永井愛にインタビュー~二兎社公演『ザ・空気』
撮影/西村淳
二兎社『ザ・空気』が、東京芸術劇場シアターイーストで上演中だ。報道現場を通して、日本の「今」を描く永井愛の新作である。この舞台は埼玉、三重、愛知、長野、山形、宮城、岩手、兵庫、滋賀でも巡演する。作・演出の永井愛に話を聞いた。
社会的な問題を取りあげるきっかけ
──世の中がこんなふうじゃなかったら、永井さんはこういうテーマの戯曲を書かなかったと思うんです。
そうでしょうね。こんなの書く必要がないですよね。
──もっと楽しいお芝居をお書きになっていたんじゃないか。ここ数年、一昨年の『鷗外の怪談』は、政界の黒幕である山縣有朋に、鷗外は官僚としてどのように抵抗したか。もっと前の『歌わせたい男たち』では、教育委員会と現場の教員の両方から突きあげられる校長先生の悲哀を描かれましたが、新作の『ザ・空気』はテレビが舞台。
発想のきっかけになったのは、高市総務大臣の有名な電波停止発言……。
──昨年2月8日、総務大臣による「放送局が政治的な公平性を欠く放送を繰り返したと判断した場合、電波停止を命じる可能性もある」という発言。根拠となるのが、放送法第4条と電波法第76条ということですね。
放送法はそもそも戦後、放送を国家権力の干渉から守り、表現の自由を担保するために生まれました。その第4条は、放送事業者たちの努力目標、倫理規定だと解釈すべきもので、それを根拠に電波を停止するのは、とんでもない発言だと話題になったけど、肝心のテレビニュースはこの発言に対して、あまり批判的に取り上げなかった。むしろ、スルーしたという印象ですね。その理由として、「全く気にしていない」「慎重にやれというリアクションすらない」という放送人もいるけれど、これ以後、情報系の選挙関連番組はものすごく減りましたよね。政府の出した法案に、賛成か反対かを聞く街頭インタビューでも、反対が多いと数合わせのために、賛成意見を求めて走り回るようになったという現場の声がある。「政治的公平性」でクレームをつけられたくないというのが本音でしょう。でも、総務大臣(政府)というひとつの政治的立場によって、「政治的公平性」を判断されることのおかしさについて、報道現場はもっと批判すべきだと思う。個々にはそう発言しているジャーナリストもいるけれど、放送局としてのまとまった意見表明には至っていないというのが現状だと思うんですね。
国境なき記者団が発表した、世界報道の自由度ランキングもショックでしたね。日本は世界180カ国・地域のうち第72位ということで……。
──毎年、急激に順位を落としています。
第二次安倍政権になってからの転落が著しい。それから、「意見及び表現の自由」の調査を担当する国連の特別報告者、デヴィッド・ケイという人が、日本のジャーナリストに話を聞いたところ、その多くが匿名を条件に「有力政治家からの間接的な圧力によって、仕事から外され、沈黙を強いられた」と訴えた。ケイ氏は「日本の報道の独立性は重大な脅威に直面している」と結論づけましたよね。
──デヴィッド・ケイは、一昨年、調査に来日しようとしたんですが、そのときは政府が迎える準備が整ってないという理由で、断ったんですよね。
そうそう。来させなかった。
──で、受け入れる準備期間をおいたにもかかわらず、そのような結果が発表された。
報道現場への圧力について、まったく知らないわけではなかったけれど、「72位」とか、「独立性の重大な脅威に直面」って言われると、ちょっとショックでしたね。そこまでになっているのかと。この種のことを「嫌だけど、ありがちなこと」として、許容していた自分の姿まで見えた。この報道によって、新たな視点がもたらされたからです。
わたしたちは主権者として政府を選ぶ立場ですよね。でも、報道が国民の側に立って必要な事実を伝えないと、正しい選択肢が得られない。国民は主体的に考えるきっかけを失い、バカになっていくかもしれない。
二兎社公演『ザ・空気』左から、若村麻由美、田中哲司。 撮影/本間伸彦
テレビが持つ強大な影響力
──永井さんは、テレビというメディアに対しても、期待を抱いていらっしゃいますか。かつて、テレビは、一億総白痴化とか、エロ・グロ・ナンセンスと言われた時代もあったけど……。
テレビはたしかに低俗なものも多いけど、やはり影響力が強いですね。日本では、テレビに出てる人=有名人じゃないですか。演劇界だって、テレビに出ている人を出さないとお客が来てくれないという現実的な問題があります。テレビに出ていることが、人々に必要とされている証ということになっているから。
──たしかに舞台の場合には、テレビに出てる俳優の出演が、劇場に来るきっかけになることもありますね。
