『CREATORS INTERVIEW vol.3 Mayu Wakisaka』 ――1つ1つ、相手に対して誠実に、丁寧な仕事をしていきたい
ソニー・ミュージックパブリッシング(通称:SMP)による作詞家・作曲家のロングインタビュー企画『CREATORS INTERVIEW』。第三回目は、TWICE、少女時代、Apinkなど数々のK-POPアーティストの楽曲を手掛け、自身もシンガーソングライターとして活動するMayu Wakisakaが登場。渡米経験やその英語力を活かした独自の創作方法やコライトのお話をお聞きしました。
「良い曲を作る」ということだけに集中できる環境が理想的に思えた
――作家としての活動を始めた経緯から聞かせてください。
シンガーソングライターとして、SMPにお世話になっていて。インディーのレーベルからCDを出したりはしていたんですけど、その中で北欧のライティングキャンプに参加させていただいて。それがハマったんですよね。楽しかったんです。
――ライティングキャンプに声をかけられた時はどう感じました?
「行く!」って即答でした。インディーのアーティストとしては、良い曲を作ったとしても、曲を作った瞬間から、予算とかリリースするタイミングとか、ひたすらお金のことが頭の中をぐるぐる回るんですよね。でも、ライティングキャンプで書いた曲は、その後のミックスからリリースまでの費用について心配する必要がないじゃないですか。インディーのソロアーティストとしてだと、誰かと一緒に演奏するにしろ何にしろ、人一人に対価を払っていかないといけない。でも、ライティングキャンプのセッションは、スタジオの時間も気にせずに、相手と対等にアイデアを出して、良い曲を作ればいいっていう。「良い曲を作る」っていうことだけに集中できることが、すごく理想的な環境に思えたんです。あとは、そこで仲良くなった人たちと一緒にスカイプを通して曲を作るようになって、今に至るっていう感じです。
――アーティスト活動の方はどう考えてます?
作家を始めてから、フィーチャリング・ヴォーカルしかリリースしていないんです。ここ数年は、楽曲提供用の曲を作るのに精一杯で、自分の曲は全然作ってないです。本当は両立できたらいいんですけど、時間的な制約もあるし、同じ音楽とはいえ違う世界なので、中途半端ではいけないと思って、今の優先順位は提供の方ですね。
――そこに抵抗はないんですね。
そうですね。あとは、人それぞれで、何が楽しいのかは違うと思うんですよ。「アップテンポでポップな曲ばかり書いていられない、もっとアーティスティックなものが書きたい」っていう人だったら、提供が面白くなくなって、「アーティスト活動に専念します」ってなるかもしれないし。でも、自分の中では大きな線引きはなくて。ただ、良いと思える曲を作る上で、その作業が楽しいことが最重要かなと思いました。私は、一人で作るより二人で作った方が楽しい性格だし、自分では思いもつかないアイデアを言われたりすることも楽しく感じるので、今はそっちの方をやっています。あとは、曲作りが好きなのか、売れたいのかっていうことで言うと、自分は曲を作っている時の方が「生きてる!」って感じるから、作る方を優先させたら今の形になったっていう感じですね。自分の曲を聴きたいって言ってくれている人がいるのでライブはしてますし、楽曲って、書けばある程度、曲が一人歩きしてくれるところもあって。例えば、去年、韓国のドラマ『青春時代』の挿入歌として「24hours」が使われたり、既にリリースしている曲に歩いて行っていただいているし、フィーチャリングのヴォーカリストとして歌ったり、別のアーティストさんとコラボして出したりっていうことはできているので、今のところ、何か寂しいっていう気持ちは特にないですね。
――その「24hours」はソニーのウォークマンにデフォルト収録されていたサンプル曲として使われた曲ですよね。
そうですね。アメリカの音楽学校を出て、インディペンデントでレコーディングしたものを、アメリカやオーストラリアのソングライティングコンテストに片っ端から送って。どうにか取っ掛かりをつけようと思って、オンラインのコンテストに手当たり次第に応募していました。それがセミファイナルに進んだり、オープンカテゴリー1位になったりしていて、そうやってオンラインで見つけた機会の一つがソニーのウォークマンですね。
――LAのミュージックアカデミーに行こうと思ったのはどうしてだったんですか?
