雨傘屋(熊本)『隣にいても一人』再演に向け、天野天街(少年王者舘)にインタビュー
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雨傘屋『隣にいても一人』初演(作:平田オリザ/2011年)
「ここのところで、一番“演劇っぽい”作品になるかもしれません」
名古屋の劇団「少年王者舘」の天野天街と、熊本で活動する俳優たちが年1回集まり、古今東西の名作戯曲を上演する演劇ユニット「雨傘屋」。2011年以来6本の作品を発表してきたが、今年はユニット初の再演に踏み切る。天野と雨傘屋との初コラボ作品でもある『隣にいても一人』は、「青年団」の平田オリザが2000年に発表した戯曲。朝起きると、突然夫婦となっていた男女を軸に「夫婦とは何か」を考えさせる会話劇だ。熊本入りする直前の天野に、今回の再演の展望とともに、来年[新国立劇場]で上演される少年王者舘本公演の進捗具合についても聞いてきた。
■「いわゆる“会話劇”を演出するのは『隣に……』が初めてでした」
──今回の再演は、雨傘屋さんの「過去の作品を埋もれさせるのはもったいない」という思いから実現したとうかがいました。
その辺のことは、全然話しあってないんですよ。次に何をやるかは、いつも(主宰の)阿部(祐子)さんの一存で決まる(笑)。ただ僕の方も(次回の王者舘本公演の)『1001』に向けた作業を、滞在中に少しでも進めておきたいという事情があったので、偶然だけど好都合でした。
『隣にいても一人』演出中の天野天街(中央) [写真提供]雨傘屋
──初演の時の思い出とか、苦労したことなどはありますか?
いい思い出しか残ってないですね。周りから責められながら本を書くってことがなく、人の本を使ってのんびり作ることができたから。役者が初対面の人たちばっかりだったので、最初は恐る恐る始めたんだけど、またたく間にキャラクターが立ってきたから、苦労はまったくと言っていいほどしていない。一つの劇団じゃなく、あちこちから集まった人たちばかりだったのが良かったのかもしれないですね。みんなが変な一つの色に染められてなくて、一人ずつの色が粒立っていて、それを僕が統合して別なものに置き換えるという。そういう作り方を、ほんわかとした空気の中できるのが、毎年やってて嬉しい所です。
──初演を拝見したんですが、時折妙なシーンや人物が乱入したりはするものの、基本的には普通の会話劇……要は青年団っぽい世界になっていたことに驚きました。
いわゆる「会話劇」を演出するのは、あの作品がほとんど初めてだったと思います。でも実は結構書き直してるんですよ。人の本をやる時はいつもそうだけど、原作がつまんないから書き直すんじゃなくて、観てて面白くするためにって思うと、ついつい手を入れちゃう。でも原作のムードと本質だけはとらえるようにしています。
──あと町家の二階を改装した、変わった構造のフリースペースを活かした演出の数々も印象に残りました。
窓や押し入れなどがそのままだったので、それらを舞台装置として利用できたんです、初演の場所(ギャラリーADO)は。「そこにあるものを使える」っていうのが一番大きかったけど、今回は普通の小劇場で上演するから、そういうことができない。まあ向こうに行ってから考えますけど、多分美術とかをあまり建て込まずに使うんじゃないかと。かなり、いわゆる演劇っぽくなるのではないでしょうか。
雨傘屋『フリータイム』(作:岡田利規/2012年) @ギャラリーADO [撮影]梶原慎一
──その「演劇っぽい」というのを、もう少し詳しくお願いします。
具体的なものや、実際の物理的な何かを使わずに、こういう(ソバをすするような仕草)ようなマイムとか見立てによって、いろんなことを想像させるという。自分が偏見で持っている、ある種の「演劇の見せ方」に、だいぶ近くなるんじゃないかなあと思います。
──そう言われたら天野さんの芝居は、背景や小道具は具体的なものが多くて、無対象の演技とかはあまりやらないですね。
そうですね。出さない時には、出せない理由を逆手に取ったメタ的なネタを考えるし。というんじゃなくて、いわゆる“演劇の見せ方”にちゃんと則って作ろうとした時に、どこを壊すか……いや、「どこが壊れるか」というのが、今回のカンどころになりそうな気がします。
──演劇の「枠」に押し込めようとしても、どうしてもはみ出してしまうことを切り捨てるんじゃなくて……。
それを大事にしたいし、いつもよりそれが明らかに透けて見えてくるでしょうね。その「透けて見える」所を補てんするのが、何の力なんだろう? という。それが演劇の力……と言っていいのかどうか。上演場所と一部の役者が変わる以外は、特に初演と違うことをするつもりは今の所ないけれど、そういう何かの複合的な力が感じられるような、また違った印象の舞台に、自然となっていく気がしています。
『隣にいても一人』演出中の天野天街 [写真提供]雨傘屋
■「熊本の役者たちは、みんな相反するモノをちゃんと抱えている」
──熊本の役者さんについては、全国的には正直なじみのない方が多いと思うので、この機会に今回の出演者たちの面白い点を、天野さんから語っていただけませんか?