そういう意味で、テレビが流すものは、すごく人に影響する。バラエティひとつとってみても、たとえば、お笑い系の人たちが醸しだす保守性……女は家で料理を作るのが当たり前とか、女子力があるとかないとか、そういう価値観を垂れ流している。
──お笑いの世界は、少しまえの文化のコードのなかで成り立っている。
それに、先輩後輩という関係性が古くさい。でも、ニュースやドキュメンタリーには、いいものがありますね。新聞を読む人が減っている今、テレビのニュースには、これまで以上に重大な役割が出てきたなと。
テレビのニュースは映像つきでわかりやすい分、どういう角度で、何を報道するかによって、世論を支配するくらいの力を持つじゃないですか。だから、そこに特定のバイアスがかかることはよくないんだけど、政府寄りの意見ばかりを流したとしても、総務大臣は「政治的公平性に欠ける」とクレームをつけてきたりしませんよ。「特定秘密保護法はやばいんじゃないか」とか、「安保法案は憲法違反じゃないか」とか、「緊急事態条項ができたら怖ろしい」とか、「テロ等準備罪(共謀罪)は現代の治安維持法だ」などの見解を放送し続けたときには、「政治的公平性に問題がある」と言ってくるでしょうけど。こういう報道ができなくなるのは本当に怖い。
でも、演劇は「こういうことがあるけど、いいのか」と、私個人の意見を訴える場だけにしてしまったらつまらない。こういうシチュエーションのなかで人間が生きるとどうなるのかを見せるのが演劇だと思うから。で、あなたはどう思いますかと問いかける。『ザ・空気』も、もし報道の現場でこういうことが起きているとしたら、あなたはどう思いますかという話なんですよね。
──舞台を拝見して、社会的な問題を取りあげてはいるものの、意見の押しつけにならず、そこを生きる人々を丁寧に描くことで問題提起をなさっている感じはします。
人間が描けてないと、社会的なテーマ性のあるものほどつまらなくなっちゃいますよね。
──今回はいろんな政治的な立場といいますか、問題に対するアプローチはそれぞれちがうんですけれども、同時にちょっと恋愛関係も、まぶしてあるというか……。
微妙なね。元恋人同士であった男女の、言ってみれば、もうひとつ先の……言葉は古いけど「同志的恋愛」というか「友情」というかね、なんか本当の意味での強固な愛情関係みたいなものも描きたいなと。
──それはいいですね。『ザ・空気』に登場する編集長とキャスターのふたりは、そのように展開していくんですね。
まあ、ある種の信頼関係が、恋愛以上に男女を結びつける場合もあるだろうなと思うんですね。
二兎社公演『ザ・空気』のチラシ。 撮影/西村淳
『ザ・空気』というタイトルはどこからきたか。
──ずっと気になってるのが、『ザ・空気』というタイトルなんですけど……。
少し前に、フランスの作家、ミシェル・ウエルベックが書いた『服従』という小説が話題になったじゃないですか。それを読んで、フランスの政治事情はそんなに知らなかったんだけど、ぐいぐい引き込まれた。
──フランスの大統領にムスリム(イスラム教徒)が選出される話ですよね。
そうそう。ムスリムの穏健派で、リベラルな大統領だと思っていたのに、いつのまにかフランス全体がムスリムになっていく。あれも空気ですよね。すごく面白いと思った。
──近未来のフィクションとして書かれてましたけど……。
でも、とってもリアル。『服従』は、それ自体がインパクトのある題ではないけれど、読み終わると「服従」が何を意味したのかが、怖い形で甦ってくる。そういうのがいいなと思って、最初は『ザ・戦略』という題にしようと思った。「戦略」もタイトルとしてはそう印象的ではないけれど、芝居を観終ったあと、劇中に出てくる「戦略」という言葉が別の強度で甦ってくれるかなと。でも、チラシの入稿がいよいよという段階になって、『ザ・空気』に変えた。内容的にそのものズバリですから。でも、二兎社らしくない題かなと心配で……。
──「空気」の方がいい感じです。そして、「空気」と言われると、すぐに思い浮かぶのが、山本七平さんの『「空気」の研究』。太平洋戦争末期、海軍のエリートを集めて開かれた会議で、戦艦大和が片道の燃料しか積まないで沖縄戦に出撃することを決めたとき、誰もがどうなるか、わかっていた。わかっていたのに、止めることができず、出撃の決定がくだされたのは、なぜなのか。会議の出席者は海軍のエリートで、知的に判断できる人たちなのに、結論としては突撃命令が出てしまう。つまり、知識や判断力を凌駕するものとして、その場の「空気」の存在が日本人にはあり、それに抗えないで、そのような結論を下したのではないかというのが、この本の骨子です。
