ヴォーカリスト・森友嵐士が50歳の節目を機に立ち返った原点・「ワクワク」とは
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森友嵐士
「ワクワク」というワードを、インタビュー中に何度も口にした森友嵐士。T-BOLANのボーカリストとして、ソロのシンガーとして長いキャリアを積んだ今、彼を突き動かす原動力は「ワクワク」するかどうか、なのだという。その背景には果たしてどのような想いがあるのか、間近に迫った『森友嵐士 2016 DEMONSTRATION LIVE』(日ごとのサブタイトルはその名も「静かな嵐」「COVERで嵐」「激しい嵐」だ)を軸にたっぷりと語ってもらった。ヴォーカリスト・森友嵐士の原点と現在が明かされるインタビューである。
“俺はこうなんだ”という勝手な形が形成されて……いまはそれが邪魔くさいんだよ(笑)。
――今回開催する3daysライヴ、そのタイトルが“静かな嵐”に“COVERで嵐”に“激しい嵐”ですよ? こういったらあれですけど、従来のファンは森友さんらしくないこのくだけたタイトルにまず衝撃を受けるんじゃないでしょうか。
僕も驚きましたから。僕の音楽人生のなかでこういうのは初めてですからね(笑)。
――森友さん、なにかあったんですか?(笑)
去年『氣志團万博』に出たんですけど、それぐらいから色々ありまして。その頃から「え、これできんの?」ということを周りとやりとりしてるのが単純に楽しいんですよ。衝動的なんですけど、ワクワクするんです。「面白いね、これ」「やってみたいね」「楽しそうだね」って、どこか学園祭的なノリというのかな。音楽をやっていく上で最初の初期衝動じゃない?それって。それを企んでバカなこと言ってる時間が楽しくて。そうしたら「そんなことできる?」って思ったことも、意外と実現しちゃうんですよ。例えば『氣志團万博』にしても“ダブル翔(氣志團の綾小路 翔とゴールデンボンバーの鬼龍院翔)に挟まれて俺が(T-BOLANの)「離したくはない」歌ったら面白くない?”って話が出て「面白いね!」と思って。それでツイッターで翔くんに連絡をとったんですよ。
――森友さんが綾小路さんに直接ですか?
ええ。俺、ツイッターとか打ったことなかったから、スタッフに「どうやるの?」って聞きながら(笑)。そうしたら2日後ぐらいに「森友さんですか!?」って返信が来て。そこからいろいろやり取りして、あれが実現したの。
――あの豪華な共演は、森友さんが企画したものだったんですね。
そう。でも、よく考えたら昔はそうやって音楽やってきてたなと思って。年齢を重ねると出来ることと出来ないことのジャッジをすぐにしてしまって、あたり前のように「それ無理でしょ?」とか「これやると事務所大変でしょ?」って勝手に答えを出すじゃん?
――ああ、自分の経験と重ね合わせて。
その経験が邪魔するんだよね。「それ無理じゃねぇかもしれないじゃん」っていうジャッジをかき消しちゃうんだよ。だけど『氣志團万博』を通して、無理じゃないことがまだいっぱいあることに気づいて。なによりもやってみたらそれが楽しかったの。その流れのなかで音楽活動していく上での仲間も一新して。じゃあ次にどんなライヴをしようかってみんなで話してるときに「“静かな嵐”と“激しい嵐”ってどうですか?」っていわれて、俺もそのタイトルにびっくりしたんだよ(笑)。鬼龍院翔くんとの“morioni”も『氣志團万博』のコラボもそうだけど、過去の自分を振り返るとないんだよ。
――硬派でしたもんね、やり方が。
自分のなかに“森友嵐士はこうだ”というのがはっきりあったから混ざろうとしなかったんだ。でも、やってみたら混ざることで面白いことがいっぱい生まれたし。なにより俺がワクワクしたというのが一番よかった。そこに“静かな嵐”“激しい嵐”っていう案がきたから「また冗談みたいなこというね」って思ったわけ。
――「それ俺がやるの?」という受け止め方だったんでしょうか。
ううん。「面白いね、それ」って思ったの(笑)。
――なんで面白いねって思えたんですかね。
俺からは絶対に出てこないアイデアだからだよ。T-BOLAN、ソロになってからも、ずっと自分のなかにあった計画を実現してきて。俺から出てくるものにもう飽きてんのよ、俺が。氣志團万博もやってみたら楽しかったから「ああ、人の話も聞いてみるもんだな」と思ったの。いままで人の話なんて聞いてこなかったからね(笑)。
――そこから、自分で森友嵐士を構築していかなきゃというところを、もっと緩めてもいいんじゃないか、と。
そうすると価値観も変わるよね。元々、自在でありたかったの、俺は。デビューした頃からこだわらないことにこだわりたかったんだけど、いつしかこだわりを持ち始めてしまったんだよ。気がつくといろんな我が出てきて“俺はこうなんだ”という勝手な形が形成されて……いまはそれが邪魔くさいんだよ(笑)。もっと自由でいい。それで“静かな嵐”“激しい嵐”も「楽しそうだね、それのった!」って。
――へぇー!
