ツアーファイナルにみた、GLIM SPANKYが日本のロックシーンに存在する価値
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GLIM SPANKY 撮影=HAJIME KAMIIISAKA
GLIM SPANKY 「BIZARRE CARNIVAL Tour 2017-2018」 Final 2017.1.6 新木場STUDIO COAST
“世界”と“自由”。松尾レミ(Vo/Gt)がデビュー期からライブやインタビューのたび常に口にしてきた二つのキーワードに込められた意味を、強く深く体現した素晴らしいライブだった。
まず“世界”とは。日本語のロックで世界に打って出ること。ホワイト・ストライプスやストロークス、アークティック・モンキーズ、カサビアンといった多くのインディ・ロックバンドのヒットに湧いた2000年代前半に、多感な10代を過ごしたことがきっかけで、GLIM SPANKYは結成された。そして、MGMTやテーム・インパラ、ブラック・キーズといった、1960年代に発するサイケデリック音楽やフォーク、ブルースロックなどを、それぞれのやり方で現代化したアーティストが数多く出てきた2000年代後半から2010年代前半には、本格的にプロを目指して動き出し、メジャーデビューをその手に掴む。自分たちが憧れるバンドたちと肩を並べる存在になるべく、“現在進行形のロック”に挑む勇猛果敢な姿が印象的だった。あらためて断っておくと、ここでの“インディ”とは国内でよく使われる“メジャー予備軍”という解釈ではない。サウンドスタイルとして“独自性が高い”ということ。世界においてはこちらが共通認識だろう。
しかしここ数年で、数字的なことで言えばロック/インディ・ロックはトレンドを象徴する力を失った。そこでGLIM SPANKYが取った選択は、かつてのインディ・バブルを懐かしみ振り返ることでも、流行りのポップ音楽を参照することでもなかった。とことんロックにこだわることは大前提ではあるが時代錯誤はまっぴら。自分たちの“好き”と向き合いアップデートしていくこと。道なき道を進み、自分たち自身で新たなロックカルチャーを切り開いていくこと。そう断言できるサードアルバム『BIZARRE CARNIVAL』を引っ提げてのツアーファイナルは、先述のバンドたちが成し遂げたことを、同等の規模感でやってくれるんじゃないかと思えるほどのレベルにあった。
GLIM SPANKY 撮影=HAJIME KAMIIISAKA
次に“自由”とは。亀本寛貴(Gt)がMCで「手を挙げてくれてもいいし、腕を組んだままでもいい。横に揺れて踊ってくれても、お酒飲みながらでも、なんでもいい」と言っていたように、GLIM SPANKYの音楽をそれぞれが感じるままに楽しんで欲しいということ。しかし、そんな当たり前のように思えることを、彼はなぜわざわざ話すのか。この国ではそれが当たり前でないからだ。
もともと欧米から入ってきたロックが、日本人の国民性なのか市場の体質なのか、なにかしらのフィルターを通ってガラパゴス化し、売れるためには観客の画一的なノリを煽るサウンドやパフォーマンスを“やるかやらないか”という呪縛が生まれ、このグローバル時代に国内ロックシーンの真ん中にあることへの違和感。広く世界を見たときに議論になることも少なくない事象について、亀本の「あるじゃないですか、みんなで……みたいな」という少し皮肉めいた発言に、松尾が「ディスってんの?」と突っ込んだことに、亀本は「そういうわけではない」と返した。二人にとってそれは批判の対象ではなく、いろいろとすべて含めての自由だと考えている。だからGLIM SPANKYのライブには、コール&レスポンスや手拍子を求めるような、一歩間違えると観客の楽しみ方を限定してしまうアクションはほぼない。しかし、そういったMCやライブの進め方は、あくまで姿勢の表れの一つに過ぎず、本質はそこではない。
