上村聡史が再びW.ムワワド作品に挑む 『岸 リトラル』ロングインタビュー

インタビュー
舞台
2018.1.6
上村聡史

上村聡史

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2014年、17年に上演され、文化庁芸術祭賞大賞や読売演劇大賞最優秀演出家賞など数多くの演劇賞に輝いた『炎 アンサンディ』。その『炎』を含む、レバノン出身の劇作家 ワジディ・ムワワドの“約束の血4部作”の1作目である『岸 リトラル』が2018年2月からシアタートラムで上演される。日本版初演となる今回、『炎』に挑んだ上村聡史が再び演出を務める。作品の見どころやムワワドの戯曲の魅力などを存分に語ってもらった。

本公演前のリーディング公演は言葉の質感を探るため

上村聡史

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――本公演の上演を前に、2017年10月にリーディング公演を上演されました。経緯を教えてください。

既にこの2・3月に『岸 リトラル』を上演することは決まっていたんですが、世田谷パブリックシアターから、「リーディング公演でもいいし、稽古場発表会でもいいけれど、『岸 リトラル』の作品創作のプロセスを公開してみませんか」と言われました。はじめは、そういったワークインプログレス的なことにイメージが湧かなかったんです(笑)。ですが、今は言ってきてくれた理由が分かります。

とてもシーンが多く、決して単純な話じゃない。『炎 アンサンディ』とも複雑のタイプが違うから、この機会で発見できることがあればと思いリーディング上演の話を受けました自分の中では、本公演での上演のことはあまり考えず言葉の質感を探ることを目的としました。

結果、物語の3分の1までを父親と息子の往復書簡みたいな形で構成し、それを岡本さん(※岡本健一。本公演では父・青年の父・若い父を演じる)一人に演じていただきました。目的でもあるこのワジディ・ムワワドの言葉たちをどうやって発語すると息づくかみたいなことをリサーチして掘り下げることができればなぁと思っていました。そういう意図でリーディング公演といいますか、ワークインプログレスといいますか、そういうことをやらせていただきました。

――なるほど。『岸 リトラル』への準備にもなったのでは?

ご好評いただいた『炎 アンサンディ』と同じ作家の作品ではあるんですけれど、翻訳劇特有の日本で上演する際の伝わり方は現地と異なることなので、そのあたりの細心の注意と上演する意義を問い続けないといけないことを忘れてはいけないと思いました。それから、作家が描きたい根本はありつつも、謎解きのように物語が進む『炎』とは体裁が違うので、根本の伝わり方が変わるだろうなとつまり『岸 リトラル』の方が抽象的かつ詩的で、メタファー満ち溢れている作品なんです。そのあたりの不安は大きくあるんですけど、リーディングをやることによって、「あ、こうやればいいのか」という発見がとても多かった。

細かいところを顕微鏡で見る形の分析の仕方ではなくて、もう望遠鏡でとらえちゃうようなやり方がこの作品は功を奏するだろうし、むしろそれでどんどんこの作品は面白くなるなという糸口が発見できた。なので、リーディング公演はそう言った意味でとても多くの収穫がありました。

――実際に拝見させていただきましたが、本公演が楽しみに感じました。リーディング公演なのに、とても動きがありましたよね。

そう、僕も言葉をどう掘り下げるかということが目的だったし、リハーサル期間もそんな長いわけではなかったので、座ってやろうかなぁと最初は思っていたんですけど、岡本さんからのご提案で「リーディングにするのなら、面白いことやろうよ」と言ってきたので、「え、いいんですか? 面白いことやっちゃって!」という具合になりました。いろいろ大変な演出をお願いすることになったんですが、岡本さんご自身も「ギターを持ってくるよ!」みたいなノリで。とても大胆で過激なパフォーマンスが有機的でしたね。

