狂った世界で、狂ったように見える者こそまともだ。新海誠監督『天気の子』の破壊衝動

2019.8.2
コラム
アニメ/ゲーム
映画

作中で重要な場所となっている代々木会館は8月1日に取り壊しが始まっている

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このコラムには一部ネタバレに抵触する表記があります。『天気の子』を未見の方は注意してお読みください。

 

恐るべき破壊衝動だ。

『君の名は。』の歴史的大ヒットの後に、まさかこれほど純度の高い、むき出しの作家性を突きつけてくるとは思わなかった。気晴らしの中編の企画ではないのだ、映画館が最も賑わう夏休みシーズンに、最大手の映画会社が配給する、今年最も公開規模が大きい作品で、これだけ強い我を通すことができる人間がいるということに驚く。湯浅政明監督が『きみと、波にのれたら』でウェルメイドなドラマを志向したのとは対照的に(売上も対照的な結果になりそうだ)、新海誠監督は自分の作家としての武器を研ぎ澄ます方法に進化した。世界でただ1人、新海誠しか語らないであろう物語を、新海誠にしかできないで映像で紡ぎあげている。

にもかかわらず、独りよがりな作家の内省的な作品に終わらず、現代の空気と強烈に呼応してしまっている。偶然なのか、狙いなのか、いずれにしても作家の問題意識とセンスが、現代社会の抱える深い根本になる何かと接点を持っている、そんな異様な傑作だ。

映画という娯楽は本来のあり方

初めて映画館に行った時、何を観たか忘れてしまったが、衝動だけは感触として残っている。大きな部屋が真っ暗になり、これから何が始まるのか、どこに連れて行かれるのかと不安になり、場内の唯一の光であるスクリーンに映像が写った時、その光の先は、現実とは異なる異空間のようだった。

その異空間ではあらゆることが許された。街を破壊することも誰かをぶっ飛ばすことも、正義の味方になることも、宇宙に行くことだってできた。スクリーンには夢も希望も、背徳感も、破壊衝動もあった。現実では許されない欲望をスクリーンでは満たすことができた。

新海誠監督は、『天気の子』小説版あとがきに「映画は学校の教科書ではない」と力強く記している。

「映画は(あるいは広くエンターテインメントは)は正しかったり模範的だったりする必要はなく、むしろ教科書では語られないことを――例えば人に知られたら眉を潜められてしまうような密やかな願いを――語るべきだと、僕は、今さらにあらためて思った」(P295)

しかしながら、現実に映画は(あるいは広くエンターテインメントは)いつの頃からか、社会の規範のようなものを意識せねばならなくなった。「ポリコレ」という単語に象徴される規範意識は、メジャーな作品であればあるほど、強く意識されねばならないと。東宝の夏休みに全国のシネコンで上映する作品ともなれば、そういう圧力は必然的に相当強いだろう。

にもかかわらず、新海誠監督は「『老若男女が足を運ぶ夏休み映画にふさわしい品位を』的なことは、もう一切考えなかった」(P296)らしい。大した胆力だ。配慮も忖度も、賞狙いの嫌らしい気持ちも一切なく、純粋に作りたいものを作るというクリエイターの初期衝動に極めて忠実に本作は作られている。

本作の主人公は家出少年だ。家出の理由は描かれない。主人公の行動の動機を描かないのは脚本上の欠点になりやすいが、これは敢えて空けた「落とし穴」のようなものだ。もっともらしい理屈をつけて、主人公の行動を正当化するつもりはない。

この家出少年は、行く宛もなくマクドナルドで一晩過ごし、歌舞伎町の漫画喫茶で夜をしのぎ、風俗のスカウトの仕事に就こうと試み、拾った拳銃をぶっ放す。高校生なのにラブホテルで雨宿りし、わざわざ線路の上を疾走し、警察署からも逃亡する。本作はそんな反社会的な行動を、わざわざたくさん積み重ねている。別に線路の上を疾走させなくても物語は展開可能だ。ラブホテルでなくても雨宿りできる場所を設定することも可能だろう、しかし、新海誠監督は全てそれらを確信犯的に選択している。新海監督自身が課せられた配慮に対抗したように、主人公にも社会の規範に対抗させようとしているかのようだ。

なぜそんなことをわざわざ選ぶのか。これが映画だからだ。密やかな願いや普段できないことを、現実社会のしがらみに絡み取られた僕らの代わりにやることが映画の役割だという考えなのだ。

主人公は、終盤さらにものすごい破壊を選択する。現実社会では全く選べないどころか、口に出すことすらできないような選択だ。そんな大それたことが映画の中だけにはあってもいいじゃないかと新海誠監督は主張しているのだ。

狂った世界でまともに振る舞っている奴こそ狂っている

『君の名は。』は少年少女が必死に走り回り、一つの町を救う物語だった。それと対になるように『天気の子』は少年少女が走り回って街を水没させる物語だ。昔から新海監督の作品を観ているが、町を救うために戦うという「まともな」物語を描くようになったことを、ある種の成熟と感じたのだが、そんな「まとも」な作劇をなぜ捨ててしまったのだろうか。

