『カラヴァッジョ展』鑑賞レポート 聖と俗の狭間に生きた、西洋美術史最大の革命家の人生をたどる

2020.1.20
レポート
アート

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《法悦のマグダラのマリア》1606年(個人蔵)

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強烈な明暗の対比や、迫真的な人物表現によって人々の心を惹きつけてきたカラヴァッジョ。西洋美術史最大の革命者とも言われる画家の、劇的な人生と作品に焦点をあてた展覧会『カラヴァッジョ展』(会期:〜2020年2月16日)が、あべのハルカス美術館にて開催中だ。

会場エントランス

本展は、カラヴァッジョ(本名:ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ)の、十数年にわたる画業を3章構成でたどるもの。展示前半では、故郷のミラノからローマに出て画才を発揮した頃の名作《リュート弾き》をはじめ、大阪会場のみ出品される作品2点が公開される。後半は、35歳で殺人を犯し、南イタリア地方を転々としながら、逃亡生活の果てに38歳で没するまでの期間に生まれた数々の傑作を通して、表現の変遷をなぞっていく。

展示風景

ほかにも“カラヴァッジェスキ”と呼ばれるカラヴァッジョに影響を受けた追随者たちや、同時代に活躍した画家、カラヴァッジョが描いたと推定される帰属作品などを含む約40点の作品が会場に集結。

右:17世紀前半の不詳画家《聖トマスの不信(カラヴァッジョ作品からの模写)》1610年頃-66年(ウフィツィ美術館蔵)、左奥:グイド・レーニ《ルクレティア》(個人蔵)

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(?)《横たわる洗礼者聖ヨハネ》(個人蔵)

本展を担当する浅川真紀氏(あべのハルカス美術館 上席学芸員)は、カラヴァッジョがもたらした西洋美術界における変革を「斬新な光の表現とリアリズム(写実)にある」と説明する。ルネサンスやマニエリスム期では、画面に漫然とした光が満ちている作品が多かったことに対して、カラヴァッジョは、ある一方向からスポットライトがあたったように光を描くことで、闇と光のコントラストを強調する新たな表現を生んだという。

さらに、人体表現においても、理想化や調和が重んじられていたルネサンス期の作品とは異なり「美も醜も、命あるもののありとあらゆる側面をすべてえぐり出して、リアルに描き出している」と、浅川氏。

そんなカラヴァッジョの現存作品はわずか60点強とされ、国外に作品が出品されるのは極めて貴重な機会とのこと。また本展は東京に巡回せず、札幌、名古屋、大阪の地方都市のみで開催されている(札幌、名古屋会場は会期終了)。臨場感あふれる作品が集う会場より、本展覧会の見どころをお伝えしよう。

写実的な描写に優れたカラヴァッジョ

本展で公開されるカラヴァッジョの作品は、帰属作品2点を含む全10点。各章には、カラヴァッジョを中心とした人間関係を図式化したものや、テーマごとのコラム、実際のエピソードや歴史的な事実に基づいて、カラヴァッジョの心情を彼の口ぶりで解説しているパネルなどが設置されているので、作品と併せて楽しみたい。

解説パネルに描かれたカラヴァッジョのイラストは、『テルマエ・ロマエ』で知られる漫画家のヤマザキマリが描いたもの。

13歳で絵画修行をはじめたカラヴァッジョは、ミラノの画家シモーネ・ペテルツァーノのもとで静物画の腕を磨いていた。そしてカトリックの聖年(25年に1度の特別な年)にあたる1600年。教会の改装工事や装飾事業が盛んになり画家たちの仕事が増えると、その需要を見込んでカラヴァッジョもミラノからローマに出ていった。当時20代前半だった若きカラヴァッジョは、ローマの人気画家カヴァリエーレ・ダルピーノの工房で、果物や花を描くことを任されるくらい静物画を得意としていたという。

ハートフォードの画家/ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ(?)《花瓶の花、果物および野菜》1605-06年頃より前(ボルゲーゼ美術館蔵)

第1章「1600年前後のローマにおけるカラヴァッジョと同時代の画家たち」では、カラヴァッジョが描いたと推定される作品《花瓶の花、果物および野菜》が紹介されている。一つひとつの静物が克明に描かれ、まるで図鑑を見ているような描写が目を引く名品だ。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《リュート弾き》1596-97年頃(個人蔵)

