その男の言葉は実直でパワフル、高岩遼が人生のすべてを注ぎ込んだ7年ぶりとなるフルアルバムに込めた想いを紐解く
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高岩遼
高岩遼はジャズシンガーだ。SANABAGUN.(活動休止中)やTHE THROTTLE(2023年解散)、そして現在進行形のINFなど多彩な音楽活動の中で、彼のクリエイティヴの中心にあるのは常にジャズだった。その思いを具現化した7年振りのフルアルバム『TAKAIWA』は、4ピースのコンボジャズに回帰した素晴らしい作品だ。35歳の人生のすべてを注ぎ込み、「ジャズとは何か」「歌とは何か」に真っ向から挑んだ意欲作だ。
SPICEではこのアルバムをプッシュすべく、高岩遼をキャッチ。インタビュー前半は高岩遼のジャズとの出会いと音楽遍歴、後半はニューアルバム『TAKAIWA』をテーマに掘り下げてみた。12月18日にはCOTTON CLUBでのリリースパーティーも決まった。音楽に導かれてマイウェイを歩み続ける男の言葉は、いつだって実直でパワフルだ。
――高岩さんがジャズという音楽を意識したのは、いつ頃、どういうきっかけがありましたか。
小6の時のレイ・チャールズです。その前に、初めて買ったCDが小学3年生の時のスティーヴィー・ワンダーのベストと、ジャクソン5の「ABC」だったんですよね。地元の岩手県宮古市のTSUTAYAで。めちゃくちゃモータウンづいてて、それが初めて買ったCDです。
――早熟ですよね。
スティーヴィー・ワンダーの「涙をとどけて(Signed,Sealed,Delivered I'm Yours)」っていう曲があるんですが、ヒット曲がたくさん入った2枚組のVA(Various Artists)CDを僕のママが車の中でかけてて、この曲が流れた時に号泣しちゃって、“何なんだこのフィールは”という感覚を初めて知って、すぐ買いに行った覚えがあります。リトル・スティーヴィー・ワンダー(幼少時の芸名)はレイ・チャールズを手本にしていたから、そう考えるとジャズの最初はスティーヴィーだったのかもしれませんが、明確にジャズやブルースというものを意識し始めたのは、レイ・チャールズですね。「ウィー・アー・ザ・ワールド」です。
――おお。なるほど。
叔父かママが、BSでやってた音楽番組を録画してくれて、それの最後が「ウィー・アー・ザ・ワールド」で終わる番組だったんです。それを見て、レイ・チャールズが歌い始めた瞬間に、スティーヴィーの「涙をとどけて」を聴いた時と同じ衝撃が走って、号泣して、そこからずっとレイ・チャールズが音楽の神様です。小1からクラシックピアノは習ってたんですが、小6でレイに出会ってからは、独学でブルースとジャズを研究・演奏し始めたという感じですね。ピアノの大坂先生という先生が、教育方針が豊かな方で、先生の弟さんがジャズピアニストということもあり、僕を導いてくれました。
高岩遼
――それが最初のターニングポイント。そこからヒップホップに行くんでしたっけ。
ヒップホップは高校かな。中3ぐらいでキングギドラを聴いて、そこからずっと東海岸のギャングスタラップを聴いてました。高1からクランプっていうストリートダンスをやり始めて、その影響もあって、ヒップホップとダンスを融合してた時期もありました。でも家に帰ればレイ・チャールズを聴くという生活でしたね。
――そこは繋がってますよね。ブラックミュージックの伝統として。
田舎なんで、それを六畳間でずっとディグってた感じです。別に誰に言う話でもないですし、一人で部屋の中で煮詰めてました。
――そして、大学は音楽学校のジャズ課に入る。それはきちんと理論を学ぼうとして行ったわけですか。
これが面白い話で、僕、ラグビー部だったんですよ。そこそこな選手だったんで、大学はラグビーの推薦が来ていたらしく、ラグビーのほうでレールが敷かれてたんですよね。でもラグビー嫌いだったから。
――えっ(笑)。嫌いなのにやってたんですか。
