21世紀のプリマ・安藤赴美子が歌い演じる蝶々夫人
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安藤赴美子(ソプラノ)
今をきらめくソプラノ歌手・安藤赴美子が魅せる“蝶々夫人”の姿 “サンデー・ブランチ・クラシック” 2017.1.15ライブレポート
2006年に二期会公演『ラ・ボエーム』ムゼッタ役で本格的なデビューをしてからというもの、いまや間違いなく日本を代表するプリマとしての存在感が増す安藤赴美子(あんどうふみこ)。オペラはもちろんのことコンサートでも、これまでにマズア、スクロヴァチェフスキ、ムーティといった大指揮者と共演を重ねているソプラノ歌手だ。
安藤は2月2日に新国立劇場で開幕するジャコモ・プッチーニ(1858-1924)のオペラ『蝶々夫人』において、タイトルロールである蝶々さんを演じる。日本人プリマドンナにとって、日本人女性を題材にしたこの役は特別なものであるのは言うまでもない。日本人としてはじめて世界的な成功をおさめたソプラノ・三浦環(みうらたまき)(1884-1946)以来というもの、数々の日本人ソプラノが世界の檜舞台へと進むために足がかりとしてきた役であるからだ。新国立劇場の『蝶々夫人』開幕に先立ち、いま最も注目されているプリマドンナが『サンデー・ブランチ・クラシック』に出演した。大ホールで通用するようなスケールの大きな歌唱を、カフェで聴けること自体がなかなかなく、開演前から期待に胸が高鳴るばかりである。
安藤赴美子(ソプラノ)
時間になると、きらびやかな衣装とともに安藤とピアニスト・木下志寿子が登場。まず最初に、ルイージ・アルディーティ(1822-1903)によるイタリア語の歌曲「口づけ Il bacio」が歌われた。この曲は、オペラ・声楽ファン以外にとって知名度は高くないかもしれないが、ジョーン・サザーランドといった往年の名ソプラノから、現在世界の第一線で活躍するアンナ・ネトレプコまで、古今東西のプリマがレパートリーにしてきた親しみやすい歌曲である。新春ということもあり安藤は「楽しく新春らしいワルツを」という思いで選曲したとのこと。
プリマドンナの試金石ともいえるこの曲は、演奏効果を上げるために色々と音符を付け足したりすることも珍しくないのだが、安藤はどこまでも正攻法の歌唱で聴かせる。間奏部分では安藤が後ろを振り向くと、ドレスからぱっくりとあいた背中の部分が露わに。演奏後に「あなたが来てくれないと寂しいわと、口づけを待っているような、なかなか恋しい女性の内容を歌った曲」とこの曲を紹介したことも鑑みれば、音楽に関係ないと思ってしまいそうなこうした動きも安藤にとっては表現のひとつなのだろう。歌だけでなく、その仕草も含めて聴衆を一瞬にして魅了してしまうことからも、安藤がプリマドンナとしての素質を兼ね備えていることは明らかだ。
衣裳にも“魅せる”工夫が
しかし、演奏後のトークに移り変わると「今日は渋谷までお越しいただきまして、誠に有難うございます。30分ですけれども、どうぞお楽しみいただいて、お食事とともに音楽を味わっていただければと思っております」と魔性的な魅力からは一変。ゆっくりと柔らかな語り口でお客様へ話しかけていく。「喋りながら歌うのはなかなか大変なんです……(笑)」と息を切らせながらも、にこやかな表情で聴衆に語りかける様子からは、決してオペラ歌手が別世界の生活をしているわけではなく、オペラ自体も敷居が高いわけではないことを感じさせてくれた。
続いて次の演奏にはいる前に、安藤自身から『蝶々夫人』についての案内がなされた。「わたくしは蝶々夫人を二度ほど、海外と国内と歌わせていただいているんですけども、毎回大変な役だなとつくづく思っております」と述べ、安藤ほどの気力体力ともに充分の若いプリマで、既に何度も本番を踏んでいる演目・役柄であっても苦労の多い役柄であることがしのばれた。定番の演目で、上演機会も多いことから勘違いしそうになるが、やはり歌手にかなり負担のかかる役なのである。