元々はバンドをやっていたんですよね。でも、いろんな浮き沈みがあって、メンバーは就職をして。自分はロースクールに行ったんですけど、やっぱり音楽したいなと思って、家庭を崩壊させる勢いで大学院を退学して。当時は、曲もなんとなくしか書いていなかったし、楽器も弾けなかったので、音楽で生きていくためにはこの程度の知識では無理だなと思って、アメリカに音楽の勉強をしに行きました。そこで、作曲にのめり込んだきっかけに出会ったんです。アメリカの学校に入って2〜3曲目に作った楽曲を、たまたま学校に来た、ドラマ『ER』のミュージックプロデューサーに渡したんですよ。授業で一発録音した音源だったんですけど、2ヶ月後くらいに、「『ER』で使うかもしれないから、条件を全部クリアして下さい」っていうファックスが学校に届いて。結局、ノイズが多すぎて却下になったんだけど、その時に、アメリカにはアーティストの顔が見えなくても採用される曲があるんだっていうことを知りましたね。
LAから飛び立って、東京に着陸しようと思って降りた先がソウルだった
――アメリカのウォークマンで使われた曲が5〜6年後に韓国のドラマで使われたりするんですもんね。作家として提供した最初の楽曲も韓国のアーティストですよね。’15年3月にリリースされたmiss A「Love Song」に起用された時はどう感じました?
その頃は、本当に手探りで始めたばかりだったので、「うわーい!」っていうだけでした。
――あははははは。
実際にリリースされて、テレビで歌ってくれているのを見た時はすごく感動して。「スージー!きゃー!!」みたいなノリって、自分のライブには絶対にないじゃないですか。むしろ、しんみりした曲が多いから、ハンカチで涙を拭っているくらいなので、ガールズバンドが歌うとこうなるんだなっていうのが面白くて(笑)。
――(笑)。作曲はコライトですよね。
フィンランドで出会って、その後、インターネットでコライトを始めました。キャンプで知り合った人と仲良くなって、インターネットでやり取りするのがほとんどですね。
――自分が歌う曲じゃない曲を書くことに難しさは感じませんでした?
あんまり関係ないですね。自分で書くときも、ストレスが溜まって、うわーって書くこともあれば、ちょっとアップテンポな曲が少ないから、モータウン風のアップテンポな曲を作ろうって思って書くこともある。後者に近いんですよね。トラックがこういう感じだとしたら、こういうメロディーはどうかなっていうアイデアを出して。コライターの方が韓国のことは詳しいから、「ここはこうした方がいいんじゃないか」「なるほどね」っていうやり取りをしてできていく感じ。アーティストさんのことはもちろん考えますけど、そんなに自分の曲を書いている時と変わらないですね。自分の怨念がこもってないだけかもしれない。
――(笑)。ヒップホップテイストの曲ですよね。それは、ご自身のルーツにありました?
私はなんでも聴くんですよね。理想としては、「田舎で育ちすぎて、何を歌ってもカントリーにしか聴こえない」とか、「楽譜は読めないけど、ブルース弾かせたら先生より上手いんだよな」みたいな。そういう人を見ると、ルーツだなって思うんですけど、日本人として生まれ育った以上、それが無理なんですよ。好きなジャンルを1つにこだわることも可能なんですけど、全部後付けだから、R&Bを聴こうが、ヒップホップを聴こうが、何を聴いても、それなりに面白いんですよね。結局、いろんなものを聴くようになるので、ポップスを作る上では、それも作家活動にすごく活きたかなと思います。
――ポップスを作るっていう意識はありますか?
