『燃える闘魂・アントニオ猪木展』でモハメド・アリの手紙を初公開! 宇田川強氏が猪木さんへの熱い思い、若い世代への闘魂伝承の願いを熱弁
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8月3日(木)~15日(火)に開催される『燃える闘魂・アントニオ猪木展』
8月3日(木)から15日(火)まで、京王百貨店 B1 階 on the Cornerにて『アントニオ猪木 80th ANNIVERSARY 「燃える闘魂・アントニオ猪木展」』が開催される。これは、昨年逝去したプロレスラー・アントニオ猪木氏の功績を振り返る展示会で、猪木氏とモハメド・アリ氏のガウンやアリ氏から猪木氏への手紙、ライバルたちとの写真パネルなど、貴重な品々で彼の激闘の歴史をたとっていく。
この展示会を手掛けるのは株式会社猪木元気工場(IGF/INOKI GENKI FACTORY)の取締役・宇田川強氏。宇田川氏は、新日本プロレスへの勤務時代に猪木氏の運転手を務め、その後はIGFへと合流。その後も形を変えながら猪木氏を支え続けてきた。今日に至るまでその半生を猪木さんに捧げてきた"忠臣”の1人と言える宇田川氏に、猪木展を通して老若男女に伝えていきたい“猪木イズム”についての思いを聞いた。
アントニオ猪木氏
初公開の「モハメド・アリからの手紙」、猪木と共に世界を巡った「闘魂棒」を実際に触れる形で展示――「猪木さんの思い出の品を全国のファンに見せていくことも僕らの使命」
株式会社猪木元気工場(IGF/INOKI GENKI FACTORY)取締役の宇田川強氏
――今回『燃える闘魂・アントニオ猪木展』を開催するに至った経緯を教えてください。
宇田川 去年僕らがマネジメントに復帰して、80周年をどう迎えるかといういろいろな企画を考えていたんです。展示会はその中の1つですね。他には、新日本プロレスの名誉会長に就任するとか、1・4の『東京ドーム大会』に猪木さんが上がるなどの話もあって。『24時間テレビ』もありましたし、月1回の大きなスペシャル番組に猪木さんに出てもらおうとか。昨年オンエアした『アメトーーク!』の猪木芸人の回に猪木さんが出るとか、昔は大晦日に紅白と闘っていた猪木さんが紅白に出て応援するとか、さまざまな企画があったんですね。去年の段階でいろいろ決まってはいて、YouTubeもいろいろなことが進んでいたんです。それも、叶わぬこととなってしまったんですけど。
――さまざまな予定が覆った上での猪木展開催になったわけですね。
宇田川 年末年始にかけて、家族葬もありつつ、お別れ会の準備・運営なんかも迫ってきて。そういう中で80周年を迎えるということで展示会の準備も進めて。今回はご縁があって京王百貨店さんで実施の話になりまして。ぽっと出の企画じゃなくて、元々去年からそういう話は進めていたんです。来年はさらに枠を広げて『超猪木展』とか『シン猪木展』とか、全国に広げていきたいです。猪木ファンは関東だけじゃなくて全国にいますからね。全国の百貨店さんとかを巡っていきたいなという思いはあります。デビュー50周年のときも御礼参りツアーじゃないですけど、トークショー(アントニオ猪木デビュー50周年記念特別企画『闘魂トークLIVE50』)で全国各地に出向いてやっていたので。猪木さんは亡くなってしまいましたけど、猪木さんの魂のガウンとかの思い出の品を全国のファンに見せていくことも僕らの使命かなとも思うので。
――展示会ではどういったものが見られるのでしょうか?
宇田川 目玉としては、猪木さんのガウンと、モハメド・アリのガウン。あと、『アリ猪木戦』の翌年のアリの結婚式に猪木さん夫妻が招待されて行ったときにアリからもらったお礼の手紙の現物展示ですね。あとはね、闘魂棒ですよね。佐山サトル(初代タイガーマスク)さんも持って歩いた、あの闘魂棒です。猪木さんの晩年もずっと持っていましたし、最後の住処にも闘魂棒はありましたからね。全世界に持って行ってるから、世界中のセキュリティシールがペタペタと貼ってある。文字通り猪木さんの“相棒”を直に触れるような形で展示しています。
猪木氏の使用した実物ガウンが展示される
モハメド・アリ氏のガウン
闘魂棒は実際に触れる形で展示
――その中で、今回が初公開のものはありますか?
