日本初演『ロビー・ヒーロー』開幕直前稽古場レポート~”正しく”あることの果てしなさ描く、正義や善悪の多面性を問う物語

レポート
舞台
2022.4.28
『ロビー・ヒーロー』稽古場より (左から)中村 蒼、岡本 玲  撮影:田中亜紀

『ロビー・ヒーロー』稽古場より (左から)中村 蒼、岡本 玲  撮影:田中亜紀

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2022年5月6日(金)より新国立劇場 小劇場にて、日本初演となる『ロビー・ヒーロー』が開幕する。4月上演の『アンチポデス』に次ぐ、新国立劇場のシリーズ企画「声 議論, 正論, 極論, 批判, 対話...の物語」第二弾として上演される本作は、ケネス・ロナーガン作の四人芝居だ。

登場人物にはそれぞれの価値観、持論、欲望、そして正義がある。性別、人種、立場などさまざまな格差の中でそれらが交錯する時に、各々の内側から立ち上ってくるものや深淵で揺らぐもの。それらはやがて、「正義とは、正論とは果たして何なのか?」という核心に影響を与えていく。

演出を手がけるのは、新国立劇場初登場となる桑原裕子。出演には中村 蒼岡本 玲、板橋駿谷瑞木健太郎の個性豊かな四名の俳優が名を連ねる。言葉と言葉、そしてその行間をも編むように丁寧に“声”を拾い上げる稽古場から、少しのあらすじとともに本作の魅力をレポートする。
 

【あらすじ】
物語の舞台は、ニューヨーク中心部のとあるマンションのロビー。警備員として働く青年ジェフの口から滑り落ちたある一言によって、登場人物を取り巻く事態とその関係性は思わぬ方向へと転がっていくー。

 

ロビーを模した美術の中に警備員の男が2人。部下が上司の指導を受けている。上司のウィリアムの愛読書はそのタイトルから推測するに自己啓発本のようだ。部下のジェフに向けた言葉を追う限り、正義感が強い人間に見える。そんなウィリアムに部下のジェフはそれなりの信頼を寄せているようにも見え、ウィリアムもまたジェフを可愛がっているように見える。二人の関係は悪くはなさそうだ。

(左から)中村 蒼、板橋駿谷  撮影:田中亜紀

(左から)中村 蒼、板橋駿谷  撮影:田中亜紀

(左から)板橋駿谷、中村 蒼  撮影:田中亜紀

(左から)板橋駿谷、中村 蒼  撮影:田中亜紀

板橋駿谷演じるウィリアムの発話の熱の入り方や疾走感、それに呼応する身体の動きに冒頭から一気に没入感が高まる。一方で、中村 蒼演じるジェフのリアクションにもまた目を見張る。聞き手に回るシーンでも、拍子はずれの相槌や距離の詰め方などのちょっとした所作の端々にそのパーソナリティを垣間見た。開幕してわずか、二人が話し始めて10分足らずだが、その関係性がありありと見えてくる実感があった。

真面目で熱血な上司と少し抜けてはいるが愛嬌のある部下。“ロビー・ヒーロー”というだけあり、この二人のいずれかが「ヒーロー」なのだろうか。さりげない日常会話を追いながら、まだ見えぬ正義の在処と行方に想像を馳せる。

桑原裕子  撮影:田中亜紀

桑原裕子  撮影:田中亜紀

シーンが一区切りしたところで、桑原の演出が入る。

「語尾は相手に振るというよりも、己に向かうニュアンスに」
「ミスリードにならないようにもう少し聞こえやすく、会話の動線も見えやすくしたいです」

セリフのテンポや強弱、声色のみならず、それらが導くパワーバランスや語尾や行間のニュアンスに至るまで、細やかに気が払われる。

自身が主宰する「KAKUTA」の公演をはじめ、これまでも様々な作品で人から溢れる言葉とその波紋や隙間までをつぶさに拾い上げてきた桑原ならではの眼差し。そんなある種のセオリーによって、戯曲がライブへと立ち上がっていくのを感じる時間でもあった。

