【祝・渡辺宙明生誕96年】金属恵比須・高木大地の<青少年のためのプログレ入門>第25回『アニメ・特撮のレジェンド渡辺宙明と対談』〜前編〜

インタビュー
音楽
クラシック
2021.8.19
高木大地(左)、渡辺宙明(右) (写真提供:モノ・マガジン)

高木大地(左)、渡辺宙明(右) (写真提供:モノ・マガジン)

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金属恵比須・高木大地の<青少年のためのプログレ入門> 
第25回『アニメ・特撮のレジェンド渡辺宙明と対談』〜前編〜
宙明、プログレを語る!


『人造人間キカイダー』『マジンガーZ』『秘密戦隊ゴレンジャー』など、数々の伝説的なアニメ・特撮番組の音楽を担当してきた渡辺宙明。2021年3月からは戦隊ヒーローシリーズ第45作目『機界戦隊ゼンカイジャー』にて、『大戦隊ゴーグルV(ファイブ)』以来39年ぶりに音楽担当に返り咲くということで大ニュースとなった。また、去る6月23日にはCD「渡辺宙明音楽選1 CHUMEI WATANABE 渡辺宙明」もリリースされた。

そんな宙明先生は、1925年8月19日生まれの96歳(当記事掲載日が誕生日)。1925年といえば歴史で必ず習う「治安維持法成立」と「ラジオ開局」の年である。なんと三島由紀夫(1925〜1970)と同年生まれ(学年は1つ違い)。プログレ関係では、フランスのエルドンのリーダーであり大学教授のリシャール・ピナスが研究対象としている哲学者ジル・ドゥルーズ(1925~1995)も同年の生まれだ。

大正〜昭和〜平成〜令和を切り抜け、今なお現役として作曲の世界で活動されている宙明先生。55歳差の筆者が、不躾にもゼンリョクゼンカイで突撃し、対談が実現した。筆者が連載している『モノ・マガジン』「狂気の楽器塾」ではその対談を抽出したものを掲載した(7/2号、8/2号)。当連載ではさらにマニアックな内容を掲載していきたい。

(写真提供:モノ・マガジン)

(写真提供:モノ・マガジン)


 

■宙明先生興味津々! いきなりプログレ対談

渡辺「金属恵比須ってプログレッシヴ・ロックをやられているのですか。珍しいですね。私の周りにはヘヴィ・メタルの人はいましたけれども、プログレッシヴ・ロックはいなかったなぁ」

――プログレをご存知とは恐縮です。

渡辺「プログレッシヴ・ロックはカッチリとした編曲などせずに、やや曖昧な部分は必要なんですか?」

――アレンジは曖昧にしたりする部分もあります。サイケデリック・ミュージックの影響ですね。でも金属恵比須の場合は、メロディに関して曖昧だったり無調性のものは作りません。現代音楽みたいにすると頭に残りにくいと思っています。

渡辺「メロディは調性取れているけれども伴奏のコード(和音)を新しくするのですね」

――はい。金属恵比須に関しては、メロディはプログレッシヴ(=前進的)ではないですね。心に響くようにプリミティヴ(=原始的)な作りを心がけています。まさに渡辺宙明先生がアニメ・特撮音楽で多用されている音階「ペンタトニック・スケール」を基本としている。ところでプログレはお聴きになったことはありますか?

渡辺「息子(現・作曲家の渡辺俊幸氏)が学生時代にロック・ドラムをやっていました。朝起きたら、向こうの部屋でレコードかけながらご飯を食べているんですよ(笑)。その時にいろんなロックが聞こえてきました。『原子心母』というものもありましたね」

――ピンク・フロイドですね。まさしく今日着ているTシャツがそれです!

渡辺「(笑)あれは有名ですね」

――発表は1970年です。宙明先生がロック音楽を取り入れたサウンドで『人造人間 キカイダー』の音楽を担当されたのが1972年。やはり息子さんの聴いていたものからも吸収されているのですか?

