おかえり!3年ぶりに活動を再開するART-SCHOOL。療養から復活した木下理樹、最速インタビュー

2022.6.10
インタビュー
音楽

ART-SCHOOL・木下理樹

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2019年春、フロントマンの木下理樹の体調不良により、すべてのスケジュールをキャンセルし、活動を休止していたART-SCHOOLが3年ぶりに活動を再開する。7月13日にリリースされる4曲入りのEP『Just Kids .ep』は、木下理樹(Vo・G)、戸高賢史(G)、中尾憲太郎(B)、藤田勇(Dr)という鉄壁の布陣による甘美でシャープなこれぞART-SCHOOL!というバンドサウンドに溢れながらも、聴き手に寄り添う優しさが強く感じられる。木下が療養中の体験や復活に向けての想いをもとに書いたという歌詞は、絶望から再生に向かって、しっかりと歩を進めている。ART-SCHOOLはどのようにして復活に向かい、新作にどんな想いを込めたのか? 木下に本当に久しぶりに話を訊いた。

──アルバム『In Colors』以来、4年ぶりの新譜が出ることと3年ぶりの復活ライブが発表されました。こうやって取材も始まり、率直に今の気持ちはどうですか?

あ、でも「こんな感じだったよなあ」っていう感覚ですね。何なら、前よりみんなが優しいから(笑)、嬉しいですよ。待っていてくれる人がいるっていうことだしね。

──復活することが報じられてたくさんの反響があったと思うんですが、どんなことを感じました?

でも変に浮かれることなく、「しっかり活動をこれからやって行くんだ」っていう気持ちですね。

──約2年前に行わせてもらったnoteのインタビュー(※インタビュー後にURL記載)の時は、大阪の実家で療養されている状況下で徐々に曲作りを再開されていて。そこから、いつ頃東京に戻って本格的に活動再開の準備をしていったんですか?

2020年の10月に東京に戻って、マネージャーやレーベルのUKプロジェクトの人たちに会って。メンバーとは大阪にいる時からリモートで話したりはしてたけど、「東京に戻るんでよろしくお願いします」ということは伝えてて。 一緒にスタジオに入ったのは12月かな。でも、2021年はほとんどの時期がまん防(まん延防止)と緊急事態宣言が出ていたこともあって、家で曲作りをしたり、最低限のオーディオインターフェイスを揃えていたって感じで。あと、メレンゲのクボ(ケンジ)くんに連絡をして、デモ作りを手伝ってもらったりしてましたね。

──2021年の4月から始まったというスタジオワークは新作発表に向けて、という感じだったんですか?

そうだね。メンバーやレーベルとミーティングして、最初はそこまで遠くない時期に、1、2曲配信で出そうかみたいな話があって。僕もそういうペースでいけるかなと思ってたんだけど、そこからが長かったですね。

──レコーディングの感覚を取り戻すのに時間がかかった?

それもあるし、4人の中で活動を休んでいたのは俺だけで、他の3人はバリバリ現役でやってたわけなので、そこの差はありますよね。メンバーの中でもやっぱりちゃんといいものを作って出したっていう気持ちが強くあったから、そのレベルにいくまでに時間がかかったんだよね。

■みんなに「さよなら」を言うために東京に来たわけじゃない。復活させるために来たんだよなって

──レコーディングの候補曲はどれくらいあったんですか?

今でも日常的に曲は作ってるけど、その時は10曲ぐらいかな。その中からみんなで話し合って4曲を選びましたね。

──約一年かけてじっくりと制作していく中で、どんなことを考えていたんですか?

エンジニアの益子(樹)さんも、コロナ禍で仕事への考え方が大きく変わって、部分部分を貼り付けるような作り方は絶対にしたくないって言ってて。だから、演奏は一発録りが多くなったし、歌も良い歌を録りたいと。大きかったのはその、歌の部分だよね。「良い歌を録りたい」っていう気持ちはメンバーの中にも強くあったから、それに何とか応えなきゃいけないっていう想いがありました。

──木下さん一人でも頻繁にスタジオに入ってましたよね。

入ってたね。去年の夏とかは、毎日のようにスタジオに入ってた記憶があるな。ずっと歌ってた。それで、ちょっとずつしっかり歌えるようになってきて。それでレコーディングをやろうってことになって現場に行って、でもやっぱりまだ駄目だってなって、バラシになったこともあるし。でも、レーベルが締め切りを作らないでいてくれたので、そういう面で精神的にはすごく助かりましたね。やっぱり「いついつまでに」って決まっていると、そこまでに俺のベストの歌を出せるのかっていう不安があったと思うから。だから時間はかかったけど、良いものができたと思っています。

──戻ってきた感じが強くある作品だと思います。

すごく嬉しいです。

──思うような歌が歌えない時期があって、作品として形にならなかったらどうしようという気持ちはありましたか?