それは新海監督なりの現実社会へのアンサーだろう。

本作の公式パンフレットで、新海監督は「社会は『君の名は。』を作った時より貧しくなっている。『君の名は。』はパンケーキに喜ぶ話だったが、『天気の子』はジャンクフードに喜ぶ話だ」と語っている。

なぜ、社会は貧しくなったのだろうか。そのせいで若者はパンケーキの夢すら見られなくなり、ジャンクフードに感謝して生きるしかなくなった。それは若者のせいなのか。

いいや、彼ら/彼女らはたまたまそんな下り坂の時代に生まれただけで、何の責任もないはずだ。そんな下り坂の時代を作ったのは年長者だ。年長者のつけを若者が払わされているのだ。

年長者とて、必死に働いて社会を良くしようと努めてきただろう。しかし、その結果社会は貧しくなったのだ。巨大な悪の組織が悪巧みをして日本を陥れたのならまだ希望がある。しかし、実際には皆が社会をより良くしようと頑張った結果、社会が悪くなっている。「合成の誤謬」というやつだ。

そんな世界を新海監督は「狂っている」と言う。今作の柱の根本は世界全体が狂ってきたという感覚にあると言う。

これは「主人公の帆高と社会全体が対立する話」だと新海監督は名言している。『君の名は。』の時は、偶然社会を救うことが好きな女の子を救うことにつながっていた。だが、今度は違う。好きな女の子を救うことは街を壊すこととイコールである。そして、主人公は躊躇なく、少女を救う道を選ぶ。

その決断は狂っているように感じられるだろう。しかし、筆者はこう思う。
「狂った世界で狂ったように見えるとすれば、それこそがまともだ」と。

むしろ、狂った世界に順応して「まとも」に振舞っている人間の方が狂っているのではないか。

小栗旬が演じる須賀というキャラクターが、この2つの間を揺れ動いている。警察に追われる帆高におとなしく実家に帰れと諭す。それは自分が誘拐犯だと疑われていることからくる打算でもあるが「まとも」な判断だ。しかし、土壇場で帆高の逃走を助けてしまう。狂っていて貧しくなる一方の世界で、何も悪くないのにそのつけを払わせられる若者の願いを踏み潰す世界をなぜ大事にしなければならないのか。あの瞬間、須賀の脳裏にはそんな問いがよぎったのではないか。

帆高が、高らかにこの世界を壊す決断を叫んだ瞬間、その決断を祝福するかのように三浦透子の賛美歌のような歌声(グランドエスケープという曲名が素晴らしい)が流れる。世界を壊す決断をあれだけの熱量で祝福する監督がほかにいるだろうか。世界が狂っているなら、壊してしまえ。ニヒリズムやペシミズムに陥りそうなこの破壊衝動を、新海誠監督は世界の狂気に呑み込まれずに生きろというメッセージに転化している。

現実には、本当に世界は狂っているのではないかと思える事件が数多く起きている。トランプやボリス・ジョンソンが国のトップに立ってしまう状況は何らかの(あまり良くない意味での)破壊衝動の現れではないかと思うし、そんな時代の空気と、本作は図らずも強烈に呼応してしまっている。そんな社会をどうすれば変えられるのか、誰にもわからない。世界にスーパーヒーローはいない。いたところで、少数のヒーローの犠牲で世界が正常化したりしない。そもそも、帆高もヒロインの陽菜もスーパーヒーローではない。だから、自己犠牲が美しくないどころか、そもそも意味がない。

それでも愛があれば、この狂った世界が美しく輝く時がある。この映画はその瞬間を描くためにあった。世界を壊して愛の美しさを描くなんて、子供じみた情動で、それは気持ち悪いのかもしれない。それはとても「まとも」な意見だと思うが、そう言われることを恐れずにやりきった新海監督の胆力は称賛せざるを得ない。そして、そんな「まとも」な意見と、この映画のピュアな破壊衝動を比べた時、少なくとも筆者は後者に惹かれてしまう。まともでないことは百も承知で、造り手は2時間の映画に「夢」を仮託しているのだ。

筆者は本作を全力で激賞するが、1人でも多くの人に観てほしいと思っているわけではない。その代わりにこの映画を好きな人が何十回も観ればいいと思う。この映画には、狂った世界を美しく壊すという「夢」がある。そんな大それた夢を観る自由が、まだこの世界に残されていることは素晴らしいことだ。

上映情報

映画『天気の子』

全国映画館にて公開中

原作・脚本・監督:新海誠
音楽:RADWIMPS
声の出演:醍醐虎汰朗 森七菜 本田翼 倍賞千恵子 小栗旬
キャラクターデザイン:田中将賀
作画監督:田村篤
美術監督:滝口比呂志
製作:「天気の子」製作委員会
制作プロデュース:STORY inc.
制作:コミックス・ウェーブ・フィルム
配給:東宝

公式サイト:https://www.tenkinoko.com/

(C)2019「天気の子」製作委員会


 
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