渡辺「影響は受けたかもしれませんけれども、私にとってはその頃のロックはわかりにくいものもありましたね」

――先ほどプログレを「曖昧」の要素があるとおっしゃられていましたけれどもそういうことですね。

渡辺「『原子心母』を参考にしたいという気持ちはなかったですね(笑)」

――たしかにわかりにくいですね(笑)。

渡辺「でも曖昧なところがないとプログレッシヴにはなりませんからね」

――面白味がなくなります。

渡辺「広がりが出てくるというイメージ」

――“訳のわからないことをやってるんだぞ!”というフリをした音楽をやらないといけませんからね。プログレというのは。

渡辺「うんうん(大きく納得)」

――プログレ・ファンも納得しないですし。

渡辺「鼻歌で歌えるような歌だと歌謡曲になっちゃいますからね」

(写真提供:モノ・マガジン)

(写真提供:モノ・マガジン)


 

■アメリカの音楽は禁止! 戦中〜戦後の音楽事情

――アニメ・特撮の作曲家として不動の地位を築いていますが、そもそもは映画音楽の作曲家になりたくて音楽業界に入られました。純音楽やクラシックではなく映画音楽。なぜでしょう?

渡辺「何故かクラシックの作曲家にはなりたいとは思わなかったですね。渋い室内楽の音楽を聴いても私にはどうしても良さが感じられませんでした。“こんな作曲はやりたくない!” と。当時の映画業界は全盛期だったからお金が稼げるというのも理由の一つでした」

――音楽との出会いは?

渡辺「小学6年の時にハーモニカを吹く男がいました。休憩時間にちょっと取り出して、“♪ド”をベースとして鳴らしながら“♪ミソ”を“バンバンバン”と鳴らしていたのを聞いて“こんなこともできるんだ”と思い興味を持ちました。すぐに東京の三越の楽器部に行って、教則本も売っていたので一緒に買い、練習を始めました。そして、作曲家になりたいと親父に言ったら、“作曲家になるんだったらハーモニカだけじゃダメじゃないか。やっぱりピアノだろう”と。その時たまたま妹が練習していたピアノがあったんですね。楽譜もすぐに読めるようになりました。でも子供の頃からきちんとした音楽教育を受けていません。作曲家になれるかどうかということで毎日悩んでいましたよ」

――完全な独学なのですね。音楽理論はどこで学びましたか?

渡辺「東京府立三中(現・東京都立両国高校)の音楽の授業です。みんなで歌ったような記憶はなくて、理論の講義しかしませんでした。音階論をしっかり教えてくれました。それが本当に参考になりましたね。ハーモニカと音階論で楽典の基本的なことは覚えてしまいました」

――その頃聴いていた音楽は?

渡辺「クラシックですね。NHKのラジオで毎晩夕方の6時から放送されていた『名曲鑑賞』という番組がありました。毎日聞いてたけれども渋いのが多かったかな」

――レコードも聴いたりしていましたか?

渡辺「聴きました。LPではなくSPだから片面に3分くらいしか入らないものでしたが。トスカーニ指揮のベートーヴェン『英雄』を聴いて“ああいいな”と思って。次にチャイコフスキーの『悲愴』でした」

――戦後はアメリカの音楽が日本に入ってきましたよね。

渡辺「ジャズが入ってきました。日本では和田肇(1908年生まれのジャズピアニスト)が「ブンチャブンチャ」とジャズ・ピアノを弾いていました。当時は映画館でも映画の間に音楽を演奏するということが多く和田さんも弾いていました。その頃は米軍が街を普通に歩いている時代。和田さんが演奏を始めたら前の方に座っている米兵がノってるわけですよ!」

――YMOが初めてヨーロッパ・ツアーをした時に、現地の人がノっているのを見て嬉しかったという話を思い出しました。その時初めてジャズを聴いたのですか?

渡辺「いや、ラジオの進駐軍放送が最初でした。ジャズだけではなくムードミュージックもかかっていて素晴らしい曲がたくさんありました」

――戦争が終わるまで聴いたことのない音楽だったのですよね。

渡辺「アメリカの音楽は禁止でした」

――禁じられていたアメリカ音楽を聴いた時の第一印象は?