それはなかったですね。これを形にするんだっていう強い想いがありました。「不安に思われるようなものは出したくない。これが歌い切れないんだったら、俺たちはもうART-SCHOOLはやりたくない」ってメンバーは言ってたし。だったら、それに応えるよね。俺が東京に来たのって、みんなに「さよなら」を言うためじゃないんだよね。復活させるために来たんだよなって思ってさ。だから一生懸命やりました。

──それで、どこかでレコーディングの準備が整ったという判断があったと。

そうだね。個人練習の時に録ったボイスメモをメンバーに送ったりして、自分の中でもだんだん感覚がつかめてきた手応えがあって、それでレコーディングに入りましたね。

──実際のレコーディングではどんなことを感じました?

演奏面では、やっぱりこの3人はすごいなあという風に思って。やっぱり歌ですよね。UCARYちゃん(UCARY & THE VALENTINE)にコーラスを入れてもらって、すごく良くなった感触もありました。

■療養中の体験を書かないと次に進めないと思った

──4曲とも歌詞は療養期間以降に書いたそうですが、全体的にART-SCHOOLが戻ってきたという感じがありつつ、柔らかさみたいなものをすごい感じました。

精神的にそうなったんだろうね。言ってることはよくわかるよ。

──聴き手に寄り添う優しさが、以前とは根本的に違うような気がします。

そうだね。大阪の実家にいる時に小松っちゃんがやってくれたnoteのインタビュー(※インタビュー後にURL記載)で何があったかは全部話したけど、ああいう経験をした後って、優しい歌詞が出てくるんだよね。療養中、ほとんど音楽を聴けなかった時期もあって。そこで少しずつ聴けるようになったのが優しい音楽で。自分が作る音楽もそういう世界観にしたいなと思ったんだよね。どん底の状態でも聴くとすごく心が洗われるというか。クソみたいな状況にいるんだけど、そういうことを一瞬でも忘れさせてくれるようなね。そういう音楽っていうのはもうひたすら生きることに謙虚っていうか、慎ましいというかさ。僕自身もそういう部分をちゃんと書かなきゃなって思った。そうじゃないと、あの時期の自分のことを自分で否定することになっちゃうじゃん。痛ましい過去が甘美な瞬間として蘇る美しさってあるからさ。俺の価値観もすごく変わったと思ってて。なんか、どの曲も透明な感じがすごくしてる。

──「ミスター・ロンリー」の「この傷はきっといつか癒えるだろう」という歌詞は、今の木下さんが歌うからこその説得力がすごくあるし、再生していく過程が描かれている印象があって。こういう曲が生まれたことをどう捉えてますか?

自分が療養中に体験したことを詞に落とし込むことは絶対にやろうと思ってて。安定剤やアルコールで完全にアディクト状態で体もぶっ壊れてて、精神もおかしくなって、結果的に全部なくして……ああいう体験もやっぱり自分だから、否定はできないし、それを書かないと次に進めないと思ったからね。それをどうやって聴き手に寄り添うようにして伝えられるか、試行錯誤しながら書いていきました。非常に重たい記憶なんだけど、なんとか柔らかくできないかなと、メロディーラインを考えたり。最終的には救われる感じにしたいなと思って。だから、言葉を足していくというよりは引き算をした。もうこの言葉があればいいかなっていう感じというか。でも、言葉は割とすんなり出てきたんだよね。

──4曲目の「柔らかい君の音」は特にメロディーが開けてて、「ただただ日常を送りたい」ということが歌われています。

この曲では「話の続きをしよう」って言ってるんだけど。自分が一回止まってしまった後の話だからね。そこを書かないと自分の新しい物語を始められなかった。やっぱり、結構ヘヴィーな歌詞ではあるんだけど、最終的には光の方に歩いているからいいなあと思います。

──最後にこの曲があるっていうのも大きいですよね。再生した先があるんだという。

そう。だから、自分が体験した壮絶な痛ましい記憶っていうのは、甘美な瞬間に変わる時にエモーションが発動するから。そういう、ART-SCHOOLのエモーショナルな美しさが今まで以上に書けたと思ってます。

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