そう(笑)。根性論みたいなのが嫌いで、でも負けるのは悔しいからやってて、そっちのレールは敷かれてたんですが、「歌を歌いたい」と言ったわけです。ママに「あなたはピアノじゃないの?」って言われましたけど、歌をやりたいから音大に行かせてくれ、指定校推薦があるから川越の尚美学園大学のジャズ課に行かせてくれと。片親なんで、市、県、国から奨学金を全部借りて行きました。
――それは知らなかったです。その、音大時代は勉強になりましたか。
(しばらく考えて)ジャズっていうのは未知だということに気づく4年間だった、ということだと思います。技能的な部分とか、歴史学とかは、一般教養として学ぶことはできますけど、何を得るかというと、まず音楽で売れるのは難しいっていうことと、あとはジャズって宇宙すぎるから無理ですっていうこと(笑)。ジャズの尊さを知れたことだけでも、行った意味はある気がします。あとはミュージシャンの友達ですね。それはかけがえのないものだと思うんで。
――そこ、掘っていいですか。「ジャズの尊さを知れた」というのは、どういうことなのか。
そもそもブラックミュージックは、黒人が本来持ち得ているリズム、バックビート、ファッションや思想なので、それをジャパニーズがどう落とし込んでいくか?っていうハードルは、リスペクトを持って考えていかなきゃいけないことだと思いましたし、その上で「物真似ではないよ、オリジナルなんだよ」ということですね。アメリカに対して、世界に対して、これはジャパニーズからのアンサーなんだというプライドは、同時に持っておきたいじゃないですか。この、表裏一体のパラドックスを知るっていうのが、その時期に非常に痛感したことです。
高岩遼
――うーん。なるほど。
そして、20歳ぐらいで、銀座のクラブでジャズ・ボーカルを歌い始めるわけです。ただ、そこで目にした光景は、いわゆるスナック化したジャズで、そういう要素も、今日の日本ではオリジナルの一部なのかもしれないですけど、僕が夢見てきた音楽の美しさはそこにはなくて。ジャズでスーパースターになりたいと思って上京してきたのに、ここでシナトラのスタンドードばっかり歌ってたらスターになれないなと思って、僕が好きだったものを融合させる時期がやってくるんです。ジャズとヒップホップはSANABAGUN.で、ジャズとロックはTHE THROTTLEで、ということになるんですね。
――非常に論理的ですね。よくわかります。
だから、そういう意味ではやっぱり大学に行ってよかったなとは思ってます。
――その間にも、今回のアルバムに繋がるような、いわゆるどジャズへの純粋な思いっていうのは、常にあったんですね。
ありました。ライフワークとして、ジャズ箱ではよくやっていたので、ずっと続けてきたことなんですけど、『10』(2018年/ファーストソロアルバム)はネオジャズっていうか、ポップスに消化したかったんです。でも今回は、35歳の高岩遼が何を歌うか?となった時に、スランプに陥り、何も出てこなかったんですよ。35歳の記念物を作るというのに、しかも久々の僕の(ソロ名義の)アルバムなのに、何にも出てこない。で、地元の岩手県宮古市に帰省するんです。
――それは今年のことですか。
6月です。そこで、つまらなかったあの町から出てきたのに、35歳になって帰ってみると、見える景色もまた変わってくると感じて、だったら奇をてらわずに、王道のジャズへの愛を世の中の皆様に伝えることが、僕が今できることかなと思ったので、地元の帰省を経て「王道のジャズ・ボーカリゼーションをやる」と思って、今回のアルバムを作りました。
――アルバムの前に先行リリースされたのが「なにもない」でした。
地元に帰省した時に、「どうしよう、何も出てこねえ」と思って、生み出したのがあの曲です。今見えている町の景色を歌った、地元の歌ですね。僕は本当に地元が大好きだったんですけど、僕が愛してる文化面においては、誰も理解者がいなかったんで、早く出たかったんですよ。「なんもねえ町だな。つまんねえな」ってずっと思ってたんですけど、というか、何もないから何かが見えてきたんですよね。何もないから何かがあるんだなという、その宇宙に気づかされた曲です。
