世界の舞台の面白さ(1)ブロードウェイ前編

2015.10.1
コラム
舞台

世界一の劇場街・ブロードウェイ

筆者は自称、日本イチ日本と日本語が好きな帰国子女である。いちばん好きな日本語は、「時間調整のため1分少々停車します」(車内アナウンス)。時刻表通りに電車が運航している国はもとより、そもそも時刻表が存在する国自体が多くないなか、1分ではなく1分少々レベルで正確さを保とうとしてしかもそれをわざわざ知らせてくれる日本人がたまらなく愛おしいし、それを有難いどころか当たり前、なんなら「すぐ発車しないのかよ」とちょっとイライラしながら受け止めちゃってもいい日本(東京)がこの上なく住みやすい。

小説や映画、ドラマにしても、基本的にはそうした日本の文化や風俗に根差した表現をこよなく愛しているので、洋画も海外文学・ドラマも好んでは鑑賞しない。それなのに、なぜ舞台だけは海外で観まくっているのかというと、色々な意味で「面白い」からである。例えば何がどう面白いかというと──。

1分少々の遅れは気にしない

最も頻繁に訪れているニューヨークの劇場街・ブロードウェイで舞台、特にミュージカルを観る面白さは、やはりまず中身のレベルの高さにある。「いやいや、和製ミュージカルのレベルだって今や引けをとらないほど上がっているじゃないか」という声もあろうが、考えてみてほしい。小さい頃からミュージカルを当たり前に観て育ってきた作家や音楽家や演出家が、それまでになかった題材、切り口、表現方法を本気で追求して創り上げるのだから、ミュージカルの歴史の浅い日本とはレベルが違って当然なのだ。しかも彼らには、1分少々の電車の遅れなど気にも留めない大胆さがある。「ミュージカルには何らかの教育的メッセージが必要」的な固定概念からなかなか逃れられない日本人の生真面目さはそれはそれで愛しいが、オリジナルミュージカルを創る上では障害となっていることも否めない。

クリエイターだけでなく、キャストの歌唱力のレベルもまた、ブロードウェイと日本ではケタ違いだ。これも当たり前の話で、例えば陸上競技の短距離種目で日本人選手が世界大会の決勝に残ることがほぼ奇跡であるのと同じように、日本人俳優が西洋人、わけても黒人俳優のような声量と音域と正確さで歌うことは、身体能力的に不可能に近い。しかもミュージカルの場合、日本語という言語の持つ響きづらさ問題までのしかかってくるのだから尚更だ。その上ブロードウェイの舞台には、様々な人種の俳優がいる。黒人、白人、アジア人の異質な声が交わって奏でられる極上のハーモニーは、ブロードウェイでしか味わえない醍醐味だ。

誤解のないよう改めて付記しておくと、どんなにブロードウェイのほうがハイレベルであろうと、筆者にとって「日本語で観られるミュージカル」はそれだけで十分すぎるほど尊く、その価値が揺らぐことはない。だからこそ、「いやいや日本だって」と盲目的に擁護するより、本場のレベルの高さと日本の歴史的・民族的ハンデを認めた上で、そのハンデをプラスに変える方法を考えるのが得策だと思うのだ。実際、『ミス・サイゴン』や『[タイトル・オブ・ショウ]』など、日本版がブロードウェイ版以上の感動あるいは笑いを巻き起こした翻訳ミュージカルの成功例は、1分少々を気にする日本人の特性を理解した演出から生まれている。翻訳ものだけでなくオリジナルミュージカルでも、そうした秀作がもっともっと生まれてほしいものだ。

付記が長くなってしまったが、この「ミュージカルのレベルの高さ」が、ブロードウェイで舞台を観る面白さのひとつ。次回は、作品の中身とは少し離れた面白さについて綴ってみたい。