オフ・オフ・ブロードウェイの国際演劇祭で4部門受賞ミュージカル日本初演
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NY初演より。左が伊藤靖浩
石丸さち子、世界の演出助手をやめたわけ。そして…
かつて、“世界のニナガワ”こと演出家・蜷川幸雄さんの稽古場にひんぱんに出入りしていた時期があった。もう10年くらい前の話。蜷川さんの右側の席には眼光鋭い女性がいた。蜷川さんが役者と軽口を叩いても決して笑みを見せず、演出助手として指示を出す。演出席に近づくのが恐れ多いほど、別に睨みを効かせていたわけではないが、緊張せざるを得ない門番的存在だった。
そんな彼女が今、小さなスタジオでくしゃくしゃの笑顔を見せ、目を吊り上げて叱咤し、時おり目を潤ませている。『Color of Life』というオリジナル・ミュージカル。“世界の~”の遺伝子を引き継いでいるのか、日本に留まらない高みを目指して戦っていた。石丸さち子に聞いた。
石丸 演出助手という仕事は、蜷川さんの中にある想像力を具現化するお仕事ですから、自分の想像力を抑圧する部分があって。だから現場に行くのに演出助手のぬいぐるみを被っていたんですね。とはいえ大変な現場が続く中、ある日、舞台稽古の日に足が動かなくてホテルから出られなかったんです。体調はずっと不安定でしたけど「あ、そうか。本来の自分がもうダメだと言っているんだ」と。それまで13年間、稽古を1日も休まなかったのに、そこで仕事を降りたんです。自分の作品を作るべきだと。蜷川さんにも「オレがお前だったら死んじゃうよ。いなくなるのは困るけど、やれよ。やらなきゃやってられないよな」と言っていただけて。
もともと書くことが好き。4歳のころには聞いた音を楽譜にすることができるなど、周囲は音大に進むものだと思っていた。中学生にして演劇に目覚め、通っていた中高一貫校の高校の演劇部で活動し、やがて早稲田大学で演劇にのめりこむ。女優時代を含め、23年も追走し続けた蜷川さんのもとを離れたのは“演出家”になるため。全く違う人生が47歳から始まった。
悔しさをバネに突然のNY挑戦!
2012年にとあるNY産の二人ミュージカルの上演権を手にしようと奔走する。あらゆる手段を尽くし1年が過ぎたがどうしても許可が降りなかった。簡単だった。上演への門戸は開かれていたが、別の日本のカンパニーが押さえていることを知らせてもらえなかったのだ。劇場も押さえ、キャストも決まっていた。その悔しさから50人のキャストを集め『ペールギュント』を上演した。
石丸 2013年1月1日。音楽家の伊藤靖浩さんとお酒を飲みながら、NYの作品を買うんじゃなくてNYで作っちゃえばいいじゃない、そしていろんな賞をもらっちゃったらいいよ、と話したんです。その場でパソコンで調べたら「MITF(第14回ミッドタウン・インターナショナル・シアター・フェスティバル)」というのがあって。締め切り1月23日、間に合うよ!って。それで本を書いて、作曲して、友達に英訳してもらって応募したんです。よく間に合いました。それは悔しさと、本当にやれたら素敵でしょという思いが私と伊藤さんには人の10倍くらいあるので(苦笑)。そして3月に企画が通って、でも渡航費も何もかもすべて持ち出しとわかって一生懸命お金を集め、NYで1カ月かけて作ったんです。
それが『Color of Life』。
画家には劇作家としての姿勢表明を、女優には未だ自分探しをしている自身の鬱屈、乱れ、カオスなどを投影した。普段は作品ができてからトータリティで曲をつける伊藤とは、時間がないために、「何曲かけたから曲つけて」「わかりました」「この歌詞ならかける?」「ダメです」「わかった、破っちゃえ」「今度のはどう?」といったやりとりを繰り返した。石丸の伊藤評は「ものすごく繊細だけど、繊細さの中に暴力的なエネルギーを秘めている。私は文学的で、彼はものすごく理数系の作曲をする。歌詞も読むことは読むけど、どちらかと言うと改行やパラグラフなどを見て私の思いを汲み取ってくれる」だ。NYではその伊藤が男を、伊藤の友人で英訳をした志乃・フランシスが女を演じ、最優秀作品賞、最優秀作詞・作曲賞、最優秀演出賞、最優秀主演女優賞を受賞した。
上口耕平とAKANE LIV
鈴木勝吾とはねゆり
目指すはオフ・ブロードウェイと日本での同時上演
本当のことを言えば、日米同時上演を目指して動いていた。しかし何度も挫折し、今回ようやく日本公演にはこぎつけた。
石丸 「MITF」が軒並み最優秀賞を与えてくださって、「君たちはすごいものを作った」と言ってくれた。初めて外側から評価されて自信をもらったのがNY。でも日本では私なんか全く知られていないばかりに、アメリカやほかの国の作品を差し置いて賞を与えてくれた彼らの気概をうまく生かせなかった。これは人と人が出会うとどんなことが起きるかというミュージカルですけど、あらゆる出会いのおかげでようやく初演を迎えられます。だけど、お客さんと出会えなければ演劇として成立しませんから、一人でも多くの人に見ていただきたいんです。
この東京公演の先に、石丸も、伊藤も、キャストやスタッフもみな、オフ・ブロードウェイでの公演、そして日米同時上演の夢をもちろん持ち続けている。そのための第一歩。どうだろう、一緒にその夢に乗ってみるのは?
石丸 作品で出会った役者を思い切り愛してしまって、一回ごとにお別れして、また次の作品のために愛する人を探す。戯曲ともその繰り返し。不器用な演出家ゆえに、命をすり減らしていると思うんですがすごく楽しいです。名声欲とかそういうのはどっかに置いてきちゃって、少し淡すぎるなとも思うんですよ。台本にもあるんですけどね、「it’s my nature」(これが私の性だから)。改めて感じたのは作品って時間をただかけたからいいものができるわけではないんですね(笑)。台本は今日書くのと明日書くのとでは違う言葉が生まれるし、演出も今日と明日ではセッションの中、別のものが稽古場の中で生まれる。お芝居はその偶然がすべて作っている。だからその偶然にいつも乗り遅れないように、研ぎ澄まれた状態でいつもいたいなと思います。
石丸さち子