渡辺「素晴らしかったですね。クラシックの耳として聴いてみてもいい音楽でした」

(写真提供:モノ・マガジン)

(写真提供:モノ・マガジン)


 

■宙明先生と高木の共通点

――その後、東京大学に入学されますね。

渡辺「親父からは大学だけは出ておけよと言われたから受験しました。作曲家になれなかった場合の滑り止めとしてですね。その頃、團伊玖磨さん(作曲家、1964年東京オリンピックの開会式などの音楽を担当)にクラシックの和声学を習いました。作曲を習ったのではなく、和声学だけですね」

――文学部哲学科の心理学専攻でしたが、主に何の研究をされていましたか?

渡辺「音響心理学です。実験などをして卒論を一生懸命書きました。一番出来がいいと言われて、大学院に入れと言われました。大学院に入るなんて考えてもいなかったんですけどね。1年通ったところ、家から連絡があって“お前の父が大変だ”と。急病だということで。検査したら癌でした。すでに転移していて手術はできない状態でした」

――実家のある愛知に帰ったのですか。

渡辺「はい。しばらく看病していました。その間も東京と愛知を行ったり来たりして作曲の勉強をしていました。が、夏に亡くなりました。大学院の中退届を出していたので、“そうだ、仕事をしなきゃいけない”と考えました。そこでCBC(中部日本放送)に作曲の仕事をさせてくれないかと売り込みに行きました」

――飛び込みですか?

渡辺「はい。 音楽課の松枝孝治さんが対応してくれましたよ」

――なんという運命の巡り合わせ(笑)。

渡辺「しばらくして台本をくれました。結構仕事が来ましたよ。その松枝さんと原六朗さん(作曲家、代表作は美空ひばり「お祭りマンボ」)が友達でした。原さんがたまたま京都の映画の仕事の帰りにCBCに寄ったんですね。原さんに“東京に出てきなさいよ”と言われて、しばらく考えて東京に行きました」

――これもまた運命の巡り合わせ(笑)。

渡辺「原さんの家の近くに下宿を探して、狭いアパートみたいなところに住んで、毎日のように原さんの家に行って、何となく過ごしていていました。そんなにたくさん仕事がなくて、彼が忙しくて出られない時にお手伝いをしたりしましたよ。原さんはラジオドラマの『サザエさん』ラジオドラマをやっていたのですが、“指揮をやってくれ”と1回だけやったこともあります」

――最初に住まわれたのが杉並区の阿佐ヶ谷ですね。

渡辺「阿佐ヶ谷は駅からそんなに遠くないけれども、畑を通って、竹藪通って、パン屋さんがあって、そこの角を曲がると下宿があったんですね。水道がなくて外にある井戸を使っていました」

――当時、水道が通っていなかったのですか?

渡辺「後でわかってガクッと来ましたよ(笑)」

――不動産屋に騙されたのですか?

渡辺「騙したわけじゃないと思うけど……言わなかったんでしょうね(笑)」

――“音楽は独学”、“旧制府立中学”、“文学部哲学科”、そして“阿佐ヶ谷”と、実は勝手に親近感を覚えておりまして……。

渡辺「どうしてですか?」

――私も作曲をしていますが、ちゃんとした音楽教育を受けていないんです。ピアノ、ドラム、ギターは習いましたが、音楽理論は楽器雑誌の連載や、楽典を読んで学びました。“音楽は独学”という点が1点目。次に宙明先生は旧制府立三中出身ですが、私は府立十中(現:東京都立西高校)です。ここでの音楽の授業が特殊で、シェーンベルクの「十二音技法」の構造を習ったりしました。

渡辺「そりゃすごい(笑)」

――3点目が大学の専攻です。宙明先生は文学部哲学科ですが、私は文学部印度哲学科でした。

渡辺「印度哲学!? すごいですねぇ」

――はい。ただし東京大学ではなく、隣にある東洋大学です(笑)。そして阿佐ヶ谷なのですが、私の出身地なんです。宙明先生が引っ越された頃、私の父がそこで生まれています。父の子供の頃と同じ光景を見ていたと思うと感慨深くて。まさかあの町に竹藪があったとは想像もつきませんでしたが(笑)。

渡辺「竹藪はたくさんありましたよ!」

(写真提供:モノ・マガジン)

