『ミイラ展』鑑賞レポート 古代エジプト、インカ帝国など世界中から43体のミイラが大集合!

レポート
アート
2019.11.12

画像を全て表示(15件)

東京・上野の国立科学博物館で『特別展 ミイラ ~「永遠の命」を求めて』が来年2月24日まで開催中だ。11月2日から始まった本展には、南米やエジプト、オセアニア、アジアなど世界各地から43体のミイラが集結。各地で興ったミイラの文化やその根底にある死生観だけでなく、最新の科学技術による分析などを交えてミイラの製造方法などにも迫る「史上最大級のミイラ展」となっている。ここでは展示会場の様子とともに本展の見どころを紹介。時空も海も超えた、世界中のミイラが伝えるストーリーに誘われてみよう。

人々に身近な存在だった「古代アンデスのミイラ」

ミイラとは「防腐処理が施されて乾燥した死体」のこと。その中には人工的に作られたものもあれば、特殊な自然環境によって作られたものもある。本展には世界各地から集められた43体のミイラが展示されている。ミイラは非常に壊れやすい代物で、運搬だけでなく温度や湿度の管理にも普段以上の慎重さが必要になる。それゆえにこれだけの数のミイラが一挙に集まるというのはとても贅沢な機会といえる。

ひと言に「ミイラ」といっても、作られた時期や作られ方は地域ごとに大きく異なる。さらに世界を俯瞰して見てみると、ミイラ作りの発生には地形や湿度など自然環境も大きく関わっていることがわかる。本展はエリアごとに分けた4章構成により、こうしたミイラの成り立ちや文化の発達を追っていく。

《カナリア諸島のミイラ》の展示風景  カナリア諸島(テネリフェ) 1250年-1350年頃 ゲッティンゲン大学人類学コレクション

《カナリア諸島のミイラ》の展示風景 カナリア諸島(テネリフェ) 1250年-1350年頃 ゲッティンゲン大学人類学コレクション

黒い空間に統一され静謐さを漂わせるエントランスを過ぎると、まずは第1章「南北アメリカのミイラ」の展示からスタート。まず最初に置かれているのは《チンチョーロ文化のミイラ》だ。

南北アメリカ大陸に人類が渡ったのは今から2万年前のこととされるが、自然が作ったミイラも人工的に作られたミイラも、現存最古のものはどちらもこの両大陸から見つかっている。アメリカ・ネバダ州のスピリット洞窟から発掘された約1万年前の自然ミイラが「世界最古のミイラ」であるのに対して、世界で最も古い人工ミイラは約7000年前に現在のチリ沿岸部で作られたチンチョーロ文化のものとされる。X線画像を駆使した映像とともに本展に展示されているのは、約5200年前の子供のミイラのレプリカだ。その向かいには、プレ・インカ期のミイラも展示されている。

手前/《下腹部を交差させた女性の手の中にあった2本の乳歯の復元模型(光硬化樹脂)》 奥/《下腹部を交差させた女性のミイラ》 ともに、ペルー中央海岸、先コロンブス期チャンカイ文化 1390年頃-1460年頃 ライス・エンゲルホルン博物館

手前/《下腹部を交差させた女性の手の中にあった2本の乳歯の復元模型(光硬化樹脂)》 奥/《下腹部を交差させた女性のミイラ》 ともに、ペルー中央海岸、先コロンブス期チャンカイ文化 1390年頃-1460年頃 ライス・エンゲルホルン博物館

南米、特に古代アンデス文明は古代エジプトと並ぶ「ミイラの双璧」といわれる。そして古代アンデスとミイラといえば、多くの人が頭の中でインカ帝国を思い浮かべることだろう。15世紀から16世紀前半にかけて繁栄を極めたインカ帝国では、歴代皇帝のミイラが生前と同様に崇められていたことがよく知られている。その一方、現在のエクアドルからチリに至る広大な国土の中は土地それぞれにミイラの風習があった。本展でワンコーナーを設けている《チャチャポヤのミイラ》もそのひとつだ。

左/《チャチャポヤのミイラ クエラップタイプのミイラ》 右/《チャチャポヤのミイラ 包みが裂かれたミイラ》 ともに、ペルー、レイメバンバ 先コロンブス期、チャチャポヤ=インカ文化 ペルー文化省・レイメバンバ博物館

左/《チャチャポヤのミイラ クエラップタイプのミイラ》 右/《チャチャポヤのミイラ 包みが裂かれたミイラ》 ともに、ペルー、レイメバンバ 先コロンブス期、チャチャポヤ=インカ文化 ペルー文化省・レイメバンバ博物館

