鴻上尚史の新作 KOKAMI@network『サバイバーズ・ギルト&シェイム』初日レポート
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KOKAMI@network vol.15 『サバイバーズ・ギルト&シェイム』
舞台名になっている『サバイバーズ・ギルト&シェイム』とは、戦争や災害、事故でかろうじて生き残った人が、死んでしまった人たちを思い、生きていることに罪悪感を感じてしまうこと。この舞台では、それを抱えた6人が登場し、悪戦苦闘しながら、日々を生きながらえている。そんな彼らが、とあるきっかけで集まり人生を見つめ直していくのだが……。彼らの辿り着く未来は? 今回は2016年11月11日に観劇した舞台初日の様子をレポートする(公演は東京・紀伊國屋ホールにて12月4日(日)まで上演)。
新宿は紀伊國屋書店4階、演劇人の誰もがここで公演を打つことに憧れる紀伊國屋ホールの入り口をくぐれば、新鮮な花の甘い匂いが鼻をくすぐった。今日が初日ですべてが初々しい。役者や劇団への花輪が数多く置かれた通称「花輪ホール」が、この舞台に寄せる期待の高さを感じさせた。会場に入ると慌ただしく行ったり来たりを繰り返す作・演出の鴻上尚史の微笑ましい姿が。それを横目に席に着くと耳について離れなかったのが開演前のSEだ。
会場に流れていた曲は、今をときめくアメリカの売れっ子R&Bシンガー、ブルーノ・マーズのシングル「24K Magic」。YouTubeで再生回数1億回を誇る鉄板のアゲアゲ曲。さらには、ジャスティン・ティンバーレイクの「CAN'T STOP THE FEELING!」。こちらも再生回数2億回を超える2016年を代表するヒット曲。まさに「今」を感じさせる選曲のセンスの良さ。この2つの曲はどちらも、アップ・テンポでポジティブに人生を生きていこうというハッピーな曲だ。そして開演直前にかかっていたのが、Opusの1985年のヒット曲「Live is Life」。この曲も「人生は辛いことがあるけれど頑張ろう」という意味の人生応援歌で、実はこの舞台の通奏低音になっているのだ。
この曲のコーラスがクライマックスに達した時、明転し舞台が開ける。そこに集まるのは演者6人。主演の明宏を演じる山本涼介。明宏の通う大学の映画サークルの仲間であるヒロイン夏希・南沢奈央。明宏の兄である義人を演じる伊礼彼方。その2人の母親である瞳子役の長野里美。瞳子と再婚し明宏と義人の父親になろうとする雄司役の大高洋夫。さらに明宏の上長にあたる榎戸役を演じる片桐仁。
舞台は厭戦気分が蔓延しているどこかの国と戦争が行われている最中の近現代。場所は日本のどこにでもある普通の町だ。そこへ、戦争で死に幽霊になってしまったと思い込んでいる明宏が実家の母を訪ね、「母さん帰ってきました」と言う。戦地の南部線戦では「夜桜隊」という特攻隊に所属し、その任務を果たしてしまったので、幽霊になって戻ってきたのだ、と。そして、戦地でも台本を書いているほど、自分のやり残した映画撮影をしたいから戻ってきたと心情を吐露するところから話が展開していく。
そこに集まるのは先の5人だが、みなそれぞれに罪悪感、「サバイバーズ・ギルト&シェイム」を感じている。夏希は、大学のサークルの部室が空襲に遭い、自分だけが遅刻して到着したせいで生き残ってしまったという罪悪感を。義人は心臓弁膜症という心臓の病気で戦地に赴けなかったという罪悪感を。雄司は災害の際に、自分だけが助かり、かつての家族を見殺しにしてしまったという罪悪感を。榎戸は明宏と同様に夜桜隊で、明宏と同じく死んでしまったというやり切れない思いを抱えている。ただ、榎戸と明宏は互いが死んでしまったと思い込んでいるのだが、舞台の終盤になると真実が明らかになり……。
KOKAMI@network vol.15 『サバイバーズ・ギルト&シェイム』
そんな彼らが意気投合し、明宏のために映画作りをする。どんな映画を撮影するかは本編をご覧いただければと思うが、これこそ“演劇”の中の“演劇”という誰もが知っている作品のパロディなのでお楽しみに。そんな彼らが作り上げていく映画。果たしてそれはどのような結末を迎えるのか?