(写真提供:モノ・マガジン)

(次回に続く)

取材:2021年4月21日
写真提供:「モノ・マガジン」

 
<参考文献>
『作曲家 渡辺宙明』渡辺宙明述著、小林淳編 ワイズ出版、2017年
『スーパーアニソン作曲家 渡辺宙明大全』腹猫巻&宙明サウンド研究会著 辰巳出版、2019年

 

【祝・渡辺宙明生誕96年】企画

金属恵比須・高木大地の<青少年のためのプログレ入門>
 
●第25回『アニメ・特撮のレジェンド渡辺宙明と対談』〜前編〜
https://spice.eplus.jp/articles/291501

 
●第26回『アニメ・特撮のレジェンド渡辺宙明と対談』〜後編〜
https://spice.eplus.jp/articles/292539

リリース情報

渡辺宙明音楽選1
CHUMEI WATANABE 渡辺宙明


3,056円(税込)
レーベル スリーシェルズ
フォーマット CD
発売日 2021年6月23日 EAN 4560224350627
 
商品詳細情報
マジンガーZ、宇宙刑事、スーパー戦隊の作曲家・渡辺宙明の最古のラジオ音楽を発掘!
ラジオ歌謡や子供のためのラジオミュージカルなど最古の宙明作品をCD化!
今回は、作曲家デビューとなったCBCラジオ音楽を中心に、SPレコードやオープンリールテープからのCD化です。60年以上前のラジオ歌謡やラジオミュージカルなど、美しいメロディと叙情的な音楽の宝庫です。
團伊玖磨門下の渡辺宙明、と安易につなげてはいけないが、しかし、やはりこのメロディ、このオーケストレーションは、日本音楽界の正統派の血脈を感じること多し!今こそあらためて聴いて欲しい。
令和につながる渡辺宙明先生の原点を是非お聴きください。
※マスターテープ、マスター音源について
マスターテープの保存状態は60年以上の前のものとは思えないほど良質なものが多かったため、なるべくマスターの音質のままのマスタリングを致しました。SP盤については、盤が割れたものしか発見されなかった楽曲が2曲あり、レーザーターンテーブルで再生をした後、デジタル上で音飛びノイズを削っていく作業を行いました。経年劣化によるノイズはございます。そして、すべてモノラル音源となりますが、作品のクオリティの高さはもちろん、1950年代のラジオ放送の演奏レベルや音質の良さは特筆されるべきでしょう。放送史、児童音楽史、ラジオ音楽など様々な意味でも貴重な資料となることでしょう。
 
渡辺宙明インタビュー(聞き手:田野倉健之)
解説・プロデュース:西耕一
音源提供:渡辺宙明、田野倉健之
協力:早川優、松谷敦、田野倉健之、小林孝志

 
収録曲目CBC歌謡
01.水たまりの歌
02.沈丁花が匂います
03.ひぐらしの笛
04.追分船頭さん
05.フランテンの唄
歌のおもちゃ箱
06-30.『雨ぼうず』
31-54.『僕の日記3 初秋の空』
55-62.『仲良し劇場』BGM
63-70.水たまりの歌
渡辺宙明所有マスターテープ音源を使用(03.04.05はSP盤より)
 
