浦井健治インタビュー「『ヘンリー四世』は、ある意味フェスティバルのようなもの。一緒に楽しんでほしい」
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浦井健治
2009年に『ヘンリー六世』三部作、そして2012年には『リチャード三世』に出演した浦井健治が、2016年11月、12月に『ヘンリー四世』に挑むこととなった。
イングランドの歴史を大きく動かした重要な人物を、シェイクスピアが人間味溢れる戯曲に描いた作品『ヘンリー四世』。壮大かつ重厚な作品にたびたび携わってきた浦井は、本作でハル王子(のちのヘンリー五世)を演じる。作品の魅力、さらには今、役者として体感していることなど、たっぷり伺ってきた。
■『ヘンリー四世』の魅力とは?
――本作に挑むことが決まったときに何を感じましたか?
お話をいただいたとき、運命のようなものを感じました。舞台『ヘンリー六世』では約9時間にわたる上演で、日々父親であるヘンリー五世の偉大さを感じていましたし、ついにその父親の若かりし頃を描いていくのだな、と。
自分でも初めての経験ですが、『リチャード三世』ではリッチモンド伯ヘンリー(のちのヘンリー七世)を演じさせていただいていることもあり、演劇ではありますが、まるで実体験のように自分の中に入ってくるんです。作品に関わる全ての方の意気込みと情熱を感じますし、新国立劇場のあの空間で上演されていることにも意味があると思います。
また、小田島(雄志)先生が翻訳された作品の中に自分の名前が演者として書かれているのを見て、その歴史の1ページに名前を刻ませていただけたことを光栄に思っています。様々な意味で「肌で感じること」が多い役ですね。
――『ヘンリー四世』という作品の特徴を教えていただけますか?
まず、『ヘンリー四世』の第一部と第二部では時代の流れが違っていて、言葉のチョイスや肌触り、ざらつきから違う感じがします。全体を通しては歴史劇ですが、創作劇の要素もある。シェイクスピアは「フォールスタッフ」という大人気キャラクターを描いていますが、あまりにも魅力的だったが故に、第二部では実在しない人物たちが次々と登場し、その人物たちとフォールスタッフを語り合わせることでフォールスタッフ自身の変化を表しているんです。
フォールスタッフ中心の喜劇的な部分とは別に、もう一つの軸である、ハル王子とフォールスタッフとの関係性の変化、ハル自身の変化も描かれています。作品全体の「流れ」という点では歴史や社会、当時の時代をナナメに斬りこむような攻撃的なところもあって。だから最後に「おや?」と思うところがハルには描かれている。人間的にものすごく魅力的な二人が、かたやハルは上り調子になり、かたやフォールスタッフは堕ちていくその交差が鮮烈に描かれているので、フォールスタッフとの決別が当然の事のように見えるんです。お客様としては「冷たいよ、ハル!」とせつなく感じるかもしれませんが、それを納得させるためにも第一部からハルとフォールスタッフの強い絆がしっかり描かれているんです。二人がどれだけ仲が良くて、ふざけ合ってジョークを飛ばして罵倒し合って…第一部では二人の関係性がすごく大事になってくるのかなと思います。
浦井健治
第一部では放蕩三昧だったハル王子が、第二部になると、とたんに正しい事をいうようになる。それが舞台『ヘンリー六世』のときに感じていたヘンリー五世の姿なんです。でもそれ以前にハル王子が何故こんな放蕩息子だったのか。もしかすると放蕩三昧の頃に市民やフォールスタッフから得た「学び」が彼の人間性を形成していて、実は意図的にそれをつかみにいっていたのか、あるいは父・ヘンリー四世に反抗しての言動だったのか…どんな解釈があったとしても魅力的と思うくらい、ハル王子とフォールスタッフが素敵だなってすごく思います。
そんな役を演じさせていただけるのは長ゼリフと共に とてもプレッシャーではありますが、でも、その長ゼリフにも一語一語、意味があると思うので大切に紡いでいきたいし、ある意味大胆にたゆたっていけたら、とも思います。
稽古期間も長いので役と向き合っていく贅沢な時間を過ごせていけたら素敵だなと思いますね。
――放蕩息子役を演じるにあたり、気を付けようと思っていることはありますか?
