『九月新派特別公演』市川月乃助改め、二代目喜多村緑郎襲名披露インタビュー!
「九月新派特別公演」で二代目喜多村緑郎を襲名する市川月乃助
2016年1月に歌舞伎界から劇団新派へ移籍した市川月乃助が、新橋演舞場と大阪松竹座で上演される『九月新派特別公演』にて、正式に二代目喜多村緑郎を襲名する。約30年にわたり市川猿翁のもとで歌舞伎の立役(男役)として活躍した月乃助が、なぜ新派入団に至ったのか。彼の人生に訪れた転機、師匠への感謝、そして55年ぶりに名優の大名跡を復活させることへの思いを単独インタビューでたっぷりと語ってもらった。
「新たな一歩踏み出すことでその後、何万歩にも繋がる」(喜多村)
--この度は二代目喜多村緑郎のご襲名、誠におめでとうございます。2016年は初春新派公演での幕開けでした。『糸桜 ―黙阿弥家の人々―』で糸女の養子・河竹繁俊役を演じられましたが、お気持ちも新たにというご心境だったのでしょうか。
そうですね。今年は正式に1月から新派の門を叩きまして、第一回目の公演が河竹登志夫先生原作「作者の家」より、新派文芸部の齋藤雅文さんが書き下ろした『糸桜』。波乃久里子さんや僕、そして共演の大和悠河さんに当てて書かれたような所がありました。お互いの役の背中に、役者本人の人生が投影されているような、非常にすばらしい作品でしたので、僕としてはこの上ないスタートを切らせていただいたなという気持ちでしたね。
写真は「九月新派特別公演」取材会より
--新派には2011年初春新派公演 『日本橋』で初出演を飾り、その後13年の新派125年・新派名作撰 泉鏡花生誕140年『婦系図』への出演が入団への決め手になったそうですね。改めて、入団までのいきさつとは。
もとより、うちの師匠(二代目市川猿翁)は、弟子一人ひとりの個性をみてくださる方で、歌舞伎俳優ではあるんですけど、たとえば僕の同期の春猿さんには、「あなたは新派が特によく似合うから勉強してみてはどうだ」とか、何気ない時にそういう話をされるんですね。僕には、「立ち廻りの切れ、声質や台詞の太さもあるし、新國劇のものが合うんじゃないか」という話を20代の頃からよくされていました。当時は段四郎さんが師匠の時代もあり、敵役での抜擢も非常に多かったので。
--20代の頃からそんなお話があったのですね。
とはいえ、当時は歌舞伎のことで精一杯。実際には何も出来ていませんでした(笑)。そう考えると、やはり一番の転機は、膝の怪我でしょうか。近年、大怪我をしてしまい術後のリハビリを含め、完治するまでに6年かかりました。それまでは普通に正座をしたり、バンバン板を踏んだりすることができませんでしたので、リハビリをしながら自分のできる範囲で舞台に出演したり、朗読会をやらせて貰ったり。怪我をきっかけに、歌舞伎以外のものに触れさせていただける機会が多くなりました。2011年の『日本橋』もその中のひとつだったんですよ。
--当時は、たくさんある出合いの中のひとつだったのですね。
僕は親友の春猿さんから新派の魅力というものをよく聞いていたので、彼が良いというものに僕も触れてみようかなと。実際『日本橋』に出てみると、歌舞伎との類似点をすごく感じたんですね。新派の芝居は、歌舞伎俳優だからこそできるのではないかと。そこから、興味を持つようになりました。
--具体的には、どんな共通点があったのでしょう。