安藤赴美子(ソプラノ)、木下志寿子(ピアノ)
続けて、安藤は「とにかく音楽が美しく、そしてオペラの全体のなかの音楽に、日本の旋律がいくつか出てくるんですね。それを聴くだけで、あ、ここは日本だなって、すぐに分かるような、皆さんよくよくご存知の旋律がいくつか出てきます」と述べ、ピアニストの木下と共に、どんな旋律がどんな場面で登場するのかを丁寧に解説していく。この日紹介されたのは6つの旋律だ。
①蝶々さんの一行が到着したという報せが届くシーンで演奏される〈越後獅子〉
②お役人や神官、親族の到着したところで流れる〈君が代〉
③蝶々さんが花婿のピンカートンに嫁入り道具をみせるところで流れる〈さくらさくら〉
④結婚式が終わり、蝶々さんが「私はもうピンカートン夫人なの」と歌うところで流れる〈お江戸日本橋〉
⑤ピンカートンを一途に待っている蝶々さんにプロポーズをするヤマドリの登場シーンで流れる〈宮さん宮さん〉
⑥ピンカートンにアメリカ人の奥さんがいたことが分かり、絶望して自害するところでも流れる〈推量節〉
こうして、ひとつひとつ演奏を伴いながら丁寧に説明されていくと、オペラに馴染みのない人であっても『蝶々夫人』がいかに日本人にとっては親しみやすい音楽に溢れているのか、こうした引用されている具体的な楽曲を知らずとも日本的な旋律線に耳を奪われてしまうのかを身をもって体験できた。
『蝶々夫人』
加えて安藤は「蝶々さんがヤマドリと結婚したら良かったのにって、現代女性としては思うんですけれども(笑)」と嘘偽りない正直な告白で、おそらくはオペラに馴染みのない人ほど感じてしまう素朴なツッコミどころを指摘し、会場から笑いをさそいながらも「わたくしだったら、もしかするとヤマドリの方に傾くかもしれません。でも、そこが蝶々さんのキャラクターというか、芯の強いところで、何があっても貫こうとするんですね。どうして蝶々さんはこんなに強いのかなっていつも思うんですけれど、やはり現代の女性には分からない、社会だとか限られた中での生活というのを考えますと『私は黙って待つわ』と、堅く信じる方に傾くのかなと思うんです。それ以上に彼女は武士の娘ということで、自分の父親も刀で自害をするような、かなり強い女性であるということから、きっとこの悲劇をうむことになるんだと最近つくづく感じます」と、蝶々さんが何故最期に死を選ばなければならなかったのか、その心情を強い想像力をもって代弁していく。
さらに安藤は、そうした蝶々さんの心情を表現する手段として「歌舞伎役者の方に教えていただいたんですけども、刺したあとに血の気がひいたのを見せて、それからまた意識が戻って、ピンカートンが見えて『はあっ』っていう演技をしなさいと言われたんです。それをちょっと見せるだけでも、蝶々さんがただ『ブスッ……、ドバン』と死ぬよりは、ずっとドラマがみえるんですって。蝶々さんがいま、死のうとしている、意識がなくなってきている、でも最後の力を振り絞って彼を見たいっていう意思が感じられる」のだと、普段は聞けぬような裏話まで披露してくれた。さながら、単なるランチタイムコンサートではなく、新国立劇場で開催されている「オペラトーク」の出張版といった趣で聞き入ってしまった。
安藤赴美子(ソプラノ)
詳しくレクチャーを受け、誰もが実際に『蝶々夫人』の演奏を聴いてみたくなったであろうこのタイミングで、いよいよ余りにも有名なアリア「ある晴れた日に」が満を持して歌われたのだが、ここでも工夫がなされていた。演奏をアリア冒頭からではなく、蝶々さんがピンカートンからかけられた甘い言葉を思い出すシーンからはじめたのだ。その後、蝶々さんが「彼が帰ってくるんだわ」と気ぜわしくなるところから安藤も歌いだし、アリアの有名な歌い出しである<ある晴れた日に、私たちは見るのよ>に到達する頃には既に、観客がオペラの世界観に包み込まれていた。大げさではなく、カフェで歌っているのにもかかわらず、まるで大舞台で歌っているかのように見えてくるから不思議である。これぞ正真正銘のプリマの証であろう。