メインの4人の登場人物は、大迫(旭洋)君以外は(初演と)一緒です。椎葉(みず穂)さんは強烈な孤独と、強烈な無意識が同時に立ち上がってくるような人。松本(麻衣子)さんは、猛烈に優しくて激しい。可愛らしくて意地悪。いろいろな矛盾を統合化できる人。平野(浩治)さんは、抱える巨大な闇の延長線に、天上のお花畑がみえる人。この3人は各々特殊な文体を持っています。そして僕のなにがしかの文体みたいなものをいち早く察知して、各々が持つ文体にすぐ変換してくれるんです。努力してとかじゃなくて、或る触感で。僕としてはすごくやりやすいのです。
──松崎(仁美)さんと徳冨(敬隆)さんと、王者舘劇団員の(小林)夢二さんは、原作にはない役を演じますね。
松崎さんは天才的なものを持っていて、スッと何か別のものが取り憑いたみたいになって、あらぬ世界を垣間見せてくれます。徳冨君は、超カッコいい阿呆をやらせたら最高に素晴らしい。とことん真面目な間抜けがナンセンスの極みです。夢二は前回の雨傘屋(『夏の夜の夢』)に出てもらったけど、「王者舘を代表して出演」という責任感みたいなものを持ちつつも、肩の力を抜いて演じてるなあと思いました。あれをしたことで一回りくらい、持てる領域が拡張されたような気がします。
雨傘屋『禿の女歌手』(作:ウジェーヌ・イヨネスコ/2014年) [撮影]梶原慎一
──そして大迫さんは、「若手演出家コンクール2014」で優秀賞と観客賞をW受賞するなど、演出家としても注目される存在です。
(第5回公演の)『禿の女歌手』で一緒にやったけど、役者としてもすごく面白い。だからどうとでもできると思ってますが、彼自身ちょっと迷ってる感じがするんです。演出家としても役者としても。とは言いつつ、きっととんでもないハジけ方で、奥底のしれない狂気の縁(ふち)を垣間見せてくれるでしょうね。大迫君も含めて、雨傘屋に出る役者たちは、みんないい意味で頑固。それでいて相反するモノをちゃんと抱えている。だからこそ味があるし、好きって言えるんです。今回は本当によく知ってる人しかいないから、いつもよりさらに気が楽かもしれません。
──ちなみに熊本という街自体には、どういう印象がありますか?
今や第二の故郷ですよ。この作品の初演の時に、初めて長期滞在したけど、本当にユートピアみたいな街だと思いました。特に水前寺公園(水前寺成趣園)の近くの池(江津湖)の周辺が本当にきれいで、初めて来た時に一番感動したのがそこですね。あとは路面電車が走ってるだけでも、僕にとっては素敵な街に見えます。変な言い方だけど、人間の歴史の最先端にいるって感じがするんですよ、路面電車を見ていると。全国的には、もうなくなりかけているモノなのにも関わらずね。
──話を聞く限り、雨傘屋は盤石という感じがしますが、一方で『1001』の方は?
今は『千夜一夜(1001)物語』をベースにしようかと考えています。それに量子論的な考えを絡めて、少年王者舘でやってきたことを洗い直してみようかなと思っている所です。劇の構造の方も、シェへラザードが毎晩毎晩新しい物語を語っていくように、エピソードをどんどん変えていこうかなあと。でも何が題材になっても、今まで王者舘でやってきたネタをいっぱい使って、劇団がやってきたことを再検証するような舞台になると思います。
──王者舘ベスト版みたいな感じに。
まあ自己撞着とか、自己模倣、自己言及でも何でもいいから「あ! このネタ前にも見た」みたいなのがどんどん並んでいって、それがだんだん他の刺激によって、いろんな化学変化を起こしていくんじゃないかな。そして結局は「何でもないこと」や「カゲもカタチもなくなる」という、いつもやってるようなことに帰結するんじゃないかと思います。
雨傘屋vol.8『隣にいても一人』宣伝ビジュアル [コラージュ]アマノテンガイ
公演情報
■日程:2018年10月11日(木)~14日(日)
■会場:Studio in.K.(スタジオインク)
■作:平田オリザ(青年団)
■脚色・演出:天野天街(少年王者舘)
■出演:大迫旭洋(不思議少年)、平野浩治(劇団濫觴)、椎葉みず穂、松本麻衣子(あったかハートふれあい劇団)、松崎仁美(劇団濫觴)、徳冨敬隆(DO GANG)、小林夢二(少年王者舘)
■公演サイト:http://ink.tenkai.org/stage/stage042