デビュー30周年を迎えるピアニスト・三舩優子に自身のこと、リストの作品への思いなどをきく 『三舩優子 ピアノ・リサイタル 』
三舩優子
ピアニストの三舩優子がデビュー30周年を迎え、それを記念して、2019年6月2日(日)HAKUJU HALLにて『三舩優子 ピアノ・リサイタル デビュー30周年記念 《リスト~巡礼》』をひらく。プログラムは、リストの「巡礼の年第1年〈スイス〉」と「巡礼の年第2年〈イタリア〉」。自身のこと、リストの作品への思いやリサイタルの聴きどころなどをきいた。
ーーこのたび、デビュー30周年記念リサイタルをひらかれますが、まず、デビューの頃についてお話しいただけますか?
1988年秋に日本音楽コンクールがありまして(注:第1位を獲得)、翌89年からいろいろお仕事をいただくようになったので、そこをデビューとしています。89年に桐朋学園大学を卒業し、90年秋からアメリカに留学しました。
ーー幼少の頃もアメリカで過ごされたと聞きました。
6歳から12歳まで、ニューヨークの対岸のニュージャージーにいました。
ーー留学は、ニューヨークのジュリアード音楽院だったのですね。
英語に不自由しなかったですし、友人知人もいて、叔父も住んでいて、懐かしい場所に帰るという気持ちで留学しました。ジュリアード音楽院の音楽学のジョセフ・ブロッホ先生にお会いした時に、マーティン・キャニン先生を薦められ、オーディションを受けて、キャニン先生に師事するようになりました。そのほか、パールマンの共演者として知られるサミュエル・サンダース先生の室内楽のクラスも取りました。フルート、ヴァイオリンと、それぞれデュオを組んでいました。ニューヨークは眠らない街と言われますが、夜11時くらいまで練習して、それからジャズを聴きに行ったり、朝まで遊んだり(笑)。よく学び、よく遊びましたね。リンカーン・センターの前に住んでいたので、バレエやオペラにも行きました。文化庁派遣研修員として2年間留学し、1992年の夏に日本に帰ってきました。
三舩優子
ーーそして1994年にデビューCDとしてリストの「巡礼の年第2年〈イタリア〉」を録音されましたね。どうしてリストだったのですか?
学生時代からリストはよく弾いていました。私は大柄なので、リストとかラフマニノフのスケールの大きな曲を先生から与えられることが多かったのです。パドゥラ・スコダ先生はじめ、海外の先生方に褒めていただいたこともあり、リストを多く弾くようになりました。リストは、ピアノの魅力を最大限に活かす作曲家で、弾いていて心地よく、私の中で特別なつながりを感じます。
「ダンテを読んで」(注:「巡礼の年第2年「イタリア」」の最後に収められている15分ほどの曲)を卒業試験で弾き、その後のコンサートでも弾いたりしていたので、それをCDに入れたいと考え、「巡礼の年第2年〈イタリア〉」全曲にしました。「ダンテを読んで」は大曲であり、悪魔性があり、天国と地獄を経て浄化という私のテーマをよく表している曲だと思いました。私は若い頃から、リストの祈りや抒情性に惹かれてきました。リストはまず歌があって、そこに音をつけていく。ショパンは全体的にピアニスティックですが、リストは歌曲やオーケストラからの編曲もあり、違う何かをイメージしてそれをピアノで表しているところに魅力を感じます。
ーー翌年の2枚目のアルバムもリストの作品集でした。
レパートリーにリストが多かったですし、前作がデビュー盤にしては地味めだったので(笑)、他の有名な曲を入れて、もう1枚リスト・アルバムを作ることにしました。
三舩優子
ーーそのあとは、アメリカ音楽が続きましたね。
アメリカの音楽を弾く人が今ほど、いませんでしたから。「ラプソディ・イン・ブルー」でさえ、当時はジャズの人しか弾かなかったと思います。ニューヨークで勉強した、良いものは広めていきたいという気持ちがあったので、デビュー20周年のときに、留学時代に出会い、ずっと出したいと思っていたバーバーのピアノ作品集を出しました。アメリカ音楽を弾き続けてきたことによって、アメリカ音楽が自分のカラーとなり、自分の持ち曲となることができたので、続けることは大事だと思います。
ーー30周年リサイタルのプログラムはどのように決めたのですか?
