ショパンとブラームスが出会う?演劇とクラシックが出会う!サントミューゼ発『ロマン派症候群』全国へ 作・演出=内藤裕敬、音楽監修・ピアノ=仲道郁代
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初演『ロマン派症候群』 撮影:谷古宇正彦
二人の大作曲家の等身大の人間像と音楽への想い
NHK大河ドラマ「真田丸」の重要な舞台となった長野県上田市にあるサントミューゼ(上田市交流文化芸術センター)は、ホールと美術館、それに付随するアトリエスペースからなる公共文化施設だ。開館以来、ホールでは演劇にも音楽にも力を入れたラインナップが並ぶ一方で、演劇と音楽、音楽と美術などジャンルのコラボレーションによるイベント、ワークショップが多く行われているのもここの特長。「真田丸」に続くブームはきっと、ここが作り出すと期待する。
そうした環境を生かし、多様な表現の可能性を試みる企画として、南河内万歳一座・内藤裕敬が作・演出を手がけ、国内外で活躍しているピアニスト・仲道郁代が音楽監修と舞台上での生演奏を担当する『ロマン派症候群』がサントミューゼで2016年1月に初演された。
それぞれパジャマ姿で車椅子を押す謎の二人。どうやら彼らは、ロマン派音楽の創生と興隆を彩った大作曲家、ショパンとブラームスらしい(パジャマ姿だけど)。ポーランドを生きたショパン(1810~1849年)とドイツを生きたブラームス(1833~1897年)。生きた時代と駆け抜けた世界が違う二人の大作曲家が、なぜか病院の待合室で偶然の出会いを果たす。劇中に挿入されるブラームスとショパンの楽曲の数々。そこに浮かび上がってくるのは、大作曲家ではなく、作品を見ている観客と同じように人生におけるさまざまな悩みを抱える等身大の人間像、そしてそれぞれの音楽に対する想い。そう思いながら生演奏に身を任せていると「あら、ふしぎ」歴史に残るあんな曲、こんな曲の聞こえ方が違ってくる。
『ロマン派症候群』は、2016年3月にサントミューゼ提携オーケストラシリーズVol.2と題し、ショパンの《ピアノ協奏曲第2番 ヘ短調 Op.21》、ブラームスの《交響曲第3番 ヘ長調 Op.90》を演奏する予定をしていた仙台フィルハーモニー管弦楽団のコンサートへの素敵なブリッジとなった。そして、2017年秋に早くも全国7カ所をツアーする。
初演『ロマン派症候群』 撮影:谷古宇正彦
サントミューゼが所有する3台のピアノの選定をしたり、ピアノ開きコンサート、リサイタル、アナリーゼ(楽曲分析)ワークショップ、芸術家ふれあい事業というアウトリーチなどを行ってきた仲道郁代。福田善之の名作『真田風雲録』を市民キャストを交えて演出、上田市と姉妹都市である豊岡市との高校生演劇交流事業の講師を務めた内藤裕敬。二人は、サントミューゼのレジデンスアーティストとして活躍しているが、過去にクラシック音楽と演劇の世界観の融合を試みた作品『仲道郁代の音楽学校』『仲道郁代のごめん!遊ばせクラシック』『4×4』『窓の彼方へ』を手がけるなど、二つのジャンルの橋渡しを長きにわたって積み重ねてきた。それだけに、作品における演劇と音楽との距離感は絶妙なものがある。それぞれのコメントを紹介しよう(ともに機関誌「サンポミューゼVol.4」より引用)。
演劇とクラシックが仲良くするための空間をつくる
内藤裕敬「クラシックの演奏プラスアルファ何かという舞台は、やっぱり最初にその企画や情報を目にしたときに“それ面白いの?”という疑問符がつくと思うんです。純粋にコンサートで聴いたほうがいいと思う方もいらっしゃる。『ロマン派症候群』で言えば、まずショパンとブラームスのレクチャーにならないようにしようと考えました。そうすると、その人となりや歴史にあまり踏み込んでいくとどんどんレクチャーに近くなるので、純粋に、2人の存在のイメージだけで物語を作らなきゃダメかなと。とはいえ大作曲家だからおかしなものをでっち上げたらまずい。そういう意味では、ショパンとブラームスを舞台に上げるのなら、その2人と思しき、何か身近な人が舞台にいるのがいいのかなというところから作業に入っていったんです。楽曲と物語が密接になると、楽曲とお芝居が競り合ってうまくいかない。別々のものがなぜか絡み合うイメージで作らないとたぶん失敗してしまう。両方が主張しちゃうとダメ。お互いが仲良くするための空間を作っていかなければ」
役者のせりふや動きを受け止めて、演奏のイマジネーションを広げる
仲道郁代「クラシックは基本的に、音楽そのものはもう完結しているんです。だからこそ受け止める側は、それをどう受け止めていいかわからないと思ってしまったりする。それが“難しい”と言われることにつながるのかもしれない。その完結したものを感じるには、説明とか知識ではなくて、そのイメージを膨らませてくれるような何かが提示されると、完成された音楽の中に入っていけるんですよね。私は舞台上で演奏していると、セリフやお芝居の動き、繰り広げられているいろんなことを受け止めて弾くんです。内藤さんがおっしゃった“邪魔しない”“説明しない”ということが、逆にこちらのイマジネーションを広げるんですよ。その言葉は必ずしも“ブラームスはこういう人です”“ショパンはこういう人生を歩みました”ということではなく、何か皮膚感覚や自分の記憶とか、生活の中で“あ、そういう感覚あるな”と思うようなことだから、心の中にすーっと入っていけて、演奏も変わるんです。ショパンとブラームスは本当にタイプの違う作曲家で、この2人を一緒にやるか、という感じなんですけど、人間として見ていくと苦悩だとか相通じる部分がありますね。でも全然違う部分もある。それがまた浮き彫りになることで、作品を聴いているときのショパンらしさ、ブラームスらしさはなんなのかということが感じられたりするところが面白いですよね。音楽家は皆さん、それぞれ相当な人生を歩んでいて、だからすごい曲が書けるんです」
互いが入院している理由を語り合い、やがて病院を抜け出して夜行列車での旅に出てしまうショパンとブラームス。謎と言えばやっぱり謎、何気ないと言えば何気ないやりとりから、生きることの、音楽を作ることの苦悩と思しき言葉があちこちに散りばめられ、その場で奏でられるショパンとブラームスの楽曲が、私たちの想像を掻き立ててくれる。そして、見ている自分自身の内面にも染み入ってくる。クラシックを苦手とするあなたにこそ、おすすめしたい。
◼︎日時:2017年9月1日(金)19:00、9月2日(土)14:00開演