「品性をなくさない」こと。ハル王子は「ヤクザな道に行ってみようか」と言う一方で「盗人とかそういうことはやりたくない。家は出ないよ、残るんだ」とも言うんです。実はわかっているんですよね、自分は皇太子だってことを。かなりヒドイこともしているのに、それでもある一線は越していないんです。そういうところにヘンリー五世の面影があるなと感じます。フォールスタッフが持つ愛嬌と違って、ハル王子は品性を失わずに保っていかないと、最後に真逆の運命をたどるとき、自分でその本質がわからなくなるのかなと。ヘンリー六世もリッチモンドも、そしてハル王子もどこか同じものを持っていると思います。それを身体で感じていきたいです。
――浦井さんの中で、“鵜山組”はどのような存在なんですか?
『ヘンリー六世』の打ち上げのときに、この座組みから離れたくない、といって帰りたがらなかったキャスト・スタッフ。あの空気感が忘れられないです。その想いのうねりは今もずっと消えないし、公演中は台風の渦の目の真空のところにぽっかり自分がいるときがあって、それが心地よくて。どれだけ自分ができないのかと、打ちのめされることもあったけれど、とても貴重な経験でした。
この一連の企画の現場では押しつぶされそうになるほど、すごく怖いんです。でも役者って慣れたらそこでおしまい。変化する機会を与えていただいたからにはそこに対して向き合うしかない…それがいかに贅沢な時間なのかと感じています。
今回は「血筋」さえも作品の中で感じさせていただけるので、人生観が変わるかもしれないですね。特別な気持ちがします。
このシリーズの配役を見ていると、「『ヘンリー六世』のときこの人はこんな役だったけど、今回はこの役で…あれ、ちょっと何かがリンクしてない?」そう思える鵜山さんのスパイスがきいていることがあるんです。今回も戯曲を読んでいて「あ、似ている…同じ対立関係だ!」とか「前作と同じように策略を考えている人物だ!!人間って変わってないな!!」とか。同じ役者を配置することで、その流れさえもくみ取れる。戯曲の文字だけでもそれを感じることができますね。
■先輩たちとの共演による「学び」を次世代に繋ぐこと
――共演される方々とは本作について何か話をされていますか?
『あわれ彼女は娼婦』の稽古中に中嶋しゅうさんから「『ヘンリー四世』のハル役は大変だから…いつ本読みする?」と言われていて。本番直前とか本番終わったあとにも「本読み、いつにする?」ってずっとプレッシャーをかけてくるんです(笑)
しゅうさんは『阿国』の時からずっと憧れの存在で、特にしゅうさんから発せられる言葉の「説得力」が僕の目標の一つでもあります。以前、小川絵梨子さん演出の舞台でも話題になった事ですが、「どうすれば嘘がないお芝居ができるか」。もちろんお芝居自体は嘘の世界で現実とは違いますが、現実として理解できる言葉、説得力のある言葉を放つにはどうすればいいのか、と。そういった意味ではしゅうさんがいろいろと言ってくださること、そんな先輩がたくさんいることが嬉しいんです。逆に怖くもありますが(笑)
浦井健治
この作品の稽古場で先輩方にどれだけの事を言われるのか…まず目の前に岡本健一さんがいるのが怖い(笑) 大好きなんですよ。お芝居に熱くて、でも絶対どこか綺麗で爽やかなんです。憧れの存在ですけど、絶対ああはなれないんです。でも岡本さんが褒めてくださったときは涙が出るほど嬉しい。でもダメなときは「ここさぁ…嘘ついてなかった? 芝居」って図星をつかれる。的が定まっていない芝居をしていたんですよね。そういう時はすぐ見抜かれます。舞台袖に戻った時に言われるので、どれだけ俯瞰して芝居をしているんだと驚きました!そうなると「あそこ、もう一回やってみようか、よーい、はい(手を叩く)」そして、僕が芝居をして…本番中なんですけど、そんなやりとりを舞台袖でやっていたことがあります(笑)その後、次の公演では教えて頂いたことを考えながら演じていましたね。
――逆に浦井さんから他の出演者の演技について、話をするようなことはないんでしょうか?