(左から)瑞木健太郎、岡本 玲  撮影:田中亜紀

(左から)瑞木健太郎、岡本 玲  撮影:田中亜紀

シーンは変わり、今度は扉の外で二人の警察官が話している。ここにもまた部下と上司の会話がある。警備員と警官、二つの職場にあるそれぞれの上下関係。至ってシンプルな立場構造に見えるこの人間関係に、これからどんなうねりが生じるのだろうか。

(左から)瑞木健太郎、岡本 玲  撮影:田中亜紀

(左から)瑞木健太郎、岡本 玲  撮影:田中亜紀

「あなたみたいな警官になりたいと思っています」

上司のビルにそう告げるのは、岡本 玲演じる部下のドーンだ。女性である。二人もまた「いい関係」であるように見える。瑞木健太郎演じるビルは、ドーンからの賞賛に満更でも無い様子で会話にのせて自身の能力や成果を誇示し始める。

瑞木健太郎  撮影:田中亜紀

瑞木健太郎  撮影:田中亜紀

「あるある」ならぬ「いるいる」である。そんな絶妙な既視感の中に、ビルの立場やバッググラウンド、それ故の矜持や自尊心、承認欲求が染み込んでいく。人間の内側に堆積する素性を時にコミカルに振って表現する瑞木の姿に思わず笑ってしまう。キャラクターの温度感に触れた時、物語は唐突に身近なものになる。そんなことを感じる一幕だった。

二人の警官はマンションの中へと進み、「とある用事」を控えるビルは一人エレベーターで階上へと向かう。深夜のロビーに残されたのは、勤務中の警備員と待機中の警察官。それぞれ部下という立場にあるジェフとドーンだ。新たな人間関係と会話の始まり。物語に別の葉脈が生まれるとき、それによって磁場が変わるとき、観るものの心に次第に「予感」が満ちていく。

(左から)中村 蒼、岡本 玲  撮影:田中亜紀

(左から)中村 蒼、岡本 玲  撮影:田中亜紀

「デカになってどれくらい?」

「さあね。そっちこそドアマンになってどのくらい?」

「違うよ。ドアマンじゃない。警備員だ」

立場間に生じるそこはかとない対立と、同世代間に流れる少しの親近感、そして、男女間に流れる空気の抑揚と機微。初対面同士の人間が織りなす緊張と緩和が会話を通して綿密に表現されているシーンだ。

(左から)中村 蒼、岡本 玲  撮影:田中亜紀

(左から)中村 蒼、岡本 玲  撮影:田中亜紀

わずかな下心を忍ばせながら根気強く会話を続けようとするジェフと、愛想のない返答を繰り返すドーン。しかし、そんな彼女にもつい饒舌になってしまう話題がある。

自分の仕事について話す様には、彼女のスタンスや信念、女性であるが故の葛藤までもが入魂されている様にも感じ、そのエネルギーに共振するように視線を奪われた。心の興奮がそのまま乗り移ったようなダイナミックな動きに稽古場がどっと沸く。

ジェフとドーンの会話を通じて四人の関係性がつまびらかになりつつある中、突如、場のムードが一転する。膠着する空気、張り詰める間。どうやらジェフは思わず「何か」を言ってしまったらしい。その「何か」は、その時ロビーにはいなかったビルとウィリアムのこの先の命運をも左右する……。

錯綜する目論見や私情、呆然と絶望、そして、怒り。怒りは正義に点火し、そしてみるみる発火する。誰かにとっての正義がまた別の誰かの正義と交錯するとき、そこには同時に不義が存在する。

正義は一体どこにあるのだろう。英雄とは誰を指すのだろう。そして、その定義とは?

