シンセ番長・齋藤久師が送る愛と狂気の大人気コラム・第八十四沼 『シンセに鍵盤を付けた事の罪と救い。2人の天才エンジニア沼!』

コラム
音楽
2020.11.25

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「welcome to THE沼!」

沼。

皆さんはこの言葉にどのようなイメージをお持ちだろうか?

私の中の沼といえば、足を取られたら、底なしの泥の深みへゆっくりとゆっくりと引きずり込まれ、抵抗すればするほど強く深くなすすべもなく、息をしたまま意識を抹消されるという恐怖のイメージだ。

一方、ある物事に心奪われ、取り憑かれたようにはまり込み、その世界にどっぷりと溺れること

という言葉で比喩される。

底なしの「収集」が愛と快感というある種の麻痺を伴い増幅する。

これは病か苦行か、あるいは究極の癒しなのか。

毒のスパイスをたっぷり含んだあらゆる世界の「沼」をご紹介しよう。

シンセ番長・齋藤久師が送る愛と狂気の大人気コラム・第八十四沼 『シンセに鍵盤を付けた事の罪と救い。2人の天才エンジニア沼!』

電気がなければただの……いや、アホのオヂサン齋藤久師です。いや電気が有ってもろくな者ではないのかもしれない。

 

たまにはシンセサイザーの話でもしよう。

 

実はこの沼コラムを執筆するにあたり、私は二つの目標を自分に課している。

 

その中のひとつは「多くの若者」に読んでもらいたいと思っているのだ。UNKOの話も含めて。

 

というのも、50歳を過ぎた私を含め、多くの人々は、小、中、高、大と最も多感であろう10代の頃に影響を受けた物事の衝撃を長くにわたり引きずって生きていく傾向にある。

 

(といっても、全国のオヂサン、オバサンも是非読んでくれ)

 

ある人はロックミュージックに傾倒し、またある人は釣りに没頭し、そしてマンガやアニメーションの世界を追い続ける者もいる。

 

そんな中で、私は小学校の時に「シンセサイザー」という魅惑的で謎めいた楽器の電子音を初めて聴いて以来、あまりの衝撃に半世紀近くにもわたってその呪縛から逃れられないでいるのだ。

 

つまり、この飽きっぽい私が楽しさを半世紀にわたり継続している。

 

しかし、正直これは良いことだけではない。

 

いつも言っているが、大好きな事を仕事にしてはいけないという事も同時に学んだのだ。

音楽が本当に好きであれば、それは仕事にしないで趣味の世界にとどめておいた方が絶対的に良いのだ。そうしなさい。そうしろ。

例えばでシンセサイザーで言えば、趣味で演奏するだけなら、誰にも迷惑をかけない。(騒音以外は)

しかし、これが一度仕事になり、しだいにそれが周りだしてしてくると、お金を出していただいているクライアントからの注文に「安く」「早く」「的確」に答えなくてはいけなくなってしまう。

マネーはいただくが、精神的にこれではただの奴隷であり不健康だ。なにしろ「自分の好きな音楽」を作れないのだから。

だから私は「おまかせで!」という仕事以外、商業音楽をやらない事に決めている。

多くのビジネスパーソンからは私の上記の発言は顰蹙をかいそうだが、私の中では仕事は楽しくなきゃダメだと思っている。(もちろん、「苦しい仕事が好きなんだ!」というマゾ体質の人には良いと思うぜ)

「嫌な仕事」と考えてしまった瞬間、それはクライアントに、ひいては自分にも嘘をついている事になる。

だがしかし、どうしても音楽関係、音楽クリエーター関係に従事したいという思いが強く、お金が欲しいという思いが1番強いのであれば、音楽再生プレーヤー(スマホでじゅうぶん)と紙と鉛筆を用意し、作詞家になると良いだろう。

紙と鉛筆であれば数百円で済むし、ヘッドフォンとスマホさえ持ち歩けば仕事場所も選ばない。

さらには提供した楽曲がヒットしたら夢の印税生活が待っている。

才能があればの話だが。

あ、そうそう、言い忘れたが「ゲーム」と「アニメ」は鉄板だから、それらとコラボ出来るような作品を作れないとお金にならないよ。

更に、作詞のセンスやスキルだけではこの業界でやって行く事は難しい。

人とのコミュニケーションを円滑に行う事のできる「大人」でなくてはいけないのだ。(何故か夜なのに「おはようございます」と言う)

私には無理だ。いつでも子供のような潜在意識を持っていないと創作が出来ない。

顕在意識が強過ぎると、モノ作りにはなにかと邪魔になる。

 