ロックにおける自由とは、楽しみ方の幅広さ。今回はこれまで以上に、そのことに重点を置いていたことはセットリストを振り返っても明らか。新人バンドの名刺代わりとして、即効性の高い白黒静動がはっきりとした曲をハイライトに据えていた時期から、音の隙間や色彩感にこそグルーヴが存在することを重視した、受け取る側の解釈における自由度が高い曲を中心とした展開へ。写実と抽象の相互関係と捉えればわかりやすいかもしれない。それを松尾と亀本とサポートメンバーで表現するとなると、演出したい世界観をより深いところで共有し合うことが重要になってくるが、まさにその部分でバンドの成長がはっきりと感じ取れた。目に見えて観客の動きがひとつになる瞬間はほとんどない。しかし場内の至るところから飛ぶ“自由”な歓声、観客一人ひとりの個性を以て存分に楽しむことができる“自由”なムードが止むことはない。松尾が「老若男女、年齢も性別も国籍も関係ない」と言ったように、すでに近い価値観を持つ人たちの枠を超えて、多種多様な人たちが集まる場所を作り、そんな光景を生み出すこと。GLIM SPANKYが3枚のアルバムとここまでのライブを通して成し遂げたかったことを、完璧なまでに“音”で実現させたことに、大きな意味がある一夜だった。
GLIM SPANKY 撮影=HAJIME KAMIIISAKA
伝統的なフォークの風情からじわじわとダイナミックなロックの世界へと誘う、お馴染みのSE――スティーライ・スパンの「Gower Wassail」から1曲目「The Wall」の流れは、現在のGLIM SPANKYのモードを高らかに宣言しているかのよう。世間に絶大なインパクトを与えた松尾のしゃがれた歌声ではなく、優しく甘い歌声が光る「BIZARRE CARNIVAL」や、リズムループの中毒性がたまらない「The Trip」は、1960年代に起こったサイケデリック・ムーヴメントの創造性を継承しつつ、現代において時計の針をひとつ進めるインディ・ソング。松尾の「最高に熱くてイケてるロックな夜にしたい」という言葉を挟んでの初期の人気曲「ダミーロックとブルース」もまた、当初のガレージロック然とした勢いはそのままに、より腰の据わったグルーヴィーなサウンドに。BPM120台の4つ打ちビートを初めて取り入れた「いざメキシコへ」と朝倉真司をパーカッションに迎えた「END ROLL」もお見事。ポストパンクやマッドチェスター、ダンスミュージックとロックを掛け合わせることが盛んに行われた、1990年代や2000年代のインディ・ロックからの影響を感じさせつつ、亀本のブルージーなリフと松尾の声によってGLIM SPANKY流に味付けされた“踊れるロック”は、音源以上の柔軟性と躍動感を発揮していた。
そして前半の最重要ポイントは、なんと言っても「お月様の歌」だろう。スローなビートで松尾の歌をじっくり聴かせながらも、後半に重くて混沌としたブルースロックへと転じる「Velvet Theater」のサディスティックなサウンドから、松尾の歌と亀本の優しいアルペジオ主体の曲へ。その緩急によって、GLIM SPANKYの曲のなかで唯一と言っていい母性的な魅力のある美しいメロディーが持つ、癒しや包容力が増大する。ミニアルバム『I STAND ALONE』の最後という、相対的にあまり目立たない位置にある曲が完全に場内の空気をものにした瞬間。終盤のMCで「シングルでもなんでも妥協はしない」と語っていた松尾の言葉通り、細部に渡るサウンドメイクはもちろん、ジャケットのアートワークまでも含めて自身のこだわりをとことん貫き続けるGLIM SPANKYの作品を、フィジカルで所有することの価値を示すものだったのではないだろうか。
GLIM SPANKY 撮影=HAJIME KAMIIISAKA
