Chara、絢香、藤原さくら、大橋トリオ、平井堅等、数々のプロデュースワークを行ないながらも自身の作品をコンスタントに発表し続けるKan Sano。知られざる仕事術を明かす【インタビュー連載・匠の人】

2021.5.17
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Kan Sano

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その“道”のプロフェッショナルとして活躍を続けるアーティストに登場してもらう連載「匠の人」。今回のゲストはKan Sano。ソロ・アーティストとしてコンスタントに作品を発表しながら、CharaやUA、平井堅、絢香、大橋トリオ、藤原さくら等、ジャンルや世代を問わず様々なアーティストのプロデュースやリミックス、ライブサポート等を精力的に行い、さらにはCM音楽や劇伴でも才能を発揮。バークリー仕込みのジャズ理論をベースに、ネオソウルやLAビートなどのグルーヴを取り込みながら、「ビートルマニア」としてのポップセンスをも持ち合わせた彼のオリジナリティは、多くのミュージシャンから熱い支持を受け続けている。今回はそんなKan Sanoのサポート・ワークにフォーカスを当て、その「仕事術」を紹介。インタビュー後半では、もうすぐ40代に突入するSanoの赤裸々な本音を明かしてくれた。多かれ少なかれきっと誰もが共感するはずだ。

──Sanoさんが初めてサポートの仕事をしたのっていつですか?

え、いつだろう(笑)。いわゆるメジャー・アーティストのツアーに帯同したのはCharaさんが初めてだったのですが、10代で音楽活動を始めてサポート的なことは色々やっていて。ピアニストなので、シンガーやアイドルの方の伴奏をしたりする機会は昔から多くて。厳密にどこがスタートだったのかははっきり覚えていないんですよね。その頃はまだ学生だったので、「音楽を仕事にしていた」というよりは半分趣味のような感じでしたし。

──そういった仕事はどこから来るのですか?

僕は今、origami PRODUCTIONSに所属しているのですが、それまではフリーで活動していたのでミュージシャン同士の繋がりから誘ってもらうことが多かったかな。それと、バークリー音大で知り合った日本人のミュージシャンが、帰国して東京に集まっていたので、その界隈での手伝いも多かったですね。

──以前、インタビューをさせてもらった時に、「順調に仕事が来るようになったのは、origamiに所属しmabanuaのサポートをするようになったから」とおっしゃっていましたよね。mabanuaさんとはどんなきっかけで知り合ったんですか?

当時やっていたバンドでイベントに出演した時、対バンだった人にmabanuaを紹介してもらったんです。それで一緒にセッションしてみたのがきっかけでしたね。その後、お互いのライブやレコーディングを手伝うようになって。例えばmabanuaがバンマスをやるサポート現場、COMA-CHIやTWIGY等Jazzy Sport周辺では僕も一緒に手伝うなど、結構色々やってきて。mabanuaとは相性もいいんでしょうね。

──ジャズの現場からロック、ポップスなど様々なジャンルの現場を行き来することは、Sanoさんの音楽性にどんな影響を与えましたか?

東京に来て間もない頃は、日本の音楽に全く疎かったんです。当時は洋楽志向というか、海外の音楽しか聴いていなかったんですけど、上京して東京のミュージシャンと共演していくにつれ、すごい人がたくさんいるということも分かってきて。それは自分の意識にも変化をもたらしましたね。

─どんな変化ですか?

それこそCharaさんのツアーもそう。客席に向かって歌うCharaさんと、その曲のエネルギーがお客さん一人ひとりに伝わっていく様子をステージの後ろでピアノを弾きながら見ていると、「音楽ってすごいな」って純粋に感動するんです。その後UAさんや大橋トリオさん等、いろんな人と共演していく中でもそれは何度も感じましたし、そこに面白さを感じるようにもなっていきましたね。

■しっくり来る現場を経験すると良いループに入っていける

──Sanoさんが、仕事を続けていく上で大切にしていることはありますか?