それで会場探してたら3日間空いてるところがあって、あと1日できると。「じゃあ“カバーで嵐”ってどうでしょうか」っていうから「面白そうだね」って。今回は頭で考える前に面白そうって、タイトルからスタートしたんですよ。もうね、初めてバンドがライヴをやるような無鉄砲な決め方だから(笑)。実際3日間やると決めて、内容を考え始めるでしょ? “静かな嵐”と“激しい嵐”と“カバーで嵐”となると、3日間ともセットリストが違う。セットリストが変わるとそこに合うメンバーも違うから、3日間まったく違うライヴを連続でやることになるってことに、準備しだして俺は気づいて。「しまった」と(笑)。
――それだけ気持ちだけで決めてたってことですよね。
そう。考え出したら「なんでこんな大変こと決めてしまったんだろう」って。「すげぇ大変じゃん」って。普通ね、1本のライヴを作ってツアーを回るのに、なんで3本作って3本しかやんないの? それも3日間連続で。「お前バカじゃねぇの」って(笑)。
――冷静に頭で考えてみると。
そう。でも、これやり終えたら、なんかご褒美があるんじゃないのかなと思うんですよ。
俺はね、ヴォーカリストなんだよね。なによりも歌うことが好きな。
――ご褒美というのは?
それぐらいのことをやらないと見つからない何かってこと。ついこの間も『東京マラソン2016』の応援ソング(「駆け抜ける愛の歌~始まりのday by day~」)を歌ったんだけど、やる前には分かんなくても、走り終えたからこそ感じるものがある。この3daysはきっとフルマラソンみたいなもんだから。やり終えたときに感じる何かがある。いまはこういう風に自分のパッション、直観力、ワクワクすることをやっていく時期なんだと思ってるんだよ。それをやっていくと、いままで自分がイメージしていたものとは違う世界が見えてきそうな気がして。そうなると、自分のなかに浮かぶことも変わってくる気がするんだよね。だから、自分の感情に素直になってるよ。復活して以降、色々考えてやってきたけど、もっと単純に楽しいとかワクワクすることやればいいじゃんって。今年50歳になって、余計に自由になろうと思ってる自分がいるよね。
――50歳にして人生をワクワク最優先にシフトしようと。
ワクワクするんだったらそっちがいいに決まってるんだもん。だけど、経験というものがキチンとさせようとするんだよ。
――大人としてキチンとやることを優先させてしまいますよね?
そう。キチンとしたやり方、より合理的で間違いのないものを選ぼうとするよね。そこをさ、音楽を始めたときのように「もっと衝動的でいいんじゃん」っていうほうになってきてるというか。音楽の作り方一つとってもさ、今の時代はすごくクオリティーが高いじゃん? 感動するかどうかは別として、いい曲がゴロゴロしてるイメージなんだよ。だって、いいコード進行とかいいメロディーがデータ化されてる時代なんだから。でも、そんなこと考えて俺は曲作ったことないんだよね。俺が90年代に作ったものは全部鼻歌だよ?
――鼻歌であんなにヒット曲作ってたんですか?
そうだよ。でも、経験を積んでいくとその形も俺のなかでどんどん洗練されていって。よりいいものを届けるために、例えば何人ものクリエーターに楽曲を発注して、そのなかから一番いいものを選ぶとか。いろいろ試してきたんだよ。そういうことをやってきた上で、いま俺のなかでは「ワクワクすること」、「もっと衝動的であれ」というのがキーワードになってる。そういうところにもう1度自分の身を意識的に置きたくなったんだよ。そこに身を置いてみたら、楽しくていいなと俺が思っちゃったから。
――なるほど。森友さんはいま、人生のなかで大きな転換期を迎えていることはよく分かりました。その変化は、ご自身が50歳になったことも影響してるんですかね。
50歳というのは節目、人生の折り返し地点じゃない? だから、考えるもんね。残された時間を。あと何年できるかって。そこで俺はどんなことをしたいんだろう、誰に何を残したいんだろう、そのためにはこの歩き方でいいんだろうかとか。そういうことを考えてるときに“ワクワク”というキーワードに出会って。ああ、俺の音楽はそこから始まってたのになって思ったんだよ。
――森友さんは音楽とどういう風に出会ったんですか?
俺は歌うことだった。毎日歌ってたよ。俺はね、ヴォーカリストなんだよね。なによりも歌うことが好きな。
――どんな曲を歌ってたんです?
