ドレスコーズ ポップマイスター・志磨遼平のタレントを大解放した傑作完成、時代を超える普遍性と忘れがたい2022年夏の刻印『戀愛大全』を語る
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ドレスコーズ 撮影=森好弘
こんなにポップに振り切った志磨遼平には久々に会った気がする。ドレスコーズのニューアルバム『戀愛大全』は、近年の重厚なコンセプト作や舞台音楽とは一線を画す、ロックスターにしてポップマイスター・志磨遼平のタレントを大解放した傑作だ。架空の映画のサントラ、夏、ラブソング。キャッチーなメロディと時代を超える普遍性を持った10曲の物語は、しかしその内側に忘れがたい2022年の夏という時代の刻印がしっかり打ち込まれている。志磨遼平の胸の内を訊こう。
――今回の『戀愛大全』は、志磨さんが久々にポップソングの引き出しを全開にした印象があります。
そうですね、久々のポップス・アルバム。去年の今頃は舞台音楽にかかりきりで、それが終わったあとも別の制作があったり、ここしばらく本業から離れていたので。今年の夏からはいわゆるバンドマンの本分をまっとうするような、ライブハウスのお客さんの前で演奏する、対バンをする、ポップなシングルをたくさんリリースする、そういう活動がしたいなと思うようになり、その中で曲がだんだんたまっていった末に、ようやくアルバムができたという感じですね。
――昨年の『バイエル』やその前の『ジャズ』のような、重いテーマを持ったコンセプトアルバムとは趣が違いますね。重いとか言うと失礼ですね、考えさせられるテーマというか。
いえいえ。それはやはり時代との合わせ鏡と言いますか。世界中を覆う疫病が流行するとか、近隣国の権力者がひどい戦争犯罪に奔るとか、まるでディストピアもののSFみたいな未来が我々を待っていたわけで。僕はそんな時代の芸術家として、勝手な使命感みたいなものを感じていて、“この状況をちゃんと記録しておかなければ”というシリアスな作風のものが続いていたんですね。かといってそれはジャーナリズムではなく、あくまで創作なので、創作の喜びはちゃんとあるんです。普通のアルバムを作るよりもむしろ昂ぶるものがあったりして、かつて不幸な時代にこそすぐれた芸術作品がたくさん生まれたっていう歴史を、自分が追体験しているような気持ちになるんですね。ところが今度は、そういう状況への反発みたいなものが自分の中で起こってきて、疫病も戦争もまったく無視してやろうという動きがたぶん、自分の中であったんだろうなと思います。
自己模倣や再生産に陥らないように、自然と避けてしまう。でも今回のアルバムは、逃げずに自分の得意技で勝負したいという気分もありました。
――今回のアルバムのポップな突き抜け具合は、たとえば90年代ポップスや、90年代ニューウェーブや、70年代の日本の歌謡や、オールディーズ、ガレージ、インディーポップとか、志磨さんの膨大なポップの引き出しを全部開けて見せてくれるような快感がありました。それこそ「ボニーとクライドは今夜も夢中」とか、「Mary Lou」とか、毛皮のマリーズ時代の楽曲にまでさかのぼるような、原点に戻ったような感覚さえ感じています。
自分が得意としていて、人にもほめられるようなものは、逆に“それにかまけてはいかん”と避けてしまうものなんですね。自分をなぞるようなものを作るのはよろしくないし、自己模倣や再生産に陥らないように、自然と避けてしまうんです。でも今回のアルバムは、逃げずに自分の得意技で勝負したいなというような気分もありました。
――自分が得意としているものを再生産するのは避けるというお話は、すごく面白いです。志磨さんらしい。
裏切りたいわけではないんですけど、自分がびっくりしたいというのが一番大きいので。初めて曲を作った時から、“なんでこんないい曲が作れるの?”という驚きがずーっと続いてるんですね。今までそれがなくなったことはないんですけど、その感動はいつかなくなるんだろうか? という恐怖みたいなものはずーっとあるので。なぜ曲が書けるのか自分でもわからないし、得意ですと言っておきながらなぜ得意なのかもわからないし、だからいつも手を変え品を変え、自分の創作の機嫌を取るんですね。“あー楽しい楽しい”って。
――とても面白いです。そして今は、こういうポップな曲を作るのがすごく楽しいと。
そうです、まさにそのとおりです。
――繰り返しになりますが、以前に戻ったという感覚ではないんですね。
うーん、戻ったという感覚は、当の本人にはないです。どうしてかわからないけれど、すごくいいなと自分が思う曲が作れるというのは、いつも信じがたいことなんです。まぐれがずっと続いているような。だから今回の曲も、毛皮のマリーズの曲も、僕にとっては特別ですし、毎度、よくいい曲が書けるなあと思います。