――リーディング公演では、国広和毅さんの生演奏があり、そして岡本さんもギターを弾いていました。

本公演で創る音楽にどういった質感のものがいいかというリサーチもやりたかったので、国広さんに「リーディングで生演奏してもらえませんか」と頼みました。そしたら岡本さんが「国広くんがライブで弾くなら、俺もライブで」とかいうノリで。そのあたり、全く躊躇がなく、なぜなら、音楽のためのシークエンスというか幕間のようなものを創ろうと思えば、創りやすい台本なんです。ワジディ・ムワワド作と書いてありますが、実は一人で書いたものではなくて、出演者たちと1年に及ぶワークショップを経て作り上げているので、複合的な視点が入りこんでいるんです。だから、日本の現場で作ったことを持ち込んでも、懐深くキャッチしてくれる台本。その辺りは岡本さんからの提案で、掛け算しながら刺激的な仕上がりになっていきました。
 

上村が語るムワワドとの出会いと魅力

上村聡史

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――本公演の演出プランはどのようなものになるのでしょう?

複合的な視点を持つ台本の特性を生かして、結構日本と2018年の今を意識した演出になりそうかなと。作家が演出も手掛けた『炎』を実際見たときは、ナワルという母親の役を10代、40代、60代と別々の俳優が分けてやっていたんですが、日本版では麻実れいさんひとりにお願いしました。今回もそれを踏襲して、お父さんが「若い父、青年の父、死んだ父」と3人に分かれているんですけど、岡本さんが全部一人で演じます。

あと、ギリシャ悲劇『オイディプス王』を彷彿とさせるような父を殺してしまった子、シェイクスピアの『ハムレット』を想起するような父を殺されてしまった子、ドストエフスキーの『白痴』をモチーフにした父を知らない子という3人が出てきます。岡本さんが演じると、ウィルフリードという息子がその3人に出会うんですけど、それは息子が全く知らなかった悲劇を知るというのと同時に過去の物語を知っていくというメタファーにもなってまして。

一見読んでいると、現代の話かなと思うんですが、現代から近代、中世から古代へと旅するような演出プランを考えています。語られている言葉はとても昨今の世界で起きている悲劇を想起するような言葉なんですけれども、どこかで語る人物の装いが近代であったり、中世であったり、古代であったりを彷彿とさせる演出というか、そういうヴィジュアルになっていくんじゃないかなと思いますね。

――『炎 アンサンディ』からの流れもありますが、上村さんご自身、ムワワドという作家に出会ったのはイギリス・ドイツの留学時だそうですね。その時の作家の印象は?

当時、こんなにヨーロッパで流行っているんだということを知らなくて。ちょっと自分を恥じたのを覚えています。名前はよく演劇雑誌とか劇場のポスターとかで見ていたんですが。今、演劇も多様性の時代だから、とても身体的なパフォーマンスであったりとかフィジカルなものだったりとか、台詞がないような芝居、ダンスに近いような芝居でも成立してしまう時代なんですが、その中でこんなに言葉をしっかり紡いで、しっかりとした物語で、それでいて演劇的要素を持ち込む、ムワワドという作家はすごいなぁと思いました。

僕が初めて見たのはロンドンでしたが、作家自身が演出したヴァージョンをパリで見たこともあります。お客さんは若い人たちが多くて、それは『炎 アンサンディ』だったんですけど、こんな悲痛な個人史とオイディプス王を想起させるようなメタファーに富んだ物語構成、教養があるとさらに面白くなるみたいな芝居を若いお客さんが見ているんだと思いました。それだけ扇動できるすごさみたいなのも感じましたね。

ムワワドは僕より10歳年上ですけど、こういう演劇人が世界をリードしているんだというのは感動でしたね。僕は老舗劇団出身なので、新作でこういうことができるっていうのは、とても勇気をもらった。

――同じ演劇人として背中を押してもらった。

演劇には、いろんな見方があっていいと思うんです。サブカルとしての演劇もあっていいと思うし、文化・教養としての演劇もあって良いと思う。色々あるんだけど、骨格っていうのかな……演劇がなかなかオペラやバレエと違って、海外公演がしづらい理由って多々条件があるんだけど、一番は言葉だと思うんです。演劇という媒体は“交流”を受け入れているんだけど、その土地、その環境、その風習から息づいた言葉と身体で大きく構成されている。そう考えると逆にローカルなものと相性のいい媒体でもあると思います。それをその言葉というものを核にここまで扇動、観客を沸かすことのできる作家はすごいと思いました。

