高橋洋介(バリトン)が日曜日の昼下がりにカフェライブ~人生というこれまでの「旅路」全てを描き出す

レポート
クラシック
2017.10.25
天日悠記子(ピアノ)、高橋洋介(バリトン)

天日悠記子(ピアノ)、高橋洋介(バリトン)

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 “サンデー・ブランチ・クラシック” 2017.9.24 ライブレポート

クラシックをもっと身近に、気楽に愉しみながら東京・渋谷で日曜のランチタイムを過ごす『サンデー・ブランチ・クラシック』。9月24日に登場したのはバリトン歌手の高橋洋介だ。この日の公演は、高橋にとってドイツ留学から帰国し、日本に拠点を据えて音楽活動を再開すると決めた、最初の一歩。「旅」をテーマとして自身が選んだ一曲一曲に、新たなる決意と思いがこめられていた。歌詞の日本語訳の朗読を交えて披露されたマーラー「さすらう若人の歌」は、新しい試みであるとともに、ピアノの天日悠記子との息の合った演奏が圧巻。会場と一体となった、胸の熱くなるひと時だった。

天日悠記子(ピアノ)、高橋洋介(バリトン)

天日悠記子(ピアノ)、高橋洋介(バリトン)

ドイツでの思いと新たな旅立ちの思いを込めた帰国後初の公演

登場した高橋は黒のジャケットにブルーのパンツというスタイル。クラシックの歌手といえば黒のスーツに蝶ネクタイでビシッと決めたイメージがあるだけに、意表を突かれたものの、「そうだ、今日は日曜のひと時だ」と思い出し、肩の力がふっと抜ける。“気さくなお兄さん”というような表現がぴったりの姿だった。しかし歌い始めた高橋の歌声は、身体にズンと振動を与えるような力強さも感じられる。

1曲目はヴォーン・ウィリアムズ作曲『旅の歌』より「放浪者」(1904年)。詩はロバート・ルイス・スティーブンソンによる、バリトンのために作られた英国の歌曲だ。ピアノの左手、4拍子の重々しいスタッカートの和音が、風吹きすさぶ荒野をひたすら黙々と歩く男の歩みのよう。ただ己のゆく道を目指して進む、決意のこもった歌声が響き渡る。

高橋洋介

高橋洋介

歌い終え、「今日は私のリビングに遊びに来たつもりで、楽しんでください」と挨拶する高橋の声と表情は、歌声とは相まってソフトで優しい。

続く2曲目は武満徹作詞・作曲の「翼」。これはポップスとして様々な歌手やCMなどで歌われたことがあるので、耳馴染の人もいただろう。また日本語の歌なので、詩の意味も伝わってくる。テーマは“希望”だ。

高橋洋介

高橋洋介

思いをこめたマーラー「さすらう若人の歌」を日本語詩の朗読とともに

そして3曲目は、のちのインタビューで高橋が「今日の公演の核としたかった」と語ったマーラー作詞・作曲「さすらう若人の歌」。歌詞は失恋の苦しみが草花や鳥、木々など自然のなかで癒され、再生されていくというもの。「自分がドイツ留学時にいろいろ苦しんだ思いと重なり、とても感銘をうけた。今日は帰国後初のコンサート、新しい始まりという意味で、この詩の内容を、ここにいる皆さんとシェアしたい」と高橋は話してくれた。

ピアノがポロン……と語りかけ、それを受けて高橋が日本語の歌詞を朗読する。第1曲「恋人の婚礼の時」では鳥の声も美しい花も、悲しみに覆われた心には苦しいばかり。歌うな、咲くなという悲痛な思いが綴られる。高橋の朗読と天日のピアノは、まるで会話のようだ。

天日悠記子

天日悠記子

第1曲の朗読が終わるとともに、伴奏が本格化し歌へ。いま日本語で語られた詩が、今度はドイツ語で歌われる。普通のリサイタルなら歌詞カードを見なければわからない内容が、朗読によりすっと入り、「シェアしたい」とはこのことかと知る。

第2曲「朝の野を歩けば」以降も日本語詩の朗読から歌へ、というスタイルで続けられる。世の中の美しい自然や輝きに気付くものの、「でも僕の幸せは始まるのだろうか?」と問いかける。詩を語る高橋の表情はまるで「さすらう若人」が乗り移ったようで、「そうか、オペラ歌手というのは同時に役者でもあるのだ」と気付く。

