パルクールパフォーマー・ZEN インタビュー【前編】 「合理的でわがまま」な少年はなぜ“宣教師”として人生を捧げたのか

2017.10.30
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ZEN 撮影=岩間辰徳

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EXILE HIROが総合プロデュースする一大エンタテインメント『HiGH&LOW』。同プロジェクトの大きな魅力として、EXILE TRIBEや若手俳優らのチームが繰り広げるアクションを挙げる方も多いだろう。中でも、身軽に障害物を交わし、敵を倒していくチーム・RUDE BOYSの存在はプロジェクトスタート時から大きな注目を集めた。そのRUDE BOYSで、窪田正孝演じるリーダー・スモーキーとともにチームの中心として活躍するのが、パルクールパフォーマー・ZEN演じるピーである。ZENは、2011年に行われたパルクールの国際大会『Red Bull Art of Motion Yokohama』で国際大会初参加にして1st Run(予選)を1位で通過し、5位に入賞。以後も、2015年にカナダで開催された北米大会『North American Parkour Championships』で優勝するなど、アスリートとして世界の第一線で活躍。一方で、EXILE TRIBEが所属するLDHとプロ契約を結び、三代目J Soul Brothersの「O.R.I.O.N」MVやツアーのステージなどでも、パフォーマンスを披露してきた。

華々しい活躍を続けるZENだが、その活動の真の目的はパルクールの正しい形での普及にあるという。アクロバティックな回転技や危険な場所でのパフォーマンスが注目されがちなパルクールは、実際には人間が持つ身体能力を可能な限り引き出し、壁や地形をなどの障害物を走り、跳び、登って乗り越え、移動するもの。そんな、本来のパルクールの姿を伝えることを使命とし、ZENは10代からその人生をパルクールに捧げている。SPICEでは、ZENのインタビューを前・後編2回にわたって掲載。前編となる今回は、パルクールとの出会いから、その魅力と哲学を語ってもらった。

人生を捧げられるパルクールの真髄とは

ZEN 撮影=岩間辰徳

――パルクールとの出会いから教えていただけますか?

もともと、自分は中学生の頃まで何の部活にも入っていなくて、帰宅部だったんです。運動は好きだったんですが、クラブ活動にはなぜか馴染めなくて。体験入部も一通りやったんですが、自分の中でピンとくるものに出会えなかった。三年間を費やすところまで(気持ちを)持っていけなかったんです。結局、趣味の範囲でスポーツを楽しんでいたんですが、中学三年生の冬に、クラスメイトにYouTubeの映像を見せてもらって。それが、外国人のパルクールの、いわゆる“すごい人集”みたいなまとめ映像でした。それを見て、「人間って、何も使わず、体一つでこんなことができるんだ」「映画だけの世界じゃないんだ」と、感動したんです。人間にこれだけのことが出来る能力が備わっているんだったら、自分もここまでではないにしても、その可能性を持っているんじゃないか。そう思って、その日の放課後から、できそうな技から練習し始めました。

――行動が早いですね。最初はパルクールの“アクロバティックでカッコいい”部分に惹かれたんでしょうか?

そうですね。単純に映画を観るのも好きでしたし、アニメも漫画も好きだったんですが、そういうことはファンタジーだと思っていました。でも、それがパルクールとして現実に現れた。自分の限界を広げてくれたのと同時に、まだまだ知らないことがいっぱいあるんだな、と気づかせてくれたんです。そこからもっと知りたい、という本当に自然な流れで始めたんです。ただ、その後は、「練習をしよう」と思ってやるわけではなく、パルクールは“一つひとつ自分にできないことを知っていく作業”なんだと思うようになりました。それは本当に、パルクールの真髄でもあるんです。自分が純粋な思いで知りたかったことが、自然とパルクールから伝わってきました。

ZEN 撮影=岩間辰徳

――中学生の頃から、パルクールが“アクロバティックでカッコいい”だけじゃないことに、気づきはじめたんですか?

そうですね。ただ、最初は決して意識していたわけではなくて、一つひとつの技が出来れば、という思いでやっていました。練習していく中でも、“自分の体に何が出来て、何が出来ないのか”ということは、やっぱりわからなくて。実際にやってみると、映像で見て簡単だと思っていたものが自分にはできなかったり、逆に難しいと思っていたことが、意外にできたり、ということが多かったんです。そういうギャップを自然と感じていて。あとあとアメリカに行って、メンタリティの部分も学んだりしていく中で、徐々にそのギャップを埋めていくのがパルクールなんだ、という答え合わせをしていきました。だから、始めた当初は(パルクールの)定義のようなものはあまりよくわかっていなくて、まだ“アクロバティックに移動するもの”みたいなイメージでやっていたんです。

――著書『FLY』を拝見すると、高校生の段階ですでにパルクールに人生を捧げる決心をされています。大きなきっかけがあったんですか?

