務所の新聞広告が目に留まって、ここの事務所に入るって自分で言いました。

――親の勧めでなく、自分で行こうと。

そうですね、その広告に自分の好きな役者の写真が出ていたので、この世界に飛び込むのだっ!と突発的な感じでした。

――ご両親は賛成してくれたんですか?

はい、賛成してくれました。でも和太鼓は生活の一部だったので、同時並行でずっと続けておりました。

――バンドをやろうと思ったのはいつだったのですか?

中学生の頃ですね。その時はバンドというよりは、重点を置いていたのはアコースティックギターで、中学校の廊下でライブをし、先生に向かって歌いながら訴えていました。それで卒業する時にライブで初めてシンガーソングライターとしてオリジナル曲を披露しました。高校生に入ると本格的にバンドを組みライブハウスで活動し始めました。
同時進行で役者も、和太鼓もやっていたので、その中で自分の表現できることってなんだろうと改めて考えて、高校卒業と同時に、本腰を入れたバンド…ゲビルを結成しました。

――自分の言いたいことをもっと違う形で表現したい、もっともっと表現できるんじゃないかという思いが強くなったと。

生意気なことを言うと…テレビや映画の映像作品にはプロデューサーがいて、監督がいて、制作スタッフがいて、演者がいてという構図が見えて、自分のやりたい音楽もこういう構図を自分自身で創って生きたいと思いました。
僕は絵も描くのですが、音楽と絵と映像とアイテム、そして自分独自のキャラクター、この渦の中で活きて生きたいと想いました。そしてバンドマンのライフスタイルが自分に合うなと思って、ピントが合ってしまったのが18歳の時でした。

――18歳でそこまで見えるというのがすごいですね。

この頃、脚本や監督からの元で演ずる自分より、自分自身をしっかりと表現したいという思いが強くなったのだと思います。しかしチャレンジ精神は旺盛な方なので、役者時代に監督にこうしてくれと言われたら、それ以上の事を演って喜ばせたいという気持ちが常にありましたが、今度は自分でプロデュースして、自分で監督をやって演じてという、一丁前にセルフプロデュースで演りたくなったのだと思います。自分の性に合う生き方を10代で見つける事ができたのでしょうね。それで俳優活動に一旦ケリをつけて、小学校の頃からの幼馴染とゲビルを結成しました。僕はなんでも徹底してやるタイプなので、役者をやっていた時、バンドのために髪を伸ばして染めていたのに、戦争ドラマの仕事が入ると、即丸刈りにしていました。いつもそういう気持ちでやっていましたが、お世話に成った事務所を辞めようと思ったタイミングで、頭の色も変えて、顔中ピアスを開けて、真面目な役やCMの仕事が入ってこないよう、自分でカスタムして逃げていました(笑)。

――勇気というより次への覚悟ができたという感じですね。

それまでずっと役者を演っていましたが、本腰のバンドを演る為に、今までの自分を斬る事が必要でした。それが覚悟です。

――覚悟ができたから決断も潔いです。

そうですね。僕はセックスピストルズやラモーンズとか70年代のパンクロックが好きで、彼らはハングリーでした。僕はクソガキながらもCMに出て、役者としても収入を得ていたので、生活が変わる事も覚悟して、本当のハングリーを極めようと思いました。

――広純さんもメンバーのみなさんも、覚悟を持ってゲビルという道を選んだと。

あの時は皆が若さもありましたし、なんだかわからないけどバンドライフはゾクゾクするし未来が楽しそうだなというノリだったと思います。僕は役者も辞めて、ゲビルとして一回インディーズにリスタートするけど、必ず大人が頷くようなバンドになって、メジャーに行くぞという最初の決断で、メンバーも同じ気持ちでした。

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