■CD詳細内容
CBC歌謡
01.水たまりの歌
02.沈丁花が匂います
03.ひぐらしの笛
04.追分船頭さん
05.フランテンの唄
歌のおもちゃ箱『雨ぼうず』
06.歌のおもちゃ箱テーマ
07.ポロンポロン、てるてる坊主
08.16人のてるてる坊主
09.間奏曲
10.ちょん切られたくない
11.てるてる坊主のマーチ、遠い国へ
12.夜の交番、私の目玉は赤信号
13.フクロウとてるてる坊主
14.チョチョッキン
15.雨はオイラの命水
16.ケロケロ族とてるてる坊主
17.てるてる坊主は雨ぼうず
18.お巡りさんとケロケロ族
19.嗚呼!水が抜けてしまった
20.ケロケロ族、困った
21.間奏曲
22.雨乞いの歌(ケロケロ族)
23.こんな雨ではダメだ
24.雨ぼうず、祈りの歌
25.ポロンポロン
26.降り注ぐ雨
27.雨に消えた雨ぼうず
28.さようなら
29.水晶の玉は、雨ぼうずの涙
30.歌のおもちゃ箱エンドテーマ
歌のおもちゃ箱『僕の日記3 初秋の空』
31.歌のおもちゃ箱テーマ
32.秋がくる
33.僕の日記、夏の終わりに
34.朝からジイジイ蝉の声
35.正チャンが暑気あたり
36.間奏曲
37.正チャンとぼくと金魚
38.お庭は花盛り
39.裏の畑の案山子
40.ウエムラさんの送別会
41.正チャンのタコ踊り
42.ウエムラさんの嬉し涙
43.ほたるほたる
44.田舎へ絵の具を届けに行く
45.間奏曲
46.ネッコちゃんのお父さん
47.滝に行った話
48.川原にて
49.すいすいトンボ
50.蛇の想い出
51.正チャン蛇に追われる
52.間奏曲
53.お土産は、鮎とゴリ
54.バスで帰る~エンドテーマ
『仲良し劇場』BGM
55-56.Mコール、仲良し劇場テーマ
57-58.Mコール、エンドミュージック1
59-60.Mコール、エンドミュージック2
61-62.Mコール、エンドミュージック3
水たまりの歌
63-64.水たまりの歌(1,2,3番)
65-70.水たまりの歌(1,2,3番)

 
作曲、指揮:渡辺宙明
演奏:CBC管弦楽団
合唱:CBCポッポ会、CBC合唱団、他
歌唱:石井千穂、泉ケイ子、伊東満、春日八郎、他
スリーシェルズ公式サイト:https://www.3s-cd.net/2021-06-23/

リリース情報

金属恵比須
Official Bootleg Vol.2 キンゾク20年の大躍進ライヴ
 
発売日 2021年9月8日
FORMAT CD(国内盤)
LABEL Ryouki-World Records
税抜販売価格 2,000円 税込販売価格 2,200円
 
■収録曲
1.スターレス髙嶋による前説
2.阿修羅のごとく
3.鬼ヶ島
4.光の雪
5.真珠郎
6.彼岸過迄
7.ハリガネムシ
8.『箱男』からの抜粋 a)はじめに
9.『箱男』からの抜粋 b)破戒
10.『箱男』からの抜粋 c)みつしり
11.イタコ
12.針の山
 
元・人間椅子ドラマー後藤マスヒロが暴れる「針の山」(バッジー、人間椅子のカヴァー)CD初収録!
 
五木ひろし、頭脳警察、髙嶋政宏(俳優、スターレス髙嶋)など大物たちと共演し、各メディアで話題沸騰のプログレ・バンド「金属恵比須」の未発表ライヴがついに一般流通開始。
 
メンバーは2021年現在と異なる点でも貴重な資料。ベースは2017年に脱退した多良洋祐(現・那由他計画)、ドラムは『ハリガネムシ』発表後に卒業した諸石和馬がゲスト参加。
 
2016年4月に行なわれた「キンゾク20年の大躍進」ライヴをほぼ完全収録。髙嶋政宏による前説MCも奇跡的に音源発掘、そのまま収録。その場のオーディエンスしか体験できなかったライヴの擬似体験へと誘う。

「鬼ヶ島」は90年代金属恵比須の代表曲をリアレンジ。ライヴ盤として初収録。「彼岸過迄」は多良のロック然としたベース・ソロが披露され、『シン・紅葉狩』に収録されている現ベーシストの栗谷のプレイと比較するのも一興。「ハリガネムシ」はドラムを諸石が担当。諸石によるライヴ盤は初収録。スタジオ盤と同じノリのプレイが堪能できる。「イタコ」でも同様に諸石参加。こちらも初収録だ。ラストを飾るのは人間椅子の名曲「針の山」のカバー。後藤マスヒロの鬼気迫るドラミングは健在。90年代当時、ライヴでしか見られなかった勇姿がここにある。

◆金属恵比須公式サイト:https://yebis-jp.com/


高木大地連載コラム掲載
モノマガジン(mono magazine) 発売日・バックナンバー
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