その後も、アリアを単なる美しい音楽ではなく、あくまでもオペラの一場面として歌い演ずる安藤の力にただただ圧倒されるばかりだ。一例を挙げれば「見える? あの方が来るでしょ!」という歌詞を、ややヒステリックに歌うことで、どれほど蝶々さんの胸のうちが今にも張り裂けんばかりの状態であるのかを、どれほどリアルに感じさせてくれたことか! 演奏したのはわずか2曲であったのだが「ある晴れた日に」の圧倒的な歌唱表現を聴いてしまうと、もう“お腹いっぱい”である。
終演後にサイン会も
インタビューに答える安藤
終演後のインタビューでは「日本人のソプラノとして蝶々さんを歌うということはかなり特別なこと。一部の作品を除けば、他のオペラでは日本人じゃない人を演じるわけですけど、蝶々夫人は完全に日本人の女性のストーリーということで、捉え方も他のものと違います。感じ方も日本の旋律がちょっとずつ現れたりするので、こちらもより日本の舞台というのを意識しながら歌いますし、私たち現代人にとっては着物を着たり、日本の所作をしたりするというのはあまり近しいものではないですよね。日本舞踊をやったりとか、ひとつひとつ日本の美しさというものを表現できたらいいなと思っています」と静かな意気込みを語ってくれた安藤。
こうしたコメントからも謙虚な人柄が透けてみえてくる。慎ましくも強い芯をもった日本人女性をどう演じてくれるのか……、オペラの開幕まではあとわずかだ。
取材・文=小室敬幸 撮影=早川達也
国立音楽大学卒業、同大学大学院修了。新国立劇場オペラ研修所第3期修了。文化庁在外研修員、ローム・ミュージック・ファンデーション在外研修生としてイタリアに留学。これまでに二期会『ラ・ボエーム』ムゼッタ、『椿姫』ヴィオレッタ、『ドン・カルロ』エリザベッタをはじめ、びわ湖ホール・神奈川県民ホール共同制作オペラ『椿姫』ヴィオレッタ、『タンホイザー』エリーザベト、韓国セジョン文化会館大劇場とあいちトリエンナーレ『蝶々夫人』タイトルロールなどへの出演で注目を集める。コンサートの分野でも活躍し、クルト・マズア、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ、リッカルド・ムーティなどの指揮者と共演している。新国立劇場では小劇場オペラ『イタリアのモーツァルト』シーファレ/チェチーリオ、平成22年度高校生のためのオペラ鑑賞教室『カルメン』ミカエラ、平成24年度同鑑賞教室『ラ・ボエーム』ムゼッタ、『ルサルカ』第一の森の精、『魔笛』侍女Ⅰ、『ナブッコ』アンナなどに出演している。
【日時】2017年2月2日(木)19:00/5日(日)14:00/8日(水)14:00/11日(土・祝)14:00
【会場】新国立劇場 オペラパレス
【指揮】フィリップ・オーギャン
【演出】栗山民也
【出演】安藤赴美子/リッカルド・マッシ/甲斐栄次郎/山下牧子/松浦健/島村武男/大森いちえい/吉川健一/佐藤路子
【合唱指揮】三澤洋史
【合唱】新国立劇場合唱団
【管弦楽】東京交響楽団
竹山愛/フルート
13:00~13:30
MUSIC CHARGE:500円
布谷史人/マリンバ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE:500円
3月5日
海瀬京子/ピアノ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE:500円
3月19日
松田理奈/ヴァイオリン&中野翔太/ピアノ
13:00~13:30
MUSIC CHARGE:500円
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