宇田川 アリからの御礼状の本物を展示するのは初めてですし、猪木さんのガウンとアリのガウンが並ぶのも初だと思います。
モハメド・アリ氏からの礼状
若者に“刺さる”猪木語録――「アントニオ猪木を知らなくても猪木語録に触れることで心に闘魂が芽生えることもある」
――今回の猪木展をどういう人に見てもらいたいですか?
宇田川 僕ら猪木元気工場の大きな柱が、猪木さんの功績をしっかり残すこと、そしてそれを後世に伝えていくという2つなんです。この2つは似て非なるものですが、これを実施していくのが僕らの会社としての社是なんですね。今回の猪木展には、今まで猪木さんを見てきたファンの方に来ていただきたいですし、初めて猪木さんに触れる方もいると思うんです。初めての方にもこれを機に興味を持っていただきたいです。
――昔からの熱心なファンでなければ、心理的なハードルが高いイベントでは?
宇田川 いやいや、そんなことはないですよ。アントニオ猪木という人間には、プロレスラーとしての姿だけじゃなくて、政治家やタレントといった側面もありました。知った時期によってその人の中のアントニオ猪木像は異なるんですよ。そのどこかで関わっていた、知っていたという人は多いと思います。プロレスを知らない人でも「元気があればなんでもできる」、「1!2!3!ダーッ!」などの“猪木語録”は通じたりしますしね。そういった「なんとなく知ってるよ」っていう人に、深く知ってもらうキッカケをどう作っていくかなんですよ。人によっていろいろな思いはあると思うんですけど、僕は全部ひっくるめて“アントニオ猪木”だと思っているので、現代に合った形に変えて後世に向けて功績を引き継いでいくことが大事なのかなと。どんどん新しいものを取り入れていくという点で猪木さんは先駆者ですから。その時代その時代で最も新しい表現で、猪木さんの名前を遺していきたいです。
――今の20代~30代の若者は、あらゆる舞台での猪木さんの活躍を直接見ていない人も多い世代です。そうした世代にはどのようにして猪木さんのことを伝えていくのでしょうか?
宇田川 猪木さんに触れたことのない世代に猪木さんをどう知ってもらうかっていうのは重要な課題なんですよ。例えば、“猪木語録”とかメッセージ性が強いじゃないですか。それをキャラクター含めてどう分かりやすく伝えていくか。若い人たちに刺さるような形で、分かりやすいものをキッカケにアントニオ猪木という人間の人生を深く知ってほしいですよね。猪木さんと直接話したことも見たこともない人でも、“猪木語録”に触れることで心に闘魂が芽生えることもあると思うんです。この間もWBCで活躍されたボストン・レッドソックスの吉田正尚選手は、“猪木語録”に後押しされてメジャーに行く決意をしたと仰っていましたし。そういう猪木さんとの出会いの場を僕らが作っていければなと。
“忠臣”から見た猪木さんの素顔――「猪木さんと直接話したことない人が又聞きで勝手な“猪木像”を独り歩きさせちゃった」
宇田川氏は新日本プロレスに勤務時代から猪木氏に携わっていた
――改めて、猪木さんと宇田川さんの関わりについて教えてください。
宇田川 当時僕は新日本プロレスの社員で、そのときに猪木さんに付いていた人が辞めちゃって。そのときに、誰かいないかってところで私が担当することになったのが出発点ですね。最初は僕もねえ、ハッキリ言えば「えっ?! 僕でいいんですか?!」みたいな感じでしたよ(笑)。運転手をしながらマネジメントもしてっていう感じだったんですけど、とにかく現場仕事。事前に分かってる仕事があったら、前日の夜とかに猪木さんの家から目的地まで下見して「これが最速だな」ってルートを見つけたりしてましたね。猪木さんは非常に性急な方で、仮に13:00出発だったら、12:30には「まだか?」って言われたり。そういう“猪木時間”があるんですよ(笑)。とにかくいろいろなことが早いんですよ。猪木さんは遅刻が大嫌いなんです。大御所だと重役出勤するイメージがあったんですけど、猪木さんは常に先へ先へと動いてましたね。
――やはり、猪木さんの付き人としては緊張感があったのしょうか?
