城崎国際アートセンター (KIAC) 芸術監督に市原佐都子氏、館長に志賀玲子氏が就任へ

2021.3.22
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(左から)中貝宗治豊岡市長、平田オリザKIAC現芸術監督、志賀玲子KIAC新館長、市原佐都子KIAC新芸術監督、田口幹也KIAC現館長

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兵庫県の豊岡市は、2021年3月22日に、「城崎国際アートセンター (KIAC) 」(兵庫県豊岡市城崎町)の芸術監督及び館長の交代に関する記者会見をおこない、現芸術監督の平田オリザ氏と現館長の田口幹也氏に代わり、2021年4月1日より劇作家・演出家・小説家の市原佐都子氏が新芸術監督に、また、舞台芸術プロデューサー、介護福祉士の志賀玲子氏が新館長に就任することを発表した。

(igaki photo studio)

会見でははじめに中貝宗治豊岡市長から、芸術監督及び館長の交代経緯について説明があった。豊岡市の進める「深さをもった演劇のまちづくり」が、城崎国際アートセンター(KIAC)の世界的な地位の獲得、KIAC芸術監督でもある平田オリザ氏の移住と劇団青年団の活動拠点の移転、豊岡演劇祭の成功裡のスタート、「芸術文化観光専門職大学」の4月開校予定、等で成果を挙げてきたこと。しかしその一方で、これまで豊岡における芸術活動を牽引する主要ポストである市長、市芸術文化参与、KIAC館長、同芸術監督、芸術文化観光専門職大学 学長予定者が、すべて男性で占められており、多様性の観点からは課題となっていたこと。これらを鑑み、田口現館長からの提言を受け、館長を女性にしたという。また、平田現芸術監督からも2021年4月から芸術文化観光専門職大学学長に就任することに伴い、3月末をもってKIAC芸術監督を退きたい旨の申し出が本人よりあり、後任に市原佐都子氏が最適との推薦を受けた。そこでKIACの現場との協議を経て、本人の承諾も得た結果、今回の運びとなったという。

中貝宗治豊岡市長 (igaki photo studio)

また、平田オリザ現芸術監督は、新館長の推薦理由について、「30年来の付き合いで信頼していた。この人しかいないと思った」と述べた。新芸術監督の推薦理由についても「この人しかいないと思った」と述べた。

平田オリザ現芸術監督 (igaki photo studio)

市原佐都子新芸術監督は「自身も『バッコスの信女-ホルスタインの雌』をこのセンターに滞在して創造し、良い結果を出せた。そのような場所で平田氏の後任になることが喜ばしい。自身も含めて国内外で評価される作品を生み出していきたい」と挨拶。

市原佐都子新芸術監督 (igaki photo studio)

志賀玲子新館長は「いま起こりつつある豊岡の(劇的な)動きに参加したいと思った。最近は介護福祉の現場から舞台芸術の状況を眺め、そのアクセスの難しさを感じることもあった。この機に、その課題を解決したいと考える」と語った。

志賀玲子新館長 (igaki photo studio)

田口現館長は「この施設の運営を、できるだけ早く女性に委ねることが必要だと思い、それが実現できた。(二人の女性のトップ就任は)今後の豊岡の力強い推進力になっていくだろう」と述べた。

田口幹也現館長 (igaki photo studio)

城崎国際アートセンターは、2014年4月に舞台芸術のための滞在型の創作施設として、兵庫県豊岡市の温泉街に開設された。2015年4月から、平田オリザ氏が芸術監督を務めてきた。

今回の詳しい会見内容(質疑応答を含む)は、後ほど改めてレポートをお届けする。

(左から)中貝宗治豊岡市長、平田オリザ現芸術監督、志賀玲子新館長、市原佐都子新芸術監督、田口幹也現館長 (igaki photo studio)

【市原佐都子氏プロフィール】

劇作家・演出家・小説家。1988年大阪府生まれ福岡県育ち。桜美林大学にて演劇を学び、2011 年より劇団Q始動。人間の行動や身体にまつわる生理、その違和感を独自の言語センスと身体感覚でとらえた劇作、演出を行う。2011 年、戯曲『虫』にて第11回AAF戯曲賞受賞。2017年『毛美子不毛話』が第 61 回岸田國士戯曲賞最終候補となる。2019年に初の小説集『マミトの天使』を出版。同年『バッコスの信女-ホルスタインの雌』をあいちトリエンナーレにて初演。同作にて第64 回岸田國士戯曲賞受賞。公益財団法人セゾン文化財団セゾン・フェロー。2019年1月アーティスト・イン・レジデンス事業に採択され KIAC で滞在を行う。2020年『バッコスの信女-ホルスタインの雌』で豊岡演劇祭に参加。 

【志賀玲子氏プロフィール】

舞台芸術プロデューサー、介護福祉士。1962年大阪府生まれ。1985年神戸女学院大学卒業後、一般企業勤務を経て、演劇制作事務所設立。1989年「ヨコハマアートウェーブ 89」(横浜市主催)事務局スタッフを皮切りにコンテンポラリーダンスを中心とする舞台芸術企画制作者として、兵庫県伊丹市立演劇ホール(アイホール)プロデューサー、びわ湖ホール「夏のフェスティバル」プロデューサー、(一財)地域創造「公共ホール現代ダンス活性化事業」コーディネイター、大阪大学コミュニケーション・デザインセンター特任教授を歴任。兵庫県立ピッコロ演劇学校1期生。2007 年から ALS (筋萎縮性側索硬化症)を発症した友人の在宅独居生活「ALS-D プロジェクト」をコーディネート、介護にもあたる。「スペース ALS-D」と名付けたダンススタジオを併設した京町家で、ダンサー等の友人がヘルパーの資格を取り介護にあたる暮らしは、首都圏外で初の 24 時間他人介護による在宅独居実現として、新聞、TV などの取材多数。