学校の唱歌でもTVから聞こえてくる歌謡曲、なんでもよかった。響いてる自分の歌声に包まれてるのが気持ちよかったんだ。その歌を仲間たちを共有し始めると「お前の歌すげぇ」ってなって。あるとき音楽の先生が家に来て、俺をオペラの世界に真剣に引きずり込もうとして親を口説いてて。「オペラ? 無理無理。俺はそっちじゃないから。姿勢が正しいのは好きじゃない」(笑)。でも、その先生には一目置かれてて、音楽の時間は楽しかったな。新しい課題曲は先生に頼まれてまず俺が歌ってた。周りと歌い方が一人だけ違ってたからね。レコードを聴いてその歌い方を俺は真似しちゃうから、「エーデルワイス」とか歌っても、一人でオペラみたいな歌い方をしちゃってたの。だから、歌の成績はよかったよ。次に中学に入ったら、クラスから選抜された子が集まって音楽コンテストがあったんだけど、俺は選ばれたものの当時まだバンドはやってなかったらアカペラで歌ったんだ。そうしたら優勝しちゃって。すると、田舎だからその噂を聞きつけた暴走族のバンドマンがいろんなところから家に押しかけてきちゃったり(笑)。そういうところからだんだん自分にとって歌というものが大きくなっていったんだ。小中学校の頃の俺のスタジオはお風呂場だったんだけど、高校に入ったら、初めてギター買って軽音楽部で歌い始めるんだ。それで、高校の学園祭のときにステージで弾き語りやってたら、学園で一番カワイイといわれてたマドンナ的な子がたまたま会場にいてさ。その子が、俺の歌で泣いんたんだよ。
――うわ! すごいことですよね。
分かる? その瞬間の俺の気持ち。「ヤバい、あの子が泣いちゃったよ」って。残念ながら、その後その子が彼女になる訳じゃないんだけど(笑)、その子の心が動いたことは間違いないじゃん?
――ええ、ええ。
俺が他のことでその子にどんなアプローチをしたってその子の涙なんて引っ張り出せないと思うわけ。だけど歌で、たった5分でその子の涙が溢れた訳じゃん? そのとき、自分のなかで歌というのは特別な力があるかもなって思ったよね。そういう10代の頃の音楽のワクワクをいろいろ思い出したりしてね。だから“50歳にして幼き頃に帰る”って感じかな。いまの俺は。
3日間を通して届けたいのは、こういう生き方、考え方。
――なるほど。では、これから始まるライヴも3日間ともワクワクなものになることは間違いなさそうですね。
俺はそのワクワクにドキドキとヒヤヒヤが加わりますけど(笑)。
――ではライヴの内容についても教えてください。“静かな嵐”は静かな曲をパフォーマンスする日になるんでしょうか。
一応ね。でも本当に静かになることやら……(笑)。以前bluenoteにシーラEが来日して、彼女がピアノの弾き語りで歌うとき、チェロを加えてパフォーマンスした1曲がやたらかっこよかったのね? 自分の声が復活したら絶対このピアノ+チェロ+ヴォーカルのスタイルでやりたいと思ってて。これまで神社仏閣でのライヴはそのスタイルでやってきたんです。なので“静かな嵐”はこのスタイルをベースにやろうと思ってます。
――では2日目の“カバーで嵐”は?
もう、カバーですよ! こんなことやったことない。ファンの子からリクエストを募集したら、これは歌えっていいそうだねっていう曲から、それを歌えというの? という曲まであって面白かったです。それを参考に、カバーする曲はみんなが耳にしたことがあるものをやろうかなと。アレンジもせっかくだからオリジナルを大切にするバージョンあり、俺たち流に改造したパターンもありと、いろいろやれたらいいなと企んでるところですね。
――では最終日の“激しい嵐”は?
当然、激しい曲ですけど、アップテンポの曲ばかりというわけではないです。スローな曲の中にも激しい嵐はいるんだなって。選曲してて、そういうことに気づきました。
――それもワクワクが詰まってて楽しそうですね。
3日間のライヴはもちろん楽しいんだけど、このインタビューを読んでくれた人はこういう人生の生き方、こういう考え方に“ハッ”としてもらえたら一番最高だな。ライヴは一瞬で、どれもいいものになると思うんだけど、3日間を通して届けたいのは、こういう生き方、考え方だから。終わったあと、みんなにそういうものが一番のお土産になって残るとといいなと思ってます。
インタビュー・文=東條祥恵
at Mt.RAINIER HALL SHIBUYA PLEASURE PLEASURE』
【公演内容】
・3/29(火) 「静かな嵐」
・3/30(水) 「COVERで嵐」
・3/31(木) 「激しい嵐」
【 開場/開演 】18:15/19:00
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