YouTuberとしても活躍! バリトン 今井俊輔インタビュー 東京二期会《ファルスタッフ》の存在感がありすぎる主人公をどう演じるか?
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イタリア・オペラの巨匠ジュゼッペ・ヴェルディ最後の作品にして(若い頃の一作を除けば)唯一の喜劇《ファルスタッフ》は、ヴェルディが自らの芸術を極めた傑作として知られている。原作はシェイクスピアの『ウィンザーの陽気な女房たち』だ。
東京文化会館で2021年7月16日(金)に始まる公演の初日組でファルスタッフ役を歌うのは、近年、数多くのオペラに主演し注目を集めているバリトン、今井俊輔である。
――前回の上演は創立50周年、今回は70周年と二期会でも大切な節目の年に上演されてきた《ファルスタッフ》です。題名役に決まった時にはどう思われましたか?
《ファルスタッフ》にはファルスタッフとフォードという二つのバリトンの役があります。師事しているイタリアの先生に相談したところ、イタリアで歌うならフォードかもしれないけれど、日本で歌うなら声の重さを考えたらファルスタッフ役がいいのでは?と言われました。自分で自分の声はよく分かりませんが、音色がちょっと暗め、というか深い色のイメージがあると言われることがあるんです。それでファルスタッフを勉強してみようと。そして、出演が決まって先生に報告したら、二期会デビューが2013年のヴェルディ《マクベス》の題名役、今度は《ファルスタッフ》で、バリトンのキャリアとしてはもう終点ね、って言われました(笑)。
――確かに、普通はもっとベテランの方が歌うことが多い印象ですね。
今、42歳なのですが、正直この役をもらえるとは思っていなかったです。やはり《ファルスタッフ》はヴェルディの最後の作品ですし、曲も音楽性も宇宙的な広がりを持っている。ですからやはりもう少し色々なヴェルディのオペラを勉強してから取り組めるのが一番良かったのかなとは思います。でも、実際にやってみるとすごく楽しく、納得しながらリハーサルしています。上演が多い演目ではありませんし、二期会の大きな舞台で歌わせてもらうのは名誉なことですからしっかりやっていこうと思います。
――ロラン・ペリー演出のプロダクションはどのような舞台になりそうですか?
今回の演出は現代に設定されていて、やはり目からのイメージが入ってきやすいと感じます。《ファルスタッフ》は現代的な演出とマッチする作品だと思いますし、ヴェルディの音楽、演劇的な部分、そして演出的な部分と、三つ全てが楽しめるのではないかなと。オペラは難しそうだとためらっている方に、クラシック音楽とかオペラという垣根を外して観てもらえる舞台になっているんじゃないかと思います。
――ファルスタッフは身分が高い騎士だったのに落ちぶれてしまい、年齢もかえりみず、二人の人妻にいっぺんにラブレターを出すという強者ですよね。
そうですね。自分が最高にかっこいいと思っていて、例えば、鏡を見て、おお、なんかいいねぇ!ってなって「あそこにいるイケメンは誰だ?あ、俺だ!」みたいな演出があります(笑)。頭もおっきければお腹も大きい、その存在感にぜひ触れてもらいたいですね。
――それは楽しそうです!《ファルスタッフ》は言葉と音楽の使い方がとても洗練されていますよね?
しゃべるように歌うところが多いですね。ヴェルディはもう自分のやりたいことだけを追求しているというか、自分の昔使っていた技法を皮肉ってみたり、楽しんで色々な音楽を混ぜていますね。80歳少し前に書いたオペラですが、エネルギーに満ちあふれている作品です。最後は「この世は全て冗談さ」と。最強ですよね。
――舞台で演じる方は大変なことも多いと思いますが、観客にとってはすごく面白く楽しめる作品という気がします。
心の栄養どころではなく、身体ごと充実させてくれる何かがこの音楽にはあると思います。僕はあまり神秘的なことを言うタイプではないんですが、ファルスタッフを歌っていると、元気になってくるというか、自分の声が潤ってくるので、あまり辛いとか大変だということはないですね。なんだか歌えば歌うほど健康になるんじゃないか?というオペラなんです(笑)。
――それはすごいですね。歌うということはもちろん基本的には身体にいいと思いますが、でもプロとして歌う時、全ての役がそういう感覚ではないのでは?