――わかる気がします。
作曲しようとしても何も出てこないし、バンドも何もなくなったけど、「夢のかけらはまだあるよ」みたいな、そういうブルースですね。
高岩遼
――初のソロアルバム『10』から7年振りに届いた、2枚目のジャズアルバム『TAKAIWA』。前作と今作との間には、気持ち的に繋がりはありますか。続編というか。
繋がりはあります。ただ、2018年から2025年までにいろんなことを経験をさせてもらったので、一皮むけたというか、1.5枚くらいは皮がむけたかなっていう状況で、今回のアルバムには臨めてます。『10』の最後は「My Blue Heaven」で、コンボのジャズで終わるんですね。時を経て、今回の『TAKAIWA』の1曲目「The Verse」は僕の語りで、そこで“私の青空”ということに触れている。そこで伏線を回収してるっていう、僕の思いがあって。
――ああ、そうか、そうですね。
そして今回の2曲目「Blue in Heaven」の最初に、僕がピアノでポロロンって弾いてるメロディは「My Blue Heaven」のメロディの4小節だったりして。そういう遊びはふんだんにありますね。
――前作『10』はビッグバンド・スタイルの、本格ジャズアルバムでした。
Yaffleがプロデュースに入って、レコード会社が頑張ってくれた感じです(笑)。今でも、ビッグバンドを率いてでかいステージに立つっていうのは、キングレコードともよく話をするので、その夢はずっとあります。ただ今回は、一番ベーシックなジャズの形の、コンボジャズで臨んだっていう経緯があります。
――カバーの中にオリジナルを混ぜた構成のアルバムですけど、選曲はどのように?
オリジナルは、少なからず入れようと思ってたんですけど、僕の愛したスタンダード・ミュージックを伝えたいということもあって、スタンダード多めにやりました。
――たとえば「They Can’t Take Away From Me」は、思い出の曲だったりしますか。
これはそもそもフレッド・アステアが映画で歌った曲で、シナトラが歌って再ヒットして、そのあとにもいろんな人が歌ってますけど、レイ・チャールズも好きで歌うんですよ。原型がないぐらいにアレンジして。今回のアルバムは、裏テーマ的にレイ・チャールズだったんで、この選曲にしました。シナトラのテイクも、レイ・チャールズのテイクも大好きなんで、「じゃあ俺は俺のテイクをやるよ」って感じです。
――「One For My Baby」はどうですか。
この曲は、諸説あるんですけど、午前3時のすたれたバーに、振られた男が入ってきて、バーテンダーと話す内容の歌なんですね。「俺のベイビーのためにもう1杯くれよ」っていう、語りの歌なんです。これも元々はフレッド・アステアのミュージカルの曲で、バーで腰かけて歌うんですけど、それをフランク・シナトラが同じ体裁でやってヒットしたんで、今ではシナトラのスタンダードみたいになってますけど。僕は去年まで三軒茶屋で「Brother」っていうウイスキーバーをやってて、そういう部分を歌で成仏させていくという思いもありました。曲として思い入れがあるか?って言われると、あんまりないですけど(笑)。
――この曲、アコースティック・ギターが最高です。この曲に限らずですけど、NOBUO WATANABE(Pf)、SHO TAMARU(G)、TAKASHI TASHIRO(B)、DAICHI HASHIZUME(Dr)を中心としたバンドが素晴らしくて。今回のバンドメンバーはどうですか。
最高です。ベース以外は全員僕とタメなんですけど、ずっとジャズ屋で、僕がジャズのギグをやる時は大体このメンツで、ここ数年はやらせてもらってます。特にドラムの大智は、僕の大学の同期なんですよ。東武東上線の川越駅の2つ手前の、上福岡駅というところに大学があって、そこで一人暮らしをしていたのが同期の中で僕と大智だけで、お互い行き来して、ジャズってなんなんだろう?みたいな会話をたくさんしていた仲です。元々はビバップのドラマーで、今はラップもしてますし、素晴らしいドラマーです。ピアニストのノブオは、オーストリアでジャズピアニストとして稼いでるんで、レコーディングのために一時帰国してもらいました。ノブオとの思い出といえば、銀座で歌ってた時は、ノブオと僕のデュエットでやってたんですよね。久々のセッションだったんで、色々思うことはありました。楽しかったです。
