『別役実を歌う~劇中歌コンサート~』、それは演劇と音楽の幸福な結婚
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かつて演劇はフォークソングと極上の連携プレーを果たした
別役実演劇作品の劇中歌ばかりをフィーチュアリングした珍しいコンサート『別役実を歌う~劇中歌コンサート~』が、1月5日(火)6日(水)の夜、池袋の東京芸術劇場シアターウエストで開催される。これは、2015年3月から2016年7月までの間に19団体によって別役戯曲を上演する「別役実フェスティバル」の交流プロジェクトVol,2として企画されたイベントである。二部構成で、第一部はフェスティバルに係わる劇団員たちが、そして第二部では「六文銭'09」(小室等・及川恒平・四角佳子・こむろゆい)が、別役劇の劇中歌をそれぞれ歌う。
ときに、いきなり話は跳ぶが、1960年代に中国で「文化大革命」が起こった。革命とは言っても、実のところ政権の中枢から外されていた毛沢東とその取り巻きが巻き返しを図るべく策動した政治闘争であり、とどのつまりは中国全土がそれに振り回され、途轍もない混乱と悲劇しかもたらさなかった。しかし、そのほぼ同時代(60年代)において、欧米そして日本では真の意味で「文化」の「大革命」が進行していた。既成の体制に組み込まれたカルチャーに対する「カウンターカルチャー」の登場である。
ポピュラー音楽で言えばボブ・ディランに代表されるフォークソングもその一つの例だろう。美術・映画、はたまた演劇やダンスでも、それぞれ様々な前衛的ムーヴメントが世界中を席巻していた。そんな中、日本の演劇界では、いわゆる新劇に反旗を翻し、アンダーグラウンドの小劇場運動が台頭した。代表例として、唐十郎の状況劇場、寺山修司の天井桟敷、鈴木忠志の早稲田小劇場、佐藤信の演劇センター68/71(黒テント)などが挙げられる。
これらの反メジャーあるいは反商業主義的な、インディペンデントの革新的な演劇勢力の特徴として注目すべき点は、多くの場合そこに「劇中歌」が含まれていたことだ。それ以前の新劇の演目においても、古くは芸術座の松井須磨子に始まりブレヒトや福田善之など音楽的要素は其れなりにあるにはあったが、やはり旧体制のリアリズム演劇に対抗する手段としてアンダーグラウンドの「劇中歌」は最も有効な要素だったのではないだろうか。というのも、それらの「劇中歌」は、当時カウンターカルチャーの側にいたミュージシャンと結託して作られることが多かったからだ。
ここから別役実の話に戻る。早稲田大学の劇団で鈴木忠志らと演劇を始めた別役実は当初早稲田小劇場に参加するが、やがて日本独自の不条理劇を確立させた一人の劇作家として独立する。1968年には演劇企画集団66(企画66)が新宿ピットインで上演した『カンガルー』という作品で、一人の若者に劇中歌の作曲を委ねた。その男こそは、まだ限りなく素人だった及川恒平であった。及川はこの時、初めて作曲なるものを手掛けたという。ついで別役は企画66にミュージカル『スパイものがたり』を書き下ろした(初演は1970年)。この作品は小劇場の不条理演劇のフィールドから初めて作られた本格的ミュージカルだった。
『スパイものがたり』では、六文銭というフォークグループを率いる小室等に全面的に作曲を託した。上演に際して楽団六文銭という劇伴バンドが作られ、そこに先述の及川も合流することとなる。彼は或る一つの劇中歌をまるまる歌うこととなった。「しょうがない、雨の日はしょうがない」…そう、小室等の最高傑作にして「フォーク」史上の金字塔的名曲とされる「雨が空から降れば」である。この曲は、『スパイものがたり』の劇中歌として生まれたのだった。ここで小劇場演劇はフォークソングと極上の結合を果たし得た。ジャンルを超えたカウンターカルチャー同士の二人三脚が見事に成し遂げられたのだ。そんなベルエポックがあったのである。