もともとは、「ちょっと好きかも」程度に、興味の延長でパルクールをやっていて、そこから「一度は本場で見てみたい」と思うようになったんです。でも、日本には情報もないし、教えてくれる人もいない。「じゃあ、本場で習おう」と思うようになって、高校1年生の夏休みを使って、アメリカに行ったんです。何のつながりもなかったんですが、ハリウッドでも活躍するTEMPESTというパルクールチームにメールを一方的に送って、押しかけるようにして行ったんですが(笑)。でも、結果、彼らはものすごくよくしてくれて、本当のパルクールについても語ってくれました。それまでの生活で、部活動もやっていなくて、人生で何をやりたいかもわからなかったんですが、彼らはそんなただの少年だった自分を受け入れてくれた。「パルクールシーンの狭い日本からわざわざ出てきた。もうお前は家族であり、同士だから」と言ってくれたんです。何もなくて、ただ興味を持ってやっていただけなのに、優しくしてくれて、家に泊めてくれたり、食事のめんどうまで見てくれました。その時に、「なんて素晴らしいカルチャーなんだろう」と、本当の意味でのパルクールを体感して、学んだんです。技術だけじゃなくて、メンタリティの部分も含めて。

――そこまでしてくれたんですか。

本当に、何から何までやってくれました。「今週末に映画の撮影があるから、一緒に行こうよ」と誘ってくれたりもしましたし。パルクールだけじゃなくて、自分の人生において大切なことをすごくたくさん教わったんです。それは、今でもたくさん自分の活動に活きています。だから、その時に「これだけ自分の人生に与えてくれたんだから、残りの人生はパルクールとコミュニティに対する恩返しに使おう」と思ったんです。

ZEN 撮影=岩間辰徳

――パルクールについても、人生についてもアメリカでの経験が転機になったんですね。その後も、高校在学中にたびたびアメリカに渡られています。それを応援してくださったご両親もすごいですね。

周りの人にびっくりされることは多いです(笑)。当時、兄はサッカーをやっていて、そこに打ち込んでいましたし、勉強も自分よりできる人でした。自分は勉強もできないし、やりたいことも見つかっていない。本当の意味で(両親が当時ZENを)どう思っていたかはわからないですけど……身が入らなくて、自分でもくすぶっていると思っている、そう思っていたと思うんです。そんな中で、きっかけが何であれ、自分が変わっていったように見えたと思うんです。自分は家族と仲が良かったので、「今日はこんなことがあって、こんなことが出来るようになった」と、いろんなことを話しました。だから、子どもがどんどん変わっていくのを、感じてくれていたのかな、と思っています。自分にはそこまで何もなかったので、両親はパルクールに出会えたことを一緒に喜んでくれましたし、そこに対して進みたいと伝えると、本当に応援してくれました。本当に、両親には感謝しかないです。

――その年齢で一生やりたいと思えることに出会う方も少ないでしょうから、ご両親としてもうれしかったでしょうね。その後、ZENさんは高校を卒業してすぐに、パルクールで生活するパフォーマーとして活動されています。最初から計画されていたんでしょうか?

そうですね。 “パルクールへの恩返し”をするには、具体的には何をすればいいんだろう、と考えました。そうすると、“パルクール界に必要な人間になること”が恩返しだと思ったんです。自分はアメリカと日本を行ったり来たりしていたんですが、パルクールがまだ広がっていない日本では何ができるのか。日本にもパルクールの教室を開いて教えている方はすでにいらっしゃいましたし、新規の人を受け入れるためにパルクールの練習会をオーガナイズして、シーンを作っていく立場の先輩もすでにいた。じゃあ、何が日本のパルクール界に足りないのかと考ると、“パルクールの象徴”として、パルクールの魅力を外に伝える人間がいなかったんです。世界を見るとだいたいどこの国にも、「この国はこの人」という象徴的なプレイヤーいたんですが、日本にはいなかった。じゃあ、自分がその役割をやるようにしよう、と思いました。決して最初から表に立ちたい、と思っていたわけではないので、パルクール教室で教えたり、シーンをまとめる立場が空いていれば、自分もそれをやっていたかもしれないです。たまたま(パルクールの象徴が)足りていなかったから、という考え方に近いですね。

 

「スタントはやらない」わがままを通すための合理的な考え方

ZEN 撮影=岩間辰徳

――『FLY』では、ご自分のことを「わがまま」と評してらっしゃいますが、今のお話を聞いていると、「合理的でわがまま」な方だと思いました。わがままをやり通すために、きちんと考えて道を選ばれている。