優れた静物描写は《リュート弾き》にもあらわれている。本作は、カラヴァッジョの才能を見出し、パトロンとなったデル・モンテ枢機卿の邸宅にて、スペイン人のカストラート(去勢された男性歌手)を描いたもの。ガラスの花瓶に映り込む室内の風景や、水滴がついた花弁などに見られる写実的な描写だけでなく、少年の肌のふっくらとした柔らかさが伝わるような質感にも注目したい。さらに、バイオリンが手前に飛び出しているような構図は、鑑賞者と作品の空間がつながっているように感じられる、カラヴァッジョの“突出効果”と呼ばれる技法を駆使している。

会場には《リュート弾き》を3D化した立体展示も。赤いボタンを押すと、絵画の中に描かれた譜面どおりに、リュートの音色が響く。

大阪会場でしか見られない《悲嘆に暮れるマグダラのマリア》と《執筆する聖ヒエロニムス》

大阪会場のみの展示となる2作品も見逃せない。その1点が、ルーブル美術館に収蔵されている《聖母の死》の一部分を描いた、カラヴァッジョの習作《悲嘆に暮れるマグダラのマリア》だ。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《悲嘆に暮れるマグダラのマリア》1605-06年(個人蔵)

《聖母の死》は本来教会のために描いた祭壇画だったが、聖母マリアの死体があまりにもリアルに描かれたため、教会側から受け取りを拒否された作品。「カラヴァッジョは素描や習作が残っている作品があまりなく、貴重な作例です」と浅川氏はいう。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《執筆する聖ヒエロニムス》1605-06年(ボルゲーゼ美術館蔵)

もう1点は、カラヴァッジョが暴力沙汰を起こした際、彼の味方となって事件の調停を行なったシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿へのお礼として描かれた《執筆する聖ヒエロニムス》。ヒエロニムスは学者肌の聖人であり、ギリシャ語やヘブライ語で書かれた聖書をラテン語に翻訳した人物。片手にペンを持ち、分厚い本を集中して読んでいる様子を描いた本作について、浅川氏は「聖ヒエロニムスの丸い頭部と左側に描かれた髑髏が、造形的に呼応しながらも、生と死の対比になっている」と解説する。

左:アンティヴェドゥート・グラマティカ《清純の寓意》1620年頃(個人蔵)、右:オラツィオ・ローミ・ジェンティレスキ《聖母子(イエスを待ち受ける悲劇を感じとる聖母)》(個人蔵)

第1章ではほかにも、カラヴァッジョと仲が良かったオラツィオ・ローミ・ジェンティレスキの作品や、カラヴァッジョと敵対しやがて裁判にまで発展したジョヴァンニ・バリオーネなど、同時代にローマで活躍した画家たちの作品も並ぶ。

ジョヴァンニ・バリオーネ《聖ペテロの悔悛》1606年(サバウダ美術館蔵)

心理的な闇の深さが際立つ、逃亡中の作品群

ローマで成功をおさめたカラヴァッジョだが、癖の強い性格ゆえに、乱暴狼藉をはたらくことが多かったという。様々な暴力事件を起こす中で、1606年にはとうとう殺人を犯してしまう。カラヴァッジョは「バンド・カピターレ」と呼ばれる事実上の死刑宣告を受け、そこから4年に及ぶ逃亡生活がはじまる。ナポリやマルタ島、シチリアなど南イタリアを転々としつつも、彼は絵筆を取り続けた。

第2章「カラヴァッジョと17世紀のナポリ画壇」では、逃亡生活中に描いた作品が紹介される。この時期の作風について、「リアリズムでありながらも、若干筆触が粗くなり、闇が深くなっている。闇の持つ意味合いが単なる明暗に留まらず、心理的、精神的なものを含めた上での闇になっている」と浅川氏。《聖アガピトゥスの殉教》は、ローマの近郊都市パレストリーナの地で、潜伏していたカラヴァッジョを匿ってくれた人物へのお礼に描かれたと言われている。

左:ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《聖アガピトゥスの殉教》1606-09年頃(司教区博物館蔵)、右:同作者《聖セバスティアヌス》1606年(個人蔵)

元娼婦だったマグダラのマリアの、法悦(信仰を極めて神と交感し、恍惚状態に至ること)の瞬間を描いた《法悦のマグダラのマリア》。大きく体をのけぞらせて、天を仰ぐ女性の肌や髪の毛の質感など、写実的な表現をじっくり堪能したい。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《法悦のマグダラのマリア》1606年(個人蔵)

浅川氏は「逃亡中に描いた絵の中には、画家が自ら犯した罪を後悔し、赦されたいと思っていたかもしれない心情があらわれていたのではないか」と語る。

画家のDNAを受け継いだカラヴァッジェスキの作品も見逃せない!

