YouTubeや教則本の執筆で人気のギタリスト・山口和也。今の時代ならではのスタイルを提案するインフルエンサーに迫る【インタビュー連載・匠の人】
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山口和也
その“道”のプロフェッショナルに登場してもらう連載「匠の人」。今回インタビューしたのは、ギタリスト・山口和也。セッションギタリストとしてすとぷり、JYJジュンス(ex.東方神起)、今井麻美、所ジョージ、クリス・ハートなどの現場に携わってきた他、ギター講師、教則本の執筆、楽器メーカーのアドバイザー、オリジナル作品のリリースなど、幅広い形でキャリアを重ねている。ここ数年はYouTubeチャンネルでの活躍が目覚ましい。多彩なテーマについて独自の切り口で伝える動画コンテンツの数々は、楽器や音楽に詳しくない人にとっても興味深い内容ばかりだ。「ギターに関する仕事」の可能性も切り拓き続けている彼に、ギタリストとしての軌跡、卓越した企画力の源について語ってもらった。
――ギターを始める前は、ラグビーをやっていたそうですね。
はい。ラグビーをやっていたのは中学校時代がメインです。友だちが入部したから自分も始めたという感じで、好きだったというより流れで始めたんですけど。
――ラグビー部の友だちの家に行ってギターを触らせてもらったのが、ギターを始めたきっかけでしたっけ?
そうなんです。高校の時に友だちの家に行って、ナイロン弦のガットギターを触らせてもらいました。エリック・クラプトンの「Tears In Heaven」の1フレーズを教えてくれて、数分で弾けるようになったんですよね。弾けちゃったもんで、「これは楽しいな」と。そこからずっとギターのことを考えるようになって、そのうちラグビー部をやめました。
――その頃はどういう音楽が流行っていました?
Hi-STANDARD、GLAYとかですね。でも、僕は実家で加入していたケーブルテレビのMTVを観て、ジミ・ヘンドリックスとかのクラシックロック、エリック・クラプトンとかが好きになったんです。自分に引っかかるものを探していくと、ブルースやジャズなのかわからないですけど、ブラックミュージックっぽいものが共通項として見えてきたんですよね。
――いろいろ聴くようになって楽器も始めたんですね?
はい。小さい頃にピアノをやっていて家にもあったので最初はピアノでやってみることも考えたんですけど、楽器屋さんで見た譜面が♯(シャープ)や♭(フラット)だらけで「これは無理だな」と(笑)。「ギターの方が簡単そうだな」と思ってギターを始めました。最初はアコースティックギターでカントリーブルース、戦前のブルースをコピーするところからでしたね。
――ロバート・ジョンソンとか?
はい。僕の世代だと珍しいと思います。同じようなものが好きなのは、ギターをやっている友だちの中でもひとりもいなかったです(笑)。
――山口さんが高校生だった90年代後半頃だと、クラプトンの『MTVアンプラグド』のアルバムがヒットした後ですね。あの作品は良い入口になったんじゃないですか?
そうでしたね。僕もガチの戦前のカントリーブルースのレコードを聴いて弾いていたわけではなくて、クラプトンが弾いている曲とか教則本からマイルドに取り入れていった感じなんです。本物の戦前の音源とかを聴いて落ち込んだことがあるんですよ。ノイズだらけで「不良品なのかな?」って(笑)。でも、クラプトンもそうですし、いろんな入り口があったので、壁は感じずにいろいろ吸収することができました。
――エディ・ヴァン・ヘイレンもお好きだったみたいですね?
はい。『ヴァン・ヘイレンⅢ』というゲイリー・シェローンを迎えて作ったアルバムを聴いたんです。8ビートのアメリカンハードロックみたいな感じというより、ファンクテイストのニュアンスがあったんですよね。その辺が僕に引っかかったんじゃないかなと今になって思うんですけど。それで、エレキギターにも興味が出てきて当初買ったエレアコをアンプに繋いで歪ませコピーしていたんですね(笑)。エレアコというくらいだからエレキギターとアコースティックギターが兼用できると思ってしまう……というのは、初心者がよく陥る考えだと思うんですけど(笑)。やはりすぐエディ・ヴァン・ヘイレンみたいな音が出せないことに気づき、エレキギターを買うことにするわけです。当時は楽器屋で店員さんの圧を感じながら試奏するのが怖くて通販で買いましたね。雑誌の『Player』の中古楽器の情報をいろいろ見て、レスポールタイプのギターを探しました。エピフォンが当時6万円だったかな? ヘッドの形がギブソンと同じオービルが8万円。中古でギブソンが12万8千円だったんですよ。だから「ここは行っちゃえ!」と東京のショップから通販、思い切ってギブソンを買いました。
――エレキギターも買って、さらにギターにのめり込んでいく日々でした?