冷静にそう言われるとちょっと恥ずかしいですね(笑)。でも、その通りだと思います。

――その選択の中で、「スタントはやらない」とおっしゃっていますが。

そうですね。これは、決してスタントマンになりたくない、ということではないです。自分は職業としてパルクールパフォーマーを選んだわけではないからなんです。わかりやすく言うと、“宣教師”としてパルクールを広めたい。メンタリティとしては、“パルクールを普及させるボランティア活動”に近いかもしれません。どちらかと言えば、お金のためにパフォーマンスしようとは考えなかったですし、それは今も変わっていません。ただ、“宣教師”として活動するためには、生活していくうえでの最低のラインとしては(お金は)必要とは思ってはいました。ただ、稼ぐためにパルクールじゃないことをやらなければいけなかったり、パフォーマンスのためだけにアクロバットのサーカスに出なきゃいけないとか、そういうことはやりたくない。それは、パルクールではないけど、自分が出来ることですよね。そこまでしてパフォーマーでいたいとは思わないんです。そのバランスが自分の中でひっくり返ってはいけない、と思っています。スタントマンの皆さんは本当に素晴らしい職業だと思っていて、一緒にお仕事させていただくことが多いので、毎回作品ごとにその思い強くなっています。スタントのお仕事をされている先輩もいらっしゃいましたし、本当にリスペクトしています。スタントマンのみなさんは、キャストの方の動きをよりよく見せて、作品のクオリティを高くするのに必要不可欠な存在です。でも、自分がやりたいのは、パルクールを知ってもらうこと。パルクールをパフォーマーとして披露することによって、プレイヤーそのものに興味を持ってもらうことなんです。

――顔が認識されないといけない、と。

動きと同時に人が前面に出ていくこと、これが一番大切だと思っています。これまでは、パルクールの動きだけが独り歩きする現象が起こっていたので……今もまだまだなんですけど、当時は今ほどパルクールは理解されていなくて、「街中を飛び回る危険な若者たちの、スリルを求めたチャレンジ」みたいな感じで、テレビ番組などで取り上げられていました。それがもどかしかったというか、ありえないですよね。だって、事実と違うんですもの。まったく誤った情報がイメージとして広がって、それを見た人が好きなようにとらえて、誤った解釈で外に発信している状況だったんです。これを止めなきゃいけない。だから、自分がパルクールの動きをパフォーマンスとしてするときには、必ずプレイヤーとしての“ZEN”が前に出ていないといけないんです。“ZEN”だけが、まったくパルクールに関係のない役者として前に出ていてもいけない。技だけが前に出ていて、自分が説明しないと誰がやっているのかわからない、という状況で作品に携わるのも違うと思っています。(スタントマンや役者など)それぞれの職業を否定しているんじゃなくて、単純に自分の活動が“宣教師”なので、そのバランスをキープしようと思ってやっていることなんです。それが自分のスタンスの基盤になっているんです。

ZEN 撮影=岩間辰徳

――ということは、アルバイトもやったことないのでは?

ないですね。もともとは普通高校に通っていたんですが、夏休みの出来事があってから、なるべくパルクールに時間を使いたいと思ったので、両親と話をして、高校を通信制に切り替えさせてもらいました。おかげで、アメリカと日本を行ったり来たりということもできましたし、卒業もできたんです。通信制に切り替えて1年目から考えたのは、2年半後には卒業が待っているということです。2年半経って、すぐに“宣教師”として活動できるようなルートを(在学中に)築いておかないと、卒業してからその道を作るのは絶対に無理だと思っていたんです。だから、卒業までの2年半は準備期間と考えて、パフォーマンスでいただいたお金でホームページを作ったりして、入ったお金を自己投資という形で使うようにしていました。実家でしたし、親もすごく協力してくれたので、その環境をフルに活用して、卒業までになるべく基盤を作る。そして、卒業したときには問題なく活動できるようにしたんです。

――すごい計画性ですね。高校を出てからは、最初に出場された世界大会(『Red Bull Art of Motion Yokohama』)で予選を1位で突破して、最終的に5位に入賞されています。世界大会には、最初から結果を出すつもりで参加されたんでしょうか?

もちろん。タイミングがものすごくよくて、自分が向こう(アメリカ)から高校3年の頃に戻ってきた翌年だったんです。18歳で、卒業したばかりのタイミングで、当時世界中で行われていた世界大会『Red Bull Art of Motion』がまさか日本に来るなんて。こんなチャンスはないじゃないですか。自分は当時は本当に無名で、パフォーマンスでお金をいただいてはいましたけど、世界に対して名前があるわけでもない。でも、日本代表として出られるチャンスがあるなら、そこには食らいつこうと思って、予選を通るためにトレーニングを積んで、最終的に予選を突破して、日本人代表として出られるようになったんです。気持ちとしては、自分の気持ちを世界に知らしめてやろう、ただそれだけしか考えていなくて。海外の出場選手は、とんでもないレベルのヤツらばっかりだとわかっていたので、自分はそこに対して「勝ちたい」というより、「知ってもらいたい」と思っていました。自分の動きを披露して、なんとか日本のプレイヤーの存在を示そう、という思いだけです。

ZEN 撮影=岩間辰徳

――その後もさまざまな世界大会に出場され続けてらっしゃいますが、それも競うためではなく、注目を集めるためなんでしょうか?