宇田川 もちろんです。道を間違えちゃいけないし、急な工事とかがあったらいけないじゃないですか。当時ももちろんインターネットはありましたけど、今みたいにTwitterとかですぐ情報が回ってこないし、渋滞情報とかはいつも気にしてました。成田から帰ってくるときも首都高とか絶対渋滞するじゃないですか。そういうときも「下降りろ」とか「他のルートないのか?」など、ご指摘があるので、常に緊張してましたね。
――その後、猪木さんがIGFを立ち上げたときには身ひとつで付いていきました。猪木さんが新日本プロレス旗揚げに向けて動いたときに、いの一番に付いていった藤波辰爾選手のようでした。
宇田川 僕は2005年くらいから付いてて、2006年にモハメド・アリ戦から30周年の『INOKI GENOME』という大会を日本武道館でするしないの話がポシャって。それで猪木さんがIGFを立ち上げるって話になったときに、猪木さんが僕も一緒に行くことを前提で考えていらして(笑)。もう一蓮托生ですよ。
――当時は新日本プロレスの中でも猪木さんに対して賛否両論があった時期です。宇田川さんから見て“否”の部分についてどう思いましたか?
宇田川 僕が思ったのは、「猪木さんに直接触ってない人があーでもないこーでもない言ってるな」って。直接話してみると猪木さんは至極マトモだし、ちゃんとした話をしてるんですよ。興行についても先見の明がありましたし。触ったことある人とない人では印象は全然違うと思います。
――猪木さんが近付き難い存在で、直接関わる人間が少なかったから誤解が広まっていった?
宇田川 僕は猪木さんと直接話してて、こういうことを思ってるとか、会社運営の考えとかを聞いていて。ただ、その話を誰かが又聞きで聞いて広まっていって。又聞きの又聞きの人が非常に多いんですよ。直接話したことない人が「猪木がこう言った」と話してるなあと。そうやっておかしな方向に話が進んでいって、勝手な“猪木像”が独り歩きしちゃっていましたね。それは当時の新日本プロレス内部でもそうだったと思います。
――確かに、“猪木さんが破天荒な指示を出して周りが困惑する”という話が出回っているイメージがあります。
宇田川 猪木さんが「こうした方がいい」、「こうやれ」って言うのは、その指示自体がどうこうというよりは「そこから転がしていけ」ってことなんですよ。『ジャングル・ファイト』もそうだったと思うんですよ。「やりました。終わり」じゃなくて、『ジャングル・ファイト』をやったことの意義、そこから転がるものを考えていかなきゃいけなかった。その考え方が合わないと猪木さんとやっていくのは難しかったのかなと。展示会もそうですよ。「展示会をしました。終わり」じゃなくて、そこからどう転がして行くかという話で。これをやったからこういう繋がりができて、その繋がりでこういうことができるようになって、それを活かして次にどうしていくのか……という考え方が猪木さんの中にはあったと思うので。僕は猪木さんとずーっと付き合いがあったからそういう発想になった。直接話したことない人が猪木さんから「やれ」って言われたら、ただやるだけで次に繋がらない。言葉の意味をよく分かっていないまま「やりました」で終わっちゃうから次の発想が生まれてこない。僕は猪木さんに会って、やったことを点にして、次に線へ繋げて展開していくかって発想が大事なんだって学ぶことができました。
――猪木さんの考え方が正しく伝わっていかなかったのにはどういった原因があったのでしょう?