さらに第3曲「僕の胸の中には燃える剣が」。「世界は美しい」という思いと、忘れられない恋人への未練の間で足掻き、苦しむ思いが切々と語られ、歌われる。このアンビバレンツな混沌とした思いは、いつの世も人を悩ませるものなのか……。「さすらう若人」高橋は、その視線の先に何を見ているのだろう。歌にこめた思いはますます熱を帯び、まるでその背後にドイツの暗い針葉樹林と黄色い花々が咲く野原が見えるような、そんな熱さと臨場感が伝わってくる。

そして最終楽章、第4曲「恋人の青い瞳」。「なぜ彼女と出会ったのか」と考えながら若人はさまよい、雪のように花を散らす菩提樹の下で休息し、再生を思う。「僕の命はどうなっていくのかわからない、でも僕自身を取り戻そう」という苦しみからもがきながら、しかし抗い切れない情熱に突き動かされるように立ち上がろうとする瑞々しい思いがあふれ、目頭が熱くなる。

高橋洋介

高橋洋介

苦しみ悩み、しかし喜びもあったであろう高橋の人生というこれまでの「旅路」全てを描いた勇気、そして前に進もう、新たに歩み始めようという決意が痛いほどに伝わってきた。

会場と「思い」をシェアし、割れんばかりの拍手を受けて歌われたアンコール曲は、ポップスの名曲「マイ・ウェイ」。高橋の新たなる旅路に幸多かれと心から拍手を送るとともに、「ありがとう」という思いと勇気をもらった、そんな熱い40分であった。

天日悠記子、高橋洋介

天日悠記子、高橋洋介

「終わりは始まり」。朗読は総合芸術としての歌曲をより伝える試み

終演後、高橋と天日の2人にお話を伺った。

――今日は素晴らしい公演をありがとうございました。ドイツから戻って帰国後初めての公演ということですが、「旅」をテーマとした意図を改めて聞かせてください。

高橋:ドイツのシュツットガルトに2年間留学したのですが、その時ドイツ滞在の最後に「旅」をテーマとして演奏をしたんです。旅は終わるけれど、終わりは出発。今回はその「出発」という部分をテーマにしたかったんです。

留学中は現地でオペラ歌手としてデビューして……という明確な10年プランを立てていたんですが、結局2年を経てヨーロッパでのデビューもならず、帰国しなければならないと決まった時、全身から力が抜けていくような感覚に陥りました。もう歌をあきらめよう、やめようとも思ったのですが、でも音楽をやめたくないという気持ちが日に日に強くなっていくのも感じました。そんなとき、日本での再出発の“力”をくれたのがマーラーの「さすらう若人の歌」だったんです。だから今日の演奏はマーラーのこの曲を核としたかった。ドイツでの最後の演奏は後ろ向きの気持ちを引きずったところがあったので、今日は前向きでやってみたい、と思っていました。“再出発”という部分をテーマに、思いを込めて。

――マーラーを聴きながらボロボロ泣けてしまったのは、そういうことだったんだと改めて思いました。

高橋:ほんとですか! うれしいな(笑)。 きっと皆さんそれぞれに苦しい経験されていると思うので、どうしても詩をシェアしたいというのがあったんです。今回初の試みでした。

高橋洋介

高橋洋介

――詩のシェアは聴き手として、とてもありがたかったです。ドイツ語の分かるお客様は少ないでしょうし、あの朗読があったから一層グッと感じるものがありました。詩の朗読の部分と天日さんのピアノが素敵に噛み合っていましたが、これはお2人で考えたんですか?

高橋:クラシックの、とくにオペラの場合、声はもちろんとても重要なのですが、僕は内面に入っていくタイプの歌手なんです。声の部分を多少削ってでも、内面を深く探っていきたい。それによって結果的に「声の部分が弱かったね」と言う人もいるかもしれませんが、でもそれは一つの聴き方、感じ方だと思うのです。また歌曲は今回のマーラー、あるいはゲーテやシラーといった優れた文学の芸術家たちの作品が音楽と融合してできた総合芸術ですよね。詩がないがしろにされているのはもったいない。でも歌っているときは演者を見てほしいし、とはいえ曲も耳馴染みがないと内容を理解するのは難しい。そこをどうにか解消したくて、今回のようにピアノで曲の大事な部分を挿入しながら詩を語っていこうと考えました。

――天日さんはそのお話を伺った時どう思いました?