「ここは私もまだちょっとわからなくて」と前置きした上で、桑原が俳優たちに意見を仰ぐ。対話性のあるクリエーションによって生み出される会話劇は、稽古が進む毎に濃密なものへと進化していく。そんな中ふと、上演に向けて桑原が寄せたコメントの、こんな結びの一文を思い出す。

桑原裕子  撮影:田中亜紀

桑原裕子  撮影:田中亜紀

「正義や正解をたやすく定義できない。しかしそれこそが演劇の素晴らしさだと思い出し、この作品と共に情熱を注ぐべき場所へ帰ろうと思いました」


“声”や“議論”をテーマとするシリーズだけあり、言葉によって意図されるものや生み出される空気、そのあらゆる可能性について思考を絶やさぬ演出が印象的だった。自分の解釈を体現しながらも一つひとつの言葉や動きに疑いを持ちながら、持ち得るアイデアの手札を全て使って稽古場を更新していく俳優たち。そんなトライ&エラーがまた演劇に奥行きを生み出していく。

作り手の想像力の大きさに触れる時、それを受け取る自分のそれについても手を伸ばさずにはいられない。

「それであなたはどう思う?」

そんな聞こえはせずとも確かに在る声が胸の内へと入り込んでくる。

「議論」を問うシリーズの「正義」がテーマの翻訳劇。それだけ聞くと、難解な演劇を想起する人もいるかもしれない。しかし、『ロビー・ヒーロー』における議論はどこにでもある、一見なんて事のない世間話に端を発している。

登場する人物もみな、自分の信じる正義にその実迷いを持つ者ばかりであり、そんな市井の人々が、何が正しく何が間違っているかわからないまま、何者かにならなくては、と次々声をあげていく。絡まり、もつれ、ねじれていく主張。正論の顔をした批判、対話を遮断する極論……。そうしてますます分からなくなっていく「正しさ」。それらは、昨日今日明日私たちの誰しもの身に起こってもなんら不思議ではない、ともすれば見覚えのあるような、普遍的な出来事であるように思う。

人と人とが交わす議論や対話と、そこに浮かび上がる言葉の背景や源流にあるもの。そんな“内なる声”を問う本シリーズの中でも、最も登場人物が少ない本作。ミニマムな対人関係の中で織りなされる会話と、そこに浮かび上がる価値観や正義の交錯や衝突。それらは、誰もが等しく実感をもって感じることのできる身近な物語ではないだろうか。

(左から)板橋駿谷、瑞木健太郎   撮影:田中亜紀

(左から)板橋駿谷、瑞木健太郎  撮影:田中亜紀

物語の山場を目前に閉じた稽古場を後にし、考える。

多様化するコミュニケーションの在り方とそのツールの発達によって、議論の発端を誰しもが持ち得るようになった現代。その様相を表象しているようにも感じ取れる濃密な会話劇に、私たち現代人は何を握らされるのだろう。

誕生から20年以上の時を経て、本作が今の日本で初演を迎えるその意味を考えずにはいられない。そんな今も稽古場では「正しさ」を巡る議論と対話が絶えず続いているだろう。自分の”内なる声”に耳を澄ませながら、劇場で再生されるそのクライマックスを待ち望むばかりである。

取材・文=丘田ミイ子

公演情報

『ロビー・ヒーロー』
 
日程:本公演 2022年5月6日(金)~22日(日) プレビュー公演 5月1日(日)・2日(月)
会場:新国立劇場 小劇場
 
作:ケネス・ロナーガン 
翻訳:浦辺千鶴 
演出:桑原裕子
出演:
中村 蒼、岡本 玲、板橋駿谷、瑞木健太郎
 
芸術監督:小川絵梨子 
主催:新国立劇場
 
料金(税込:
本公演 A席7,700円 B席3,300円(税込)
プレビュー公演 A席5,500円 B席2,200円(税込)
一般発売:4月10日(日)10:00~
 
公演詳細:https://www.nntt.jac.go.jp/play/lobby_hero/
に関するお問い合わせ:新国立劇場ボックスオフィス:03-5352-9999(10:00~18:00)

【全国公演】
・穂の国とよはし芸術劇場PLAT 主ホール
2022年5月28日(土)13:00、29日(日)13:00
・兵庫県立芸術文化センター 阪急中ホール
2022年6月5日(日)13:00
・岡山市立市民文化ホール [主催:(公財)岡山文化芸術創造]
2022年6月11日(土)13:00
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