少林寺の武僧たちにきく『sutra(スートラ)』の舞台の魅力とは
世界的な活躍で知られ、日本でも『テ ヅカ』『プルートゥ』『BABEL(word)』などの作品を上演してきたベルギー出身の振付家シディ・ラルビ・シェルカウイ。彼が嵩山少林寺に2か月滞在、武僧たちと共に作り上げた『スートラ』がこの秋、日本に上陸する。世界60都市で上演されてきたこの作品に2009年の初演時から関わってきた嵩山少林寺僧侶のリーダー格であるファン・ジャハオとグアン・ティンドン、そしてシェルカウイのアシスタントを務め、海外公演では彼のパートを踊ってきたアリ・タベに話を聞いた。
――非常にユニークな作品ですが、最初に話を聞いたとき、どう思われましたか。
ファン:作品のリハーサルの始まる何カ月も前から、嵩山少林寺の代表とラルビさんたちの間で、少林寺の伝統などについて多くの議論が交わされたと聞いています。私自身はといえば、非常に新鮮に感じておりました。それまでもカンフーのデモンストレーションなどを行なってきてはいましたが、この作品のように、音楽や照明や装置がある中で舞台作品として上演するというのは新たな試みです。武僧の中で参加の意思がある人間は誰でも参加してよかったのですが、リハーサルを経て、ラルビさんと仕事が進めやすかった人間が残っていったというわけです。
――ファンさんはその経験を経て『テ ヅカ』にも出演されたわけですね。初演からずっと少年僧の役柄を務めていたグアンさんはいかがですか。
グアン:初演のころは11、12歳くらいで、先輩に誘われ、子供の好奇心で何も知らずにリハーサルに参加したんです。ほとんど遊んでいるような感じでしたがラルビさんに気に入られ、作品に参加することになりました。自分としてはおもしろいなと思ったことをやっていただけなのですが、それぞれが得意な拳法の型を披露することになったとき、猿の拳法をやったんですね。それがすごく気に入られたみたいで。子供が猿の拳法を箱の上でやったらおもしろいなということだったんでしょうね。
――それにしても、少林寺の僧侶たちとダンス作品を作るというのはユニークなプロジェクトです。
アリ:僕はラルビのアシスタントとして参加したんだけれども、最初はどんな作品になるのか、まったくノープランだった。ラルビも僕も、子供のときからブルース・リーなんかの映画を通じて、マーシャル・アーツに非常に興味があってね。だから嵩山少林寺とのパイプができたとき、ラルビは僕を誘ったんだと思う。舞台装置と音楽のアイディアだけはある状態で嵩山少林寺に赴いたんだけど、例えばアントニー・ゴームリーの装置のアイディアにしても、現場でどんどん進化していったんだ。大きな箱と小さな箱が出てくるけれども、あの小さな箱は、リハーサルでドンドン(ファンさんの愛称)が舞台装置の模型で遊んでいたのを取り入れたものでね。
小さな少年僧が小さな箱で遊び、大きな僧侶たちが大きな箱と戯れるという具合に、アイディアが展開されていった。最初はもっと大がかりな舞台装置のアイディアもあったんだけれども、次第に箱という非常にシンプルなところに落ち着いて。参加する僧侶の人数が増えるにつれて箱も増えていったというわけなんだよ。そして、ラルビ及び僕の踊るキャラクターが入る箱は銀色の金属製、僧侶たちの箱は木製になっている。金属は近代性を象徴し、木は自然を象徴しているというわけなんだ。このキャラクターについてはラルビと僕とで一緒に作り上げていった感じなんだよね。
リハーサル中、さまざまな文化的葛藤に出くわした経験が、このキャラクター及び作品に取り入れられている。ある種のファンタジーをもって東洋にやってきた人間が、現実と出会う。そして、食べ物や生活等々の異文化を理解していこうとする。ときには困難もあるけれども、そのプロセスを描いた作品とも言えるかもしれない。ただ、僕の言葉での説明にとらわれず、舞台上で展開される詩的なイメージを観客それぞれが受け止めてほしいなと思うけれども。
創作にあたっては、僧侶たちの意見を最大限に取り入れ、彼らがやりたくないということは絶対にやらなかった。だからいったいどんな作品に仕上がるのか、誰にも先が読めなかった。2か月が経って、中国からロンドンに戻り、作品を見せたとき、観る人誰もがびっくりしていたよ。
――普段はお寺で修業の一環として行なっていることを、世界中で演じて見せるというのはどんな経験でしたか。
ファン:作品を通じて、決してカンフーだけにとどまらない少林寺の文化を世界中の人々にもっと伝えていきたいという思いがありました。そして世界を旅したことで、異なるさまざまな文化から多くを学び、それをまた持ち帰って仲間の僧侶たちと分かち合えたということもあります。
グアン:異文化を吸収することで研鑽が深まるということもあります。また、私たちはこの舞台で決してカンフー、武術だけを見せているわけではなく、少林寺の僧侶という存在を見せているんだと思っています。我々武僧にはこんなこともできるんだというサプライズを、観客に受け取っていただきたいですね。
ファン:少林寺の僧侶の日常生活を、舞台を通じてお見せしたいと思っています。我々はカンフーを含む修業を通して、身体と心双方を鍛えることを心がけています。お腹がすいたら食べる、眠くなったら寝る、そういったシンプルな生活をしている方は、この複雑化した現代社会では少ないと思うんです。そういった人間としての基本的な在り方、規律正しい生活を我々は実践しているわけです。
――少林寺においては宗教と関わって存在している拳法にいかに敬意を払って作品作りを進めていかれたのでしょうか。
アリ:武僧たちはこれまでも拳法のデモンストレーションには慣れていたんだけれども、ラルビや僕が望んだのは、単なるデモンストレーションではないものだった。よりスペクタクルで、カンフーについてのみ見せるのではなく、禅や瞑想、祈り、食生活、学び、そういった僧侶たちの生活、文化すべてを見せられるようなものにしたいと考えたんだ。そこには例えば、少年僧が成長を遂げていくイニシエーションも含まれている。その意味では、僧侶たち一人一人に与えられている箱というのは、彼ら一人一人が持っているそれぞれの核を象徴するものととらえてもいいかもしれない。
少林寺との話し合いの中で一つ大きな問題として浮上したのは、僧侶たちにスーツを着せるということだった。あのシーンで僕たちは、僧侶たちもスピリチュアルな存在であるのみならず、社会に戻って生活したりもする、現代社会とつながっている存在であることを見せたかったんだ。結局僧侶たちにあまり長い時間スーツを着せないということで決着したよ。僧侶たちのカンフーの動きについては振付的に一切変えたりすることはなかった。我々が行なったのはただ、ムーヴメントの置かれた状況をあれこれ変えてみたり、いくつかのフレーズをリフレインさせてみたりといったことだ。ラルビも僕も、カンフーだからとか、コンテンポラリーだからとか、ヒップホップだからとか、そうやってダンスのジャンルに分け隔てするタイプじゃないからね。
この仕事を通じて僕自身、ダンサーとして変化を遂げたと感じることがある。ヨーロッパにおいてはまずは動きありきなんだ。それくらい動きとスピリチュアルなものとが分離されている。動きを獲得して、その後、スピリチュアルなものが必要だったら本を読むなりして獲得するしかない。それが、少林寺の僧侶たちとの関わりを通じて、僕の中で身体と精神とがつながってきた。そして今では自分自身のために踊るプロジェクトを優先するようになった。それはある意味啓示のようなものだったよ。
取材・文=藤本真由(舞台評論家)