ミュージカル『NINE』出演の咲妃みゆ、その女優としての魅力に迫る

2020.9.15
インタビュー
舞台

咲妃みゆ

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映画史に輝く名匠フェデリコ・フェリーニの自伝的作品『8 1/2(はっかにぶんのいち)』を原作としたブロードウェイ・ミュージカル『NINE』が、主演に城田優を得て上演される。スランプ中の映画監督グイドが、人生で出逢ったさまざまな女性たちと繰り広げる物語で、『ファントム』も手がけているアーサー・コピット(脚本)&モーリー・イェストン(作詞・作曲)のコンビによる作品だ。グイドの妻ルイザ役を演じる咲妃みゆは、宝塚雪組トップ娘役を経て、退団後も数々の舞台でヒロインを務めるなど活躍を続けている。演じることへの思いを聞いた。

――この作品に出演が決まっていかがでしたか。

以前から知っていたミュージカル作品だったので、本当にうれしかったです。大人なお話という第一印象がありました。映画版だったり、原作映画であるフェデリコ・フェリーニさんの『8 1/2』であったり、スペイン語の舞台版の映像コンテンツだったり、そういったものを深く観進めていくと、登場人物それぞれのドラマがとても魅力的だなと理解が進んできて、より一層出演できる喜びを感じています。それぞれの心情がこれほどまでに見事に楽曲の中で表現されるんだと、いち鑑賞者としてはとても驚きましたし、それと同時に(楽曲が)とても素敵だなと感じたので、そこはミュージカルならではの魅力だと感じます。

咲妃みゆ

演出家さんによっても表現方法が異なっていて、一つとして同じ演出はない、これで正解という演出がないところも見どころであり魅力の一つかなと。ですから今回の藤田俊太郎さん演出バージョンの『NINE』をお届けできることがとても楽しみです。藤田さんには、作品について、そして演じさせていただくルイザのイメージに関して、いろいろなお話をうかがいました。原作となった『8 1/2』をはじめ、フェデリコ・フェリーニさんの作品の世界観のオマージュでありたいと思っていらっしゃるということをうかがって、とても素敵だなと。お客様にも、舞台をご覧になっていながら、映画館で映画をご覧になっているような感覚も感じていただけるんじゃないかなと思っています。

演じさせていただくルイザという役へのアプローチの仕方についても徐々にお話をうかがってきているのですが、今の段階では、フェリーニさんの奥様ジュリエッタ・マシーナさんをよく研究していって欲しいですということをおっしゃっていて。フェリーニさんの作品の中で、ジュリエッタさんが主演を務められた作品がいくつかありますし。その中には、『魂のジュリエッタ』のように、実際のご夫婦の関係性をまさに表していたような作品もあるので、そこから得られるものを今勉強している段階です。『魂のジュリエッタ』は、不倫をしてしまう旦那さまをもつジュリエッタさんのすべてを投影したような作品だから、最初台本を見たとき、彼女が怒ってしまったという話もあるみたいで、撮影の雰囲気はけっこう険悪だったとも(笑)。作品のラストの解釈も、フェリーニ監督とジュリエッタさんとでは真っ二つに分かれていて、それはそれで、それぞれ自立していて、ある意味かっこいいなと思っちゃいました。

咲妃みゆ

今回、作品、そして役作りに挑むにあたっては、何だか、最大の理解者が常にいてくださるような気がしていて。フェリーニ監督の作り上げられた映画には、彼自身、そして彼の経験したことが詰め込まれているので、そこからヒントをいただけることがたくさんあるんじゃないかなと思うと、とても心強いなと勝手に感じています。

――そんなジュリエッタさんが投影されているであろうルイザを今回演じられます。

いろいろな夫婦の形があって、二人の場合、現状は決して明るいものではないんですよ。けれども、お互いの間に、少なくともルイザの中には、グイドへの確かな愛が流れ続けていると思うんです。私は、フェリーニ監督作品に出演しているジュリエッタさんを観て、そう思いました。ジュリエッタさんとお話ししたことはないですけれども、その演技を観ていると、フェリーニ監督への尊敬を確かに感じたので。そこは今回、ルイザを演じさせていただく上でも絶対にもっておきたい共通項だととらえています。旦那さまのことが好きなんですよ~、結局(笑)。

劇中歌でも、私は彼の一番のファンということを歌っているシーンがあるので、それが彼女のすべてなのかなと思っています。私が演じる上で大切にしたいのは、決して哀しいだけの女性ではないということですね。彼女が自分で選んだ人生に起こっている出来事にただ向き合っているだけということを大切にお稽古に挑みたいなと思っています。