だけど、実際、『岸 リトラル』は静岡県舞台芸術センター(SPAC)で2010年に招聘公演されたりしているから、実は日本のお客さんで見ているもいるんですよ。だからそのプレッシャーは今回すごくあります。僕は作家が演出した『岸 リトラル』は見ていないんですけど、彼の演出作品を何本か見ているので、相当のセンスで演出されたんだろうなと。その上を行かなくちゃいけないのかと思うと、とてもプレッシャーはあるんですけれど、翻訳上演ということを逆に生かして、日本語の魅力で物語の精神をお客さんに伝えていければなと思いますね。

――2014年、17年に『炎 アンサンディ』を演出されて、長年ムワワドと向き合ってきましたが、向き合い方の変化はありますか?

教科書になっていると言ったら変ですけれど……『炎』でもそうですし、『岸 リトラル』でもそうですけど、彼の作品を読み返す度に、「表現ってこうだよね」というのを常に思わせてくれる気がします。物事を見るときに、その裏にあるメタファー、それが何を表現しているのかということを考えるようになりました。それは文芸表現でもそうですし、映像表現でも、一見表層的には怒っているような現象が表現されていても、実はその裏に、抱きしめたいという思いがあったりする。本質と構図を見よう見ようとする欲がどんどんついてくるという感じです。

今回の作品もとても荒唐無稽なシーンの連続ですし、果たしてこれは現実なのか夢なのか、不思議な現象が多々シーンとして連なってくるんだけど、なぜそれが表出されているのかということを考えます。それは、行き場のない悲しみだったり、生きている実感のなさや喪失感だったり、そしてそれを抱えて生きていく上での苦しみだったり。そういうものが現象の底にあると思う。

この作家に出会って、数年経ちますけど、やるたびに「上村くん、君は本質を見ているのかい?」と常に問われている気がします。物事を解いて、表現をやっていかなくちゃいけないんだよ、ということをこの作家から常に教わっているような気がしますね。

上村聡史

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――実際にムワワドにお会いされたことは?

1回だけあります。2016年に彼が作・演出・出演の一人芝居『火傷するほど独り』を日本でやっていた時に挨拶させていただきました。その時は「上村と申します、『炎 アンサンディ』をやらせていただきました」と言ったら、「あぁ、君が〜!?」みたいな感じで(笑)。たまたまその1ヶ月前にパリにお芝居を見に行った時に彼が『フェードル』の脚色をしていたんですね。それで、「『フェードル』をオデオン座で見ましたよ」と言ったら、「マジで! 分かった? あれ(笑)、クレイジーすぎるでしょ?」みたいなことを話されました。とてもフランクな方でした。

こういう作品を書いているから、どこか気難しかったりするのかなと思いきや、実際会って話してみるととてもニュートラルでフランク。だからこそ俳優のアイディアをここまでまとめられるんだろうなぁと思ったりもしました。その時1回だけですけど、とても受け皿の大きい人だなと思いましたね。

演劇に真摯に向き合ってくれるメンバーがそろった

――今回の『岸 リトラル』の出演者についてはいかがですか?

みなさん、とても演劇について真摯だし、同時に何か面白いことをやりたいなと思っている方々です。どうやって舞台上にいるか、どうやってパフォーマンスをするかということを努めてやっている方々なんですが、結果、言葉がやはりすごく印象に残る人たちだなと思います。つまり、自分の体を通して発語した言葉にこだわりを持つ8人だと思っています。

岡本さんは全身全霊で表現する。本人はどうやって面白いことをやるかを考えている方で、結果、舞台上の発語が記憶に残る。演劇としてとても素敵なことだなと思っています。それは中嶋さん(中嶋朋子)もそうですし、大谷さん(大谷亮介)もそうです。若手の小柳君(小柳友)と鈴木君(鈴木勝大)なんかは、まだその経験は未知数なんだけど、やはり声を聞いているとイメージが広がります