帰国して間もない頃は、結構どんな仕事でも請け負っていたんですよ。ギャラとか内容とか関係なく、とにかくチャンスがあれば何でもあやかりたかったし(笑)。でも、ある時にとあるオファーがあって、僕はあまり乗り気じゃなくて断ろうかなとも思ったんですけど、結局引き受けることにしたんですね。そうしたら、ちょうど同じ日にmabanua経由で某アーティストのレコーディングのオファーが来て。めちゃくちゃ受けたかったんですけど、既に確約してしまったオファーがあるので泣く泣く断ることになったんですよね。日程をずらせないか色々粘ったんですが無理で。結局、そのアーティストのレコーディングに別のキーボーディストが参加したことが、もう悔しくて仕方なかったんですよ。

──僕もフリーランスなのでとてもよく分かります。

そういうことってありますよね。もちろん仕事を比べるのは良くないですけど、今後は後から他の仕事が入っても後悔しないと思える仕事を優先すべきだなと。そこからはオファーの受け方を変えていった気がします。

──きっと、そうやって仕事をある程度選ぶことで、Sanoさんのスタイルが定まってくるというか、オファーする方もしやすくなる部分はありそうですよね。「この仕事をさせたら間違いない」みたいな。

それはすごくあると思います。例えば、あまり自分に向いていないなと思う仕事を一つ受けると、結局そこでまた同じような仕事が繋がっていって、いつまで経ってもそこから抜け出せなくなってしまうことってあるじゃないですか(笑)。逆に自分がやりたいこと、しっくり来る現場を一つ経験すると、そこからまた派生した人脈の中で新しいオファーが来る。そうすると良いループに入っていけるんですよね。自分の「居場所」ができるというか。

──それもよく分かります。ただ、そういう「居場所」を確保していく一方で、「これは自分には向いていないかも」と思った仕事も、やってみると案外向いていることもあるじゃないですか。

あ、ありますね。

──なので、完全に自分の守備範囲だけでやっているのも、狭まっていってしまうかもしれないし。その辺の匙加減は大事なのかもしれないですよね。

それはプロデュースの仕事でも感じます。今ほど自分のスタイルが確立していなかった頃は、「こんなの俺に頼んでどうするの?」と思うようなオファーが来ることもあったんですけど(笑)、最近はこっちのスタイルを分かった上でオファーしてくださる方が多いので、すごくやりやすくなってきてはいる。でも、今おっしゃったように新しい扉を開きたい時もあって。同じことの繰り返しになってしまわないよう、なるべく新しいものにチャレンジしようという気持ちでもいるんですよね。

■プロデュースもリミックスに近い感覚でやっているのかもしれない

──リミックスの仕事はどのようなスタイルでやっているのですか?

フリーでやっていた頃は、ビートメイカーとしての活動も多くて。ドイツやイギリスのインディーレーベルのコンピに参加しているうちに、リミックスを手掛けることが少しずつ増えていきました。例えばMONKEY sequence 19という、東北在住のビートメーカーがいて、僕はその「Pretend」(2010年)という曲のリミックスを手がけて初めて7インチをリリースしたんですけど、それがすごく嬉しくて今でも覚えていますね。

──リミックスって実験的なことも色々試せる場だと思うのですが、Sanoさんの中で特に「攻めている」リミックスというと?

SING LIKE TALKINGの「6月の青い空」をリミックスしたときは気合い入りましたね。めちゃめちゃ大ファンだったので、それまであまりトライしてこなかったようなビート感や音色を、かなり試行錯誤しながら作ったんですよ。この曲を聴くと今でもその時のことを思い出します。「攻めているな」というよりは、「頑張っているなあ」という感じですかね。

──あははは、なるほど。

あとはm-floの「let go」、土岐麻子さんの「Black Savanna」も印象に残っていますし、気に入っています。僕にオファーを下さる人たちはいつも「Kan Sanoらしさ」を求めてくださっているわけですが、そこに何かプラスαというか、自分自身も予想していなかったような、次に繋がる新しい要素を入れられたリミックスは、すごく印象に残っています。例えば「let go」では初めてハイハットを生で録音したんですけど、その後に作った『Ghost Notes』(2019年)というアルバムで、ドラムのハイハットを全て生で録るということに繋がっていたりするんですよね。

──興味深いです。プロデュースワークに関してはいかがでしょうか。

かなり自由にやらせていただいていますね。「こんなに自由でいいのだろうか?」と逆に心配になるくらい(笑)。ボーカルのディレクションなどもあまりしないですし、歌詞にちょっと修正を入れるとかもほとんどなくて。例えばハーモニーがメロディとぶつかっていて「おかしいな?」とか、そういうデモを修正することはありますけど。そういう意味ではプロデュースもどちらかというとリミックスに近い感覚でやっているのかもしれない。ボーカルも素材の一つに見立てて「これをどう料理しよう?」みたいな。

──きっとオファーしてくる人たちも、そういうことをSanoさんに期待しているんでしょうね。最近プロデュースさせてもらったアーティストで印象に残っているのは?