第2章では、カラヴァッジョの人間観察眼に優れた才能が発揮された風俗画《歯を抜く人》も展示されている。ペンチで歯を引っこ抜く場面を描いた本作では、同情の目を向ける人や、好奇心をあらわにする人、興味がなさそうに頬杖をつく人など、様々な反応を示す登場人物たちの表情が、鑑賞者を飽きさせない。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《歯を抜く人》1608-10年頃(ウフィツィ美術館群パラティーナ美術館蔵)

また、カラヴァッジョが行く先々で残した作品は、彼の絵画様式を各地に広めることになり、多くの追随者を生み出すことにつながった。第2章および第3章「カラヴァッジョ様式の拡がり」では、そうした“カラヴァッジェスキ”たちの作品を通して、カラヴァッジョのDNAが受け継がれていった過程をたどることができる。

左:バッティステッロ・カラッチョロ(本名ジョヴァン・バッティスタ・カラッチョロ)《子どもの顔あるいは幼い洗礼者聖ヨハネ》1607-10年頃(市立フィランジェリ美術館蔵)、中央:同作者《キリストの洗礼》1610年頃(ジロラミーニ教会絵画館蔵) 右奥:ジュゼペ・デ・リベーラ《洗礼者聖ヨハネの首》1646年(市立フィランジェリ美術館蔵)

ローマで最も活躍したカラヴァッジェスキのバルトロメオ・マンフレーディは、カラヴァッジョの明暗のコントラストや写実性を引き継ぎながらも、人物の表情の豊かさや、複雑さが際立っている。のちに「マンフレーディーの手法」と呼ばれる、カラヴァッジョを踏襲しながらも画家が作り上げた技法が、当時のローマで流行したという。

バルトロメオ・マンフレーディ《荒野の洗礼者聖ヨハネ》1608-12年頃(個人蔵)

バルトロメオ・マンフレーディ《カインとアベル》1620年頃(ウフィツィ美術館群パラティーナ美術館蔵)

浅川氏は「カラヴァッジェスキの作品には、カラヴァッジョらしい部分もあれば、そうではない部分もある。作者の個性や技量とカラヴァッジョの様式が、どのように融合していったかを見るのも面白い」と話す。

フィリッポ・ヴィターレ《ホロフェルネスの首を斬るユディト》1635年頃(個人蔵)

人生のラストシーンに寄り添った《洗礼者聖ヨハネ》

4年間の逃亡生活を経た後、カラヴァッジョは恩赦を求めて再びローマへ向かう。しかしその途中で熱病におかされて、1610年に38歳の若さで亡くなった。第3章では、カラヴァッジョが死の直前まで携えていた絵画3点のうちの1点《洗礼者聖ヨハネ》が展示される。

ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョ《洗礼者聖ヨハネ》1609-10年(ボルゲーゼ美術館蔵)

《洗礼者聖ヨハネ》は、当時ローマにいたシピオーネ・ボルゲーゼ枢機卿のために描いた作品。旧知のパトロンを通して恩赦を画策したカラヴァッジョは、本作品を枢機卿に届けるため、1610年の7月に船でナポリを出発しローマへ向かった。「憂いを帯びたヨハネの眼差しは、どこか哀れむような表情をしている。画家の人生のラストシーンに寄り添っていた絵を通して、カラヴァッジョの晩年の心情に、鑑賞者も心を寄せることができるのではないか」と浅川氏。ローマ教皇の恩赦が出たのは、画家の死後直後だったと言われている。

浅川氏は、カラヴァッジョについて以下のようにコメントした。

「カラヴァッジョは、聖と俗の狭間で生きた画家。乱暴者だったが、絵筆を取れば誰もが聖なる奇蹟を目の前で見ているかのような絵を描いた。彼は、聖人を描くにも娼婦をモデルにして描いてしまう。それでも彼の絵は崇高な絵画として人々の心に訴えかけた。絵の中にも画家自身の中にも、聖と俗が同居していたし、これほどまでに生の真実を描き切った人はいないと思う」

カラヴァッジョの劇的な人生と作品が、絵画の歴史にもたらした影響の大きさを感じ取れる『カラヴァッジョ展』は、2020年2月16日まで。

イベント情報

カラヴァッジョ展
 
会期:2019年12月26日(木)〜2020年2月16日(日)
会場:あべのハルカス美術館
開館時間:火〜金 10:00〜20:00 / 月土日祝 10:00〜18:00 ※入館は閉館30分前まで
休館日:1月14日(火)
観覧料:一般 1,600円(1,400円) / 大高生 1,200円(1,000円) / 中小生 600円(400円) ※()内は15名以上の団体料金