加藤健一事務所公演『喝采』~ 俳優・加藤健一と演出家・松本祐子に聞く
加藤健一事務所の江古田スタジオにて。左から松本侑子(演出家)、加藤健一
ジョージ・シートン監督作品『喝采』(原題は The Country Girl、1954年)は、劇作家クリフォード・オデッツが書いた舞台劇を映画化したものだ。主演の舞台俳優役はビング・クロスビー、その妻役はグレイス・ケリー、演出家役はウィリアム・ホールデンがキャスティングされた名作に、加藤健一事務所が文学座の松本祐子演出で挑戦する。俳優の加藤健一と演出家の松本祐子に、どんな舞台になるのか話を聞いた。
バックステージものの魅力
──『喝采』は舞台俳優とその妻が主役の話です。加藤健一さんはプロデューサーでもあり、台本もご自身で選ばれるので、この戯曲を選んだ理由について聞かせてください。
加藤 バックステージものは、わたしたちの業界を応援してくれているような気がして、基本的に好きなんですよ。ふだん、わたしたちの世界は表側だけなので、裏側はなかなかわかってもらえない。裏側からは、不倫の話とか、ゴシップのようなことしか出てこない。バックステージものは、実際の仕事場を見てもらえる感じがある。
『喝采』は昔から好きで、上演したかったんですが、上演権の関係でずっとできなかったんですけれど、やっと上演できることになりました。
──バックステージものであることが、その大きな理由ですか。
加藤 そうですね。
──そういえば、昨年上演された『SHAKESPEARE IN HOLLYWOOD ~ハリウッドでシェイクスピアを』もバックステージものでしたね。
加藤 あれは映画作りの裏側の話です。バックステージものを、もう10本以上……。
──『ステイジ・ストラック』『レンド・ミー・ア・テナー』『銀幕の向うに』など、すぐに何本か思い出されます。
加藤 読んでいると、すぐにやりたくなっちゃうんですよ(笑)。今回の『喝采』は、見た目ほど簡単ではなく、バックステージもののなかでも役者が役者をやる話だし、しかも、名優の役をやるのは思った以上にプレッシャーがすごくて。演じていても、それでは名優に見えないだろうという……自分のなかにそういう恐怖感があって、とても難しいですね。
──重度のアルコール依存症で、長いブランクがあった名優という但し書きがありますが、それでもかなりのプレッシャーはありますか?
加藤 そうですね。やはり、最後には成功して、名優に戻っていきますから。奥様のたいへんな手助けがあり、すばらしい演出家に恵まれて、再び成功していくんですが、それはまた名優に見えるということですからね。
個々の人間の再生の物語
──演出家としては、名優に見せようとされますか?
松本 基本はバックステージものですが、それよりも個々の人間の再生の物語だと思っています。
加藤さんがおやりになるフランクは、文字どおりスランプに落ち込んで、かつては輝いていたのに、酒に溺れて、台詞も覚えられなくなり、齢も重ねていて、はたして本当に役者としてすばらしい演技ができるのかという恐怖心と闘う。これは演じる役者個人、加藤健一さんにとっても、心がヒリヒリする再生の物語の部分もある。
あと、原題は『カントリーガール』といって、直訳すると「田舎の女の子」、フランクの奥さんのことを指しています。
──ジョージーですね。
松本 竹下景子さんがおやりになるジョージーは、そろそろ夫婦生活は限界じゃないかとか、この先も女として諦めの人生を生きなければならないのだろうかと思っている。つまり、夫婦関係の崩壊を迎えている女性なんですが、もう一度、フランクが演劇活動をすることによって、なおかつ、演出家のバーニーと出会うことによって、激しい痛みを抱えながらも、愛情あふれた女として再生していく。
バーニーも、自分の個人生活が原因で、ある種、女が信じられなくなっており、ジョージーに嫌悪感を抱いている。
──離婚係争中で、慰謝料を請求される設定になっています。
松本 だから、バーニーには女性という別の性に対する嫌悪感とか、恐怖心みたいなものがあり、それらをジョージーという女性に出会うことによって払拭していく。それぞれが再生していく物語だとも思うので、バックステージものでありながらも、男と女による演劇を媒体とした三角関係を経ての再生の物語というところがスリリングで面白い。だから、そこに重点を置いて……。
──演劇が三角関係の相手ということですか?