自分の事で手いっぱいなのでないですね。でも自分は「中堅」と言われていて、特にミュージカルの世界では後輩もどんどん出てきています。だから言葉になってはいなくても自分の佇まいとか存在の仕方で示さなければならない時がくるんだろうな、と漠然と意識しています。ただ、海外に目を向けたら自分の年齢ってまだまだ若手ですよね。でも、どこが中堅でどこが若手かは自分で線引きしなければいけないと思っています。
教えは先輩方の背中でしか感じ取れない。自分が経験している事を経験してきた先輩たちが、その先でどういう変化を遂げてお客様や僕たちに見せているのか…そこが答えなのかなって。
同じ時代の中で先輩や後輩、同世代の仲間、演出家、スタッフの方々と演劇を作っていく上で、どういうタッグを組んでいくのか、その歯車、もしくはネジの一部にでも自分が存在できれば最高だな、と思います。その一方で、客観的にも見ることができる自分でもいたい。いい意味で宙ぶらりんでいたいです。こうじゃなきゃいけない、と思ったら役者は堅物になってしまうと思うので。
浦井健治
■『ヘンリー四世』本番に向けて
――さて、本作を待ち望んでいるお客様にメッセージをいただけますか?上演時間9時間の『ヘンリー六世』よりは短いとはいえ、やはり6時間の大作です。
肩肘はらず、「エコノミークラス症候群」にならないように楽しんでいただけたら(笑) お客様も体力が必要ですし、お尻の下に何を敷けばいいのか、何を食べるか、どこで水分を摂取するか、トイレはどの休憩時間でいくか…ある意味「フェスティバル」だと思うので、その中の時間すべてを楽しんでいただけたらと思います。きっと翌日にまで影響が残るような疲れもあるかもしれない。ただ、その心地よい疲れも体感としてずっと残るかもしれないので、そこで得られた何かをシェイクスピアのメッセージと共に感じながら一緒に楽しんでいただきたいです。
――ちょっと気が早い質問ですが、『ヘンリー四世』が終わったら、改めて『ヘンリー六世』をやり直してみたくなるとか、そういう気持ちになりそうな予感はありますか?
あの9時間の壁が(笑)…簡単にやるやらないとは言えないですね。でも自分の中で再演は(初演を)なぞらないように、というところから入るので、あのときの『ヘンリー六世』はもう記憶の中にしかいないんです。その記憶があまりにも鮮明ではありますが。
鵜山さんがとあるインタビューでおっしゃっていました。「ダメ出しを1万年後に向けてしている」と。僕なりの解釈ですけど、演劇って上演したその場ではいったん消えるけど、その瞬間とか、吐いた言葉やお客さんと一緒に存在したその空間は自分の細胞の中に納まって、遺伝子や血のようなもので、次の世代にどう語り継がれていくのか…演劇ってそういうことが可能なんじゃないか。鵜山さんはそうおっしゃっているのかな、と。
浦井健治
『ヘンリー四世』という戯曲を読むときに、当時の役者はどう思いながら演じていたんだろうと考えます。演者として感じるのは、シェイクスピアが人間好きで人間の脈々と流れている「何か」がこの戯曲の中にも流れていて、それは「演劇」の中にも流れていくのだろうと思います。
モノはいつか壊れたり消えてしまいますが、もしかしたら「演劇」の中で流れていくものはなくならないかもしれない…これは、僕が鵜山さんから学んだ事ですね。
■会場:新国立劇場 中劇場 (東京都)
■翻訳:小田島雄志
■演出:鵜山仁
■出演:浦井健治 岡本健一 ラサール石井 中嶋しゅう 佐藤B作 ほか
■公式サイト:http://www.nntt.jac.go.jp/special/henry4/