パスカル・ロジェはフランス音楽を通じて人生の喜びを表現する~浜離宮朝日ホール「ロジェ×束芋」に向けて
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パスカル・ロジェ(©Nick Granito)、束芋
フランスの実力派ピアニスト、パスカル・ロジェは、色彩感に満ちた多種多様な響きを備えたピアニストである。ロジェのピアノは、その色合いがフランス絵画特有の繊細な色使い、淡い光、さまざまな色の微妙な融合を音で表現しているように感じられる。
しかし、もやもやした曖昧さや濁りはいっさいなく、響きは非常に明晰で透明感にあふれている。さらに、ロジェの演奏には詩的で文学的な香りが満ちている。どこからか、美しく上質でエレガントな詩が聴こえてくるのである。彼はアポリネールやコクトー、ランボー、プルーストなどの詩や小説をこよなく愛しているが、その指から紡ぎ出される音色もそれ自体が詩の朗読のトーンをもっている。
レパートリーを見ると、フランス作品ばかりではなく、ブラームスをはじめ、リスト、バルトークなど幅広い作品を演奏していることが特徴である。ただし、近年は自国の作品を弾くことに集中し、ステージでもレコーディングでもフランス作品を積極的に取り上げ、作品に潜むウイット、ユーモア、エスプリなどの表情を独自の奏法で編み出す。
「長い間、私は自分への問いかけをしてきました。私はフランス第一主義ではなく、世界各地に目を向け、自然や言語や食事を楽しみ、風俗習慣に従い、歴史や伝統を重んじてきました。そのなかで自分を見つめ、本当に弾きたいものを探し当てたのです。音楽家として人間としてのアイデンティティの問題かもしれませんね。フランス音楽を弾くと、人生の喜びが味わえる、それを聴衆と分かち合いたいと思うようになったのです」
ドビュッシー「亜麻色の髪の乙女」映像より ©Tabaimo_courtesy_of_IMO_studio
若いころには本当に幅広い作品を演奏していた。レパートリーを限定せず、さまざまな作品で自己を表現していたのである。
「あるとき、ふと気づいたのです。自分がもっとも弾きたい作品は何なのか、もっとも表現しやすいジャンルは何なのだろうかと。これが自分への問いかけの始まりでした。そしてフランス作品に行き着いたというわけです。もちろん、長い年月がかかりましたよ」
ロジェは世界各地を演奏旅行で回るなかで、より目が開かれ、オープンな精神が養われ、キャリアを積むごとにインターナショナルな考えをもつようになった。そして各地の風土、文化、環境、食事、自然、人々の気質までをも自分のなかに取り入れ、人間としてより成長していく。
「私は演奏旅行である土地を訪れると、必ずその土地のことばを少しでもいいから覚えるようにし、地元の食べ物を食べ、人々との交流を楽しみます。それを重ねていくうちに、自己の内面を見つめ直すことができ、自分の本当が目指したいこと、弾きたい作品、進むべき道が見えてきたのです。そして、フランス作品がもっとも自分に合っているとわかったわけです。長い年月を要しましたが、いまようやくフランス作品を心の底から愛し、奏でることができるようになりました。フランス作品を弾いていると、楽しくて仕方がないのです。この年になって、ようやくアイデンティティを確立したといってもいいかもしれません(笑)」
ドビュッシー「そして月は荒れた寺院に落ちる」映像より ©Tabaimo_courtesy_of_IMO_studio
いま、ロジェの演奏は自信に満ちている。サティに関しても、情感豊かで雄弁な音の世界を繰り広げている。ロジェの奏でるサティは、各々の作品ごとに表現を微妙に変え、語り口に変化をもたせ、ペダルに工夫を凝らす。
ロジェの演奏は、昔からこのペダリングに特徴があった。ペダルと微妙な指のタッチが作品のもつストーリー性をクリアに表現しているのである。ロジェが大好きだというモネの「ルーアン大聖堂」の絵が全体的に淡い色彩を備え、光もけっして強くないものの、輪郭がはっきり描かれているように、ロジェのピアノも明快で凛とした響きに貫かれている。