松本 そうではなく、演劇という厄介な夢、厄介な目標、でも、愛情を注ぐべきもののなかに、フランク、ジョージー、バーニーという三人が立っている。そこでは演劇があるからこそ傷つくし、演劇があるからこそ愛しあうし、演劇があるからこそ次の目標も持ちえるみたいな……。
──演劇があるからこそ自分たちそれぞれの目標も設定できると。
松本 だから、演劇によって苦しみ、演劇によって救われるところが面白いので、名優に見えることよりは、個人生活を演じる過程で、役者は、もしくは人間は、どう生きていくのかということを描きたいですね。
具体的には、役者を支える嫁さんの立場で言えば、役者と生活することは、さまざまなことを犠牲にして演劇という夢に奉仕する男と暮らすことなので、そういう相手をどう愛していくかとか、演出家のバーニーは演劇が大好きで、フランクのことも大好きで……。
──バーニーはフランクのいちばんの理解者のひとりですよね。
松本 そう。だけど、個人生活はどうなんだとか……。
──すべてを捨てて、演劇に没頭してしまっている。
松本 わたしの場合は演出家ですので、バーニーの台詞に身につまされています。「家庭のない男にとっては職場が家庭だ」とか「その仕事が終わったとなると……どこへ帰ればいい?」という台詞があるんですが、「そのとおりです」と思います(笑)。
もちろん、名優を復活させるという大きな目標にみんなが進んでいく作品ですが、個々人の心の葛藤が面白いなと思っているんです。
加藤健一事務所公演『喝采』のチラシ。
大きな嘘をつくために俳優が取りこむ真実
──フランクは奥さんに対してずいぶん嘘をつきます。しかも、まことしやかに嘘をつくから、演出家のバーニーまでが、その嘘に翻弄されていく。加藤さんは何事も率直に話すほうですから、フランクとは真逆な感じがするんですが、演じてみてどうですか。
加藤 まあ、自分がつく嘘を何倍かに膨らませればいいぐらいのことですけど。だれでも嘘はつきますので、その嘘をもうちょっと……今回は犯罪者ぐらいまで膨らませる感じですけど。
──その嘘ですが、ジョージーの受け取りかたが、とても上品で、反論するときにも、本好きな女性らしく、文学的な比喩を用いて返してくる。そういう場面も、今回の見所である気がします。
松本 フランクは嘘をついてるつもりがないんだと思うんですね。加藤さんのおっしゃるように、人は大なり小なり誰しも嘘をついて生きていて、それは生きるための潤滑油でもあり、自分を守るためだったり、相手を傷つけないためだったり……いろんな局面で、人は嘘をついて生きている。
で、たぶん、フランクという人は、嘘をついてるつもりがないんじゃないか。語りだした瞬間に、自分のなかでは、それが嘘ではなくなるというか。自分がこうあったらいいとか、こうあるべきだと強く念じたときに、嘘を嘘と自覚できなくなる性格ではないかと思っているんです。
だから、今朝見た夢について、フランクが語るシーンがあるんですけど、たぶん、全部見たわけではないとわたしは思っていて、ワンシーンはある、でも盛っているとか(笑)。なおかつ、役が憑依しやすい性格だと書かれているので、ある種、憑依していくのかなと。ちょっと下世話なたとえですが、恋人役やると、相手がすごくかっこよく見えたりすること、あるじゃないですか、その稽古中だけ(笑)。
加藤 ふふふっ(笑)。
松本 そういう演劇人、見てると多いですよ。それは役者って、大きな嘘をつくために、ものすごく真実を取りこんでいくから。そのようにして嘘と真実の境が、ある瞬間、消えるからこそ、すばらしい演技ができると思うんです。
──俳優が演技をする劇場は、嘘をつく場所というのは言いすぎですが、真実が現れる空間でもある。そういった稽古場や楽屋を舞台に、さまざまな出来事が展開するのも面白いところですね。
俳優フランクとその妻ジョージー
──そのように、すでに嘘が生活の一部になっているフランクですが、妻のジョージーにいろんな言葉を投げかけます。ジョージーを演じる竹下さんとのやりとりは、どんな感じですか。
加藤 とってもやりやすいですね。
──どんなところが、お相手としてやりやすいですか?