作家が紡いだ言葉に真摯に向き合って、それをお客さんへ刻み込む人たちが集まった。この『岸 リトラル』は構成が荒唐無稽だったり、不可思議の連続だったりするんだけど、やはりここで紡がれている言葉が面白いなって思うんですよ。そのあたりを大事にしてくれる俳優と共に作品を創ることができるのは心強いです。

――稽古場は熱くなりそうですね。

僕の稽古場はガチャガチャしやすいというのがありまして(笑)。みんな積極的に意見を出してくれる感じの稽古場になるし、僕も結構言われたい方で、いろいろ意見を提案してほしい方なんです。

変なバランスだなぁと思うんですけど、「結構上村くんの演出はかっちり決め込みでくるよね」と言われるんですが、まぁ確かにかっちりプランを決めて「こうです」と組むんだけど、「皆さんはどうでしょうか?」という余地を残してやっています。自分で言うのも変ですが、軌道修正や変更するのは全然OKなんです。大枠をわかって提案をしてくれることが多いですし、もちろん僕だけではなくて作品の持っている力もあると思うんですよね。そういった意味では、メンバーが集まってガチャガチャと、おもちゃ箱をひっくり返したようにいろんなアイディアが出てくると面白いなぁと思います。

――今この作品をやる意味や意義はどのあたりに感じていらっしゃいますか?

この『岸 リトラル』の魅力の一つは……実は僕、初めて読んだ時にそんなに面白いと思わなかったんですよ。荒唐無稽な感じで、ちょっとオルタナティブすぎるというか、とっちらかりすぎているんじゃないかと思っていた。『炎』の初演が終わって改めて読み返した時に、「この荒唐無稽な裏には何があるんだろう」ということに目を向けるようになりました。そういう視点を持つと、とても世界と人間の構図の深いところを言及している作品だなと思えたんです

不思議な現象は出てくるんだけど、でもこの荒々しさが、それが若さだとするならば、それこそが何かを変えようとする根源なんだなというのを改めて思って。僕は、いい作品だったらいつの時代でもやっていいと思っているんですけど、でもなぜ今この作品を上演するのかというのは、演出者として、問い続けながら作品を作りたいと思っているんですね。作家が28歳で書いた『岸 リトラル』は粗削りで、若さゆえの疾走感が特徴的なんですけど、スマートであれば“よし”とする現代に、保守化、国粋化していく現代に、若さゆえに枠からはみ出るということがこんなにも素敵で、変化・変革の可能性が満ちているということが無意識にも込められてると思うんです。それがこの作品をやる魅力なのかなって思っています。

――お客様に一言お願いします!

月並みですが、いろんな方に見ていただきたいなと思うんですが、戯曲や物語をよく知っている演劇通なマニアックな方も楽しめる作品だと思いますし、そうではなくて「演劇、見たことない」という人でも楽しめる、両方の人に受けるような作品になると思っています。意外にないんですよ、こういう作品。玄人向けか素人向けかとなってしまうんですが、今回はその両方が達成できる。

もし作品を見て分からないことがあったとしても、僕の初期の演劇体験なんかもそうなんですけど、ついつい調べたくなってしまうし、観劇後も何かしら関心を持つことがあるんですよね。だから本当、今回は普段演劇を見たことないという人にも是非見ていただきたいです。それで「芝居って面白いなぁ」と思っていただけたら嬉しいし、「想像することってこんなに面白いんだ」というところから、自分が生きていること、どうやって生きていくんだろうということに勇気を持てる作品になるんじゃないかなと思います。


インタビュー・文・撮影=五月女菜穂

公演情報
『岸 リトラル』

【東京公演】
日時:2018年2月20日〜3月11日
会場:シアタートラム

【兵庫公演】
日時:2018年3月17日
会場:兵庫県立芸術文化センター 阪急 中ホール

作:ワジディ・ムワワド
翻訳:藤井慎太郎
演出:上村聡史
出演:岡本健一、亀田佳明、栗田桃子、小柳友、鈴木勝大、佐川和正、大谷亮介、中嶋朋子 


 

 

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