オペラは悲劇が多いので、その中に入り込んで演じていると、ちょっと免疫が落ちてくるような影響が来る場合があるんです。《マクベス》を歌った時には大変でした。なんだかあまり食欲がないな、と思ったら10キロくらい痩せてしまったりとか、蕁麻疹がでたりとか。音楽的にも演劇的にもシリアスですし、特に家に帰った後のダメージというか、ズシっと重みが来て。二期会へのデビューでしたから気合も入るし、これで失敗したらどうしよう、みたいなプレッシャーもあったからだと思いますが。
――私が初めて今井さんの舞台を拝見したのは、そのあと数年経って演じられたプッチーニ《トスカ》のスカルピア役でした。歌も素晴らしかったですし、演技も気品があり、しかも悪い奴の怖さもよく出ていて。それでその後、これは最近のことですが、TwitterやYouTubeなどで今井さんの動画を何度も目にしていたのに、初めのうちは同じ方だと気がつかなかったんです。舞台とはキャラクターが違いすぎて。
それはよく言われます(笑)。
――反対にいうと、いかに舞台での演技力がすごいかということでびっくりしました。どうしてあそこまで別人になれるんですか?
そういう風に考えたことはあまりないですが、イタリアで演技の先生に習っていた時によく言われたのは、「舞台に出る前には鏡に演じるキャラクターを映して、その中を通っていくことで役になる。必ず鏡を通過してから舞台に上がれ」と。それは必ずやるようにしています。《トスカ》の場合は、スカルピアは警視総監のキャリア、こういう重さの服を着て、性格は切れ者で賢くてと。礼儀も知っているけれど、自分の欲望に正直で。今回のファルスタッフは、どのくらいの腰回りで、どのくらいお金がなくて、実は恋をしていたのか、妄想なのか、など考えながら舞台にいるようにしています。終わった時にはパッと頭を切り替えますが。
――普通の人は、たとえ人物像ができていたとしても、なかなか舞台でそれを体現できないと思うんです。
それは多分、長く水泳をやっていたことも大きいかもしれません。運動神経って筋力のことではなく、表現を合わせる力なんだそうです。例えば、空手でこういう型があったとしたら、じゃあ想像でやってくださいと言われた時、ピタッと同じ型ができるかどうか。やはり発声をするのにも、自分の動かしたい筋肉を動かさないと始まらないですから。身体の動きもそれと一緒で、自分が鏡の中にどう映っているかというのを舞台上できちっとイメージできるかどうか……。
――なるほど。確かにオペラ歌手は頭を使うアスリートという面がありますね。ところで今井さんのYouTubeチャンネル「今チャンTV!」ですが、昨年の3月に始められてからコンスタントに更新し、中には30万、50万回視聴されている回もあります。オペラとは関係ない日常のお話も多く、気楽にどんどん見てしまって気をつけないと危ないチャンネルですね(笑)。続いている秘訣は?
始めたきっかけはやはりコロナでコンサートの予定が中止になってしまったりして、お客様が「コンサートに行かれなくなって寂しい」と言ってくださることもあり、YouTubeのような媒体があれば少しでも交流が続けられるかなと思ったことです。声楽家ってどういう感じなのか知ってもらって、それがオペラを見るきっかけになればいいとも思いましたし。YouTubeを職業にしている人たちへの敬意もあり、動画は残ってしまうものでもあるので、週に2回は更新できたら、と決めて続けています。機材を揃えたり、企画を考えるのも大変ですね。毎日更新している本職の方々は本当にすごいです。
ーー自然なキャラクターがでているのもいいですし、ファンの方たちからのコメントも熱いです。
熱心な方が何人かいらして、ずっとコメントしてくださっていてありがたいです。それに加えてときどき他の方からも。そうやって身近に感じていただけて、そこからじゃあオペラも見てみようかな?と思っていただけたら嬉しいですね。
――最後に、今回の《ファルスタッフ》で共演する皆様について教えてください。
キャストの中で最近共演が多くてよく知っているのはフェントンを歌うテノールの宮里直樹君。《ファルスタッフ》の後も、11月ごろまであちこちで共演が決まっています。まだ若いけれど音楽的にとても優れていて、悔しいなと思いながらいつも勉強させてもらっています。フォードの清水勇磨君も素晴らしい歌い手ですし、体つきも立派で、俺がファルスタッフでいいのかな?と思うくらい(笑)。アリーチェの髙橋絵理さんも色々な現場で一緒になることが多いです。役にピッタリの美しい声。そしてクイックリー夫人を歌う中島郁子さんはうまいですよね。まさに匠の技。昔の巨人軍にいた川相(昌弘)選手のバントくらいうまい!という感じです(笑)。
――例えがスポーツマンすぎてよく分からなくなってしまいました(笑)。キャストの皆さんは、年齢も割と近い感じがしますから雰囲気が合っていいのではないでしょうか?
この演出は動くシーンが多いので、皆と一緒にキビキビした切れ味のある舞台にしたいです。マエストロも若いレオナルド・シーニさんが来日しましたし。
ーー颯爽とした公演になりそうですね。舞台を鑑賞する皆さんも《ファルスタッフ》で、楽しさをいっぱい受け取れますように。
取材・文=井内美香 撮影=長澤直子