ライブは後半へ。新しくあることを突き詰めた曲もあるが、「オ~オオ~」というキャッチ―なコーラスが入る「Freeder」や、Aメロ・Bメロ・サビ・間奏メロディーという構成の「美しい棘」のような、ジャパニーズ・ポップの常套手段を用いた曲もある。「NEXT ONE」のような、シンプルで引き締まった“ディス・イズ・ロック”なアンセムもそうだが、ベタであることを変に斜めから見ることなく、良いものは良いと言わんばかりに堂々と演奏して、古臭さを感じさせないどころか、むしろ新鮮にカッコよく聴かせられることもまた、GLIM SPANKYらしさだ。そして、その3曲の展開とは対照的だったのが「白昼夢」。松尾も「いつ終わるかもわからない」と言っていたように、音源ではある程度キックが刻む規則性ありきで鳴らしていたチープな鳴り物を、メンバーそれぞれが思いおもいに使う。松尾の笑顔とヒラヒラと舞う衣装、亀本のリラックスし過ぎな振る舞い、ベースを置いてステージ後方をうろつくサポートメンバーの栗原大。森のなかで妖精たちが遊んでいるような、絵本の世界を思わせる場面にうっとり。アンコール前のサポートメンバー紹介では、かどしゅんたろうのドラムソロに始まり、栗原はジャズプレイを、gomesこと中込陽大は鍵盤を弾きながらのビートルズの「Oh! Darling」を、それぞれ披露。続いて亀本がホワイト・ストライプスの「Seven Nation Army」のギターを弾いてみせ、松尾レミはテレビCMで話題になったジャニス・ジョップリン「Move Over」とキャロル・キングの「I Feel The Earth Move」を少し歌ったことも含め、こういった緩さはワンマンライブならではだ。
アンコールの1曲目は1月31日にリリースとなるシングル「愚か者たち」。インディ・ギターロックが復権の兆しをみせ始めているロンドンや、ベテランながら孤軍奮闘し『Concrete and Gold』という素晴らしいアルバムを生み出したフー・ファイターズへのアンサーなのか。たぶんどちらでもないと思うが、『BIZARRE CARNIVAL』の幻想的なムードとも、「怒りをくれよ」や「褒めろよ」、「ワイルドサイドを行け」のような、スピード感のあるロックのそれともまた違う、直球バンドサウンド。続いては、プロのミュージシャンになろうとすることや美術系の大学に通っていたことに対して、大人たちから「いつまでも夢を見ている場合じゃない」と否定されたという、松尾自身の体験をもとに生まれた「大人になったら」。ライブでは恒例の曲だが、GLIM SPANKYが前進し続ける限り、そこに込められた「いつまでも少女の心を持ち続けていたい」というメッセージも成長し続ける、普遍的な曲であることを実感した。
終演後、明るくなったフロアをあらためて見直してみる。年齢は、おそらく親と一緒に来たまだ小学生くらいの少年少女から、中高生、50~60代と見受けられる人まで。そのなかで、ロックに人生を捧げたかのような見た目の人、モッズルックにヒッピールック、モードなファッシに身を包んだ人もいる。まさに老若男女、多種多様な人々。あの幅広い客層を、新木場STUDIO COASTや5月に控えた日本武道館の規模で実現できる新世代のロックバンドは、GLIM SPANKYだけではないだだろうか。日本武道館公演については「すごいことだけど、気負わずやりたい」と話した松尾。その真意は、音楽やファッション、アートなどがリンクした「カルチャーを伝えたい」という思いを成すことこそがもっとも大切だということなのだろう。そこは以前からの発言や佇まい、演奏からもひしひしと伝わってきていたことではあるが、今回はその部分の説得力が段違いだっただけに、これからの動きがますます楽しみだ。
取材・文=TAISHI IWAMI 撮影=HAJIME KAMIIISAKA
1. THE WALL
2. BIZARRE CARNIVAL
3. The Trip
4. ダミーロックとブルース
5. いざメキシコへ
6. 怒りをくれよ
7. END ROLL
8. 闇に目を凝らせば
9. Velvet Theater
10. お月様の歌
11. 吹き抜く風のように
12. Freeder
13. 美しい棘
14. 白昼夢
15. Sonntag
16. ビートニクス
17. NEXT ONE
18. アイスタンドアローン
[ENCORE]
19. 愚か者たち
20. 大人になったら
21. 褒めろよ