これは歌舞伎を勉強している人間じゃないと気づかないことだと思うのですが、たとえば映像などで昔の新派の俳優さんたちの演技を見ていくと台詞のスピードであったり、確実に歌っている部分がある。そういうテクニック的な部分で、これは歌舞伎のことがしっかりと頭に叩き込まれているからこその演劇なんだと分かる。『日本橋』に出演させて貰った時に、初めてそう感じたんですよ。
写真は「九月新派特別公演」取材会より
--その後は、年1回のペースで新派にゲスト出演して来られました。
中でも2013年『婦系図』の早瀬主税は、歌舞伎俳優じゃないとできない役だろうと実感しました。ああいう演出に行き着くには、新派の先人たちの考えがあり、後に播磨屋(中村吉右衛門)さん、松嶋屋(片岡仁左衛門)さんなどの客演にも繋がっていったのだと思います。僕としては、もう一度『婦系図』の早瀬主税を演じたいという思いが、新派入団を後押しした大きなきっかけのひとつでした(「九月新派特別公演」では夜の部で『婦系図』を上演する)。歌舞伎では大抜擢はあっても、なかなか同じ役をもう一度やるということは少ないので、毎回一生に一度の覚悟で勤めてきました。ただ、(同じ役を演じることが)できるのであれば、この道を選びたいなと。
--歌舞伎での30年もの経験があればこそ、新派の深みや面白味をより実感されたのですね。
そうですね。20代の頃に新派に出演していたとしても、その魅力に気づけなかったかもしれません。
--「ピンチはチャンス」と師匠の言葉にもあるように、怪我の回復を得て再起への実感を掴まれたのでは。
でも僕って鈍感なので、怪我をしたことで周りからは苦労しているように思われていたようなのですが、僕自身は歌舞伎以外の新派も商業演劇も、中にはダンサーさんとの舞踊ショーみたいな芝居まで、どれもすごく楽しかったんですよね。
--吉本の芸人さんと組まれた舞台『青木さん家の奥さん』では、エチュード芝居にも挑戦されていました。
そうそう! 神保町花月という吉本の芸人さんしか立たないような舞台に出演したりね。ああいうのも面白かった。あるとき新派の大先輩に「今やっていることは、何一つ無駄なことはないからね」と声を掛けていただいて。多分勇気付けて下さろうと思ったんでしょうね。いま考えると本当に、そうだったなと。リハビリ中に、新派の川口松太郎さんを調べていた時期があって、例えば泉鏡花さん、樋口一葉さん、北條秀司さんなど新派の作家さんの作品も色々と読んでいたんです。当時は朗読劇の題材を探していて、まさか自分が新派に入るとは思ってもいませんでしたので、「全部が繋がっている」ってこういうことなんだなと。
--鳥肌がたつようなエピソードですね。
いやほんとに。いま思うと役者をやっている限り、どんなことにも興味を持ってアンテナを張っていなくてはいけないよということを、その先輩は仰ってくれていたのかなと。怪我をして松葉杖で三ヶ月間家から出られなかった時は、さすがにへこんで、「もう人生終わったな」と。仕事もないし、歩けるようになっても10mがやっとで。でもそこからリハビリを始めて、だんだんと順調に歩けるようになって。今では怪我をする前よりも足の筋肉が、むしろ20代の頃に戻ったような仕上がりです(笑)。
写真は「九月新派特別公演」取材会より
--文字通りの心身ともにバージョンアップされての新たなスタートなのですね!
