蜷川実花「京都の街で感じたことを作品に落とし込んだ」ーー光と影の境界線に魅せられる『蜷川実花展 with EiM:彼岸の光、此岸の影』
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『蜷川実花展 with EiM:彼岸の光、此岸の影』 撮影=福家信哉
蜷川実花展 with EiM:彼岸の光、此岸の影
2025.1.10(SAT)~3.30(SUN) 京都市京セラ美術館
写真家・映画監督の蜷川実花による、関西では過去最大規模の個展『蜷川実花展 with EiM:彼岸の光、此岸の影』が京都市京セラ美術館にて3月30日(日)まで開催中だ。蜷川と各分野のスペシャリストによるクリエイティブチーム・EiM(エイム)が同展のために制作した映像によるインスタレーション、立体展示など10作品で構成。京都国際観光大使も務めた蜷川が実際に京都の街を歩き、インスピレーションを受けて生み出した作品が10話の「絵巻体験」として綴られている。
●京都の街を映し出した、光と影の展覧会
高橋信也、蜷川実花、宮田裕章、青木淳
開催前日の1月10日(金)にはメディア内覧会が行われ、蜷川実花のほか、同展の共同キュレーターであるデータサイエンティストの宮田裕章、京都市京セラ美術館の青木淳館長と高橋信也ゼネラルマネージャーが登壇。蜷川は「京都で開催することが本展のテーマ設定に深く関わっている。京都の街を歩き、感じたこと、この土地が持つ歴史や命の揺らめき、生と死を作品に取り入れたかった。京都は異界に繋がる穴があるんじゃないかと思える、不思議な街。現実とそうでないものが背中合わせになっている。本展ではタイトルにもある彼岸と此岸のように、相対するものが揺らめきながら重なる瞬間、そこに執着した作品作りを心掛けた」と展覧会に懸ける思いを語った。
また同展では蜷川の代名詞でもあるビビッドな色彩の作品はもちろん、ここ数年の特徴でもある光と影を組みあわせた「光彩色(こうさいしょく)」、「影彩色(えいさいしょく)」をテーマにした作品にも注目が集まっている。徹底した色づくりについて蜷川は「強い光が当たるところには濃い影が落ちる。その影の中の美しさを表現してきた。光と影の両方があるからこそ世界は美しいし、その違いがあるからこそ面白い」と、コメント。
視覚で楽しむだけでなく、五感にも刺激を与える仕掛けも印象的。EiMによって、作品ごとにオリジナルの音源制作が手掛けられているのでこちらにも注目してもらいたい。音源については「コンテンポラリーアートには視覚にフォーカスした作品が数多く見られるが、EiMは音のプロフェッショナルもチームの重要なメンバーとなっている。五感に連動するアート体験は忘れがたいものになるはず」(高橋)と、作品の楽しみ方にもついても語ってくれた。
蜷川実花
なかでも展示のコアとなる「深淵に宿る、彼岸の夢 Dreams of the Beyond in the Abyss(ドリームズ・オブ・ザ・ビヨンド・イン・ザ・アビス)」は特に目を見張る。蜷川自身も「強烈に心にくる作品。展示室を抜けて現実世界に戻ったとき、世界の風景や物の見方が何か少しでも変わる、そんな体験をしてもらえたら」と思いを語ってくれた。
光と影、生と死、現実とそうでない世界。そしてタイトルにもある彼岸と此岸。境界線を行き来する体験は同展のキーワードとなっている。コロナ禍でのパンデミック以降、世界の情勢は混沌とした時代が続き、見失いがちな自分と向きあう時間が大切とされるなか、作品を通じて自身の内面を覗き見ることができ、また自身の存在や周囲の世界と向き合う体験へと誘われるという。その体験について宮田は「アート界でもウェルビーイングの重要性を問う作品や表現が多くみられている。既存の価値観や概念を壊すだけでなく、その人と未来を繋ぐために何ができるのか。本展で境界を巡る体験をするなかで、人と人、人と世界の繋がりを内省的に見つめてもらう機会にもなるのでは」と話した。
最後に蜷川は「どなたでも楽しんでいただける広さを持ちながら、作品を通じてなるべく深い部分に連れていけるような展覧会になっている。気軽に足を運んでもらえたら嬉しい」と締めくくり、展覧会の内覧会へと続いてく。
●唯一無二の没入体感で染まる蜷川ワールド
続いては、展覧順にいくつか作品を紹介しよう。どれも写真撮影が可能なので、スマホやカメラも忘れずに。
「Liminal Pathway」
展覧会があるのは京都市京セラ美術館の北東にある新館「東山キューブ」。東山を借景とした日本庭園が広がるガラス張りの通りを抜けた先にあるのが、一つ目の作品「Liminal Pathway(リミナル・パスウェイ)」だ。現実と幻想の境界を体験するインスタレーションで、写真を印刷したフィルムで窓を覆い、外界の光と景色を柔らかく拡散。代名詞でもある色鮮やかな花々が写し出されたフィルムは幻想的で、美しい日本庭園の景色から一気に蜷川ワールドへと引きこまれる。
