角野隼斗が“Klassik Arena”で魅せた音と光によるクラシック新体験

レポート
クラシック
2025.11.29

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日本武道館、カーネギーホールでのピアノリサイタルを成功させてきた角野隼斗が、次なる挑戦の場に選んだのは「Kアリーナ横浜」。座席数約2万席、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンに次いで世界2位のライブ動員数を誇る巨大なアリーナである。2025年11月29日(土)、この会場で初となるクラシック公演が開催された。

空間を音と光で満たして、今までにないクラシックの体験をしてもらいたい――そう考えた角野が、コラボレーターとして声をかけたのが真鍋大度だった。アート、テクノロジー、サイエンスを横断する表現を追求するクリエイター集団、ライゾマティクスを設立し、Perfumeのステージ演出サポートをはじめ、ビョークやArca、坂本龍一とのコラボレーションなどで注目を集めてきた気鋭が、今回の舞台演出を手がける。

“Klassik Arena”と題されたピアノリサイタルで、角野はどんな世界を見せてくれるのだろう。そんな期待を胸に会場いっぱいの聴衆が見守るなか、黒のスーツに身を包んだ角野がステージに登場した。

ステージにある2台のピアノのうち、手前のスタインウェイ「SPIRIO」でバッハの《平均律クラヴィーア曲集》第1巻より第1番「前奏曲とフーガ」BWV846を弾きはじめる。「グノーのアヴェ・マリア」としてもよく知られる旋律に合わせて、ステージ中央のスクリーンに映し出されたグラフィックが流れるように動いていく。これが今回の“Klassik Arena”における演出のキーコンセプトとなる「音楽と映像の融合」である。SPIRIOの鍵盤を弾いたタッチがMIDI (音楽の演奏情報を数値化した統一規格)データ化され、リアルタイムで音楽と同期した映像が映し出されるという仕組みだ。映像だけでなく、会場全体を彩る照明も音楽に同期して変化する。

「ようこそ、Kアリーナ横浜へ。元気にしてましたか?」と、角野はいつもの穏やかな調子で客席に向けて語りかける。レベル1(1階)からレベル7(7階)まで、フロアごとに「聞こえてますか?」と声をかけ、客席が拍手で応える。どんなに会場が大きくなっても、角野と聴き手の距離は変わらない。

MCに続いて、バッハの《パルティータ》第2番 BWV826において、「音楽と映像の融合」というコンセプトがより明確になっていく。2本の手から生み出されているとは思えない、複数の声部が複雑に絡み合った対位法的なバッハの音楽が、グラフィックによって可視化されていくのだ。たとえば、等間隔で淡々と進行する左手の通奏低音を四角、その上で右手が奏でる装飾的な旋律を丸のグラフィックで表わし、柱となって積み上がっていく四角の周囲で、きらめくように丸が明滅するという動きで音楽が描かれるといった具合。耳で聴いた音がリアルタイムで視覚化されていく感覚に、脳が快感をおぼえているのがわかる。

次は、ステージ奥に置かれたピアノでジョン・ケージの《プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード》よりソナタ第1番。プリペアド・ピアノとは、内部にさまざまな物を置いて、打楽器的な音や響きを出すピアノのこと。ここでもマイクで音を拾い、映像と同期させていく。緑と赤の毛筆のようなグラフィックが、打鍵のたび中央から弧を描いてパッと広がる。

次第に右手をSPIRIOへと移し、左手でプリペアド・ピアノを鳴らしながらの短いインプロヴィゼーション(即興)を挟み、そのまま続けて角野作曲による《Human Universe》へ。スクリーンには宇宙に瞬く星。ケージから調性のある音楽に戻ってきて、角野の奏でる歌に心安らぐが、同時に孤独も感じる。やがて音楽の展開とともに、星と星との間が線で結ばれて星座となり、それらが加速度的に連なって宇宙空間へと拡張していく。角野が語っていた通り、“Human Universe ”とは人間のなかにある宇宙であり、人と人とのつながりから生まれる無限の可能性をエモーショナルな演奏とともに感じた瞬間だった。