自分の好みがもともとポップなのかな。最初に好きになったのは、小学校くらいの時に学校の先生が隠し持っていたマドンナのレーザーディスク。昼休みに、音楽室に牛乳瓶を持って、「先生、これ聴かせてください」って言ってた。「マドンナ、かっこいいな」っていう昼休みを過ごしてたから(笑)、ポップなもの、キャッチーなものが好きなんだと思います。
――韓国のアーティストが多いことに何か理由はありますか?
韓国を狙って書いているわけではなくて、たまたまですね。ただ、自分の作家としての強みは、アメリカの音楽やビートを理解しつつ、アジア的な叙情も分かっているっていうことだと思うんです。特に、ビート感が強いものが個人的に好きなんですね。そうすると、日本のものよりも、韓国のものの方が向いてるのかなって。LAから飛び立って、東京に着陸しようと思ったんだけど、降りた先がソウルだった、みたいな感じです(笑)。
日本語バージョンまで含めて制作に1年半を要したTWICE「KNOCK KNOCK」
――ビートでいうと、最新のトレンドとなっているTWICEの「KNOCK KNOCK」も手掛けてます。
この曲は書くのに一番時間がかかったんですよね。最初に「Knock Knock」っていうサビのアイデアはあったんですけど、韓国のマーケットで売れるためにブラッシュアップしてっていう要望がかなりあって。コライターと一緒に直しに直して、半年くらいかけて仕上げた。その後、日本語バージョンもあったので、この曲だけ1年半くらいやりましたね。
――リライトに半年もかけるんですね。しかも、それがそのまま表題になってるのもすごい。
最初に向こうが気に入ってくれたからこそ、いい状態で出したいんだって言われたんです。ほぼメロディーラインの直しでしたね。とにかくメロディーを韓国の人にどれだけ刺さりやすくするかっていうのを突き詰めてやっていました。
――Apink「Drummer Boy」も「KNOCK KNOCK」と同じ作家さんとのコライトですよね。
これは彼がトラックを送ってくれて、音楽的な話をすると、オープンコードがあったので、スケールで遊べるから面白いなと思いました。「K-POPはクロマチックアプローチを多用してるから、クロマチックスケールを使っても面白くないな。あ、ホールトーンスケールがある!」みたいな感じで、イントロとブリッジでホールトーンスケールを使っています。あと、個人的に昔からバンドを見る時にドラマーを見る癖があって。よく見るとイケメンがいるんですよ(笑)。世の中のドラマーに陽が当たらなすぎじゃないかと思って書いた曲です。
――(笑)。どちらの曲もバンドサウンド感がありますよね。ラップがあったとしても。
そうですね。コライターのMin Lee "collapsedone"自身もDAY6っていうJYPのボーイズバンドをプロデュースしているので、バックグラウンドがバンドっていうのが強いと思います。そこも面白かったのかもしれない。ダンス&ヴォーカルグループなのに、ギターが入って、バンドサウンドの香りがするっていう。
――JJ Project(GOT 7のJBとジニョンのユニット)の「Tomorrow, Today」もMin Lee "collapsedone"さん。
同じ作家さんですが、私にとっては初めて書いたボーイズグループ。「KNOCK KNOCK」のリライトを通じて、かなりコミュニケーションが取りやすくなってきたので、二度とあんな長いリライトはしないようにっていうことで、メロディーの段階からすごく一緒に相談して作りました。創る過程でいうと、「Drummer Boy」は彼がトラックを送ってきて、私がトップライナーとしてメロディーを乗せました。「KNOCK KNOCK」はその作業をした後に、二人で修正する作業が半年くらいあったので、JJ Projectは修正しないように最初から完璧なものを作ろうっていう感じで、時間をかけてメロディーを作り上げました。
――テーマはあった?