――何も言わなくても伝わるみたいな。
そうですね。まさに、ジャズって感じです。
高岩遼
――オリジナル曲に関してはどうですか。
オリジナルの新曲は「なにもない」と「ロジィタ」の2曲で、「ロジィタ」はSAKIANDTHEMAFIAというピアニストが作曲していて、歌詞が僕です。去年の2月ぐらいに、僕がやっているINFというダンスミュージックのプロジェクトのためのデモで、サキちゃんが上げてきた曲で、ずっと寝かしてたんです。僕はこの曲がすごく好きだったので、もう一回リアレンジしていただいて、ジャズマンとして一緒にやる形になりました。
――ある意味、一番どジャズに近い曲だと思います。サックスも素敵ですし。
“コテコテ”をやりたかったんです。
――歌も素晴らしい。歌詞はどんなイメージですか。
ロジィタという喫茶店が、九州のとある町にあるんです。そこにお邪魔した時に、腰が曲がったおじいちゃんの店主がいて、コーヒーを頼んだんですけど、20分ぐらいかかってやってくるんですよ。一歩踏み出すのも遅いし、僕が手伝いたいっていう感じだったんですけど(笑)。でもマスターは何十年もこうやってサーブしてるからと思って、待ってたわけです。そのコーヒーがめちゃくちゃ美味しくて、いい意味でさびれた町の喫茶店で、常連さんがカウンターに座っていたりして、「マスターはこのお店でどういう景色を見てきたんだろう」っていう歌なんですよね。マスター側の目線の歌なんです。かつてここにいた男女の行き来を、彼の目線になって考えてみたということです。ここで「One For My Baby」の視点を思い返すと、「One For My Baby」は主人公がバーテンダーに話してることなんですね。それの逆をやりたかったんです。
――なるほど! 繋がってるんですね。
繋がってるんです。いろいろと。
――あと、やっぱり重要な曲は、アルバムの最後を締める「マイウェイ」ですね。スタンダード中のスタンダードで、いろんな人が歌ってますけど、ある意味難しい歌だとも思っていて。その人の人生が出ちゃうじゃないですか。
そうですね。
――人生の終わりの時期から、昔を振り返るような歌詞だから、まだ歌うのは早い気もしますし。何を思いましたか、35歳の高岩遼が「マイウェイ」を歌ってみて。
そもそも嫌いなんです、僕。「マイウェイ」って。
――あはは! じゃあなぜ歌うのか(笑)。
フランク・シナトラっていうと、「ニューヨーク・ニューヨーク」とか、「マイウェイ」とか、そういうイメージがあって、それは事実ですけど、そもそも「マイウェイ」はシャンソンなんですね。だから、ちょっと嫌だったんです。
――ジャズではないと。
それと、さっきの話に戻りますけど、ろくでもないおっさんが、チャンネー集めて「1曲歌うか」とか言って、ろくでもない「マイウェイ」を歌ってた景色を、銀座でよく見てきたんですよ。おまえの人生なんて知らねえよ!って、ほんと、ろくでもないんですよ。でもお姉ちゃんたちお仕事だから拍手するし、それで嫌いだったんです。ただ、僕は岩手県宮古市出身で、震災後に、布施明さんが僕の地元のちょっと北にある久慈市というところにやってきて、彼の持ち歌の一つでもある「マイウェイ」を、被災した皆さんの前で歌う動画がYouTubeにあったんです。それを2年前ぐらいに自分のスタジオで、爆音で見た時に、号泣したんです。「日本語の美しさがここにあるのか」と思ったんですよね。そこから「マイウェイ」のイメージが少し変わってきて、日本の大物歌手の人たちの「マイウェイ」を聴く時期があって、尾崎紀世彦さんが28歳か29歳ぐらいで歌っていたりするわけです。僕は今35歳で、いろんな意味で節目だったので、今までの人生を一回振り返ろうかという意味と、かつ、まだまだ「マイウェイ」を歌える年でもないし、そんな実力もないんですけど、それをあえて歌って、不完全燃焼のままで、このジャズアルバムを終えたかったんですね。
