‟親密な空間”に響かせた、ピアニスト務川慧悟の音楽世界~4日間2プログラムを届けた浜離宮朝日ホールでのリサイタルをレポート

2023.2.3
レポート
クラシック

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務川慧悟が浜離宮朝日ホールで4日間のリサイタルを行った。プログラムは2種類で、2022年12月15日(木)・16日(金)と、20日(火)・21日(水)がそれぞれ同一プロ。中心軸となったのは、リリースされたばかりのCDとリンクする形で、ラヴェル作品である。前半には、ラヴェルの世界観とどこか通底するものや、希望の声が寄せられた曲、そして何より務川が4日間の舞台を浜離宮朝日ホールに選んだ理由に則した作品が置かれ、後半はラヴェルで固めた。筆者は15日(木)と20日(火)のコンサートに足を運んだ。本稿はその公演に基づいたレポートである。

リハーサルの様子

15日(木)の前半は、J.S.バッハのフランス組曲第5番ト長調で幕を開けた。この瀟洒で小さな舞曲からなる組曲で開始したこと、そしてその演奏からは、務川が「浜離宮朝日ホールを選んだ理由」がとてもよく表れているように感じた。今回のリサイタルで務川がもっとも大切にしたかったのは、「親密な空間」である。リサイタルに先立つインタビュー(ピアニスト務川慧悟が語る『ラヴェル全集』とパリでの暮らし、古楽が教えてくれた音楽のこと)および公演中のMCでも、務川自身がそのことについて語った。ピアノ文化が充実した19世紀ヨーロッパのサロンのように、繊細な音楽表現を隅々まで届けられる親密さをもったホールで、務川には明確に、響かせたい音楽世界があった。バッハの作品の中でも、たとえば「半音階的幻想曲とフーガ」のようなものや、組曲でもより規模の大きなパルティータなどではなく、繊細でチャーミングなフランス組曲で彼は全プログラムを始めたことに、その思いが込められている。最初の「アルマンド」の力みのない柔らかな響きから、そのコンセプトはすぐに伝わった。気品と華やかさに溢れ、なんとも流麗である。リピートする前のほんのちょっとした間合いに、務川の息遣いが近くに感じる。リピート後は、さりげなく即興的な装飾が楽しい。バロック以前の演奏習慣を尊重していることが伝わる演奏だ。「クーラント」ははしゃぎすぎず、心地よい流れの中で立体感を作り、「サラバンド」はテノールの声部を人の声のように浮き立たせ立体感を作る。「ジーグ」は声部間の掛け合いが面白く、溌剌とした滑舌のよい響きで組曲を締めくくった。

続く西村朗の《星の鏡》は驚異的な美しさだった。会場全体が、純度の高い透明感のある響きに包まれ、重音のひとつひとつは、務川の抑制の効いた美意識の高さがそのまま結晶となって鳴り響くかのようであった。いたずらに感情的、抒情的にならない務川の音楽は、次のモーツァルトのイ短調ソナタK.310でもその特性がよく表れた。第一楽章ではイ短調の主題がもつ痛切さ、あらゆるファクターでコントラスト高く描き分ける演奏に、このソナタのもつ激しい性質がヒリヒリするほど伝わる。その一方で、緩徐楽章では無駄に耽美的な雰囲気に陥らず、どこか冷たく硬質なタッチで描くからこそ、逆説的に、内側に込められた強い感情を伝える。務川の知性は感性となだらかに溶け合い、ソナタ形式のロジカルな構成こそが放つ音楽の情動に、ひたすら心を奪われた。

後半のラヴェルは《前奏曲》で開始した。ゆったりとした冒頭のモチーフが天へと立ち上るように紡がれ、細やかだが自然な流れが見事であった。《水の戯れ》もやはり、響きのブレンド感が絶妙で、決して濁ることなく、ふわりと立ち昇る音の方向性が感じられた。音楽は決して目に見えないものなのに、音を追うように何度も視線を上げてしまった。主旋律を浮き立たせながらも、細やかな音型はミクロな泡を思わせた。
《鏡》より〈道化師の朝の歌〉は、安定したテンポによってスペイン的リズムが持つグルーヴ感が生じ、同音連打の中に見せるダイナミクスのグラデーションにドキドキとさせられた。この曲で、務川は音色のレンジもまた一段広げてきた。グリッサンドの一つ一つにも音色変化を持たせ、そのヴァリエーションには驚愕させられる。
この日最後のプログラムは《クープランの墓》だ。〈プレリュード〉では流麗な音型の中にも、ごく微細な緩急をつけ、弾力のある音楽を生んだ。〈フーガ〉が織りなす精妙な綾、〈フォルラーヌ〉の怪しく官能的な響きにうっとりとさせられる。

ラヴェル作品全集のCDライナーノートで、務川自身がラヴェルの音楽の持つ「二面性」という性質について思いを馳せた。「あたかも計算された機械のような様相を呈していながらも、その実、その本質的なメッセージはあまりにも人間的なそれである、という二面性」と彼は綴った。柔らかくもどこか冷たく、硬質な響きかと思えば人肌の官能性を思わせる。精緻さの先にある芳しい自由。緻密さの果てにこそ姿を現す妖艶さ。まさに「二面性」という言葉に収斂していく音楽が、務川の演奏によって目の前で展開されてゆく。なんと美しい時間なのだろう。
〈リゴドン〉は華やかさも勢いに任せず丁寧に紡ぎ出す。〈メヌエット〉の素朴さは、諦念ともどこか違うが、さっぱりとした哀しさとして響き、実に典雅だ。〈トッカータ〉は精妙ながらフィナーレ感に満ち満ちていた。
この日のアンコールはラヴェルの《ボロディン風に》。洒脱な演奏に「コケティッシュ」という言葉が浮かんだ。そしてもう一曲、最後はドビュッシーの「前奏曲」第2巻から「花火」。やはり緻密だが、決して息の詰まることのない、流れるような演奏。その香りの余韻に包まれながら帰途に着いた聴衆は多かったことだろう。

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