さて一方でシンセサイザーを始めとしたミュージシャンになる事を選択した場合、先ずは「楽器」を買う事が必要不可欠だ。借りパクは私が許さない。

当たり前だが、良い楽器は高価だし、ヴィンテージともなると毎月修理代だけで猫が10匹も飼えるほどの投資が必要だ。まあ、ピアノの調律みたいなものか。

更に、アコースティック楽器となると、「演奏ができる」まで血の滲むような膨大な時間と修練が必要だ。時間を遡る事はとても難しい。

究極論、音楽で経済的、名声的に成功する人間はほんの一握りだ。お金持ちになりたければ宝くじを買った方がよっぽどマシだ。

なんだか若者に読んで欲しいと言いながら、夢をブチ壊すようなネガティヴ発言をした私の事は恨むな。本当のことなんだから。

きっと貴方がプロフェッショナルになった時に必ずその時が訪れるから。

これが2つめに私が言いたかったことだ。

さて、とにかくシンセサイザーの楽しさを伝えたいという思いで書いている今回のコラムなので、なるべく難しい事は書かないぜ。

ただただ、「あ、シンセサイザーさわって見たい」と思ってもらいたいだけだ。

 

【シンセサイザーって何なんだ?】

現在では、「シンセサイザーって鍵盤が付いていて、ボタンを押したらどんな音でも出てくる便利な代用楽器」だと思っている方が一般的にとても多いのは否めない。

 

だってそうなってしまったのだから。

 

でも、もともとは違うんだなこれが。

実際、世の中で最も新しく開発されたといわれる電子楽器である「シンセサイザー」は、実のところ1895年にはアメリカで既に「テレハーモニューム」として登場しているのであった。

重量はなんと200トン!運搬無理!ヘルニア確定。

200トンってさ、レンガ込みの重さでしょ?なんでレンガにしたのさ。

200トンってさ、レンガ込みの重さでしょ?なんでレンガにしたのさ。

1919年には、ロシアのレオン・テルミン博士が考案した、あの有名ないわゆる「テルミン」が発表された。

例の2本の棒でヒョョョョョョョョョと、肉声、あるいはバイオリンのような音を奏でる電子楽器だ。

そして、1928年には有名なオンドマルトノやトラウトニュームなどが続々と登場。電子楽器の幕開けだ。

更に翌年には、ロックミュージックでは欠かすことの出来ない「ハモンドオルガン」が登場する。

電子楽器の歴史は浅いと言われるが、既に150年近く前から、つまり電気が発明された頃から稚拙な音色ではあるが電子楽器が存在していたというわけだ。

こうして歴史を遡ると、実は電子楽器ってエレキギターより前に出来ていたんだね。

あ、エレキっていうくらいだからエレキギターも電子楽器か。

 

【現代シンセサイザーの原型『RCA ミュージックシンセサイザー』】

なんで皆んなスーツなんだよ!静電気に弱いシンセサイザーは裸で触るのが1番なんだぜ!

なんで皆んなスーツなんだよ!静電気に弱いシンセサイザーは裸で触るのが1番なんだぜ!

その後、大きな世界的な戦争を体験した地球であったが、1955年にドイツから現代のシンセサイザーの原型と言っても良い程の思考やスペックを兼ね備えた「RCA ミュージックシンセサイザー」が登場したのだ。

この「ミュージックシンセサイザー」という部分がとても重要であり、それまで磁気テープによるミュージックコンクレート(具体音楽)や、ジョン・ケージが行っていた実験的で前衛的(よく言えばアーティスティック)なテープ音楽から遥かに自由に制御と表現が拡張された、まさに「音楽を作れる」シンセサイザーが登場したのだ。

RCAはこの時既にオシレーター、エンベロープ、ポルタメント、ベロシティー、フィルター、LFOを備えており、更に1959年に作られた改良型「RCAミュージックシンセサイザーマークⅡ」にはパンチ式のシーケンサー?(オルゴールのようなものだろう)や7chもあるマルチテープレコーダーも搭載されるなど、機構はさることながら、現代の「ユーロラックモジュラー」シーンを連想させるものがある。

 

シンセに鍵盤を付けた事の罪と救いと2人の天才エンジニア

1964年には、かの故ロバート・A ・MOOG博士が遂に一般でも購入できるような商品としてのシンセサイザーを開発した。

MOOG博士が開発した初号機はワルター・カルロス(後にウェンディー・カルロス。理由は知ってるよな?な?)が私の生まれた年でもある1968年に発表したアルバム「スイッチド・オン・バッハ」としてアルバムが発売され、世界中の評価を得たのであった。