はい。雑誌に載っている譜面とかを見ながらコピーしたり、自分で作ったリフやメロディをMDに毎日録るような生活をしていて、その後に大学に進んで軽音部に入りました。音楽の専門学校に行く友だちもいましたけど、ギターを始めて2年くらいの経験ではそういう選択はできなくて。でも、大学の軽音楽部には同じような音楽が好きな仲間がいて楽しくて、どんどん勉強をやらなくなるというよくあるコースを辿りました(笑)。軽音楽部に入って「俺は結構弾ける方なのかも」と勘違いもできたんですよね。今は同世代の上手い人の動画を観られたりするから、なかなかそういう勘違いもできないと思うんですけど。
――大学をやめて専門学校に進むことにしたそうですが、親を説得するのは容易ではないでしょうね。
正座をさせられて、「本気で言ってるのか?」と(笑)。でも、「そこまで言うなら。ミュージシャンの親になるのも面白いのかな」と認めてくれたことに感謝しています。それで、代々木にあったPANスクールオブミュージックに入学したんです。バークリーの提携校なのでちゃんとしているように感じましたし、先輩が先に入学していたというのもあったので。
――専門学校の在学中に講師の紹介とかを通じて、セッションプレイヤーとしての仕事を少しずつするようになったそうですね。
はい。狭い学校なので、なんとなく目立っていたのかもしれないです。先生や先輩に声をかけていただきました。当時はインディーズでCDを作るというのがよくあったので、若手でもそういう仕事が若干あったんですよね。
――その頃、将来の仕事としては、どういうものをイメージしていました?
ギター自体が好きで、ギターをずっと弾いていたいと思っていたので、ギターに関わる仕事だったら何でもいいと思っていました。バンド、スタジオプレイヤー、ギター講師、ギター屋とか。そういう中で、いろんな仕事の話をいただいたり、講師もするようになっていったんです。運がいい状態がずっと続いている感覚ですね。講師を続けて、シンコー・ミュージックの『YOUNG GUITAR』とかにも載せてもらったり、ソロアルバムを作ったり。やったこと自体が次に繋がるというのが連鎖して今があるという感じです。
■サポートの仕事は最近は専門性を求められるようになってきている感じがする
――プレイヤーとしても、様々なお仕事を重ねていらっしゃいますね。
僕はそういうお仕事が多い方ではないと思いますけどね。20代の頃から何本かアーティストさんのサポートをやりつつも講師の仕事がメインで、その他に教則本を書いたり、ライター業もしていましたから。葛藤はありました。アーティストさんのサポートの仕事のオーディションで「自分のアルバムを出してて、講師とか楽器のデモンストレーションもやってます」という話をすると、「そっちの仕事でいいじゃないですか。なんでサポートの仕事をするんですか?」ということを言われたんです。手広くやりたいと思いがちな自分なので、「そういうカテゴライズのされ方をするんだな」というフラストレーションがずっとありましたね。
――JYJのジュンスさんの現場も体験されています。
はい。もともとサポートをする予定になっていた同世代の友人のドラマー、北村望くんから「ギターを弾いてもらえます?」という連絡があって、お仕事をさせていただくことになったんです。大抵は横の繋がりですね。ジュンスさんはアーティストとしても素晴らしかったですね。ワールドワイドで活躍されていますから、演奏のクオリティを求められる現場でした。
――あと、すとぷりとメンバーのソロのお仕事も。
はい。大きい現場を体験させていただきました。そういうところにも自分の運の良さを感じますね。
――すとぷりのライブのサポートは、打ち込みで作られた曲を生演奏で表現する難しさもあるのではないでしょうか?
そうなんです。例えば、ボカロの曲をカバーすることになると結構なチャレンジになるんですよね。
――サポートの仕事はやはり幅広いサウンドや音楽性に対応できる柔軟性が重要ですよね?