――グイドを演じる城田優さんについてはいかがですか。

今までご出演されたたくさんの作品を拝見してきて、そのたびに、城田さんは、各お役そのものに魂を注ぎ込み、ご自分そっちのけで挑んでいらっしゃるように見えたんです。それはときとしてとてもエネルギーの必要なことのはずなのに、とてもいきいきしてらっしゃって、いったいどれほどのパワーをおもちの方なんだろうと思ったのが、お会いするまでの印象でした。

咲妃みゆ

実際にお会いすると、ご本人から発せられる言葉にはとても温かみがあって、周りの方への敬愛を感じる瞬間がたくさんあり、それは、対「人」であれ、対「お仕事」であれ、変わらないんだろうなと、初対面のときに漠然と感じたのを覚えています。ご自身は、「自信がなくて~」とか、「だめなんだよ~」とか、あの輝かしい舞台、パフォーマンスを届けてくださる城田さんからは想像がつかないようなことも仰るんですけれども、その、一見弱いと感じるような部分、ご自身で抱えていらっしゃる感情もきっと、城田さんの魅力の一つになっているんだろうなとすごく感じます。謙虚なお心でお仕事にも周りの方々にも向き合っていらっしゃって、いつかご一緒させていただきたいと思っていた俳優さんですので、今回共演できて本当にうれしいです。

――咲妃さんご自身、舞台上で役に没入していらっしゃるという印象を受けてきました。

(笑)。そういうお言葉をいただくことが多いんですが。自分が自分じゃない! みたいになった瞬間は、本当に数えるほどしかなくて。別に、そうありたい、それだけが正解とも思っていないですが。その瞬間は、突然訪れるので、自分でもびっくりするんですけれども。演じることはもちろん大好きですし、これからも追求していきたいことなんですが、正直なところ今は、いただくお言葉と自分自身の把握している現状が一致しなくて。宝塚在団中からそうなんです。自分のことが本当にわかっていないただの愚か者なのか、私は何なんだっていうところにけっこう行き着くんですよ。

――では、客席で観ていて「入っている!」と感じる瞬間、いったいどうなっていらっしゃるんでしょうか?

どうなっているんだと思います?(笑)

咲妃みゆ

――自分自身を見ているもう一人の自分がいるとか?

あ、それはまだ行き着いていないです~。そういう方、いらっしゃいますよね。ちゃんと俯瞰して自分を見ることはとても大切だって言いますし。それができていらっしゃったのが、相手役を務めさせていただいた早霧せいなさんですね。自分もそうありたいです。舞台って決して一人で作り上げているものじゃないから、その俯瞰する能力をどうにか備え付けたいと思うんですけれども、まだわかりません、困ったことに。

――じゃあ、舞台上に観ているものはいったい…(苦笑)。

正直に申し上げると、歌劇団にいたころは、演出家さんや、相手役さんはじめ、アドバイスを日々くださる方々のお言葉を信じて突き進むのみでした。自分の感情でというよりは、皆さんに言っていただくことをどうにか実行したいというその一心でしたね。だからある意味、自分自身を見失っていたというか、周りの方からいっぱい言っていただくことで固められ構築されて、芯がからっぽになっちゃって、それでバランスを崩したときもあるくらいで。

そのとき、ちぎさん(早霧)から言っていただいた、「貝に閉じこもらないで!」という言葉がすごく印象に残っています。できない!ってもうシャットダウンしそうになるところを、ちぎさんがこじ開けてくださいました。本当に助けていただきながら日々の舞台を務めていたんですが、宝塚を卒業するとそうもいかなくなり。自分自身で何とかせねばという時間の方が増えて。切り拓こうとしたときに、今まで助けてくださった方々のお言葉の真意がわかったりするんですよね。甘えてはいけない! と思いながら生きてきましたが、すごく甘えさせてもらっていたんだなと感じました(笑)。本当に、評価していただけるような人間じゃないんですよ、困ったことに。

咲妃みゆ

――目指すところが非常に高いということなんじゃないですか。

でも、私、目の前のことに精いっぱいだから、目指せてない~。

あのですね、昨年、ニューヨークに行かせていただいて、ブロードウェイ・ミュージカルを初めて自分の目で観、肌で感じ、一番心動かされたのが、「あ、お客様って、楽しむために来てくださっているんだ」ということでした。そこにようやく気づけたというか。どこか、私は、いい舞台をお届けせねばとか、勝手に、評価を受ける場だと思っていたところがあって。そんなことを思っていた自分が恥ずかしいくらい、お客様って、開演前のアナウンスからものすごく歓声をあげて楽しみ、舞台上の幸せなシーンでは甘い空気に包まれたり、悲しいシーンでは落胆の声をあげたり。日本の舞台では、観劇に際してもとにかく礼儀作法が重んじられていて、日本は日本で素敵な劇場空間だと思うんですが。でも、お客様が楽しんでくださっているのは共通のはずだということがわかって。