続いて、ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第14番《月光》。スイスの詩人レルシュタープが第1楽章について「月光の波に揺らぐ小舟のよう」と形容した言葉を想起させる水面がスクリーンに映し出される。角野の指が鍵盤に触れるたび、青い水面に音の粒が落下し、波紋が広がってはじける。その繊細なタッチ、ペダルから生み出される揺らぎ、すべてに瞬時に呼応して映像が変化していく。

第2楽章では、湖のような水面に粒子が降り注ぎ、光のプリズムとともに優美に踊る。第3楽章では、静かな湖に嵐が訪れる。音の粒が激しく水面にぶつかり、波紋が生まれては消えていく。そして中央に現れた月に向かって、まっすぐに疾走していく。映像にイメージをかきたてられるように、角野の演奏もよりダイナミックに。もちろんPAが入ってはいるが、巨大なアリーナという空間に負けないパワーをもって演奏しているのだろう。渦巻くような響きの低音には凄みさえ宿っていた。

休憩をはさんで後半は、カプースチンの《8つの演奏会用練習曲》からスタート。角野は指を軽く鳴らして、第1曲「前奏曲」を軽快に弾きはじめる。角野いわく「音ゲーのプレイ画面」をイメージしたという、ブロックが積み重なっていく映像が映し出され、黄金に輝く光の粒子が帯となって上へと昇っていく。デジタルのグラフィックがイメージとして提示されることで、ピアノという楽器の特性を超えて、ひとつの音楽としてまったく新しい聞こえ方が立ち上がってくるように感じられた。

第2曲「夢」は、前曲の上昇していくイメージとは逆の、下降していくイメージ。スクリーンの上から白と青の長方形が降ってくる。重力に任せたフリーフォール、四角や丸が積み重なっては崩れ落ちる映像と音楽は、ただただ身を委ねたくなる愉悦に満ちている。速さと激しさを増す第3曲「トッカティーナ」はふたたび上昇のイメージで、黄色と赤の四角が積み上がっていく。音楽から放出されるエネルギーに呼応し、視覚と聴覚が一体となって感情のボルテージを上げていく。

ケージの《プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード》よりソナタ第5番。ここではピアノの内部が中央のスクリーンに映し出され、ネジなどを挟んだ弦をハンマーが叩いて音が出る様子がリアルタイムで客席に届けられる。太鼓のようなポコポコとした音色や、ガムランのようなエキゾティックなリズムは、角野の手元が映し出されなければ、ピアノが奏でているとは思えないかもしれない。ケージというと難解な現代音楽というイメージがあるが、こんなにもダンサブルで、楽しい音楽だったとは。

MCで後半で演奏する曲について説明したのち、アルヴォ・ペルトの《アリーナに》。タイトルからして今日のために選んだ曲のように思えるが、音楽性においても角野のポスト・クラシカル的な側面にマッチする曲である。群青~黒の背景、音が白い柱となって現れては、静かに消える。究極に削ぎ落とされた、闇と光と音だけの静謐な世界。角野はSPIRIOの低音で楔を打ち込みながら、プリペアド・ピアノで鐘のような神秘的な音を鳴らす。

いつしか音楽はペルトを離れ、インプロヴィゼーションへ。一瞬だけ坂本龍一の《andata》の旋律が顔を出し、片手はプリペアド・ピアノ、もう一方の手はSPIRIOで、感興の赴くままに“ひとりセッション”が繰り広げられた。

そのまま曲間を空けることなく、ラヴェルの《水の戯れ》がはじまる。水面に音が落ちるたび、波紋が広がり、水銀のような飛沫が舞い散る。すでに頭のなかでは、音楽と映像が一体化している。やがて水底が見えてくるが、それは地球の表面のようでもあり、小さな水たまりの底面のようでもある。角野のタッチはどこまでも繊細で、ミクロからマクロまで自在にたゆたいながら、音の粒ひとつひとつに確かな生命を宿していく。

次のポストリュード《雨だれ》は、ショパンの前奏曲第15番「雨だれ」 作品28-15の旋律を交えた角野のオリジナル曲。これまでの抽象的なグラフィックとは打って変わって、教会の鮮明なグラフィックが映し出される。教会で即興をしていたとき、雨上がりで光が差し込んできた光景にインスピレーションを受けて書かれたとのこと。足元は水で満たされ、祭壇の上には青空が広がっている。天国にいるショパンに、角野はなにを語りかけたのだろうか。

