モットーとやさしくあることとお金について

2017.10.10
コラム
アート

 拝啓

 

 「汝、常に紳士たれ」

 これは僕がまだ子犬みたいに小さかった頃から父と母に何度も叩き込まれた教えで、今では僕のモットーです。僕はこのモットーに従いどんな時でも常に紳士であることを心に誓っています。

 まあ、今言ったことは全部嘘なんですが、なるべく紳士でありたいという気持ちは本当にあります。生きているといろいろな事情がある(世の中には本当にいろいろな事情があるものです)ので、僕の場合常には無理ですがなるべく上品で、礼儀正しく、人にやさしくありたいものです。「汝、なるべく紳士たれ」僕にはこれくらいのモットーがちょうどいいかもしれません。

 

 紳士の条件が先ほど挙げた、上品で、礼儀正しく、人にやさしくあることだとして、この中で最も難しいことは人にやさしくあることだと思います。上品さや礼儀正しさというものは振る舞いで他人からの見られ方という技術であるのに対して、優しさというものはコントロールの聞きにくい気持ちのあり方だからです。……上品さや礼儀正しさについて、あるいは紳士の条件について、真の紳士から異論が出そうですが、あくまで持論なのであまり気にしないでください(僕はたとえ個人的な手紙であっても保険をかけておくことを忘れません)。

 話を戻しますね。先ほどやさしさというものは気持ちのあり方だと言いました。他人を思いやる気持ちのあり方です。シンプルですが、これほど維持することが難しいものもありません。気持ちのあり方をいい状態に保つには、自分が満ち足りていないといけないからです。

 

 僕の場合(あくまで僕の場合です)、やさしさの半分とは言いませんが、少なくない割合がお金でできているといえるでしょう。お金のために誰かにやさしくするという意味ではありません。お金がないと人にやさしくすることは難しいということです。

 他人を思いやるということは、少々シビアな考え方ですが、見返りを求めずに他人に自分の資源を分け与えるということです。資源とは、たとえば時間やお金のことです。限られたものであり、本来は自分のために使われるべきものです。落ち込んでいる友人を励ますために電車に乗って会いに行くという行為は、多くの人にとってなんでもない行為かもしれません(多くの場合、僕にとってもそうです)が、実はとても献身的な行為です。限りある自分の資源を分け与えているわけですから。

 つまり、資源に余裕がないと、豊かでないと、人にやさしくすることが自分を苦しめることに繋がってしまうんですね。そうなると、人にやさしくすることはとても難しくなります。というよりも、余裕がないと人にやさしくしようという気すら損なわれます。自分のことに精一杯になってしまいます。

 

 あなたもご存知でしょうが、僕は裕福とは言いませんがそれなりにお金に余裕のある時期と、比べるとあまり余裕のない時期も経験しています。

 余裕のある時期は他人のことをとにかくたくさん考えられます。具体的な他人の幸せについて、自分が貢献できることを想像し、実行できます。なんだか難しく表現してしまいましたが、要するに「クッキー焼いて持って行ったら、あの人喜んでくれるかな」と考えて、実際にクッキーを焼いて友達にあげたりすることです。

 しかし余裕のない時期はそうはいきません。自分のクッキーを確保することに必死になってしまう。誰かの幸せのことを一生懸命考えることすら難しい。実際に分け与えることはもっと困難です。

 やさしくあるということはとても難しいんです。やさしくありたいと願うだけではだめなんです。

 

 だから僕はなるべくたくさんお金を稼ぎたいと思っています。他人にやさしくあるために、なるべく紳士であるために。あなたにやさしくあるためにです。

 もちろんお金を稼ぐ一番の理由ではありません。それは自分が生きるためであり、なるべくいい服を着て、おいしいものを食べて、たまに旅行に行ったりするための、自分の幸せになによりも必要だからです。

 

 しかし決して小さくない僕の願いとして、なるべくの紳士なりのささやかなプライドとして、他人にやさしくありたいがために僕はできるだけ多くのお金を稼ぎたいと思っています。

 これがあなたの疑問に対する、僕の回答です。

 お金に執着する僕を、どうか許してください。

 

 それでは。

 いつかまた宇宙のどこかで。

 

敬具 


チープアーティスト・しおひがりによる連載『メッセージ・イン・ア・ペットボトル』。毎回、この世にいる"だれか"へ向けた恋文のような、そうでないような手紙を綴っていきます。添えられるイラストは、しおひがり本人による描き下ろし作品です。 過去の手紙はこちらからお読みいただけます。