さらに、全編からロジェの語りが聴こえてくるような気がするのである。彼がサティの作品から読み取った感情というものを、ピアノの音を媒介として聴き手に伝えているように…。そこにはピアノの音というよりも、人間の声が存在している。
「多くのフランス音楽は、このようにラインは明確に表現されなくてはなりません。そこに繊細さと特有の色彩を加えていかなくてはならない。これがもっとも難しいところでしょうね」
ロジェに会うと、いつもパステルカラーのシャツや淡い色彩を組み合わせたネクタイなどにパリジャンの雰囲気を感じることができる。粋で洒脱で、エレガントである。
「私は服装というものは、その人のキャラクターを反映しているものだと思うんです。今日はこういう人に会うから、何色のシャツとタイを合わせようかなどと考えるのは、とても楽しい作業です。私は若いころから、この色彩というものにとても強い関心を抱いてきました。もちろん、音楽でもそれは同様です。特にフランス作品には豊かな色彩が備わっていますし、それをピアノで表現するのは無上の喜びです」
ラヴェル「悲しい鳥たち」映像より ©Tabaimo_courtesy_of_IMO_studio
ロジェは、そのために美術館にしばしば足を運ぶ。印象派のみならず、さまざまな時代、画家の絵を鑑賞し、さらに文学からも多くのことを得ている。
「ドビュッシーの作品は色彩と関連づけて語られますが、フォーレもプーランクもサティもパーソナリティは違いますが、そこにはある種の共通項と色彩が存在していると思います。一方、ラヴェルは、特別な色をもっています。音全体がクリアで透明感に満ちている。明確さと性格さが2大要素だと思います。こうした作品を理解するためには、文学も大切だと思うのです」
ロジェによれば、こうしたフランス作品は、あくまでもあいまいさやもやもやした感じは排除し、明晰な音楽として演奏しなければならないという。
「よく霞がかかったような演奏をする場合がありますが、私はあくまでもクリアな響きが大切だと思います。これらの演奏でもっとも大切なのは、やはりペダリングですね。これに尽きます。ペダルは音を伸ばすだけではなく、音に微妙な変化をつけていくわけです」
ロジェは、昔からフランスではさまざまな芸術や文学などがそれぞれ密接な関係をもち、お互いに交流し合っていた。しかし、現在はそれが失われ、各々の分野だけで活動している。それが非常に残念だと語る。
「昔のパリでは、音楽と絵画、彫刻、詩、小説、哲学、舞踊、建築などあらゆる分野の人々がひとつのカフェに集い、ホールで共演し、各ジャンルのつながりを楽しんだものです。世紀末には異文化の交流を好み、珍しい共演に胸をときめかせたものです。ただし、現在は各芸術のつながりなどはほとんどありません。私は美術館で絵に囲まれながらピアノを弾いたり、ふだん共演できないジャンルの人たちと一緒にひとつのことを作り上げていくのが大好きです。これからは、そうした活動を企画し、積極的に行っていこうと思っています」
ロジェのこの精神が、今回の日本公演で実現される。フランス音楽と日本の美術の融合、パリの世紀末の空気が会場にただようかもしれない。
文=伊熊よし子
■会場:浜離宮朝日ホール (東京都)
■公演日時:7月5日(19:00開演、7月6日13:30開演
■料金:全席指定:6500円
映像美術:束芋(現代美術家)
■曲目:
●ドビュッシー
パゴダ/雨の庭(「版画」より)
帆/野を渡る風/亜麻色の髪の乙女/沈める寺(前奏曲集・第1巻より)
そして月は荒れた寺院に落ちる/金色の魚(「映像・第2巻」より)
月の光(ベルガマスク組曲より)
●サティ
グノシエンヌ第5番/グノシエンヌ第2番/ジムノペディ第1番
●ラヴェル
悲しい鳥たち(「鏡」より)
●吉松隆
水によせる間奏曲/小さな春への前奏曲/けだるい夏へのロマンス/間奏曲の記憶/真夜中のノエル/静止した夢のパヴァーヌ(プレイアデス舞曲集より)