ケージの《プリペアド・ピアノのためのソナタとインターリュード》よりソナタ第12番で、世界はふたたびモノクロームに。白地に墨絵のようなグラフィックは、前半のソナタ第1番で見せたグラフィックに呼応している。

そのまま続けて、プログラムを締めくくる曲はサン=サーンスの交響詩《死の舞踏》。リストによるピアノ独奏用編曲が知られているが、今回は角野による編曲版だ。SPIRIOとプリペアド・ピアノを自在に行き来しながら、妖しい陰影をドラマティックに織り上げていく。たたみかけるような超絶技巧にはただ圧倒されるが、難易度が上がれば上がるほど、グルーヴィに推進力が増していくのが角野ならではの魅力である。

満場の拍手に迎えられてのアンコール1曲目。角野作曲の《Nocturne II ー After Dawn》はPAを通さず、生のピアノの音だけで演奏された。アリーナという空間で聴くピアノの音は、こんなにも小さいのかと思ったが、それでも角野は“ありのままの音”を届けたかったのだろう。宇宙に憧れていた少年時代を想起させる抒情的な旋律。見上げた星空は次第に朝焼けに染まり、耳を澄まして聴き入る聴衆とともに、新しい朝が訪れた。

MCで真鍋大度と公演スタッフ、客席に感謝を述べる角野。今日の公演は、屋内で開催されたピアノリサイタルとしては過去最多の18,546枚の売り上げを記録し、なんとギネス世界記録に認定されたとのこと。唐突にギネス認定員がステージに登場し、認定証が授与された。

「今日のためにちょうどいい曲があるんですよ」と言って、アンコール2曲目は、角野作曲の《7つのレベルのきらきら星変奏曲》。「Level 0」の文字とともに、落ちゲーのようなグラフィックが現れる。やわらかな「Level2」、ジャズ風の「Level3」、和声が変わる「Level4」、左手がめまぐるしく動く「Level5」、ショパンのエチュードのような「Level6」、どんどん加速していく「Level7」では星が降ってきた。

鳴りやまない拍手に何度も応えながら迎えた終演。角野がステージを後には、スクリーンに直筆メッセージが映し出されて観客を見送った。

“Klassik Arena”はプログラム全曲がクラシックだったにもかかわらず、公演が終わったあとの感触は、クラシックのコンサートを聴いた後のそれとは明らかに違っていた。昨年の武道館公演は、「この場所でクラシックのピアノリサイタルをやるんだ」という角野の気概を感じたが、今日のKアリーナ公演はそれとも違う。もっとフラットに開かれた場であり、角野隼斗が愛する音楽を、たくさんの人と分かち合いたいという素直な気持ちが作り上げたコンサートであった。

文=原典子 写真=Ryuya Amao

公演情報

『全国ツアー 2026 ”Chopin Orbit” supported by ロート製薬』
 
1月30日(金)長野県:八ヶ岳高原音楽堂
2月1日(日) 神奈川:横浜みなとみらいホール
2月3日(火)茨城:水戸市民会館 グロービスホール
2月7日(土)北海道:帯広市民文化ホール
2月8日(日)北海道:札幌コンサートホール Kitara
2月11日(水)秋田:あきた芸術劇場ミルハス
2月13日(金)東京:東京芸術劇場 コンサートホール
2月15日(日)大阪:ザ・シンフォニーホール
2月17日(火)京都:京都コンサートホール
2月21日(土)広島:三原市芸術文化センター ポポロ
2月22日(日)香川:レクザムホール(香川県県民ホール)
2月24日(火)福岡:アクロス福岡 シンフォニーホール
2月25日(水)熊本:熊本県立劇場 コンサートホール
2月27日(金)愛知:愛知県芸術劇場 コンサートホール
3月1日(日)東京:サントリーホール
3月2日(月)東京:サントリーホール

⼀般発売:2025年12月13日(土)正午12:00(予定)
 
角野隼斗オフィシャル・サイト:https://hayatosum.com/
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