ウチナーンチュが沖縄を笑い、生きる元気を取り戻す『基地を笑え!お笑い米軍基地』那覇文化芸術劇場のウークイを彩る〜制作総指揮・小波津正光が語る

インタビュー
舞台
2022.8.7
『基地を笑え!お笑い米軍基地』より、オスプレイを演じる小波津正光

『基地を笑え!お笑い米軍基地』より、オスプレイを演じる小波津正光

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パレスチナの劇団が来日公演した際に見た芝居が、衝撃的だった。家族が食卓を囲んでいる部屋の中をミサイルが通過していく。でも家族はいつものこと、といった具合で気にも止めずに楽しく話し、食事を続ける。同じようなテイストの笑いを18年も届けている公演が沖縄にある。『基地を笑え! お笑い米軍基地』だ。米軍基地問題などさまざまな沖縄の現状をコントで繰り広げるシリーズは、毎年6月に完全新作で公演されるが、は即完する人気ぶり。那覇では150〜200人規模の空間で公演を行ってきたが、“本土復帰50周年記念 なはーと編『お笑い米軍基地』と銘打って、10倍のキャパである那覇文化芸術劇場なはーと大劇場で公演を行う。制作総指揮で、企画・脚本・演出を担当するお笑い芸人まーちゃんこと小波津正光に話を聞いた。

小波津正光

小波津正光


 

■ローカルな笑いが芸人としてのアイデンティティ

――まず、小波津さんのキャリアから教えていただけますか。

小波津 18歳のときから沖縄で芸人としての活動を始め、28年になります。芸人になるきっかけは、所属事務所「FECオフィス」の先代社長・山城達樹がやっていたファニーズというコンビに憧れて。名前も明かさずに毎日ラジオの若者向け音楽番組で1分間漫才をやってまして、僕はそれを毎日カセットで録音して、同級生に聴かせたりしていたんです。コント集団の笑築過激団さんがブームのまっただ中でしたが、まだまだ沖縄でお笑い芸人が職業として確立されてないころでした。ファニーズは沖縄の若者が感じていること、日ごろしゃべっている話題に近いことを笑いにしていた。僕はテレビから流れてくる本土のお笑いではなく、ローカルのお笑いに憧れが強くて。本土復帰後2年の生まれですが、本土への憧れと劣等感を持ちながら、沖縄の人間としての自分のアイデンティティはどこにあるのか探した世代でもあるんです。そして高校3年のときにお笑いライブを見にいくんですけど、そのときにお笑い芸人を募集していたんですね。高校の同級生とのコンビでずっと活動していて、2000年に上京し、6年間ぐらいやっていました。

――『お笑い米軍基地』が始まった経緯はなんだったんでしょう。

小波津 2004年8月13日、僕の30歳の誕生日、沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したんです。その翌日が戦後60年の節目でもあったんですけど、事故をきっかけに2005年に『お笑い米軍基地』を開催し、僕は2006年に拠点を沖縄に戻して今に至ります。米軍基地に賛成とか反対とかじゃなくて興味を持ってくれたらいいなと思っているんです。ただ笑ってくれればいい。でも5年後、10年後なぜあの人たちはこんなコントをやっていたんだろうとなんとなく思い出して何か調べてくれたり興味を持ってくれたり、何かを判断する一つ材料にしてくれたりとかするような、心のどこかに棘を刺すことができればと思います。それがエンタテインメントのもう一つの要素だと思うし、感情の記録だと思うんで。

『基地を笑え!お笑い米軍基地』より

『基地を笑え!お笑い米軍基地』より


 

