立川談慶×立川談笑インタビュー 『30周年落語会 ザ・談慶支援!』暗黒の修業時代が作るもの

インタビュー
舞台
2022.2.11
(左から)立川談慶、立川談笑

(左から)立川談慶、立川談笑

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2022年3月20日(日)に銀座ブロッサムで、立川談慶の30周年記念落語『ザ・談慶支援!』が開催される。開催に先駆けて、談慶が、ゲスト出演の立川談笑と対談を行った。立川談志の18番目の弟子である談慶は、19番弟子の談笑を、「恩人」と語る。そのわけは。前座修業が作る、噺家の何かとは。

■談慶と談笑、同志で恩人

ーー30周年、おめでとうございます。公演タイトル『談慶支援!』は、ダンケ・シェーン(ありがとう)の会なのですね! 当日のゲストは、ナイツさん、毒蝮三太夫さん、そして談笑さんです。

談慶:感謝の気持ちで、お世話になった方をゲストにお呼びしました。蝮さんは、僕が前座だったころから可愛がってくださいました。蝮さんの会に、かみさんと行ったことがあったんです。当時、かみさんに長男坊が宿っていて、蝮さんは、そのお腹をみるなり、「可哀そうに! こんな奴の子を!」なんて言いながら、お祝いをくださいました。次にお会いすると、今度は「良いかみさんだな! 礼状をくれたよ! いや、感動することもないか。金を出したのは俺だもんな」って。必ず毒混じりで、優しいんですよ。ナイツさんは、20周年記念落語会の時に、師匠の談志が急にこられなくなったことがあり、ピンチヒッターで駆けつけてくれました。その時に「21周年まで、がんばって」なんて言われたのですが、おかげ様で30周年です。談笑さんは、同志であり恩人。入門が一番近い弟弟子で、学年が同じ。だから談笑さんも、まもなく30周年なんですよね。

談笑:アラサーですね。

談慶:アラサーです(笑)。そして師匠である立川談志のもとで、暗黒の前座時代を一緒に過ごした仲です。

ーー談慶師匠は1991年、談笑師匠は1993年に入門されました。お互いに、談志師匠のここを受け継いでるな、と思われる部分はありますか?

談慶:談笑さんは、古典落語の壊し方でしょうか。僕も含めて古典落語が好きだと、そこまではできない、というラインがあるもの。談笑さんの場合、古典落語がお好きだからこそなのでしょうね。それを超越したところからアプローチできちゃうんです。談志ゆずりだなと思います。

立川談慶

立川談慶

談笑:あにさんは真面目なところが師匠ゆずり。落語も談志も、研究対象みたいに見ているのかな、と思うことがある。研究者が分析して研究発表するように、たくさん本も出していますしね?

ーー昨年出版された小説を含め、23冊出されています。しかも、そのほとんどに重版がかかる人気ぶりです。

談笑:僕には真似できないし、談志と似てる。

談慶:たしかに、本を出すのは、研究発表に近い感覚があります。落語も理詰めですし、落語会は答え合わせの感覚がある。

談笑:談志も、落語は理詰めだった。たとえば「なんで死神は人を死なせるんだ?」とか「これじゃ、このかみさんがかわいそうじゃねえか」とか。行動の整合性とか登場人物の心理から考えるんですよ。

談慶:古典落語に対して、そこまで素朴な疑問って、なかなか抱けないものです。それと格闘していたのが、談志だったんですよね。

談笑:『文七元結』では、バクチ打ちの左官職人・長兵衛が、娘のおひさが吉原に身を売って作ってくれた五十両を、見ず知らずの若者にあげてしまう。「身投げしようとしているからって、そんな大金をあげられるか? あげるわけねえじゃねえか」と考えるわけです。

談慶:談志は、「お金に執着のないバクチ打ちが、切羽詰まってここでもバクチを打った」と解釈したんじゃないかな。その心意気が、最後に福をもたらした話だと捉えて、僕はやっています。