絢香さんですね。ボーカルのディレクションに立ち会ったことがあるのですが、基本的に彼女が自分でどんどんジャッジをしていくんですよ。その基準がものすごく厳しくて、集中して聴いていないと違いが分からないくらい細かい修正をしているんです。僕は自宅で自分のボーカルを録る時とか、「リズムさえ合っていれば、ピッチは後から直せばいいか!」なんてイージーに考えてしまいがちですが(笑)、そんなの絢香さんは一切なくて。こういう人が、本当のボーカリストなんだなと思いますね。

──そういうプロデュースで得たこと、学んだことを、また自分の作品にフィードバックさせているところもありますか?

ものすごくあります。僕の周りにはCharaさん、絢香さん、UAさん、藤原さくらちゃん、七尾旅人さん、土岐麻子さん……等々、本当にすごいミュージシャンがたくさんいるし、皆さん自分の世界を持っているので、その人たちの世界に飛び込んでいく気持ちよさがあるし、そこから自分のポジションに戻った時に背筋が伸びるんですよね。自分自身の活動とプロデュース業、両方やっていることで自分はバランスが取れているのだと思います。いろんな方と一緒にやることで、自分のポジションにも自覚的になりますしね。自分の見えていなかった側面や能力に気づくというか、「あ、自分で意外とこんなこともできるんだ」みたいな。そういう発見にも繋がっているような気がします。

──ご自身のスタイルを客観的に見られるようになるというか。

しかも、プロデュースやライブのサポートをやっていると、周りのアーティストがどうやって曲を作ったり、ライブを組み立てたりしているのかを間近で見ることができるので、それはプロデューサーやサポートミュージシャンの特権だなと。そういうことを経験しておけば、間違いなく自分の活動の糧にもなるでしょうしね。

──バカリズムさん脚本・出演のHulu独占配信のドラマ『住住(スムスム)』の主題歌「Natsume」を担当することになったのはどんな経緯があったんですか?

バカリズムさんと監督が僕の音楽を聴いていてくださって、それでオファーをいただきました。僕自身こういうケースは初めてだったんですよ。でも、逆にそれがすごく作りやすかったし楽しかったです。

──縛りがある方が、よりクリエイティブになれるという話はよく聞きます。

そうなんです。ある程度枠組みが決まっている中で、いかに自由に遊べるか?みたいな。おそらく一人で作っている時も、何となくそういうことを自分でやっているのかも知れないですよね。例えば『Ghost Notes』では、全て同じ音色でいくと決めて、アルバム全体の統一感を持たせたんですけど、それもある意味では「縛り」だし。それがあったからこそ曲が生まれてきていた気がしますね。完全に「無」の状態から作り出すのは、ものすごく大変なことだと思います。あと、今回オファーを頂いた時に「Sanoさんの過去曲のこの感じ」みたいなリファレンスもいただきました。ただ、自分が一度やったことをそのまま踏襲するだけでは面白くないし、やっぱり新しいことにもチャレンジしたいので、相手が求める僕らしさもちゃんと入れつつ、自分にとって「その先」にも繋がるような「新しさ」も加えていくという、その匙加減には気をつけました。それが今回すごくうまくいったなと、手応えは強く感じていますね。

■自分がやりたい音楽をいかに80までにやりきるかを考えています

──ところで、サポートミュージシャンとして一緒に脇を固めるプレイヤーの中で刺激を受けた人、印象に残っている人はいますか?

たくさんいますが、やっぱり自分よりも上の先輩たち、本当に一流のプレーヤーたちには常に感銘を受けますね。例えばCharaさんのバックでいつもギターを弾いている名越由貴夫さん。椎名林檎さんや堂本剛さんのサポートもしていらっしゃるけど、ギターの1音を鳴らしただけでものすごい存在感があるんですよ。めちゃめちゃいい音だなって、グッとくる。UAさんのサポートでベースを弾いている鈴木正人さんも、エレベもウッドベースも両方弾く方ですが、もう重ねてきた経験が音に反映されているというか。昔、KinKi Kidsと吉田拓郎さんがやっていた『LOVE LOVE あいしてる』という番組が僕は大好きだったんです。出演しているバンドメンバーが、先日亡くなった村上 “ポンタ” 秀一さんや、SING LIKE TALKINGの佐藤竹善さん等一流のプレイヤーが勢揃いで。プレイの凄さが画面からも伝わってくるんですよ。そういうセッション・ミュージシャンたちに、昔から本当に憧れていました。