■『お笑い米軍基地』は共感の笑いでできている

――沖縄らしい笑いのツボみたいなのはあったりするんですか。

小波津 僕らのやってる笑いは、共感の笑いだと思うんですよ。「沖縄ってそうだよね」「沖縄と本土の違いってあるよね」って沖縄の人たちに共感してもらえるというか。逆に本土の人は「笑っていいの?」と思うようです。僕は個人としてもスタンダップコメディをやっていて、基地問題や世相、もちろん全然関係ない話もしゃべっていますが、よく社会派と言われるんです。でも沖縄の芸人にしてみれば生まれたときから生活の中に基地があるので、変わったことをやってるつもりはまったくない。関西の方が阪神タイガースをネタにする感覚と一緒です。もちろんコントですから大袈裟に表現しているけど、皆さんが笑ってくださる姿を見ていると、単純に沖縄で起きてることはコメディなんだって思います。

 たとえば、「普天間基地」というコントがあります。普天間基地の周辺にある病院で、お医者さんが患者さんにがんの告知をしようとすると、上空を米軍のヘリがバタバタと爆音をたてて飛んでいって、がんの告知が聞こえない。これって沖縄あるある。米軍のヘリとか戦闘機が飛んでくるとテレビの音が聞こえなくなるんだけど、沖縄人はそれに合わせてボリュームを上げますから。学校の授業でもオスプレイが飛んでくると先生が板書している手を止めて、去ってから授業を始める。「人の鎖」というコントは、米軍基地反対運動では基地の周辺をみんなで手をつないで人の鎖をつくって抗議するんですけど、反対運動に参加する人が足りなくてつながらないというネタです。一生懸命に反対運動をしているおじさんが、どうにか鎖を完成させようとタオルを使ったり、自分のズボンを脱いだりしてチャレンジする。でももうおじさんは用事で時間ない。ふらりと反対運動に参加した若者がおじさんに用事の内容を聞くと、米軍基地の中で行われてる嘉手納カーニバルに遊びにいくと言う。沖縄では大爆笑です。反対運動に参加していても、沖縄の人の中にはアメリカ人への憧れもあるし、基地で働けば給料もいい。それが沖縄が抱えている悲しさであり、面白さなんです。

――これができるのは、舞台ならではですよね。

小波津 そうですね。テレビとかではやれないネタをがんがんやってる、それが『お笑い米軍基地』です。僕は意識していなかったけど、戦後に活躍されていたブーテンさん、照屋林助さんら往年の沖縄の芸人の方々とやっていることと一緒だねと言われるようになったんですけど、つまりは沖縄の日常の中に転がっている出来事を料理する歴史は70年以上も前から変わらないってことなんですね。

――笑えないのはネタではなくて、そちらの方ですよね。

小波津 本土で報道されないような事件が毎日のようにありますからね。若い世代を中心に沖縄においてもだんだん関心が薄れているところもあって。その世代間や熱量のギャップ、本土と沖縄の熱量の違いもまたネタになる。むしろ緊張感を伴うものこそ、悪魔のような笑いが潜んでいるんです。そして人間は笑うという行為によって強く生きられる生き物でもある。沖縄はもともと明治初期まで琉球王国だった。そのころは中国の属国になったり薩摩藩にいじめられ、第二次世界大戦後は米軍に統治されていた。でも沖縄はそういう歴史を独自の芸能で乗り越え、切り抜けてきたと思うんです。歌や三線、踊り、笑いが身近にあって、生きることの手段にしていたんでしょう。それが外から見ると、明るさに見える。だから『お笑い米軍基地』もお客様に愛され、本当にいつもたくさんの方々に来ていただけるんですけど、米軍基地があることでたくさんネタができる。こうやって取材もしていただいて、食べていたりする。一方で沖縄の人間としては早くこういう公演ができなくなることを願っています。それも矛盾だし、笑いですよね。

『基地を笑え!お笑い米軍基地』より

『基地を笑え!お笑い米軍基地』より

――8月のなはーと公演は、どんな内容になりそうですか?