もちろんそうなんですけど、その点は変わりつつあるのかもしれないです。最近はもっと専門性を求められるようになってきている感じがしますね。「何でもできる」というよりも「これなら任せてください」みたいな人が出てきやすくなっている気がします。僕に関してはブラックミュージックの方向というか、ブルースが根っこにあるものなんですけど。最近のサウンドで言うとブルーノ・マーズとか。やっぱりファンク、ブルース、R&Bとかが好きですね。ヴァン・ヘイレンとかの流れでハードロックも好きなんですけど、そういう音楽でもブルースとかR&Bが入っているものが好きです。ギタリストで挙げるならばリッチー・コッツェン、ヌーノ・ベッテンコートとか。
■YouTubeではできるだけ触れてもらえるための企画のコーティング、パッケージングをするようにしている
――ギターに関する様々なお仕事を重ねてきて、ここ数年はご自身のYouTubeチャンネルでの企画『タメシビキ!』で、動画を精力的にアップロードしていますね。
こういうのはずっとやりたかったことなんです。ギターを弾く前から物を作るのが好きだったので。子供の頃も遊び程度ですけど絵を描くことが好きで、親父の8ミリカメラを借りて変な動画を撮ったりもしていましたから。ドイツでギターショップをやっている方の「GregGuitars」という、仕入れたギターをどんどん試奏するスタイルの動画をYouTubeで観るのが好きだったので、「こんな感じのことを自分でもやりたいなあ」って思ったのが自分でも始めるきっかけでしたね。Bottom's Up Guitarsという田園調布にあるギターショップのオーナーの重浦さんが、もともと僕のギターの生徒さんだったんです。その繋がりでお店のギターを動画で紹介したのが最初でしたね。それ以降、他の動画も上げていく内に今のスタイルになっていきました。
――ちょっと前までは文字による記事が楽器紹介の主流でしたけど、音や映像を通して伝えられるようになったのは、画期的なことですよね。
そうですね。僕は雑誌を読んで育った世代なので、そういうものに愛着があるんですけど、今はかなり変わってきていると思います。例えば高校にギターを教えに行って、「何か雑誌を読んでいる人はいますか?」って訊いても誰も手を挙げない感じになっていますからね。やはりみんなが情報を得ているのは動画、YouTube。だから広告を出す側もそういうものに力を入れるようになっているんですよね。
――山口さんのYouTubeの動画は、企画の切り口が非常に面白いです。例えば同じメーカーの価格帯の異なるブランドを弾き比べる企画とか、「値段の違いはどれくらい音や弾きやすさを左右しているんだろう?」って気になりつつも、なかなか実際に検証できる機会はないですからね。
こういう紹介のご依頼をいただく時って、具体的に企画が決まっているわけではなくて、「この製品をみなさんに知っていただきたいんです」という感じなんですけど、必ずしもその製品がもともとみなさんの興味があるものとは限らないんですよね。でも、何かしらの形で知ってもらえたら、興味を持ったり欲しくなったりするものなので、できるだけ触れてもらえるための企画のコーティング、パッケージングをするようにしています。
――メーカーのみなさんが協力してくださるからこそ実現できることも、たくさんありますよね?
そうなんです。先日はESPのブランドのEDWARDSのギター工場の見学をしたんですけど、それも「製品の紹介をする」というのが最初にいただいたお話でした。でも、動画でただ紹介するだけだと良さが伝わりにくいと思ったんですよね。だからその製品の背景にあるストーリーとかを伝えるのが重要なのかなと。そう考えると「どこで作ってる」「どういう人が作ってる」「どうやって作ってる」というのを動画で観ていただくのが一番だと思って、工場見学の企画を僕の方から提案しました。先方にとっては工場の様子を公開するというのはリスクもあるだろうし、手間もあると思うんですけど、それでも協力していただけるというのはすごく嬉しいことでした。
――数人のギタリストがBOØWYの「BAD FEELING」のリフを弾く動画が印象的でした。布袋寅泰さんが弾いているフレーズのあのニュアンスをどうやって表現するのかに関しては、アマチュアギタリストの間でもよく話題になりますからね。
僕はギター好きの間の今の流れ、雰囲気を知るのが重要だと思っているんです。だから、「この人はギターが好きだ」と思ったら、知らない人でもどんどんツイッターでフォローするんですよ。それでタイムラインを眺めるとギター好きの様々なつぶやきが見れるから、流行っていることとかが見えて勉強になるんですね。そういう中で出てきたのも、その企画のアイディアでした。「BAD FEELING=炎上」というキーワードが出てきて、「BAD FEELINGで炎上するんだ⁉」って(笑)。
――(笑)そこをピックアップしてコンテンツにするというのは、素晴らしい着眼点ですよ。
ありがとうございます(笑)。僕は「誰かと何かをやる」というのを大事にしてるんですよね。可能な限り誰かを企画に巻き込むということを考えているので。それは「拡散力が増大するから」とかも含めていろいろな理由があるんですけど、「自分にリソースを持たせない」というのも理由のひとつです。自分ひとりでアウトプットし続けるのは無理だと思っているので。