宇田川 「団体を良くしよう」、「業界を曲しよう」、「プロレスの地位を向上させていこう」という思いがあるかないかだと思いますよ。猪木さんの時代は八百長論との闘いでしたし、自然と自分の業界を守るためにどうすればいいかっていう考え方になった。プロレスがナメられて一般紙に扱われないとか、猪木さんの歴史はそういった世間との戦いの歴史じゃないですか。議員になったのだってそういうことだと思うんですよ。プロレスやプロレスラーの地位向上という業界全体のことを考えてのことだと思いますし。そういうことを思ってるか思ってないかで人の発想は変わってくるし、受け取り方も変わってくると思います。レスラーはレスラーだけやってればいいって職人的な発想も分かりますけど、その地位を生かしてどうするかですよ。WWEもそうじゃないですか。「WWEスーパースターになりました」っていうところから、地位を生かして俳優になったり、ビジネスに繋げたり。そういう発想を持ってる人が非常に多いと思うんです。今の選手たちにもそういう発想を持ってもらいたいですし、SNSとか情報発信ができる時代なので、外へ外へと話を広げていってほしいですね。まあ、猪木さんの言葉への疑問に対して「答えはこうだよ」、「これはこういう意味があるんだよ」とちゃんと説明してやっていけばよかったんでしょうけど、なかなかそこまで届かなかったってのもあると思いますよ。
アントニオ猪木の“闘魂”を次世代に継承していく――「いろいろな業界の猪木イズム、闘魂の遺伝子を応援していきたい」
宇田川氏はIGFを通じて猪木氏の闘魂継承を誓う
――昨年10月に猪木さんが亡くなったことでプロレス界に激震が走りました。改めて、今のプロレス界と猪木さんはどう向き合っていくべきなのでしょうか?
宇田川 闘魂の炎を絶やさないことですよね。一度消えてしまった火をまた0から起こすのはなかなか大変ですから。だから、僕は今のプロレスの人たちも猪木さんをもっと上手く活用したら面白いと思います。例えばですけど、別にNOAHさんや全日本プロレスさんが『アントニオ猪木杯』なんてものをやってもいいと思うんですよ。プロレス界の一時代を築いた中興の祖であることは間違いないじゃないですか。その人をリスペクトするのは誰がどこでやってもおかしなことじゃないですよ。全日本、NOAH、新日本に限らず、どこでも猪木さんっていうものをどんどん活用するべきだと思いますよ。全然アリだと思います。というか、こういうときだからこそ、していくべきだと思います。どうしても結果論にはなってしまいますけど、コロナ禍の中でも猪木さんみたいな発想があればプロレスができることってもっとあったんじゃないかなと思います。これはプロレス界に限らず、政治家として、タレントとして残してきた足跡もたくさんあるわけですから、いろいろな業界がもっと猪木さんのことを口に出してもいいと思ってます。
――アントニオ猪木という存在をプロレス界だけのものにしないほうが良いと?
宇田川 出身がプロレスなのでプロレスラーとしての面に光が当たりがちですけど、それだけじゃなくていろいろな業界でアントニオ猪木を……言い方はアレかもですけど、活用するってことがあってもいいと思いますよね。
――猪木さんから闘魂を継承したSareee選手の自主興行『Sareee-ISM』の記者会見は、いつもIGFの事務所で行われています。次世代の“闘魂”を背負う選手たちをサポートしていきたいという思いはありますか?
宇田川 そうですね。Sareee選手は猪木さんと関わりがありましたし。Sareee選手はこういうことをやりたいんだという思いを体現していけばいいですよね。僕らとしても猪木さんのことも含めてIGFとして提供することもやぶさかでないですし、どんどん使っていただきたいと思ってます。
――“猪木イズム”を持つ人間はすべて猪木さんの加護を得られると?
宇田川 男子でも女子でも関係ないし、プロレス・格闘技ジャンルの人じゃなくてもいいと思うんですよ。猪木イズムを持っているというビジネスマンでもいいし、違うスポーツ界の人でもいい。さきほど話したレッドソックスの吉田選手もそうですよね。今現在アントニオ猪木を知らない人間でも、一度触れれば心の中に闘魂が芽生えることがある。新たに闘魂の炎が灯っていくことで猪木さんは生き続けるわけですから。いろいろなところで新たな闘魂の火種が起こっていってほしいです。いろいろ業界の猪木イズム、闘魂の遺伝子を応援していきたいです。
8月2日(水)13時に実施された除幕式には藤波辰爾氏、Sareee、アントニオ小猪木、アントキの猪木が出席
イベント情報
アントニオ猪木 80th ANNIVERSARY 「燃える闘魂・アントニオ猪木展」
日時:8月3日(木)~15日(火) 10:00~20:30(日曜は20:00まで、最終日17:00閉場)
場所:京王百貨店新宿店 B1階on the Corner
写真や貴重品の展示だけでなく、イベント限定アイテムを含む約70種のグッズ販売や、手持ちの闘魂タオルと一緒に撮影可能な『闘魂フォトスポット』などの企画も予定