──コロナ禍でライブのあり方って、今後どうなっていくんでしょうね。

僕は、オンラインライブは結構好きですし、残ってほしいコンテンツだと思っています。以前、僕がオンラインライブをやったときは、観てくれた人たちがその様子をInstagramのストーリーズにタグ付けして投稿してくれたんですよ。人によっては部屋を暗くしてキャンドルを灯しながら観てくれていたり、プロジェクターで壁に映して観てくれていたり。ライブハウスで楽しむのとは全く違う、新しい楽しみ方ができつつあって。それはそれでいいなと思っています。

──我々のステイホームの過ごし方も、板に付いてきた感じはしますよね。善し悪しは別として。

と言いつつ、早くステージに戻りたいですね。僕自身はリアルに会場へ行って、お客さんの前で演奏することで発散できていたし、制作におけるフラストレーションとのバランスも取れていたので。それにライブは体力を使うので、適度にスケジュールが入っていた方が健康にもいいんですよ。コロナ禍でそれが全て崩れてしまって、健康管理を見直さなきゃなと思っています(笑)。

──Sanoさんは以前から「80歳まで音楽をやることが目標」と公言されていますよね。

自分がやりたい音楽をいかに80までにやりきるかを考えていますね。ただ、30歳を過ぎてからは人生が折り返し地点に来たような感覚があって。そのことに対する焦りを感じたり、気持ちが辛くなったりするんです。自分のやりたいことをどんどんやっていかないと、これ人生あっという間に終わっちゃうなと。

──さっきSanoさんがおっしゃっていた名越さんや鈴木さんには、その年齢、そのキャリアだからこそ出せる音があるように、これからSanoさんも年齢やキャリアを重ねたからこその音が見つかる気がします。

そうなんですかね。例えば自分が尊敬しているビートルズやマイルス・デイヴィスは、みんな40代くらいまでに歴史的な作品を残してきたし、そのくらいの年齢が脂の乗っている時期だったと思うんですよ。そういうことを考えるとちょっと憂鬱になっちゃって(笑)。うまく歳を取っていきたいんですけど、それが今はまだ見えてなくて、ちょっと辛い時期ではありますね。

──きっとそこを抜けたらまた楽になるんじゃないですかね。

だといいんですけどね(笑)。こういう話を、まだ先輩ミュージシャンとしたことがないんですけど、40代に差し掛かる頃って、みんなそういうこと考えるんですかね。実際に体力も落ちる等、体の衰えも感じていますし、20代の時とは全然違うんですよ、当時は先の頃とか全然考えてこなかったけど。

──確かに体力は違いますね。

そう言えば黒田さん、ポール・マッカートニーのインタビューされていたじゃないですか。あの記事(https://www.cinra.net/interview/201810-paulmccartney)もすごく面白かったんですけど、ポールといえば僕はビートルズ時代、60年代から70年代初期の作品が好きなんですよ。彼はその後もずっとウィングスやソロをやり続けているし、今も現役で作品を作ってライブもやっている。自分の音楽をどんどん更新していっているわけですよね。でも僕はついつい「昔のポールの方がいいな」と思ってしまう人間で……。

──あははは。そういう人は少なくないと思いますよ。

音楽は出会うタイミングがとても重要だし、僕は10代の頃にビートルズを聴いたことに影響を受けているからなんですけど、そうじゃない人からすれば、もしかしたら今のポールの方がいいという人もいるかもしれないですよね。

──確かに。「ビートルズ時代のポールは古くて聴いてられない」という若いリスナーはいるかも知れませんよね。ポールにとっても、ビートルズにいた期間はたった9年ですから。その後の人生の方がはるかに長くて、彼に取ってはそちらの方が大切な時間を過ごしている可能性だってある。

そうなんですよね。あのインタビューの中で、ポールが曲作りなどで煮詰まった時に「17歳の自分だったらどうしていただろうね?」って考えていたと話していたじゃないですか。あれはすごく分かります。やっぱり10代の頃って自分もめちゃめちゃ生意気だったし、自分の音楽に対して自信があったし、厳しくもあったと思うんですよね。言いたいことを気にせずに何でも言えたし。

──その頃の自分を失望させるような曲は作りたくないというか。

まさに。そういう感性は忘れたくないなとは思っています。

取材・文=黒田隆憲

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Kan Sano「Natsume」
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