――山口さんの動画は、ギター、楽器、機材に関する情報として濃いものであると同時に、企画力によってキャッチーに仕上げられているんですよね。
努めてそうしたいと思っていて、そういうことばっかり考えています。ご依頼をいただく最初の段階では「これを紹介したいです」ということしかないので、それをなんとかしてみなさんに面白く感じていただけるものにするように頑張ってます。防水のケースの企画の時は、大事にしているビンテージのギターを中に入れて水をかけましたからね(笑)。「防水のケースですよ」とただ紹介するよりも、その方が興味を持ってもらえると思ったので。
■ギター好きの中でも「好き」の度合いは様々なので切り口を変えて発信している
――あと、ギターがものすごく好きな人が作っているというのも面白い理由のひとつだと思います。
ギターは好きですねえ。欲しくなっちゃいますので。
――木目が綺麗なギターを「おいしそう」と表現していらっしゃるのをツイッターで見たことがありますけど、ああいうのもギターに対する無邪気な愛情がないとなかなか出てこないですよ。
確かにそうですね(笑)。「このギターはヨーロッパのハンドメイドブランドです」ということに反応する人もいれば、「おいしそう」というワードで反応する人もいるんです。ギターが好きな人の中でも「好き」の度合いは様々なので、ちょっと切り口を変えて発信している感じもあります。
――ギターは香りも実は様々ですよね? 「高級なギターは甘い香りがする」とか言うと、ギターについてよく知らない人に笑われたりしますけど。
ラッカー塗料の匂いですね。ギブソンなんかはすごく甘い香りがします。ギブソンを扱っているフロアに行くと、他のフロアとは全然匂いが違いますから。あと、ビンテージギターを扱っているフロアは、古民家みたいな匂いがしますし。
――ビンテージギターの紹介動画もとても貴重なコンテンツです。
ビンテージギターはかなり手に入れたと思います。ギターについて語る上で所有していなかったり、実際に弾いていなかったりすると説得力がなかったりするので。だから「とりあえず持っておこうかな」っていうところなんですけど。ギターレッスンをする時もいろいろなギターを弾いてもらったり、経験してもらうことによって出せる音が広がったりもしますからね。だから「楽器は教材だなあ」ということも思いながら、可能な範囲で手に入れるようにしています。
――ギターに詳しくない人が観ても楽しい動画でもあると思います。
そこら辺は意識していますね。「何かの拍子に巡り合ってしまう」というのがYouTubeにはありますから。例えば、たまたま文房具に関する動画やコーヒーの挽き方の動画とかに出会ってしまった時にすごく面白いんですよね。実際に自分が買ったりしなくても、「こういう世界があるんだ」ってなるので。自分のチャンネルも何かの拍子で観て、「こういう世界もあるんだな」と感じていただけるものでありたいです。
――その他に『ギターイノベーション大学』というオンラインサロンもやっていらっしゃいますが、ギターに関するお仕事はどんどん広がってきているようですね。
そうですね。昭和の頃のようなアーティストのサポートをして、レコーディングもするという仕事の現場は今もありますけど、一時に比べると縮小してきていますし、今後もどんどんそうなっていくと思うんです。今はみんなが音楽を作れるようになってきているし、「音楽に携わったことはないけど携わってみたい」とか、「参加することの価値」みたいなことにみんなが気づくようになるのかもしれないです。だからオンラインサロンを始めたんです。
――参加型の内容が盛りだくさんのサロンですよね。
はい。コンテンツを提供して消費してもらうというんじゃなくて、どんどん参加してもらうものになっています。例えば「ピックを作りますよ。ピックのデザイン、誰かやってくれる?」って呼びかけて、やってくれる人に手を挙げてもらったり、「ギターコンテストやるけど、内容をみんなで考えよう」とか、参加してもらう形でやっているので。コロナの影響がある前は「タメシビキ会」というのもやっていました。みんなでギターを持ち寄って試し弾きをするというのがすごく人気がありましたね。「ライブやるので」って言っても全然来ないのに(笑)、試し弾きにはたくさん人が来るから、「やっぱり参加するっていう方向が求められてるんだな」って思いました。僕はどちらかと言うと「俺の音楽を聴いてくれ!」ってことよりも、「一緒にやろうぜ」って導くようなポジションが向いているんだと思います。僕が今、こういうスタイルで運良くやらせていただいているのも、いろんな人との繋がりがあるからこそなので、さらにいろんなことをやっていきたいですね。やっぱり、ひとりだけでやるのは限界があるので。
――今後の活動に関して何か具体的にイメージしていることはありますか?
僕のYouTubeチャンネルというプラットフォームを活用してもらえるミュージシャンを探したいです。企画を立てて、撮影をして、喋って、編集して、演奏をしてというのは大変なんですけど、そういうことをやりたい人が活躍できる場所にYouTubeチャンネルがなったらいいですね。みんなのものになっていけばいいなあって思っています。
取材・文=田中大 撮影=Yoko Yamashita