談笑:私はね、おひさには兄がいたことにしています。左官の弟子として長兵衛の元で働いてた。でも、親父があまりに厳しくて、川に飛び込んで死んじゃったの。自分が追い詰めてしまったせいだと後悔し、長兵衛は酒とバクチにあけくれるようになる。文七も、「大店の旦那様に可愛がってもらってるのに、自分が間抜けだから」と死のうとしています。聞けば、死んだ息子と同じ二十歳だって。

談慶:なるほど、それも面白いね! 単純に勢いであげちゃうという解釈の人もいますし、色々な落語家の、様々な『文七元結』がありますよね。

談笑:こうやって、落語家がそれぞれの解釈を加えてやるようになったのも、談志以降なんですよね。昔は、(春風亭)一之輔みたいなことやったら楽屋でぶん殴られてたよ?(笑)

談慶:マクラで時事ネタをふるようになったのも、談志からだというから、先陣を切っているんですよね。

■もっとずっと、好きでいさせ続けてよ

談笑:あにさんは、マメなところも師匠ゆずりですね。そのおかげか前座時代から、お客さんの数がすごいし、人脈も広い。地元の自治体が統合するとかで、長野県で師匠も呼んで落語会が開催された。客席には、長野県知事や市長もいて、打ち上げはその方々からのご挨拶からはじまるんですよ。談志も政治家のモードで挨拶をしたりして。信頼も厚いですし、ネットワークビジネスで、磁気ネックレスとか売ったら、大儲けできますよ?

談慶:ははは。サラリーマン経験が活きているのか、性格なのか。談志にも「お前はマメだもんな」と評価してくださっていた感じはありました。

立川談笑

立川談笑

談笑:談志本人が、とてもマメでしたからね。

談慶:名刺交換をした方には、どんな相手でも「お世話になりました」とハガキを出すんです。

談笑:そうそう! ジャケットの左の内ポケットに「ありがとうございました」、右の内ポケットに「失礼しました」と書き終えたハガキが入っていて、ひと現場終わると、移動の車で、すぐに今もらった名刺をみて宛名を書く。

談慶:電話もよくかけていましたね。

談笑:かけてた、かけてた!

談慶:談志は、携帯電話を持たなかったから、弟子たちはテレホンカードを切らさないようにして。

談笑:そうだった!

談慶:当時、格安で買えて、通常の倍使える違法テレホンカードが出回っていたんです。人からもらったものを持っていたら、ある時、パッと師匠に、それを渡してしまったの。怒られる! と思ったら、「これは凄いな!」って喜んじゃった。そういう無邪気なところもあって……人ったらしでしたよねえ。

談慶・談笑:ねー。

ーーむかしの恋人を振り返るようなお話ぶりですが、おふたりにとって師匠と弟子の関係、兄弟弟子間の関係とは、どのような感覚なのでしょうか。

談慶:師弟は、やっぱり親子なのでしょうね。

談笑:兄弟はからなずしも兄弟じゃないけれど。

談慶:ははは。他の一門と違ったのは、真打昇進後の関係性でしょうか。普通は真打になると、ある程度、師弟関係は卒業という感覚があるものです。僕らは、そこが師匠との関係のスタート地点だった。真打になるということは、1回は寝た、くらいのこと。1回寝たくらいで、愛人面はさせないよ? というのが、真打になった弟子に対する、談志のポジションでした。その後も師匠を、惚れさせ続けられたのが、志の輔、談春、志らくと、談笑だったんじゃないかな。もっとずっと、好きでいさせ続けてよって……罪な人ですよね(笑)。

(左から)立川談慶、立川談笑

(左から)立川談慶、立川談笑

■嬉しいけれど、さあどうしよう! 

ーー先ほど「暗黒の前座時代」ともおっしゃっていました。落語立川流は、特に厳しかったと聞きます。

談笑:どこの協会も、前座さんは大変です。ただ当時の落語立川流の前座は、本当に地獄で、一度入ったらいつ出られるか分からない、アルカトラズの監獄みたいな(笑)。しかも、あにさんは前座時代が長かった。

談慶:9年半ね(※一般的には4、5年と言われています)。師匠は若かったしね。

談笑:当時50代だったから、今の僕らくらいだ。

談慶:元気な分、穏やかではなかったよ。

ーー落語家生活を振り返り、談慶師匠が一番苦労されたのは、やはり前座としての修業時代でしょうか?