歌わなければいけないことには慣れましたけど、それでも向いているとは言えない。だから、気に入った曲が出来上がるのは何にも代えがたい喜びですね。
――志磨さん、昔からそういう言い方をしていると記憶しているんですけど、音楽が僕を動かしている、僕は音楽の下僕である、というような。それは、どこか自分であって自分ではないような感覚もあるんですか。
えーっと、作曲に関して言えば、さすがにもう十何年もコンスタントに作り続けているので、多少のノウハウやテクニック、知恵のようなものが増えたおかげで、自分の頭の中のイメージを具現化するのにかかる時間は、どんどん短く速くなっているんですね。手際がよくなるというか。でも肝心の“なぜそれが作れるのか”というのは、何もわからないです。僕は本当に音楽の素養がなくて、楽器にもそんなに興味がないんですよ。本当に感覚だけでやってますので。
――言い方を選ばずに言うと、ミュージシャンではないかもしれない。
そう、本当にそう。自分のことを“音楽に秀でている人”とはまったく思っていないです。自分が歌わなければいけないことには、もうずいぶん慣れましたけど、それでも向いているとは言えない。だから、いつもいつも自分の気に入った曲が出来上がるのは、何にも代えがたい喜びですね。
――それは我々の喜びでもあります。今度はこんなのがきた!と、毎回興奮させられるので。
うれしいです。ありがとうございます。
――この『戀愛大全』は、アルバムに寄せた志磨さんのコメントを借りると、“10本の架空の短編映画のサウンドトラック”であり、“それぞれの主人公に訪れるそれぞれの夏”であり、そして“ラブソング”であるというコンセプトがあるわけですけど、最初はどこから始まったものですか。
たぶん最初は“ラブソングを作りたい”というところからで、それを作りはじめた時期がたまたま夏だったから夏のラブソングばかりになってしまった、というすごく素直な流れですね。器用な人であれば夏の曲を春のうちに書いておいて、夏の到来とともにリリースしたりするんでしょうけど、僕は実直に、夏の真っ盛りに、どこにも出かけず、ずっと曲を書いて録音して、ということを続けていたので。そうやって夏を横目に曲を作り続けたおかげで、夏の開放感、焦燥感、去り際のもの悲しさなんかがちりばめられたアルバムが出来上がった、というわけですね。
僕らは去年おととしから“人類史上もっとも清潔で潔癖な世代”となったんです。だからこその失われた“けがれ”みたいなものが懐かしい。
――アルバムからの先行配信ンシングルが、「エロイーズ」と「聖者」でした。
最初に書いた「エロイーズ」が、まさにさっきお話しした自分の得意なパターンの曲で、ひさびさの恋愛をテーマにした歌詞だったと。それがなんだか今の気分にとてもしっくりきて、こういうものを今年はどんどん作って出そうと思い、その次にできたのが「聖者」ですね。同時期ぐらいにアルバムの三分の一ぐらいの曲ができて、それをレコーディングしながらまた新たに曲を作って、という感じです。
――1曲目「ナイトクロールライダー」はいいですね。90年代洋楽リスナーをニヤリとさせるイントロから始まる、非常に明るく広がりのある、疾走感あるオープニングチューン。わくわくします。
1曲目にこれはウケる、と思いまして(笑)。
――ウケました(笑)。アルバムの冒頭にふさわしい曲だと思います。
ちょうど夏頃に、ウォン・カーウァイの映画を見返していたんですね。90年代特有のハイパーなエネルギーと、猥雑な香港の夜景。当時は実際にあった風景なのに、今見返すとなんだかもう存在しない架空の街の情景のようで、それがおそらく今回のアルバムのイメージにすごくぴったりだったんです。“ウォン・カーウァイの映画みたいなアルバムが作れたらいいな”なんて思いながら。少し乱暴で、粗雑で、猥雑で、生命力に溢れたキャラクターたちがとびきり美しく映っているような、誰しもが持って生まれた原罪とまでは言わないですけど、罪深いイメージが、たぶんこのアルバムの核なんですね。
――ああ、それはよくわかる気がします。
このアルバムの僕のイメージは、決してきれいなものではないんです。でもそういうものこそ、それこそあの頃の香港のように、今はもう失われて、郷愁や憧れを感じるものとして……つまり僕らは去年おととしから、“人類史上もっとも清潔で潔癖な世代”となったんです。毎日手を消毒して、マスクをして、人が触れた場所はすべて滅菌して、なるべく他人と触れ合わぬよう生きている。だからこその失われた“けがれ”みたいなものが懐かしいんですね。たとえば煙草を回し吸いするとか、今はどう考えたってNGじゃないですか。他人が口をつけたものを口にするのも駄目だし、そもそも煙草自体が駄目だし。
――それってまさに、「聖者」のMVのワンシーンじゃないですか。
そうそう。そのうえバイクの二人乗りも駄目だし、そういった悪さのロマンみたいなものが、すごく恋しい気持ちが今はありますね。