だから、それ以降、各ステージもちろん緊張はしますけど、それまでとは何かが変わりました。ジャッジされているんじゃない、お客様は緊張している私を観に来てくださっているんじゃないと思ったら、ちょっと肩の荷が下りたというか。これをもうちょっと早く感じておければ、と思いましたね。歌劇団のころはなおさらです。でも、その緊張感とか、精いっぱい感が、あのときの私には必要だったんだと、今となっては思いますけれども。そこがあっての今なので。

歌劇団にいたころは、自分自身の幸せのためだけにこのお仕事をさせていただいているんじゃないし、公私共に、すべての言動が劇団に影響するということを、常に自分自身に叩き込んでいました。そういう風になったのは、(初めて宝塚バウホール&東上作品のヒロインを務めた)『春の雪』以降ですね。映像を観返すと、いきいきとしているんですよ、それまでの私。民衆の役とか、一瞬だけカメラに映る自分を見つけたときに、なんて楽しそうにお芝居しているんだろう~って。でも、そのときの私には責任感がなかった。ただ本当に楽しくて、舞台に立てるだけで幸せと思っていたから。そこを経て、責任ある立場に立つ上での苦労も喜びも感じさせていただけました。私の中で、節目節目があって。それは、卒業後も続いています。

咲妃みゆ

――責任ある立場にあった時期は、舞台が楽しくなかった?

楽しかったのですが、お客様に楽しんでいただけることが楽しいというか、幸せにつながっていたというか。正直、何だか、自分の感情は二の次だったんですよ。私が幸せとか、私が楽しいとか、どうでもいいってなっていて。

劇団の方と、年に一回、個人面談があるんです。今思っていることを何でもいいから言ってくださいねと言われるんですが、そのときに私、何もないですと本当に心から思っていて。「雇ってくださってありがとうございます」って毎年言って、そのたびに苦笑されていました。ある意味、自我を押し殺して過ごしていましたし、それが私のやりたいことだったので、何の後悔もないです。退団から3年の時を経て、こうしてようやく話せるようになったことではありますが。自分自身、当時をゆっくり振り返る心の距離がようやくできたという感じなので。精いっぱいすぎる自分、嫌いじゃなかったですけれども、今、少々の妥協を許せる自分も嫌いじゃないです。

――そんな大変な時期を経て、退団後も活躍を続けていらっしゃいます。

本当に私は周りの方々に恵まれているなっていつも感じますね。俳優業をやらせていただく上では、求めていただけることって本当にありがたいから。自分が舞台に立ちたい! と思っていても、私一人じゃ何もできないから。歌って踊ってパフォーマンスする、そういう場を与えていただけるって、なんてありがたいんだろうと本当に思います。芸術系の家庭で育ってきたわけではなかったから、宮崎の親戚の中では異色の存在なんですよ。家族を含め、周りの方々が私を励まし、応援してくれている。もう本当に、感謝! ですね。感謝しかない。その感謝があるから、これからも、さんざんもがく覚悟はしているんです。

咲妃みゆ

――今は舞台、楽しいですか?

在団当時もちゃんと楽しかったのですが、楽しさの種類が違うというか。宝塚の娘役でいられることが幸せだったんですね。今は、本名の自分でいられる時間に慣れてきました。おもしろいんですけど、劇団にいたころって、私、自分の本名を一瞬忘れることがあったんです。

――えっ?

『千と千尋の神隠し』みたいでしょう? 名乗りはほとんど「咲妃みゆ」だったし、本名の自分で過ごす時間が、今と比べてかなり少なくて。本名を言うときも、思い出して言う感じで(笑)。

――「咲妃みゆ」を常に演じていたということですか?

娘役としてこうありたいというのはありました。それが卒業するまでぶれませんでした。だから、娘役でいることに何の苦労もなかったし、あえて作っていたわけではなくて。不思議ですよね。下級生のころから、「本当?」って言われることが多くて。「本当のゆうみちゃんなの?」って言われることが多かったんですけど、皆さん、ある程度私を知ると口を揃えて、「あ、本当だった」とおっしゃる感じで。もともとがちょっと、変なんでしょうね。変わっているんですよ。下級生のころ、「変わってるね」とか、「不思議な子」という言葉が、私には悪口に思えて。とても傷つく言葉だったんです。やっぱり、協調性あってこその歌劇団だという認識があったし、突出したくないという思いがすごくあったから。