1997年、ペルー北部・チャチャポヤス地方のコンドル湖周辺で200体以上見つかった《チャチャポヤのミイラ》は、全身が布やロープで包まれているのが特徴だ。これらはインカ帝国の支配が及ぶ以前からの文化を継いだものとされ、包みの頭部に顔の刺繍が施されたものもある。なかには盗掘者らの手によって包みが破かれ、身体の一部が露出したミイラもあるが、男性、女性、そして子供のミイラと中身はさまざま。性別、年代問わずにミイラが作られたことは、ミイラがいかに社会と密接に存在していたものかを今に伝える。とりわけ古代アンデスは文字を持たなかっただけに、ミイラから受け取れる情報はとても貴重となっている。

古代エジプト4000年の歴史に学ぶ「ミイラの作り方」

第2章のテーマは「古代エジプトのミイラ」だ。約5000年前に始まった古代エジプトのミイラ作りは4000年近く続いた。古代アンデスの人々がミイラを「地域社会の一部として崇拝した」のに対し、古代エジプトの人々はミイラを「死者と来世を繋ぐ必要不可欠な存在」としていた。ミイラ作りの文化が深く根付いていた両地域の間には、そうした明確な死生観の違いがあった。

《グレコ・ローマン時代の子どものミイラ》 エジプト 出土地不詳 グレコ・ローマン時代、紀元前38頃-後59年頃 レーマー・ペリツェウス博物館

《グレコ・ローマン時代の子どものミイラ》 エジプト 出土地不詳 グレコ・ローマン時代、紀元前38頃-後59年頃 レーマー・ペリツェウス博物館

本章ではミイラやその副葬品もさることながら、ミイラの製造方法に関する展示にも注目だ。4000年にも及ぶ歴史の中でミイラ作りの手法も進化してきたが、会場ではそのひとつの方法を映像とともに紹介している。

《中王国時代のミイラマスク》 エジプト 出土地不詳 中王国時代、第11王朝-第12王朝の始め頃、紀元前2010年-前1975年頃 レーマー・ペリツェウス博物館

《中王国時代のミイラマスク》 エジプト 出土地不詳 中王国時代、第11王朝-第12王朝の始め頃、紀元前2010年-前1975年頃 レーマー・ペリツェウス博物館

意思が宿るとされた心臓以外の内臓を死体から抽出し、腐敗せぬよう保管のために使った《カノポス壺》。そのほか、ミイラの語源となったとされる《瀝青(れきせい)》や、ミイラ作りに革新的な影響をもたらした《ナトロン》といった素材の現物も展示され、今より資源も技術も乏しかった時代にどうやってミイラを作ったのかという謎が解ける。また、サフラン、没薬といった香料も展示され、ミイラ職人がミイラの匂いにまで気を使っていたという意外な事実も面白い。

展示風景

展示風景

その一方で、古代エジプトでミイラになったのは人間だけではない。死者の副葬品として動物もミイラにされた。その一種として本展では、ネコ、ハヤブサ、トキのミイラを見ることができる。死者の食事、来世のペットなどを目的に、ヒヒやヘビ、ワニなど、それ以外にも様々な動物がミイラにされたという。古代エジプトでは動物と神には関係があり、動物のミイラにも何らかのメッセージがあったのではと考えられる。

《ネコのミイラ》 エジプト 出土地不詳 グレコ・ローマン時代、紀元前200年-前100年頃 レーマー・ペリツェウス博物館

《ネコのミイラ》 エジプト 出土地不詳 グレコ・ローマン時代、紀元前200年-前100年頃 レーマー・ペリツェウス博物館

神々の姿やヒエログリフが精巧に細工された棺や、死者に死後の世界を手引きする「死者の書」が書かれた包帯などは言うまでもなく必見。特に棺は内部まで細かく絵が描かれ、埋葬された人物の崇高さが伝わってくる。

手前/《若い男性のミイラ》 エジプト 出土地不詳 第3中間期、紀元前768-前681年頃 奥/《若い男性のミイラの棺(蓋と本体)》 エジプト テーベ(?) 第3中間期、紀元前950年頃

手前/《若い男性のミイラ》 エジプト 出土地不詳 第3中間期、紀元前768-前681年頃 奥/《若い男性のミイラの棺(蓋と本体)》 エジプト テーベ(?) 第3中間期、紀元前950年頃