談慶:前座の終わり頃ですね。二つ目になるための基準をクリアできず、「どこまで俺の心が折れればいいんだ……」って。ちょっとしたことで、ボロボロ涙が出てきてしまうくらい、追い詰められてました。そこから救ってくれたのが、談笑さんだったんです。彼は優秀でした。立川流の中興の祖だよ。

談笑:そうです!(得意顔)

ーー談笑さんは入門から2年半で二つ目になられたそうですね。前座から二つ目への昇進には、年功序列でエスカレーター式に昇進していく一門も多い中、立川流には「古典落語50席と歌舞音曲」という基準があります。

談笑:談春や志らくが前座だった頃は、基準が「古典落語50席」だけでした。でも寄席での前座修業をしていない弟子たちは、太鼓を叩けない。歌を唄えない。これじゃまずいと気がついて、談志が二つ目昇進の基準を上げていったんです。講談の修羅場講釈も入れよう。踊りも入れよう。兄弟子たちは、そろそろだと思ったところで昇進が遠のく。ゴールポストが動いていくので、心が折れますよね。僕が入門した頃には、あにさんたちの中で「談志は、俺たちを二つ目にする気がないのだろう」と。

談慶:厭世的な空気になっていましたね。談笑さんは、基準が高くなってからの入門で、少し違った。当時「兄さん、いっしょに二つ目になりましょう!」と、しきりに誘ってくれていたんです。僕らは前座時代から、ある程度仕事をしても良いとされていたので、日々の生活に追われる中、「やれるわけないよ」みたいな感じでいたら、彼は2年で内定をもらった。談志の基準をクリアしたんですね。

立川談慶

立川談慶

ーー談笑さんは、その時、どんな心境でしたか?

談笑:もちろん嬉しいけれど、さあどうしよう! で頭がいっぱいでした。談志も「できないと言っていたけれど、できるやつがいるじゃないか」と。ある意味で風穴を開けてしまった以上は、何かを変えるきっかけになればと思い、『立川談志 傾向と対策』なんてレジュメを作り、ネタをどのぐらい見るかとか、小唄、端唄、都々逸にはどんな種類があるか。音源をカセットテープにダビングして。

ーー談慶さんは、どのような思いだったのでしょうか。

談慶:はじめは「談笑はタイミングが良かっただけだ」、「俺が二つ目になれないのは、師匠の機嫌が悪いときに見てもらったせいだ」などと考えましたよ。けれども、彼が作ったマニュアルを見て、話を聞いたら、これは談志も首を縦に振らざるをえないな……と。談笑はすごいし、やっぱり談志は、ちゃんと見ている人だったんだと思ったんです。

談笑:談志は、自分勝手で傲慢そうなイメージもありますが、基準を作り、その基準に自分もはまろうとしていたんですね。談志自身が、二つ目時代に、志ん朝師匠に真打昇進を抜かれた経験がある。だからこそ明確な基準を作って、それに自分も順じようとしていたんじゃないかと、ふり返ってみて思う。

談慶:自縄自縛というのかな。最後まで立川談志を演じきった人だったし。

ーーそんな談志師匠を、談笑師匠がクリアできたポイントは何だったと思われますか?

談笑:先輩方と違ったのは、猛獣のような立川談志のあしらい方ですかね(笑)。皆さんは、すでに追い詰められた状況でしたから、談志に対し「どうにかねじ伏せてイエスと言わせよう」という姿勢でした。私は、逆に談志がノーを言いやすい状況をいっぱい作っていました。たとえば真打昇進トライアル(昇進試験をかねた落語会)なら、「次回は半年後」の告知を貼りだしておくとかね。昇進試験って、1回失敗すると、最低でも半年ぐらいは空けないといけませんから。

談慶:それは笑っちゃうなあ。僕が彼をみていて感じたのは、茶目っ気でした。踊りでも、師匠が笑ってしまうようなおかしみがあった。僕は長唄も、町の教室で先生に習ったように、正しくやろうとばかりしていたけれど、噺家に必要な唄って、そうじゃなかったんだな。談志には「俺を快適にしろ」と言われていたのに、昇進試験になるとプレッシャーで、それが見えなくなっていたのだと思うんです。

■噺家がもつ「何か」について

ーーコロナ禍を経て、落語がオンラインで配信される機会も増えました。生の落語がもつ魅力をどうお考えですか?