このあたりの一連の出来事は、日本「劇中歌」史的にも日本「フォーク」史的にも極めて重要だ。「雨が空から降れば」を歌った及川は、これをきっかけとして、六文銭に加入することとなる。彼は当時、青山学院大で流山児祥らと演劇団という劇団の活動も行っていた。その劇団のために作ったオリジナル劇中歌のひとつが「面影橋」といい、これもまた後に六文銭を代表する名曲となる。六文銭は、『スパイものがたり』や『カンガルー』、また『街と飛行船』(1970年)の劇中歌をレパートリーとしてコンサートでよく歌った。ただし「街と飛行船」や、劇中歌ではないが「ゲンシバクダンの歌」など別役の書く歌詞には不適切な部分が多く、放送やレコード販売において色々な規制がかかってしまった。しかし六文銭は、やがて及川作詞、小室作曲の「出発の歌」(1971年)を上條恒彦と発表し大ヒット、絶頂期を迎えたにも係わらず、1972年に解散となる。
小室等は同時期、時代劇の『木枯紋次郎』の主題歌「だれかが風の中で」の作曲家としてもメジャーな成功を収めたが、演劇ファンにとっては、小室のまたひとつ別の重要な仕事を注目せずにはいられない。小室は別役劇への作曲と並行して唐十郎作品の劇中歌をも数多く作曲しているのだ。とりわけ唐が早稲田小劇場に書き下ろした名作『少女仮面』(1969年)の劇中歌「時はゆくゆく」は、唐の率いる状況劇場『唐版風の又三郎』の主題歌(こちらの作曲は昨年亡くなった安保由夫)と並んで唐十郎ファンの間でたいへんに親しまれている。唐作詞、小室作曲による唐十郎の1stシングルレコード「愛の床屋」というのもあったが、これは歌詞に問題ありということで発売禁止となった。それがアルフレド・ジャリ『ユビュ王』劇中歌の替え歌だったから、という理由ではモチロンない。
なお、小室は自身のライブで別役作品を歌うことは多いが、唐作品を歌うことは滅多にない。非常に泥臭い唐作品の劇中歌は明らかに「別もの」なのだろう。しかし小室等が別役と唐という現代演劇史上の二大巨頭の劇中歌を並行して作曲していたことの凄さはもっと注目されていいと思う。ちなみに、なぜ小室は彼らと出会うことになったのか。それは当時、松岡正剛が編集していた「ハイスクールライフ」という高校生向け新聞で色々な現代詩に小室が曲をつけるという企画があった。別役や唐との出会いも、その流れによるものという。では、そんな小室は一方で何故、寺山修司の劇中歌を作らなかったのか。それは寺山の周囲に、JAシーザー(や田中未知)という作曲家が既にいたからだろう。
なお、別役の劇中歌は上記に挙げた戯曲以外にも色々あり、そのあたりはおそらく『別役実を歌う』の第一部で紹介されることになるのではないか。そして第二部では、おそらく『スパイものがたり』を中心とする六文銭レパートリーがふんだんに聴けるのではないか。個人的に最も聴きたいのは、『スパイものがたり』の中の「ネコの歌」だ。愛猫家として知られた作家の金井美恵子もこよなく愛したというこの歌。詩も曲も心の琴線に触れてくるが、それを昔の六文銭では四角佳子があのしっとりとした美声で歌っていたのが、さらにグッと来るのであった。
1970年にアートシアター新宿文化という映画館で、映画上映後の夜遅くに初演されたという『スパイものがたり』は、1995年、青山演劇フェスティバル「別役実の世界」で企画66が歴史的復活上演を行った際、初演でスパイを演じた常田富士男が再び主演し、併せて観世栄夫の出演する劇中映像もここで復活上映された。さらに楽団六文銭も復活することとなったのだ。以来、小室と及川は共演する機会が増え、これに四角佳子も合流、小室の娘ゆいと共に、現在は「六文銭'09」として活動を続ける。曲良し、歌良し、ハーモニーも演奏も極上の響きを聴かせる、大人のフォークグループである。別役実好きを自認する人はもちろんのこと、日本のフォークが大好きな音楽ファンもこれを聴き逃していてはマズイと思う。
なお、別役劇中歌を歌った六文銭の音源は各種、amazonなどで入手が可能だが、まず『六文銭メモリアル』は必携アイテムだろう。結果的に解散コンサートにもなった1972年7月の新宿厚生年金会館での無料公開ライヴを収録した2枚組アルバムだが、なんとこの中に別役実の劇中歌が7曲も含まれている。また、六文銭時代のリメイク曲を多く含む六文銭’09の『おとのば』もオススメである。
■出演
《第1部》ベツヤク・カーニバル・シンガース(50音順)各劇団から選りすぐりのメンバーによる
《第2部》六文銭’09(小室等、及川恒平、四角佳子、こむろゆい)
■会場:東京芸術劇場 シアターウエスト
■入場料:5,000円(全席指定・税込) 、パスポート割引4,500円