本物の即身仏など「日本のミイラ」に息を飲む

第3章は「ヨーロッパのミイラ」の展示だ。南米やエジプトに比べて現存数は少ないが、ヨーロッパでも泥炭地の湿地帯などを中心に自然ミイラが見つかっている。

《ウェーリングメン》 オランダ ドレンテ州、ブールタング湿原 紀元前40年-後50年頃 ドレンテ博物館

《ウェーリングメン》 オランダ ドレンテ州、ブールタング湿原 紀元前40年-後50年頃 ドレンテ博物館

本展のメインイメージにも使われている皮膚だけのミイラ《ウェーリンゲメン》もそのひとつである。寄り添う2人のミイラは当初、男女のカップルといわれてきたが、新たな研究結果により、二人とも男性という説が有力になっているという。

彩色が施されたアンナの頭骨 オーストリア ハルシュタット 1800年-1900年頃 ゲッティンゲン大学人類学コレクション

彩色が施されたアンナの頭骨 オーストリア ハルシュタット 1800年-1900年頃 ゲッティンゲン大学人類学コレクション

休憩ゾーンを挟み、第4章は「オセアニアと東アジアのミイラ」の展示へと続く。死者の頭蓋骨に生前の顔に似た装飾を施した、パプアニューギニアの《肖像頭蓋骨》。中国のミイラの解説など本章も見どころが多いが、ここは日本のミイラに特に注目したい。

《肖像頭蓋骨》の展示風景

《肖像頭蓋骨》の展示風景

日本のミイラは自然ミイラが中心で、現在までに確認されているのは40体程度。そのうち4体をこの会場で見ることができる。2体並んで展示されているのは《江戸時代の兄弟ミイラ》。同じ部屋にもうひとつ置かれているのは《本草学者のミイラ》だ。

《江戸時代の兄弟ミイラ》 日本 江戸時代 国立科学博物館

《江戸時代の兄弟ミイラ》 日本 江戸時代 国立科学博物館

本草学とは現在の薬学に近い学問。1832年に亡くなったこの本草学者は、自分の学説を証明するため、自ら望んでミイラになったという。肌が赤いのは死の直前に柿の種を大量に摂取し、その種から出たタンニンによるもの。両膝を付いて座し、背中を丸めて俯く姿は何を伝えようとしているのか。ここまで様々なミイラを見てきたが、自分と同じ日本人がこうしてミイラになった姿を目の当たりにすると、自らの死生観までザクッと掘り起こされた気分になった。

《本草学者のミイラ》 日本 1832年頃 国立科学博物館

《本草学者のミイラ》 日本 1832年頃 国立科学博物館

そして全4章の最後には即身仏《弘智法印 宥貞》が展示されている。即身仏とは、仏僧が瞑想を続けたまま絶命した姿。即身仏は仏と同価値と信じられ、東北の出羽三山などには今も即身仏信仰が伝わる。今回展示されている《弘智法印 宥貞》は、もともと真言宗の高僧で普段は福島県淺川町の貫秀寺に安置されている。92歳で亡くなったというが、法衣を纏い、正面を見つめるその姿は、仏の領域に行き着いた人間の神々しさを感じさせる。

《弘智法印 宥貞》 日本 福島県 1663年頃 小貫即身仏保存会

《弘智法印 宥貞》 日本 福島県 1663年頃 小貫即身仏保存会

なお、本展はミニオンなどとコラボした限定グッズも充実。また、ツタンカーメンなどに変身できる「ミイラマスクチェンジャー」は、間違いなく家族や友人との面白ネタに使える完成度の高さなので、ぜひ思い出にチャレンジしてみてほしい。

『特別展 ミイラ ~「永遠の命」を求めて』は、来年2月24日まで東京・上野の国立科学博物館で開催中。

イベント情報

特別展 ミイラ ~「永遠の命」を求めて
会期:2019年11月2日(土)~2020年2月24日(月・休)
会場
国立科学博物館(東京・上野公園)
開館時間:9:00~17:00(金曜・土曜は20:00まで)
 ※入場は各閉館時刻の30分前まで 
休館日
月曜日(月曜日が祝日の場合は火曜日)および12月28日(土)〜1月1日(水・祝) 
 ※ただし2月17日(月)は開館
 ※開館時間や休館日等は変更になる場合があります。公式サイト等でご 確認ください。
入場料(税込):一般・大学生 1,700 円、小・中・高校生 600 円
シェア / 保存先を選択