小波津 6月にやった新作のコント、往年のコント、定番の人気のコントとかも入ってきますが、メインは久しぶりにやる「ウチナ〜喜劇」です。かつては二部構成でやっていたんですけど、僕ががんを患ってからコントだけになった経緯があって。

 物語の舞台は海を埋め立てて新しい米軍基地建設が進む架空の村。そこに本土から有名IT企業の社長が訪れて、村の買収を始めるんです。買収する理由は、沖縄本島の南部の土砂には戦没者の遺骨が混じっていて、その土砂を使って海を埋め立てる、米軍基地をつくることが許されていないから。だったら基地を建設してる村の土を埋め立てに使って、買い取った土地に自衛隊の基地をつくろうと。そして海を埋め立てて建設してる滑走路を米軍と自衛隊で共同利用しようとするという設定です。まさに本土復帰後50年の今の現状とか、基地や武器を増やすことで平和を得ようとしているおかしさを描いたものです。戦争を体験したおばあさんを中心にいろいろな人が集う食堂で起こるドタバタ喜劇。最終的には沖縄の芸能で人びとが救われていく。解決は何もしないけど、沖縄の芸の力で明日への生きる希望を見出すみたいな内容です。

『基地を笑え!お笑い米軍基地』より

『基地を笑え!お笑い米軍基地』より

――共演されるお笑い芸人の方もたくさんいらっしゃいますが、皆さん同じような思いを共有されているんですか?

小波津 ずっと一緒にやってるメンバーですが、20代前半から上は僕がもうすぐ50歳。中には軍用地主の息子もいますし、ハーフのメンバーもいます。本土から移住してきた女の子もいます。まさに沖縄の芸人たちがやる、沖縄の舞台。それこそチャンプルー、いろいろな人間が混在している。そのことも支持していただいている理由だと思うんです。

――最後に、なはーとが開場しましたね。何か期待などありますでしょうか。

小波津 実は僕、地元なんです。なはーとは久茂地小学校跡地にできたんです。僕のおじさんとか、友達とか久茂地小学校出身で、いろいろ反対運動がありましたよね。そのことも含めて、僕らのできることとしてお店の紹介の動画をメンバーたちと撮って、『お笑い米軍基地』を見る前や見た後に出かけてくださいという仕掛けをやります。また公演前日が沖縄の旧盆、ウークイなので、仕込みを早く切り上げて夕方からエイサーを久茂地近辺で踊ろうと思っています。そうやって沖縄の皆さん、劇場周辺の皆さんにも喜んでいただけたらうれしいです。そういうコミュニケーションを少しずつやっていくことで、さっき言ったようにエンタテインメントは心の拠り所ですから、地域の皆さんがなはーとと出会い、拠り所になるようなことをどんどんお手伝いしていきたいです。その第一歩が、8月13日の公演になればいいなと思っいます。

 僕は『お笑い米軍基地』を始めるときに必ずはチャップリンの言葉を出しているんです。いつもは「無駄な一日、それは笑いのない日」という言葉から始めるんですけど、今年は「人生はクローズアップしてみれば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」という言葉を選びました。その渦中にいると笑えないけれど、客観的に見れば人間ってこんなにも愚かなんだってことを教えてくれている。沖縄で起きていること、日本や世界で起きていること、みんな一緒だと思います。舞台はその言葉すべてを集約した内容になっています。

『基地を笑え!お笑い米軍基地』より

『基地を笑え!お笑い米軍基地』より

取材・文:いまいこういち

公演情報

本土復帰50周年記念 なはーと編
『お笑い米軍基地』なはーと公演

 
■日時:2022年8月13日(土)17:00開場 / 18:00開演
■会場:那覇文化芸術劇場なはーと 大ホール
■制作総指揮・企画・脚本・演出:小波津正光
■出演:まーちゃん(小波津正光)、ほかお笑い米軍基地メンバー
料金(原則指定席):前売2,000円 / 当日3,000円
■問合せ:お笑い米軍基地実行委員会 Tel.098-869-9505(平日10時~19時)
■公式サイト:https://www.kohatsumasamitsu.com/
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