その頃は気づけば芝居のことも忘れて、とにかく毎日トレーニングすること自体が楽しくなっていました。ほんとに自分は鈍感で良かったなと、思いますよね(笑)。いま考えると、何でも飛び出さないとダメだなと。家から出られなかった時期はそれこそ腐って、腐ってね。でも一歩前に出てみると、意外とそこから2、3歩、ひいては何万歩って、やっぱり繋がるんだなって。
「ほとばしる情熱があれば、必ずお客様に伝わる。師匠からの言葉です」(喜多村)
--先日の六月新派特別公演では、川口松太郎の自伝的作品『深川の鈴』で文学青年を、江戸の侠客を描いた『国定忠治』ではタイトルロールをと、まったくタイプの異なる2役を演じられました。市川月乃助としては最後の舞台が、かつて師匠にすすめられた新國劇からの代表作『国定忠治』というのも、感慨深いものがあります。
図らずも20数年前に師匠が言われた通りになった自分がここにいる。だから最近、歌舞伎に対する未練についてのご質問が多いんですけど、僕としては特にそういう思いもなく。ただ、歌舞伎界や同じ一座の人、特に師匠に対しては感謝の言葉しかありません。一座以外でも皆さんに良くして貰ったからこその今があると思っているので、その恩だけは絶対に忘れません。
写真は「九月新派特別公演」取材会より
--9月には、正式に二代目喜多村緑郎を襲名されます。55年ぶりに名跡を復活させることへの重責はいかほどかと想像しますが、一方で長らく伝統芸能の世界に身を置かれていた方からすると、粛々とといったご心境でしょうか。
いえいえ、襲名が決まってからの一年は事の重大さに思い悩み、毎日毎日考え抜きました。それでも、旦那(師匠)のところへ襲名のご挨拶に伺いました際に、「あなたは先代の喜多村緑郎にならなくていい。段治郎さん、月乃助さん、あなたのままでやりなさい。そこに名前が乗っかっていくのだから」と言って頂いて。師匠は僕の胸のうちは何でもお見通しなんですよね。喜多村緑郎という名前は、いまや新派の象徴ともいえる名前なので、先代の芸を継ぐのではなく、新派そのものを継ぐことに一番の重きを置けばいいのかなと。その気持ちに至ってからは逆に、あれもこれもやんなきゃいけない!という気持ちです(笑)。
--初代はスーツを着こなし、コーヒーや葉巻、洋画、そして歌舞伎がお好きだったそうですね。
とにかく九代目市川團十郞、五代目尾上菊五郎に陶酔し、傾倒していたようです。その歌舞伎への畏敬の念が『白糸』『婦系図』『日本橋』への演出に繋がっていくんだなと。やはり歌舞伎というものは、我々日本人の演劇のすべてのふるさとであり、そこから新國劇、新喜劇、何もかもが生まれている。その辺りを新派の役者も再認識することで、自ずと歩むべき道が絶対に見えてくる。ジャンルとしての新派をしっかりと確立させることが、僕の仕事になって来るのではないのかなと、今は思っています。
--新派は頼もしい大黒柱を得たと、水谷八重子さん、波乃久里子さん始め、劇団員の皆さんも手放しに喜ばれていますね。
僕自身、役者としての修行もまだまだですが、これからは劇団のために嫌われ役も買って出ないといけないなと思います。今はとにかく新派の芸を受け継ぐ八重子さん、久里子さんに続く次の世代、そのまた次の世代へと層を厚くして、新派のにおいを繋いでいきたい。先日もそういう話を久里子さんとしてきたところです。
--「九月新派特別公演」では、歌舞伎俳優の尾上松也さんが新派初出演。しかも、松也さんの実妹で、23歳の春本由香さんが、新派の新星として初舞台を飾ります。同門だった市川猿弥さん、市川春猿さんも応援に駆けつけるなど、見所の多い賑々しくも華やかな門出に期待が高まります。では最後に、今一番思い出される猿翁師匠からのお言葉を教えて下さい。
そうですね。師匠から頂いたものはたくさんありすぎて、一言ではいえないんですけどね。でもやっぱり、どんなに静かで儀式的なお芝居であっても、ほとばしる情熱があれば必ずお客様は観に来て下さる。歌舞伎に限らず、そういう役者になってくれということは、ずっと言われて来ました。うちの旦那(師匠)は芝居に関しては、歌舞伎であろうがなかろうが関係ないんですよね。そういうスピリットは、どういう立場になろうとも持ち続けたいですね。
写真は「九月新派特別公演」取材会より
2016年9月1日(木)~11日(日)
【大阪松竹座】
2016年9月17日(土)~25日(日)
一、振袖纒(ふりそでまとい)
作:川口松太郎
補綴・演出:成瀬芳 一
二、口上
作:北條秀司
演出:大場正昭
─二代目喜多村緑郎襲名披露─
一、口上