天日:実は私もマーラーに思い入れがすごくあるんです。

高橋:マーラー愛さく裂(笑)。

天日:そうなんです(笑)。 マーラーがこの曲を書いたのが24歳の時で、彼自身の恋心や失恋の思いを書いていますよね。私が大学院を卒業するときの修了試験の際、等身大で演奏できる曲を探した時に、「さすらう若人の歌」に出会ったんです。そのとき私もちょうど24歳で。マーラーの心の深さ、不安が音楽を通して具体的に表現されていて、なんてすごい心を持っている人なんだろうと思いました。苦しさの中に優しさがあって、私自身音楽家としてこれからどう生きていこうかと考えたときに、すごく救われたんです。

この曲を演奏する際に、今度はああしてみたい、こうしてみたいといろいろ考えていたところ、今回高橋さんからお話をいただきました。高橋さんもこの曲に対してとても思い入れを持っていたので、譲り合いや衝突が起きるかなと思いきや、2人で合わせてみると存外楽しくて。お互いに引き出しがあり、それが合わさることで互いに引き出し合うやり取りができ、私たちにしか生み出すことのできない音楽が今日生まれたと思っています。

天日悠記子

天日悠記子

――お2人の思いがそれぞれ相乗効果になって今日の演奏になったわけですね。息がぴったりでしたが、ずっとお知り合いだったんですか?

高橋:いえ、今回が「はじめまして」です(笑)。 とにかく今回はマーラーが核でしたから、この曲を弾いたことがある人でないとダメだと思っていました。そこで探していたところ天日さんが弾いたことがあると聞き、紹介してもらいました。

――運命的な出会いですね。こんなにもマーラーに思い入れのある人と出会えて……。高橋さんは秋にオペラ『トスカ』に出演されますね。

高橋:はい。映画監督の河瀨直美さんのオペラ初演出となる作品です。家来の役ですが(笑)。 でも弥生時代に置き換えた『トスカ』ということで、これからリハーサルがはじまるのですが、新しいものにはワクワクするタイプなので、どうなるのか楽しみです。

――日本に戻ってきてからの最初のオペラで、新しいタイプの作品で次の旅が始まるわけですね。今後の抱負をお聞かせいただけますか。

高橋:最近、玉置浩二さんにすごく感銘を受けたんです。玉置浩二さんが歌う前に「音楽って優しいんですよ。音楽っていっつも優しくて」と仰って、その言葉を聞いたときに不意に涙がぽろぽろ出てきたんです。今日のマーラーにしても、結局僕は音楽からいろんなものをもらっているんだなと思いました。今はまだもらいっぱなしなので、今後は音楽に対して恩返しをできたらな、というのが究極の目標です。

天日:歌曲など、共演者がいるときには相手と心が通い合えるように、また自分が感じたものや、これまで培ってきたものがお客様に届くように、いろいろな人生経験を積まなければならないなと思います。心を開いて演奏できるようになりたいです。音楽をやっているとどうしても個人プレイになって、こもりがちになってしまうので。

――本当に今日はありがとうございました。またお2人の共演が聴けるのを楽しみにしています。

天日悠記子(ピアノ)、高橋洋介(バリトン)

天日悠記子(ピアノ)、高橋洋介(バリトン)

インタビュー・文=西原朋未 撮影=荒川 潤

公演情報
歌劇『トスカ』《新演出》
全3幕 日本語字幕付 イタリア語上演

日時:10月27日(金)18:30開演/10月29日(日)14:00開演
会場:東京芸術劇場コンサートホール
演出:河瀨直美

出演:
トス香[トスカ]:ルイザ・アルブレヒトヴァ(ソプラノ)
カバラ導師・万里生[カヴァラドッシ]:アレクサンドル・バディア(テノール)
須賀ルピオ[スカルピア]:三戸大久(バリトン)
アンジェロッ太[アンジェロッティ]:森雅史(バス)
堂森[堂守]:三浦克次(バス・バリトン)
スポレッ太[スポレッタ]:与儀巧(テノール)
シャル郎[シャルローネ]:高橋洋介(バリトン)
看守:原田勇雅(バリトン)
牧童:鳥木雅生(ボーイソプラノ)
助演:菊沢将憲、寺内淳志、安井夏樹、山口将太朗
指揮:広上淳一
管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
合唱:東邦音楽大学合唱団
児童合唱:TOKYO FM 少年合唱団
 

 

サンデー・ブランチ・クラシック情報
10月29日(日)
伊藤悠貴/チェロ&福原彰美/ピアノ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE: 500円

11月5日(日)
小寺里奈/ヴァイオリン&福井あや那/ピアノ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE: 500円


11月12日(日)
鈴木玲奈/ソプラノ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE: 500円
 
■会場:eplus LIVING ROOM CAFE & DINING
東京都渋谷区道玄坂2-29-5 渋谷プライム5F
■お問い合わせ:03-6452-5424
■営業時間 11:30~24:00(LO 23:00)、日祝日 11:30~22:00(LO 21:00)
※祝前日は通常営業
■公式サイト:http://eplus.jp/sys/web/s/sbc/index.html​
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