こんな日本アーティストがパリで活躍中 【第4回】
長谷鮎美さん
パリで活躍中の日本アーティスト「カメラマン 長谷鮎美」
【今回のアーティストのプロフィール】
カメラマン 長谷鮎美 さん(32)
1983年 宮城県仙台市生まれ
2006年 東北福祉大学卒業
2008年 日本写真芸術専門学校卒業、株式会社 資生堂入社
2010年 フリーランスとして独立
同年9月 フランス パリにて活動開始
母親の影響を受けて、福祉の道に進もうと思っていた長谷鮎美さん。趣味で続けていた写真を仕事にしたいと思うようになり進路変更し、独立を機に渡仏。その後、結婚と出産を経て、夢を追い続ける素敵な女性にインタビューしてきました。
――どうしてパリを選ばれたのですか?
長谷:いずれは海外に出て、カメラマンとしてもっと腕を磨きたいというのがありました。そこで、パリかニューヨークかロンドンかの選択肢で悩んだのですが、まわりのカメラマン仲間たちの中でパリに行っている人がいなかったんです。ならば! とパリを選びました。
長谷さんの作品
長谷さんの作品
――パリでの生活に馴染むのに大変だったそうですね。
長谷:パリに到着した翌日から、時々耳が聞こえなくなることがありました。慣れない海外生活のせいでストレスを感じてそうなっていたようです。
パリに来てからの仕事は、日本で働いていた資生堂から、パリでのファッションショーの撮影、そして日本人向けのウェディング用の撮影などを始めました。
そうこうしているうちに、こちらで出会った主人と結婚し妊娠した時、立ち止まって考える時間ができました。また、ちょうどその時、自分の出身地である東北の震災があったことも改めて「パリで本当にやりたかったことは何か?」を考えるきっかけになりました。
そうしたら、実際にパリに来て、言葉の壁にもぶつかって、意気込んでいたカメラマンとしての夢もいつのまにか言い訳ばかりしている自分がいて、あまり前進できていないことに気がついたんです。
子供が生まれて間もないときに、パリにある撮影スタジオに電話をしてみて、アシスタントの申し込みをしました。運良く、数ヶ月後から研修をさせてもらえることになりました。今でも時々、同じスタジオでアシスタントとして働かせてもらっています。
――カメラマンとして日本とパリで働くうえで違いはありますか?
長谷:働き方の大きな違いは、パリの方が撮影時にカメラマンに任せられることが多いことでしょうか。日本だと、カメラマンは職人的な要素が強いですが、パリでは「アーティスト」として捉えられていると感じます。それだけカメラマンとしての個性や色を重視されます。
パリには星の数程カメラマンがいて、プロカメラマンでも、バーで働きながらという人も普通です。それくらい競争が激しいといえます。
東京で一人前のカメラマンとして働いていた長谷さんが、1歳の子供の母親でありながらも自分の夢を実現すべく前進する姿は、意外にもしなやかでした。
フランスだからこそできる女性の生き方だとも思いますが、結婚や子育てをしながらも、自分の人生の目的を見据え、一日一日生きている彼女に女性の生き方の大きな可能性を教えられた気がしました。