「反対できる空気じゃなかった」という言いかたをするけれど、本当に「空気」かというと、そうじゃない。その正体をはっきり言いたくないから、「空気」と言ってるんであって、空気の実体は、外部、内部の圧力と、それを怖れる自分の心だと思うんです。そこから自分自身を守ろうとするのが、「空気を読む」という行為ですよね。
二兎社公演『ザ・空気』左から、木場勝己、田中哲司。 撮影/本間伸彦
「空気」の正体
──その空気の呪縛から逃れるには、どうしたらいいでしょうか。
日本のメディアの構造については、深く考えたことがなかったんですが、今回、いろいろ調べて、日本のメディアで「自己規制」が起きやすい原因が、海外でも研究されていることを知りました。その一つは、政界とのもたれ合いを生みやすい、日本の記者クラブ制度。さらには、「編集権」の問題があります。記事を書いたり、ニュース番組の編集をするのは、現場の記者や制作者ですが、日本では最終的な編集権は、記事や番組の法的な責任を担う経営者の側にあるんですね。
もちろん、現場では番組の編集について、「これでいいですか」なんて、いちいち経営者に聞いたりしない。でも、経営者が、この番組は政権の機嫌を損ねる可能性があると介入してきた場合、現場の意志に反して変更することが、日本ではできてしまう。
欧米では、メディアが政治権力から圧力を受けたり、メディア内部の圧力で自己規制が起きないように、様々な方法が模索されてきました。たとえばドイツでは、ジャーナリストの長年の運動によって、「記者の良心を守る条項」「番組改変理由などの開示」「人事の拒否権」などを経営者に認めさせる「編集者綱領」ができた。「メディアが公衆のために果たす役割は、ジャーナリストの力によってこそ実現される」という考えが根本にあるからです。
でも、日本では、そういうことがあまり問題にされずにきた。だから、現場スタッフが経営者と対立した場合、自分のポリシーを守る手段が実はない。突っぱり続けたら、業務命令違反になるだけで……。
──基本的には、プレスリリースをそのまま書いてくれる記者が、政権にとっては、いちばんありがたい記者なんですよ。
日本では、記事の90パーセントが政府や官公庁の発表に拠るもので、調査報道は極端に少ないと言われています。調査報道なんかして、政権の意向にふれるようなことをやったら、睨まれて、記者会見では指してもらえなくなったり……。
──たぶん、いきなり指してもらえなくなりますよ。
日本の報道が「発表ジャーナリズム」って海外で言われてると聞くと、がっかりしてしまうけど……。
──記者は自分の足で、出来事や真実を見つけて、それを報道するのが記者ですからね。
そういうことをできにくくしているのが、メディアに対する外部からの圧力、それを怖れるメディアトップからの現場への圧力。さらには、そういうものに逆らったらどうなるかという恐怖。それを過剰に膨らませることは、いくらでも可能。だから、本来は闘える問題であっても、闘えない空気を作ってしまうのは、そういう恐怖ですよね。恐怖が作ったものが、たぶん「空気」なんだと思います。
作・演出の永井愛さん。 撮影/本間伸彦
劇作家が示すことができるもの
──今回の舞台『ザ・空気』では、恐怖が作りだした「空気」を打ち破ることはできるんでしょうか。
そんなこと、わたしにはできないですね。
──これまでの永井さんの作品を見ていると、「空気」に対抗できることのひとつは、笑いかなと思います。笑いのめすことで、恐怖を打ち破り、「空気」に流されることから逃れられるかもしれない。『となりのトトロ』のおんぼろお風呂で、怖くなったとき、みんなでガハハと笑っちゃったみたいに……
わたしには、解決方法なんか示せない。でも、芝居にすることで、何らかの構造を示すことはできるかもしれない。構造がわからないから、わたしたちは支配される。その構造に芝居がリアリティーをもって迫れたら、自分の置かれている世界が見渡せる。日本にだって、抗うジャーナリストはいるけれど、おおかたは抗えない。逃げては戻ってきて、また逃げて、また戻ってきての繰り返しでしょう。でも、わたしはそれが希望だと思う。そういう人間ドラマに焦点を当てていくのが、自分の果たす役割かなと思って。
──最後に、お客さんにひと言お願いします。
まず、役者さんたちの渾身の演技が奏でる人間模様を見ていただきたい。そして、この舞台をわたしたち自身に直結する問題として、スリルを味わいつつ楽しんでいただけたら、うれしいなと思います。
取材・文/野中広樹
■作・演出:永井愛
■日時:2017年1月20日(金)~2月12日(日)
■会場:東京芸術劇場シアターイースト
■出演:田中哲司、若村麻由美、木場勝己、江口のりこ、大窪人衛
■公式サイト:http://www.nitosha.net/kuuki/
ほか、埼玉/三重/愛知/長野/山形/宮城/岩手/兵庫/滋賀(詳細公式)サイト