談笑:すごく分かりやすく説明できるんです。AVを観るのと本当にするのとの違いです。

談慶:分かりやすい(笑)

談笑:あと、噺家という職業はお坊さんに近いとも思うんです。落語って「お笑い」に見える側面も多いけれど、「職業=人格」で、日本人の深いところと、繋がりをもつ商売だと思うんです。力士もそうですね。修業と言う部分でも、重なるところがある。だからタレントさんが、着物をきて落語をされることはありますが、そこにない何かを、我々噺家はきっと持っているはずなんです。

立川談笑

立川談笑

ーーその「何か」とは、何なのでしょうか。

談笑:談志が残した「江戸の風」という言葉があります。落語を左右する、大事な要素のひとつだと言っていました。何なんだろうと思っていたんですが、私の中では、談志もよく色紙に書いてた「富士と桜と米のめし」。つまり無条件に、日本人が好きなもの。これと同じ要素が落語にはあって、それを「江戸の風」といったんじゃないかなと思ってるんです。

談慶:「江戸の風」は、芸人それぞれが、自分の中に落とし込んで向き合っている言葉ですよね。昔の名人の落語を映像で見たりすると、「融通無碍」っていう言葉があてはまります。自由闊達な状況を指す言葉ですが、そこに行き着くまでの信頼がないと、融通無碍と表現されるには至らない。すべてを統合する形の言葉で、「江戸の風」という補足しがたい言葉を持ってきた談志の説得力。談笑さんが先ほど、力士も挙げていましたが、先日、大相撲をみたんです。目の前で力士がぶつかり合う様子をみたら、八百長だなんて言えなくなる。やはり何かが、あるんですよね。

談笑:噺家は、日本人が郷愁を感じる、日本人と深いところでつながっている商売だと思いますよ。

談慶:お坊さんになぞらえるなら、バイトで来た人にお経をあげてもらって嬉しいか? オンラインでお経をあげてもらうのも何か違う。そういう、噺家にとっての「何か」を作るのが、修業時代なのかもしれません。格闘した前座時代を、「暗黒時代」と言いましたが、その経験が、いい意味で影を落としてくれている。

ーー噺家としてアラサーのお二人は、次の30年をどうご覧になりますか。挑戦したいことはありますか?

談笑:実質20年くらいの見通しで、僕は噺家としての芸風を、がらっと変えてきているんです。若い頃は刺激的なことを目指していたけれど、途中から「志の輔のあとに続きます」って、メジャー転向した。そこから、もうひと変化させたいな。ひょっとしたら自分がプレーヤーではなく、プロデューサーに回るとかね。落語界には、色々な団体があるけれど、みんな場当たり的に個人個人で活動している。全国的にシステマティックに展開できる方法があるんじゃないかと思ってる。

談慶:プロデューサーは今までの蓄積が活きる業種だし、すごく分かる気がする。談笑さんは向いているかもしれない。幸か不幸か、僕はコロナ禍の中で、初めて小説を書きました。これまでも、本を出してきましたが、世の中がこんなことにならなければ、小説は書かなかったかもしれません。ここから先は、柔軟に対応できる人しか、残れない時代のように感じます。僕としては、新しいことがしやすい土壌になったと感じています。

(左から)立川談慶、立川談笑

(左から)立川談慶、立川談笑

取材・文=塚田史香   撮影=iwa

公演情報

立川談慶30周年記念公演
『立川談慶 30周年落語会 ザ・談慶支援!』
 
■日程:2022年3月20日(日) 12:00開場/13:00開演
■会場:銀座ブロッサムホール
 
■出演:立川談慶
■ゲスト:ナイツ、毒蝮三太夫、立川談笑
 
:自由席 ¥4,500(税込)
※管理番号付き
※未就学児入場不可
 
■お問い合わせ:サンライズプロモーション東京 0570-00-3337(平日12:00〜15:00)
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