彼もバンドのバックグラウンドがあるし、私もバンドものが好きだし。お互いにどっちかというと暗めの曲が好きだから、ちょっと内省的なというか、自分の過去を振り返るようなエモーションで曲を書こうっていうコンセプトから作り始めましたね。彼とのコライトでいうと、これが一番自然な形。二人ともが好きで得意なジャンルだったんじゃないかと思いますね。
――続く、少女時代「Love is Better」はジャズのビッグバンドになってます。
ジャズっぽい曲を作ろうっていうことで、ファンヒョンっていう、SM(SM entertainment)ものをたくさん手掛けているプロデューサーと書きました。ジャズでありながらポップス感もあるような。彼がSMの好みを分かっているので上手くトップラインを引き出してくれて、今までと違う大人っぽい曲になったかなって思いますね。
一人歩きしてくれる曲をどれだけ作れるかが大事
――Wakisakaさんの場合、キャンプではなく、コライターの方と一対一のコラボで作ってるんですね。
そうですね。フェイストゥフェイスの時もあれば、インターネットでも何時間もスカイプに張り付いて書いていることもありますね。
――会話は英語ですか?
はい。韓国の方は日本語が話せる場合も多いので、その時は日本語で話してます。みんな、英語か日本語のどちらかを話せるので、韓国に行っても韓国語を全然覚えないまま今日に至ってますね。
――英語が話せることは作家として武器になってるなと思います?
そうですね。デモを作る時も英語で作っているからこそ、何ヵ国に投げることができる。英語って共通語だから何人が聞いても違和感がないですけど、例えば、日本人が韓国語のデモを聴くと、K-POPに聴こえるし、韓国人が日本語のデモを聴くと、J-POPに聴こえると思うんですよ。そういう意味では、英語を話せて、英語でデモを作るっていうのは、相手が自分の国の曲に合わせやすいのかなと思います。
――また、ご自身でメロディーを作って、ご自身で歌えるからこそトップライナーになれるわけですよね。
でも、トラックを作っているわけでも、ヴォーカルをエディットしているわけでもないので、自分の作業がわりと楽しいところで終わっていて。そこは、「ごめんね。いつも楽しいところだけで」って思ってます。歌を武器にしてやっているっていう意識はないですね。
――作家さんの口から「楽しい」って言葉を初めて聞きました(笑)。
楽しいことしかしてないですからね。あとは、アメリカで暮らした経験もトップライナーとして活きてるかもしれないです。トラックメイカーの人と一瞬で友達になって、どれだけ腹を割って話せるかっていうことが、自分の仕事の秘訣ですね。一緒に作業している中で、良かったら「いいね!最高!!」って大げさに言うし、ダメだったらダメってはっきり言うし。もちろん、その言葉の裏には謙虚さも必要だけど、イエスかノーかをはっきり言えるようになったのは、アメリカで暮らしたおかげですね。
――作家活動を始めてから2年ですが、今後はどう考えてますか?
本当に予測がつかないですね。元々はヴォーカリストとしてアメリカに行って、そんなに曲を書くとも思ってなくて。アメリカはみんな声が良いので、オリジナルを書くくらいでしか太刀打ちできなかったから、曲を書き始めて。それが今、仕事になっている。しかも、自分がまさかK-POPを書くとは思ってなかったけど、今はそれがメインになっていて。だから、予測がつかないことを楽しんでいくしかないかなと思いますね。あとは、1つ1つ、相手がいる作業をしているので、相手に対して誠実に、丁寧な仕事をしていきたい。個人的には、「24hours」のように、一人歩きしてくれる曲をどれだけ作れるかが大事なのではないだろうかと思ってます。それと、アメリカ時代にドラマ『OC』や『ゴシップガール』の曲のセレクションが好きで、どうにかドラマの音楽プロデューサーに出会えないかと、車でひたすら街中をうろうろした経験があるので(笑)、いつかアメリカのドラマや映画に起用される曲を作りたいなと思いますね。
取材・文=永堀アツオ