正直なところ、大会でチャンピオンになることが本当の意味で自分の人生の中のゴールかと言われれば、まったくそんなことはないです。それは、大会がすべてではない、パルクールならではのことなのかもしれないです。ただ、自分が大会で活躍することで得られる一番大きなものは、やはり“影響力”だと思っています。それは栄誉とかではなくて、そうすることで、世界の舞台で海外の色んな人種の人たちを相手に日本人が活躍できる、と示すということ。日本人でもパルクールはできる、日本のパルクールも世界に負けていないんだ、とか、劣等感みたいなものを取り払いたいという思いが、大会に出ることの根底にはあるんです。

――なぜそう思われるようになったのでしょう?

自分が見たパルクールのYouTube動画に、日本人からのものすごくネガティブなコメントがたくさん書き込まれていたことがあったんです。「日本人がやってもダサいよね」とか、「黒人の身体能力なら出来るよね」とか、そういう否定ばかりが書かれていた。なんで自分の能力をもっと信じられないのかな、と思いました。その時の自分は何もできなかったですけど、当時もオリンピックでは、体操で日本人の選手が金メダルを獲って、日本人が世界に対してできることを示しているのに、それはおかしいと思って。だったら自分も、オリンピックではないですけど、パルクールの国際大会でチャンピオンになれば、「日本人もできる」と思ってもらえるだろうと思ったんです。それは、今も変わらず思っていることです。

ZEN 撮影=岩間辰徳


HiGH&LOW THE MOVIE 3 / FINAL MISSION』11月11日(⼟) 全国ロードショー。

次回後篇では、転機となった大会での挫折、LDHとの出会いや、パルクールの未来を語る。

インタビュー・文=藤本洋輔 撮影=岩間辰徳

作品情報

『HiGH&LOW THE MOVIE 3 / FINAL MISSION』


企画プロデュース:EXILE HIRO
脚本:平沼紀久、渡辺啓、福田晶平、Team HI-AX
監督:久保茂昭(「HiGH&LOW THE MOVIE」監督)、中茎強(「HiGH&LOWドラマSEASON2」監督)
アクション監督:大内貴仁(「HiGH&LOW THE MOVIE」/「るろうに剣心」シリーズ)
企画制作:HI-AX 製作:「HiGH&LOW」製作委員会
配給:松竹
出演:
【山王連合会】 岩田剛典・鈴木伸之・町田啓太・山下健二郎・佐藤寛太・佐藤大樹・八木将康・岩谷翔吾・山本彰吾
【White Rascals】 黒木啓司・遠藤雄弥・稲葉友・栁俊太郎・廣瀬智紀・松田凌・西川俊介・西村一輝/喜矢武豊・樽美酒研二
【鬼邪高校】 山田裕貴・鈴木貴之・一ノ瀬ワタル・青木健・清原翔・陳内将
【RUDE BOYS】 窪田正孝・佐野玲於・ZEN・佐野岳
藤井夏恋・鈴木梨央
【達磨一家】 林遣都・阿部亮平・小澤雄太・水野勝・田中俊介・守屋光治・井澤勇貴
【苺美瑠狂】楓・佐藤晴美・山口乃々華・城戸愛莉
藤井萩花・坂東希
【DOUBT】 中村蒼・秋山真太郎・武田航平
【MIGHTY WARRIORS】 ELLY・大屋夏南・野替愁平・白濱亜嵐・ANARCHY・LIKIYA・祐真キキ
【プリズンギャング】 NAOTO・関口メンディ―・岩永ジョーイ・武尊・城戸康裕・JAY・中谷太郎
【雨宮兄弟】 TAKAHIRO・登坂広臣
【ムゲン】 AKIRA・青柳翔
【九龍グループ・幹部】橘ケンチ・小林直己・尚玄・小野塚勇人・渡邉紘平・武田幸三・夕輝壽太・白石朋也・荒木秀行・黒石高大
池上幸平・中井ノエミ 長谷川初範・堀部圭亮 /豊原功補
【九龍グループ・会長】岩城滉一・岸谷五朗・加藤雅也・笹野高史・髙嶋政宏・木下ほうか・中村達也・早乙女太一 /津川雅彦
公式サイト: http://high-low.jp
(C)2017「HiGH&LOW」製作委員会
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