個人的には、娘がアメリカの大学に入り、子育てが一段落し、いろいろな人生経験をして、「浄化」というところに近づいてきたという感じがありました。30周年のリサイタルに何をやろうかと考えていたのですが、“巡礼”という言葉がふとわいてきて、デビュー・アルバムでは、「巡礼の年第1年〈スイス〉」をやっていなかったので、長いプログラムになってしまうのですが、この機会に「巡礼の年第1年」も弾こうと思いました。そして、残りの「巡礼の年第3年」は来年やろうと思っています。
心情的にも巡礼に出たいという気持ちになり、イタリアに行ったことがなかったので、この機会にローマに行きました。宗教や信仰を基にすべての生活や思想が成り立っていることを目の当たりにし、巡礼とはこういうことかと思いました。そして、ローマには、教会、天使、十字架、鳥などの、自分の中でイメージしていた巡礼のキーポイントがすべてあり、それらも明確になりました。
ーーデビュー・アルバムの頃と比べて、今の演奏はどう変わりましたか?
今は、パルス、つまり脈拍や呼吸を一番大切にしています。呼吸が大きくなって、音と音の間を大事にするようになったと思います。ピアノは音が多いので、音を弾くことで精一杯になりがちですが、今は、音が言葉に感じられるようになりました。自分の言葉で物語るという気持ちですね。楽譜に書いてあるからやるのではなく、自分の心の声を大事にしています。
三舩優子
ーーリサイタルの聴きどころを教えていただけますか?
絵画的な曲集なので、それぞれの方にいろいろな風景をイメージして描いていただければうれしいです。今回は、ゲストに個人的にも親しい神津カンナさんにいらしていただき、作品の題材となっているペトラルカの詩を朗読したり、作品について語っていただくのが、とても楽しみです。ペトラルカのソネットだけでなく、ダンテや「オーベルマン」などの文学作品と音楽が結びついて、どういう世界観に広がるのかを感じていただければと思います。文学と絵画と音楽はまさに私がずっと愛してきたものです。
ーーこれからの活動について教えていただけますか?
30周年は節目ですが、31年、32年も同じようにピアノと向き合い、長くピアノを弾いていければと思っています。
ドラム・パーカッションの堀越彰さんとのOBSESSIONは5年目です。佐山雅弘さん、斎藤雅広さん、私の3人で3台ピアノのコンサートをしたときに、堀越さんと初めて共演しました。堀越さんは、歌うドラムス。エレガントで音に寄り添うようなドラムスなのです。OBSESSIONのキャッチフレーズが「最小にして最大のオーケストラ」。クラシック・ピアノとドラムスの組み合わせは世界でも他にないようです。レパートリーはクラシックがほとんどで、今年、2枚目のアルバムを録音する予定です。
ソロでは、来年、「巡礼の年」の残りを弾きます。バッハも弾きたい曲があります。そのときどきで、やりたいレパートリーを弾こうと思っています。東日本大震災の後、チャリティ・コンサートも多くなりましたが、音楽は祈りであるという意識がアーティストに根付いてきたように思います。音楽の“巡礼”を、自分のためにも続けていきたいと思います。
三舩優子
取材・文=山田治生 撮影=山本 れお
公演情報
日程:2019年6月2日(日)
場所:HAKUJU HALL(渋谷区富ヶ谷)
三舩優子
ゲスト:神津カンナ
曲目・演目
フランツ・リスト:巡礼の年 第1年「スイス」
フランツ・リスト:巡礼の年 第2年「イタリア」