二宮金次郎の憂鬱、飯野哲心のユーモアあふれるネタ彫刻

コラム
アート
2015.10.29
ジェット二宮金次郎 ©Iino Tesshin All Rights Reserved

ジェット二宮金次郎 ©Iino Tesshin All Rights Reserved

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《ジェット二宮金次郎》を知っているだろうか。その名の通り、薪を背負う代わりに、ジェットエンジンを背中に装着した二宮金次郎像のことだ。エンジンからは爆煙が吹き出し、手元の書物に視線を落としたまま、いまにも大空めがけて飛び立ちそうな勢いを感じる――というか、すでに数十センチ浮いている。2013年の中之条ビエンナーレで発表されるや、ネットを中心にちょっとした話題になった。

このユーモラスな像を制作したのは、文部省でもアメリカ航空宇宙局でもなく、彫刻家の飯野哲心だ。飯野は他にも《ジャーマンスープレックス如来》や《精霊馬ムーバー》など、ユーモアあふれる彫刻作品をいくつも制作している。2015年の中之条ビエンナーレでは、巨大な「シャリ」の上に寝そべることで、自分が「ネタ」になれる《Sushi》を発表したばかりだ。

ジャーマンスープレックス如来 ©Iino Tesshin All Rights Reserved

ジャーマンスープレックス如来 ©Iino Tesshin All Rights Reserved

精霊馬ムーバー ©Iino Tesshin All Rights Reserved

精霊馬ムーバー ©Iino Tesshin All Rights Reserved

Sushi ©Iino Tesshin All Rights Reserved

Sushi ©Iino Tesshin All Rights Reserved

これらの作品は、良くも悪くも、コミュニケーションの「ネタ」としてうまくできている。つまり、ツイッターやフェイスブックに投稿して仲間内で共有したり、まとめサイトで取り上げてPVを稼いだりするのに向いている、ということだ。実際、アーティスト自身も、そういう消費のされ方を歓迎しているように見える。

けれど、本当にそれでいいのだろうか。なるほど、たしかに芸術には、観賞者のコミュニケーションを誘発する力がある。だが、こうした観点からすると、むしろ飯野の作品には決定的な限界があると言わざるをえない。その限界とは、国境を超えられないということだ。最新作を別にすれば、二宮金次郎像も精霊馬も、所詮は日本限定のモチーフでしかない。如来像はアジア各地にあるが、もしかしたら国によってはユーモアが理解されず、「ガチ」の怒りを呼ぶかもしれない。

だから、余計なお世話を承知でいえば、飯野の作品をローカルなコミュニケーションの「ネタ」としてのみ消費すべきではない。いや、消費するのはもちろん自由だけれど、それとは正反対のモーメントが一貫して彼の作品に埋め込まれていることにも目を向けるべきだ。そのモーメントとは、哀しみである。

《ジェット二宮金次郎》《ジャーマンスープレックス如来》《精霊馬ムーバー》に共通するのは、かつてこれらの像に寄せられていた信仰や尊敬が、いまではほとんど失われているということだ。だからこそ、アーティストも観賞者も、それらを「ネタ」にして制作したり消費したりすることができる。そして、そんなにぎやかなステージの舞台裏に、もはやピエロとして生きるほかない像たちの哀しみがある。

またこの哀しみは、「ネタ」を提供し続けるアーティスト自身の哀しみでもある。消費されるばかりの像たちに、彼は自分の境遇を重ねている。飯野の代表的なシリーズ《聖地巡礼》は、有名なアニメやマンガ、ゲームの舞台となった場所に赴き、それらの作品に登場するキャラクターのフィギュアと、彼自身をかたどったフィギュアを一緒に並べて撮影するというものだ。フィクションの世界に入りたい、というオタクの果てない願望を実現しようとしたこのシリーズには、同時に、撮影中のアーティスト自身の姿を写した写真がセットになっている。地面に腹ばいになり、真剣な表情でカメラを覗き込む太った男性――その必死で滑稽な姿からは、フィクションから永久に隔てられてあることの哀しみが伝わってくる。

聖地巡礼 熱海 ©Iino Tesshin All Rights Reserved

聖地巡礼 熱海 ©Iino Tesshin All Rights Reserved

聖地巡礼 熱海 ©Iino Tesshin All Rights Reserved

聖地巡礼 熱海 ©Iino Tesshin All Rights Reserved

こうした感情を分かち合うためには、観賞者は複数形であってはならない。作品の周りに打ち寄せる「私たち」の大波ではなく、あくまでアーティストと同じ、寄る辺ない一粒の「私」でなければならない。シャリの上に寝そべってはみたものの、写真を撮ってくれる人も、SNSで共有してくれる人もいない……これが哀しみということではないか。

そうだとすれば、男性のおそらく最も孤独な営みを通じて、この哀しみが人間存在の深みへと到達するのも不思議ではない。《in the cave》と題された小品では、女性器をかたどった透明な男性用自慰ホールの内部に、小さな人の姿が透けて見える。

in the cave ©Iino Tesshin All Rights Reserved

in the cave ©Iino Tesshin All Rights Reserved

彼はいったい何者なのか、なぜそんなところにいるのか。少なくとも言えるのは、いささか不謹慎な「洞窟」に閉じこもった(閉じこめられた?)、この名前も表情もわからない孤独な人影が、私の心をひどく揺さぶってやまないということだ。生まれ落ちることの笑えるほどの哀しみに、彼はたしかに触れている。


さて今回、飯野は、南青山のヘアサロン「NORA」で開催中のグループ展「NORA×拝借景―Unveil」に出品作家のひとりとして名を連ねている。サロン利用者はもちろん、展示を見にきたという旨を伝えれば、サロンを利用せずとも観賞することができるようだ。この機会に、彼の作品のもつユーモアと哀しみを体感してみてはいかがだろうか。

イベント情報
NORA×拝借景ーUnveil

展覧会期:2015年10月17日(土)—2016年2月13日(土)
    (平日)12:00-22:00、(土曜)11:00-20:00 、(日・祝日)11:00-19:00
会場:ヘアサロンNORA
出品作家:阿部乳坊、飯野哲心、市川ヂュン、桐生眞輔、郷治竜之介、杉本克哉、髙倉吉規、土井彩香、額賀苑子、藤林悠、藤原彩人、松浦春菜、松下徹、山内祈信、吉田博  [五十音順] 
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