自分と同じ歳の作品か〜.......。親近感わくと同時に、自分も古ぼけているんだと思った。

自分と同じ歳の作品か〜.......。親近感わくと同時に、自分も古ぼけているんだと思った。

↓写真でも分かる通り、MOOG博士のご機嫌なぶっ飛び顔が確認できる。

顔が完全にイっちゃってますね。でも、MOOG博士って自分でモジュラー持って無かったんだってね。

顔が完全にイっちゃってますね。でも、MOOG博士って自分でモジュラー持って無かったんだってね。

なにしろベトナム戦争真っ只中であり、アメリカは平和運動の中、音楽の世界もピースを掲げた運動が大きな渦となりサマーオブラブなどが開催された。

アルバートホフマン氏が考案した幻覚を伴う化学物質とサイケデリックなシンセサイザーのサウンドが融合したのも自然な流れだったのではないか。

やり場のない怒りやイデオロギーを一切排除できる幻想を一瞬にして引き出してくれるサウンド。それがシンセサイザーのサウンドとリンクしたのかもしれない。

余談だが、当時開発されたエフェクターも、人類最大の発明といえるものがいくつか存在する。

やまびこ効果を再現するディレイ(エコー)や、まるで地面がスライドし、目眩をおこすような動きをするフェイザーやフランジャーなどのモジュレーションなど、快感物質を脳からドバーっと出すために作られたとしか思えない。

同時にMOOG博士は、シンセサイザーを演奏するために、いわゆる「鍵盤」を搭載したのだ。

そのため、その後キースエマーソンを初めとしたロックバンドのキーボーディスト達から絶大な支持を受け、「シンセサイザー=キーボーディストが弾く楽器」というイメージが定着した。いや、してしまったと言うべきか。

でもキースはその鍵盤にナイフを刺したり、キーボードに延長ケーブルをつけて縦横無尽にコンサート会場を走り回り、ケーブルの長さが足りず、ズッコケたりしていた。

ちなみにホッピー神山さんはステージで自分のProphet5に火をつけ、メッチャ怒られたと言っていたw

実はこの鍵盤を搭載した事は両極的な評価があり、

「鍵盤を弾ける人でなければシンセサイザーが演奏できない」

という罪深さと

「鍵盤で正確に自由にメロディー表現をした事によって、シンセサイザーがニッチな世界から一気に世界中の人々の知る存在になった」

というポジティブシンキングの両方が考えられる。

しかし、忘れてはいけない。シンセサイザーは「電子楽器」だという事を。

電圧で制御が可能なため、シーケンサー(プログラム可能な自動演奏機)を使用すれば、人間では到底演奏できない高速演奏など電気さえ与えてやれば文句も言わずに弾き続けてくれる。(たまに熱暴走アリ)

かくいうわたしも、鍵盤が上手く弾けないからシンセサイザーを始めたという経緯もある。

もしかして、自分が鍵盤を自由に弾けていたら、シンセサイザーなんてやってなかった可能性もある。

西田敏行さんもシンセサイザーを使えばよかったんだよな。

一方、同時期にMOOG博士とは一味違った思想を持った天才エンジニアが存在した。その名は故ドナルド・ブックラ博士だ。ブックラ博士が開発したブックラシンセサイザーには、鍵盤の代わりに「タッチプレート」という、金色の特殊なセンサーを搭載していた。電子工学の他に物理、溶接で培ったブックラ博士ならではのオリジナリティーのあるもので、一つのプレートで3つの感知機能を搭載していた。

モートンサボトニックの作品「TOUCH」を聴くと、その能動的で、まるで生き物のようなブックラシンセサイザーのサウンドが聴ける。

これは、古くからミュージックコンクレートなどのアートミュージックに傾倒してきた氏のユニークさの賜物であり、MOOG博士を正統派とするならば、ブックラ博士は前衛派といったところか。

残念ながら、両天才エンジジニアは既にこの世を去ってしまっているが、彼らの残した歴史的な発明は現代でもその基礎になり、さらには死してなお進化し続けているのだ。

最後に。

シンセサイザーは音楽を作る「道具」の一つでしかない。もちろん、美しいデザインが施されているものも多いので、収集したくなる気持ちもよくわかる。しかし、楽器というものは「音」を出して初めてのそ真価を発揮するという事を忘れてはいけない。

今号のコラムでは、私の「大嫌い」な歴史の時間だった。

最後まで我慢して読んでいただきありがとう!

では、また来月。次回はもっとスパルタで行くかもしれないぞ!

 

 

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