――不完全燃焼、ですか。
ここまでさんざん、ジャズジャズ言ってますけど、たぶんまだジャズのJの文字すら、よく理解できてないんですよ。それほど長い道のりなのもよくわかるんです、僕のこのジャズライフは。だから、不完全燃焼の状態の「マイウェイ」を、青二才が歌うということで終えたかったっていうのもあるし、日本語の「マイウェイ」が本編の最後で、ボーナストラックとして英語の「My Way」を入れたことにも意味があるんです。流れ的には本編を英語で終わったほうがいいと思うんですけど、やっぱりここにはジャパニズムを置きたかったんですね。文化という意味でも、日本語の良さという意味でも、そこに僕が美しさをすごく感じたので。そしてボーナストラックに英語版を入れて、「これが日本人としてジャズへのアンサーだ」ということを伝えたくて、そういう部分を感じながら歌いました。
――これはあくまで個人の意見ですけど、日本語のほうが好きです。ぐっと来ます。
嬉しいです。それ、みなさん言ってくれます。
――見事な流れのアルバムだと思います。ジャズへの愛を語る「The Verse」から始まって、35歳の現時点での「マイウェイ」を日本語で歌って、ジャズへのリスペクトを英語の「My Way」に込めて終わる。どうですか、このアルバムを作り終えて、ジャズへの理解が深まったのか、あるいは、謎がまた増えたのか。
後者ですね。頭痛いです(笑)。「ジャズって何なんだろうな」って、ずっと研究するしかない。いろんな経験をさせてもらって、あとは人生を歩むだけです。そうじゃないと、わかんないかもしれない。というか、「ジャズとは」というよりも、「歌とは」っていう感じですかね。インストゥルメンタルだったら、技巧的なところはミュージシャンに任せればいいですけど、歌は自分の喉だから、人生だからっていう部分で、「歌とは何か」っていうところで、またどん詰まっちゃってます。いい意味で。
――結局そこに戻って来る。
やっぱり大変なものだなと思いますね、歌手っていうものは。
――35歳の高岩遼が、この『TAKAIWA』を作ったことは、あとに残るものとしてすごく重要だと思います。また時期を見て、ジャズアルバムを作ってください。5年ごととかでもいいんで。
やりたいですね。要所要所、大事な時期に。次は40かな。
――ジャズのライブも見たいです。近々の予定は?
今回のアルバムのリリースパーティーが決まりました。12月18日にCOTTON CLUBで、ちゃんとしたコンボで、エクスペリメンタル要素なしでやります。Blue Note Placeは、モジュラーシンセとかリズムマシーンとか入れちゃって、結構アバンギャルドな雰囲気だったんですけど、リリパはコンボのジャズで、ビシッと登場するつもりです。ぜひいらしてください。
取材・文=宮本英夫 撮影=大塚秀美
高岩遼
リリース情報
2.Blue In Heaven
3.They Can’t Take That Away From Me
4.愛のテーマ(From”Spartacus”)
5.One For My Baby
6.ロジィタ
7.A Jazzman’s Nightmare
8.なにもない[Album Mix]
9.You Make Me Feel So Young
10.マイ・ウェイ
11.My Way[Bonus Track]
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ライブ情報
高岩遼 Live at COTTON CLUB
“JAZZLIFE”~「TAKAIWA」Release Live
2025年12月18日(木)COTTON CLUB
[1st.show] open 5:00pm / start 6:00pm
[2nd.show] open 7:45pm / start 8:30pm
詳細はこちら
https://www.cottonclubjapan.co.jp/jp/sp/artists/ryo-takaiwa/