咲妃みゆ

――才能があったら突出してしまうじゃないですか。

いやいやいや~、そういうことじゃなくて~。今、29歳になって、「変わっているね」という言葉を、受け入れられるようになりました。あ、悪いことじゃないんだと思って。

すごく細かいことを言うと、私、くせっ毛なんです。昔はそのことにも抗ってたんですよ。さらさらストレートになりたい、なんでみんなと私は違うの? みたいなことを思ってたんですが、今は、自分のこのくせっ毛が好きだし、抗うことをやめたので、くせっ毛だねと指摘されても、否定的な言葉には聞こえないです。そうなんですよ~って。うまくつきあっていくしかないという覚悟ができたんですかね。

自分は自分で生きていこうと思えたときから、たぶん、自分らしくいられるようになったんじゃないかなと思います。どの瞬間と言えないですけれど。周りの方々に支えていただく中で、そうなれたのかなと思いますね。感謝!

――変わっている、すなわち個性があるということは、こういうお仕事をしていく上では強みでは?

そう言っていただけると……。昔の自分は、理解ができなかったことですね。時を経て、その言葉を、ありがとうございますと受け入れられるようになりました。

――では、演じる上で、ご自身が認識していらっしゃる強みとは?

良くも悪くも嘘がつけません(笑)。本当に、お役の心情が理解できなかったら、それが如実に現れるんですよ。それが、演出家さんや、共演者の方々に、手に取るようにわかってしまうのが(笑)、私の欠点であり、長所かなと思います。役者としての私を自己アピールするならば、どの役に対しても真剣に向き合うことでしか生きられませんということですかね。苦労します。作りこめたらどんなに楽かなと。ごまかしがきかないタイプなんですね。

咲妃みゆ

取材・文=藤本真由(舞台評論家) 撮影=池上夢貢

公演情報

ミュージカル『NINE』
 
◇脚本:アーサー・コピット
◇作詞・作曲:モーリー・イェストン
◇演出:藤田俊太郎
◇出演:
グイド:城田 優
ルイザ:咲妃みゆ
クラウディア:すみれ
カルラ:土井ケイト
サラギーナ:屋比久知奈
ネクロフォラス:エリアンナ
スパのマリア:原田 薫
母:春野寿美礼
ラ・フルール:前田美波里
DAZZLE(長谷川達也 宮川一彦 金田健宏 荒井信治 飯塚浩一郎 南雲篤史 渡邉勇樹 高田秀文 三宅一輝)
彩花まり 遠藤瑠美子 栗山絵美 Sarry 則松亜海 原田真絢 平井琴望 松田未莉亜
リトル・グイド(トリプルキャスト):大前優樹 熊谷俊輝 福長里恩
 
◇東京公演:2020年11月12日(木)〜11月29日(日)TBS赤坂ACTシアター
★イープラス貸切公演:11月18日(水)13:00
◇大阪公演:2020年12月5日(土)〜12月13日(日)梅田芸術劇場メインホール
★イープラス貸切公演 12月6日(日)17:00
 
◇東京公演主催:TBS 梅田芸術劇場
◇大阪公演主催:ABCテレビ梅田芸術劇場
◇企画・制作:梅田芸術劇場
◇HP https://www.umegei.com/nine2020/
◇Twitter @nine_2020_
 
STORY
創作スランプに陥った映画監督のグイド・コンティー二(城田優)は、新作の撮影が迫っているにも関わらず、構想が浮かばず苦悩していた。
そんな中、結婚生活に不満を募らせた妻のルイザ(咲妃みゆ)に離婚を切り出されてしまう。グイドは妻との関係修復とスランプ打開の為、ルイザを連れてベネチアへ逃亡。スパのマリア(原田薫)が誘うベネチアの温泉で癒しの時を過ごす筈が、グイドの新作と離婚危機スキャンダルを嗅ぎつけたマスコミが押しかけてきて休まる暇もない。その上、グイドの愛人カルラ(土井ケイト)が追って来て妻との溝も深まるばかり。挙句に映画プロデューサーのラ・フルール(前田美波里)がアシスタントで評論家のネクロフォラス(エリアンナ)を伴い脚本の催促にやってきた。撮影は4日後に迫っている。女性たちに翻弄され現実から幻想の世界へと迷い込んだグイドは、少年時代に戻り母(春野寿美礼)の元へ。さらには自身の性を目覚めさせた娼婦サラギーナ(屋比久知奈)との出会いへと思いを馳せ、失った愛を追い求める。
迷走するグイドは、成功の鍵となる自身のミューズ、女優のクラウディア(すみれ)に新作映画への出演をオファーするが・・・