映画撮影の合間に彼らのエピソードが会場を盛り上げていく。重要な要素は「笑い」だ。片桐仁のコメディアンとしての意地炸裂といったセリフやコミカルな動きには大きな笑いが起きる。彼は鴻上から「芝居はせりふが決まったアドリブだから」とアドバイスをもらったそうだが、まさにそれを地でいく、その場で思いついたかのような即興的なセリフ回しに思わず笑ってしまった。大高洋夫と伊礼彼方の漫才のような掛け合いも劇場を笑いに包み込む。確かに現代の重たいテーマを扱っているものの、観ていて飽きさせないほど、笑いの渦に巻き込まれてしまう。会場では常に笑いが起きるので目が離せない。
では、なぜ映画を撮影するのかというと、開演前に配られる鴻上のB4版の手書きのメッセージが書かれた「ごあいさつ」を読めば明らかになるだろう。自らが撮影した29歳の時の映画を引き合いに、それをもう一度リメイクしたいと述べる。その想いから、映画がこの舞台のモチーフになっているのだろうか。
ここに作者のサバイバーズ・ギルトといったものがあるのではないか。「人生を後悔しながら生きないようにしようと思っているのに、『初監督作品』を撮った時は違ってました。(中略)初めて口にしますが、初監督作品は、死ぬまでに絶対リメイクしたいとずっと思っているのです」
そんな鴻上の過去を取り戻したいという罪悪感に駆られた想い、そして役者の考える罪悪感が相まって作り上げていく喜劇なのだ。そのように“笑い”というエッセンスの中に、大きな重いテーマをセリフやダンスや殺陣で少しずつ挟み込んで舞台を重くしすぎない鴻上のセンスの良さには脱帽させられる。また、そこかしこにたゆたう「いたわり」と「優しさ」の表現が見事だった。
とくに素晴らしかったのは、明宏の映画づくりが頓挫しそうになったときの彼の葛藤やそれが晴れるシーンである。ここは舞台上で明宏のシーンと別のシーン、つまり2つの場面が同時進行するのだが、ふとしたきかっけで、瞳子と雄司が「愛を確かめ合う」ようにお茶漬けを食べる箇所がある。ピンスポットに当たる2人から漂うかすかに優しい家庭の匂い。これは小津安二郎の『お茶漬の味』(1952年)の仲の悪い夫婦がお茶漬けを通してお互いの大切さに気づくシーンと似ていて、なんだかほっこりする。一分たりとも隙がないジェットコースター的な展開だけではなく、どこかゆったりと流れる時間から鴻上の考える今の時代に必要な「優しさ」や「慈しみ」を感じてしまうのは筆者だけであろうか。
さらに外せないのが歌だ。これは「ハッピー歌声広場」というカラオケボックスで働いている義人が、戦地に行けない代わりに、歌を歌って兵士を応援している。この劇中歌を歌うのが、ミュージカル・スターでもある伊礼彼方だ。高音部から低域まで紀伊國屋ホールに鳴り響き絶品の一言であった。どんな歌を歌っていたのかは聴いてからのお楽しみとして、先にあげたSEで流れていたOPUSの歌を忘れないでいてほしい。「Live is Life」(生きることが人生だ)。
もっとも特筆すべきは、舞台初主演の山本涼介だろう。舞台稽古が始まった直後に行ったインタビューではフレッシュさと同時に恥ずかしさのようなものが残っていた。(http://spice.eplus.jp/articles/82070)
しかし、舞台が終わった時、そこには素晴らしい成長を遂げた明宏、つまり山本涼介がいた。身長が高く彫りの深い顔に浮かぶ笑みが弾けんばかりに輝いていた。この舞台はストーリーを追うだけでなく、彼の成長を観るだけでも価値がある。演技の成長、身体の成長、そういったちょっとしたところからこの舞台の魅力を感じることができる。きっと素晴らしい演出、素晴らしい仲間に支えられたからこそだろう。
他にも素晴らしいところはたくさんある。南沢奈央のシリアスな演技からコメディエンヌぶりまで演じる幅の広さには舌をまいたし、長野里美のバツイチのおばさんの佇まいはなんだか涙を誘うのに、それを笑いに変えてしまう秀逸な演技でベテラン役者の生き様を観ているような気がして胸を打たれた。
ストーリーも終盤になってくると鴻上の「ごあいさつ」がありありと脳裏に蘇ってくる。「演劇は常に、今を生きることです。一瞬と対話するメディアです」と。結末ではまさに「いま、ここ」でしか得られない奇跡を目撃することができる。
「“今を感じること”と“死を意識すること”は、ちゃんと生きるためには両方必要なことかもしれません」とも言っているように、“生き残ること”には何の罪もない。死から逃げる必要もない。大切なのは、劇中のセリフにあるように“生きるために移動”することなのだ。生きることは罪悪感を感じることではなく、希望を明日へ紡ぐ物語なのだ。それはカーテンコールの万感の拍手が語っていたように思う。多くの観客がそんな希望を感じたはずなのだから。
これから世界はますます厳しくなるかもしれない。そんな時代だからこそ、きっと帰りの「花輪ホール」で、花の匂いを味わいながら、あなたは今を生きていることを強く感じるはずだ。たとえ辛いことがあったとしても、この舞台を思い出せば喜びに変わる。そして明日も強く生きていける、そう実感させてくれた素晴らしい舞台だった。
鴻上尚史 南沢奈央 山本涼介 片桐仁
(取材・文:竹下力)
■場所:紀伊國屋ホール
■出演
山本涼介
南沢奈央
伊礼彼方
片桐仁
長野里美
■美術:松井るみ
■音楽:河野丈洋
■照明:中川隆一
■音響:原田耕児
■振付:川崎悦子
■公式サイト:http://www.thirdstage.com/