加藤 まあ、基本的に、竹下さんがジョージーと似てるんじゃないですか? こういう役が、きっと好きだと思うんですよ。
──カントリーガールじゃないけど、名古屋市のご出身で、東京女子大学を卒業されて……。ご自分でもジョージーの役を気に入って、取り組んでおられるようですね。
加藤 そうですね。ジョージーには、フランクのようによくわからない部分がないので、よく理解していらっしゃるし。
──フランクは、ことあるごとにジョージーから言葉で励まされます。注意される場面もありますが、ひさしぶりの舞台を成功させるために、いろんなかたちで支えてもらっている。稽古場でジョージーから思いやりのこもった台詞を受け取って、どうですか。
加藤 本当にこんな奥さん、いてくれたらいいなという。
松本 (笑)
加藤 現実には、楽屋にずっといて、その日の芝居について感想を伝える奥さんは、歌舞伎以外ではいないと思います。日本の新劇界にはほとんどいない。そういうところは不思議な世界だなあと思いながらやっています。基本的に、フランクは妻への依存度がものすごく高い人なので、なにかにつけて妻に「どうだった?」と訊くのは、気持ちはわかりますけど、経験はないです。
──ジョージーみたいな人がいると、演出家としては、作中のバーニーのように、とても邪魔な感じがするんでしょうか。
松本 まあ、実際にいたら、違和感はあります。でも、実際には、そういうかたに出会ったことがないので……。
加藤 ジョージーは「もうあなた、ひとりでできるでしょう」といつも言っている。でも、フランクは「きみがいなくちゃ、できない」という性格ですからね。
松本 来てくれ来てくれって(笑)。
ショービジネスから演劇に向かって
──フランクはブランクが長いので、台詞がなかなか入らないし、役もうまくつかめないのに、演出家のバーニーは成功を確信し、リスクを引き受けながらもプロデューサーにかけあい「フランクでいきたい」と伝える。そして、その理由を「ショービジネスじゃなくて、演劇だから」と語ります。もちろん、ショービズでも演劇でも、プロとして結果を出さなくてはいけないんですが、結果よりも、もっとよりよい舞台、より深く掘り下げた舞台へ向かう過程にこだわっているような気がします。
加藤 それも好きな台詞のひとつです。ショービズと演劇が、具体的にどうちがうのかはわからない。でも、まあ言いたいことはだいたい感じとしてはわかる。利益よりも大切なものがあるという……いい姿勢だと思いますけどね。
──でも、同時に、利益が上がらないと芝居が打てないのも現実です。
松本 ショービズとエンタメは絶対的にイコールではないけど、イコールな部分もあり、演劇とエンタメもイコールではないけど、じゃあストイックに哲学的なことだけを語るのが芸術的に高い演劇なのかというと、そうではない。いろんな考えのかたがいらっしゃると思いますけど、やはり、他人(ひと)の時間をいただいて、2時間なり3時間を多くの観客と共有することは、ふだんの生活では得られない、心がふわっと喜びに満ちるとか、いつもは見つめない自分の柔らかいところをもう一度見つめ直してみようと思ったり、知らなかった世界の見かたを感じさせてくれたり、知的に、もしくは精神的に喜びを与えてくれることが、演劇のエンタテインメント性だと思っているんです。
ショービズにもそういう部分はあると思うんですが、その2時間だけ楽しくて、「はい、終わり」ではなく、見終わったあとに、ボディーブローのように、いろいろ考えたり、感じたり、知的好奇心が広がったりできるのが、エンタメを含み、なおかつしっかりした演劇かなと。やはり自分も、演出家としてそれを求めていきたいですね。
──『喝采』では、劇作家と演出家は、どんなときもフランクを応援してくれますね。
松本 本当にみんなでフランクを応援して、演劇を作っているんですよね、この作品で。
──加藤さんの演じるフランクがアルコール依存症であること、それから台詞が覚えられないこと……どんな俳優も、年齢を重ねるにつれて入りにくくなりますが……そういう弱いところがあるからこそ、俳優もスタッフも一丸となって支えようとしたり、盛りたてようとしている。
加藤 ぼくも意外とこういう役をやったことがなく、いまも基本ラインが決まらずちょっと苦しんでますけど、いままでに見たことのない加藤健一が見せられればいいかなと思って、演出の松本祐子さんに期待しております。
あとは、この『喝采』が竹下景子さんの代表作になってくれればいいなと思ってます。彼女が真ん中に立って、そのまわりに、ぼくと山路君がふたりでいるような舞台ですので、竹下さんに将来「わたしの代表作です」と言ってもらえる芝居になればいいなと思っています。
取材・文/野中広樹
■作:クリフォード・オデッツ
■訳:小田島恒志、小田島則子
■演出:松本祐子
■日時:2017年8月30日(水)~9月10日(日)
■会場:下北沢・本多劇場
■出演:加藤健一/竹下景子/浅野雅博(文学座)/林次樹(Pカンパニー)/寺田みなみ/山路和弘(青年座)/大和田伸也
■公式サイト:http://katoken.la.coocan.jp/