ねことからあげと不完全さについて

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2016.8.29

チープアーティスト・しおひがりによる連載『メッセージ・イン・ア・ペットボトル』が始まります。毎回、この世にいる"だれか"へ向けた恋文のような、そうでないような手紙を綴っていきます。添えられるイラストは、しおひがり本人による描き下ろし作品。

 

拝啓

 

 夏を締めくくる方法について考えていました。この夏を締めくくる最高の方法についてです。人によって違うでしょうが、夏の締めくくり方は実に様々な方法があります。僕も一万通りくらいは考えました。たとえば海に泳ぎに行くとか、友達を誘ってバーベキューをするだとか。家族と墓参りをしてもいいかもしれない。インドアな人はサグラダファミリアの写真がプリントされた5000ピースある巨大なジグソーパズルを完成させるとか。とにかく膨大にあります。

 

 先ほどあげたどの方法を選択したとしても、まずまず満足する夏の締めくくりになることは違いありません。しかし、僕としてはあまり凡庸な方法を選択したくはないのです。なにせ僕が追求しているのはこの夏を締めくくる最高の方法ですから。1000%僕はよくやったと、夏を締めくくったあとにビールを飲みながら深い余韻に浸れる方法でなければ意味がないのです。

 三日三晩悩みました。悩みながら腕組みをし続けていたせいで僕の腕はそのままフランスパンみたいにコチコチに硬くなってしまい、腕を解くのにもう一日かかったくらいです。ずいぶん時間をかけましたが、そのおかげで最高の方法を思いつきました。僕が考えたこの夏を締めくくるにふさわしいたったひとつの最高の方法、それはあなたに手紙を書くことです。まさに、この手紙です。

 

 あるいは今、あなたは戸惑っているかもしれません。当然といえば当然ですね。あなたにはこの手紙を受け取る義理なんてまるでないし、そもそも僕はまだ自己紹介もしていないのですから。誰から送られたかわからない手紙と排水口に詰まった髪の毛ほど不気味なものもありませんよね。

 

 「自分を語るには好みを語れ」という言葉があります。もちろん、僕の言葉です。今考えました。自分のことを知ってもらうには自分の好きなものを語ればいいじゃん、という感じの意味です。要するに僕は、僕が好きな物を相手に紹介すれば自ずと僕のこともわかってもらえると信じているわけです。

 双子のくまの兄弟を思い浮かべてください。弟のくまはとてもシャイなので自分のことをうまく話すことはできません。しかし彼は双子の兄のことについては誰よりもうまく話すことができます。「お兄ちゃんはシャケを取るのがうまいんだ」とかなんとかです。そんな兄くまの話をしている弟くまの姿を見ていれば、なんとなく弟くまのこともわかってきますよね。そういうことです。

 そして僕が好きなものといえば、ねこです。にゃー。あのねこです。かわいいですよね。つまり僕はこれからねこについて語ることによって、同時に僕のこともあなたに知ってもらおうと思っています。

 

 ねこ。人類とねこの歴史は長く、古くは紀元前3000年前のエジプトでの飼育例がよく知られており、云々。とにかく人類とねこの関係はとても長いです。それほどではないものの、僕とねこの関係もまあまあ長くてだいたい20年くらいになります。20年近くねこを飼っていました。

 長くいっしょに暮らしているとわかりますが、ねこはどこか「不完全さ」のある動物です。いうことは全然聞かないし、にゃーにゃーうるさいし、おまけに変な癖を持っていたりします。僕が飼っていたねこは眠っている僕の目玉をパンチする癖がありました。このパンチはなかなか強力で、どんなに深い眠りに落ちていても確実に目が覚めるため、おかげで僕は20年間ずっと寝不足でした。

 彼の不完全な部分は不快ではありましたが、しかし僕はそんな彼の不完全さにこそ魅力を感じ、愛していました。僕は万物の不完全さを愛してやまないのです。

 

 昔話をします。昔々、僕が好きだった女性はとてもきれいな顔立ちで、頭もよくて、なにをやらせてもうまくこなす器用な人でしたが、鶏のからあげの衣を必ず残しました。鶏のからあげを食べる時には必ず、箸で掴んだからあげの衣を歯で器用にむいて丸裸にする作業をしてから中身だけ食べました。彼女は強烈な偏食家で、ほとんど唯一の好物が鶏のからあげだったのですが、その鶏のからあげでさえ衣を剥がさなければ食べられなかったのです。

 彼女が「作業」を行う姿も、皿の上に大量に残された唐揚げの衣も、お世辞にも美しいとは言えませんでした。いえ、醜悪であったと言うべきでしょう。僕は作業中の彼女を見るといつも羅生門の老婆のことを思い出しました。

 しかし、僕は彼女と食事をすることが大好きでした。僕も彼女の皮剥ぎシーンは品がないと感じていましたし、彼女と会うたびに大量の鶏のからあげを食べることにうんざりしていたのもたしかですが、それでもなお僕は彼女が食事をするところも彼女自身のことも大好きでした。やはり僕は彼女にそのような不完全さがあったからこそ、大好きだったのだと思います。

 

 いやあ、過去を思い出して少しセンチメンタルな気分になってきました。ところで僕はその後からあげの彼女に振られるのですが、その理由は、僕にメガネが似合わないからでした。これにはまいりました。数多くある僕の不完全さのなかでもかなりクリティカルな部類に含まれるであろうその事実を僕自身ついに愛することはできず、僕は今でも人前ではまずメガネをかけません。

 あなたが僕のこの不完全さを好きになってくれたら、僕の意識も多少変わるかもしれませんね。

 

 しかし、この手紙もずいぶん長く書いてしまいました。もっと書きたいこともあるんですが、そろそろ書き終えようと思います。ビールが飲みたくなってきたので。

 最後まで読んでくれてどうもありがとうございます。また手紙を書きますね。

 

 それでは。

 いつかまた宇宙のどこかで。

 

敬具 

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