この作品は展覧会の最初と最後に通る空間で、始まりは異界への序章、終わりはそこで得た体験を再び現実へと紡ぎ直すための余韻の場となっている。展覧会に訪れる時間や天候によって光と影の移ろい、透過と不透過の曖昧さにも変化があるのでぜひ注目を。
「Breathing of Lives」
奥へと足を進めると、一気に暗闇の空間へと繋がっていく。「Breathing of Lives(ブリージング・オブ・ライヴズ)」は床に配置された水槽に映像が投影されている。映像には京都特有の風景が取り入れられていて、神社の鳥居や電車、市場などがゆらめく水面に映し出される。街のネオンや車のヘッドライトなど夜の京都を想わせる光が射していたかと思いきや、水面や水滴など自然の景色が見え隠れ。都会と自然、その境界の曖昧さを感じることができるだろう。
「Flowers of the Beyond」
さらに奥に進むと、暗闇のなかに深紅の彼岸花で構成された「Flowers of the Beyond(フラワーズ・オブ・ザ・ビヨンド)」が広がる。4,000本以上の彼岸花が敷き詰められた空間には赤いライティングがうっすらと光るだけ。壁一面にも彼岸花の写真がコラージュされた空間は美しくも畏怖の念にかられる。時折雷を彷彿とさせる強い光を浴びながら細い道を先へ進むたび、死後の世界へと連れ去られてしまいそうな感覚すら覚えた。
「Silence Between Glimmers」
人の背丈ほどの6枚のガラスパネルが配置された空間が広がる「Silence Between Glimmers(サイレンス・ビトウィーン・グリマーズ)」。パネルには花や蝶、海中の光景が配置され、そこに光があたることで、幻想的な空間が広がる。パネルには対を成す6枚のオーロラフィルターが設置されていて、観る角度や位置によって光と影が多彩な表情を見せてくれる。
光はガラスパネルを通して足元を照らし、ゆらめきながら曖昧な色を映す。隣同士のパネルの色が干渉したり、自らの姿をパネルに写して幻想的な写真を撮影したり、観る人の感覚で異なるアート体験を楽しめるのもいい。
「Whispers of Light,Dreams of Color」
続く「Whispers of Light,Dreams of Color(ウィスパーズ・オブ・ライト,ドリームズ・オブ・カラー)」は約1,500本に及ぶクリスタルガーランドが織りなす光と色彩の空間。なんとこのクリスタルガーランドは手作業で10万個のパーツが繋がれていて、蜷川自身も作業を手掛けていたそう。空間全体には光が強度や色彩、方向を変えて照らし出されていて、クリスタルガーランドの煌めきが刻々と変化する、強烈な視覚体験を楽しめる。
クリスタルガーランドにはクリスタルだけでなく、光を散らすサンキャッチャーや蝶や星、ハートや目玉、イミテーションの宝石など様々なパターンのモチーフが散りばめられている。まるで子供のころに大切にしていた宝石箱を散りばめたような光景は鑑賞者の過去の記憶や感情を呼び起こすよう。人工物が生み出す儚い煌めきは、時に力強く輝く生命の煌めきにも感じ取れる。「生と死」「現実と虚構」、その境界線が混ざり合う感覚。空間の中央には通り抜けられる通路もあるので、ぜひ通路の中にまで入り込んで、緻密に作り上げられた夢の世界を楽しんでほしい。
「深淵に宿る、彼岸の夢 Dreams of the Beyond in the Abyss」
展覧会のシンボルとなるのは「Dreams of the Beyond in the Abyss」だ。床や天井からも造花が咲き乱れる空間を抜けると、4面がLEDディスプレイ、天井と床の上下が鏡で構成された空間へと繋がる。ディスプレイには色鮮やかな花々や映し出され、まるで極楽浄土に辿り着いたような感覚に。かと思えば赤く燃えるような彼岸花が一面に浮かび、黄泉の世界へと誘われたようにも錯覚に陥る……。天井と床が鏡になっていることから、自分はいったいどこに立っているのか、どこに向かい、どこに堕ちていくのか……。作品タイトルのまま、深淵に彷徨う亡者になるのか、はたまた天国へと至ろうとする魂なのか。鑑賞者はある種の臨死体験をこの展示空間で得ることができるだろう。
「深淵に宿る、彼岸の夢 Dreams of the Beyond in the Abyss」
「深淵に宿る、彼岸の夢 Dreams of the Beyond in the Abyss」
展示の最後にはグッズ売り場もチェックしよう。色鮮やかな花々を写し取ったアクリルキーホルダーやポストカード、ステーショナリーなどのオリジナルグッズのほか、八つ橋や絞り染めを活かしたエコバッグなど、京都ならではの老舗とコラボした商品も登場。京都観光のお土産にオススメだ。
すべての空間を抜けると、鑑賞者は現実空間へと引き戻される。生と死、緊張と解放、儚さと普遍……、深淵を巡った鑑賞者は現実世界に戻ったときにどんな感情を抱くのか。ただ美しいだけでなく、その境界線から感じ取ったものはきっとこれからの日々で何かの気付きとなるに違いない。
取材・文=黒田奈保子 撮影=福家信哉