ライプツィヒ、ニューヨークの「楽長」クルト・マズアさん逝去

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2015.12.22

親日家、教育者、そして歴史の立役者として

ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の楽長として、そして冷戦の終結後はニューヨーク・フィルハーモニック、ロンドン・フィルハーモニー、フランス国立管弦楽団などのポストを歴任し、また日本ではそれ以前から長く読売日本交響楽団の名誉指揮者として共演したマエストロ、クルト・マズアが12月19日にアメリカ、コネチカット州のグリニッジで亡くなった。死因は晩年長く闘病したパーキンソン病による合併症、88歳だった。

彼の訃報を受け、ニューヨーク・フィルハーモニックはこの日開催したヘンデルのオラトリオ「メサイア」の演奏会において、「この演奏会を彼の思い出に捧げる」とした。20年以上もライプツィヒのカペルマイスターとして活躍したクルト・マズアだが、彼は晩年アメリカを拠点として活動し、11年に及ぶニューヨーク・フィルハーモニック時代の功績への評価も非常に高いものだ。彼の死を報じるニューヨーク・タイムズでは「光を失っていたオーケストラを再び輝かせた」とまで称賛を贈られている。アメリカでの報が先行し、その後日本、それから欧州へと知らせが伝わるに連れて彼の死を悼む声は大きくなっている。

アメリカでのそれに比べてしまうと日本での評価はそこまで高くなかったという印象は否めないのだが、派手な身振りのない指揮でオーケストラを尊重し、確実に音楽を進むべきゴールへと導くマエストロの真価は、不定期の客演、来演だけでは伝わりにくかった部分もあるだろう。「ライプツィヒの楽長」としてキャリアを積み、当地ゆかりのメンデルスゾーンなどを得意とする「ドイツの巨匠」と思われがちだが、私が触れ得た範囲でもたとえばフランス音楽やロシア・スラヴ系の作品で鮮烈な演奏を聴かせるような一面をも併せ持っていた。晩年のフランス国立管弦楽団との録音ではその一面を知ることができるだろう。

彼の名は知っているがその演奏にはご縁がなかった、と思われる方もいらっしゃると思うが、もし貴方が「銀河英雄伝説」のアニメをご覧になっていたら、そこでサウンドトラックとして使われた彼の演奏に出会っていることになる。かつての東ドイツの国営レコード会社ドイツ・シャルプラッテンに遺した数多くの録音がそこでは用いられていたのだ。ほかにも、テルデックなどのレーベルにマエストロの音楽は数多く遺されている。実演に触れることはもうかなわないが、これから録音などでも聴いてみては如何だろうか。

また、クルト・マズアは世界各地で教育に注力しており、日本でも後進の指導、育成に熱心な「楽長」だった。幸いにも洗足学園音楽大学でのいくつかの演奏は収録されて現在ではYouTubeで配信されており、晩年のマエストロが日本の若き音楽家たちを導く姿を我々も視聴することができる。


(洗足学園音楽大学のYouTubeチャンネルより/メンデルスゾーン作曲 序曲「ルイ・ブラス」 2009年の演奏会より)

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彼の生涯において、という以上に20世紀末から現在に至る歴史の転換点において、彼が果たした大きな役割についても触れておくべきだろう。

まだ世界が冷戦下にあった1989年、東ドイツでは自由を求める市民による「月曜デモ」が多くの人々を集めるようになっていた。デモ自体は非暴力的なものではあったが、その市民の行動を当局が実力で鎮圧しようか、という事態に陥りかけた10月9日、デモの舞台に近い教会で演奏会を行う予定だったクルト・マズアの呼びかけの元、彼を含む六人の文化人・政治家が作成した「衝突によらない解決」を求める声明を発表する。その働きかけがあったために、ライプツィヒでの市民行動は暴力的、悲劇的な事態を回避できたという。結果として東西冷戦はこの日からひと月ほどでその終わりを始めることになるのだが、その過程において暴力によらない解決への努力があったこと、そしてそのために尽力した人々の中にクルト・マズアがいることは記憶されるべきだろう。

後のドイツの平和的な統一にもつながる契機となったこの日を記念して開催された、20年後の2009年同日に同じ教会で行われた演奏会の映像がEuroArtsによりYouTubeで配信されている(コンサートの全曲はリンク先のリストから視聴できる)。彼の音楽的、そして歴史的功績に思いを馳せつつ、あの日のコンサートで演奏されたのと同じブラームスの交響曲第二番で彼を偲びたいと思う。

この特別な演奏会で彼が指揮したオーケストラは、かつて彼が率いたそれと同名ではあるけれど彼の時代をよく知るメンバーはそう多くなかったことだろう、冷戦後の混乱も収斂して久しく、ブロムシュテット、そしてシャイーへと受け継がれた後なのだから。しかしそれがなんだろう、この演奏の輝かしさは、力強く充実した現在のゲヴァントハウス管弦楽団が存在できる未来を作るために尽力した20年前のあの日の彼から、晩年の彼への最高の贈り物であるようにも思える。

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