Pカンパニー15周年記念公演、〈ベツヤクづくし①〜④〉8作品の上演について

インタビュー
舞台
2023.3.31
〈ベツヤクづくし②〉に出演した俳優と演出家。左から、山口眞司、林次樹、山下悟。

〈ベツヤクづくし②〉に出演した俳優と演出家。左から、山口眞司、林次樹、山下悟。


〈ベツヤクづくし〉は劇団創立15周年を迎えたPカンパニーの記念公演で、全部で8本の別役作品を上演する。すでに4作品が上演され、さらにこれから4作品上演される予定だが、どの作品も趣向に富んでおり、ひと筋縄ではいかない内容ばかりだ。スケジュールについて、簡単におさらいをしておこう。
 

■2022年12月7日(水)〜11日(日)西池袋・スタジオP(Pカンパニー稽古場)
 〈ベツヤクづくし①〉『トイレはこちら』『いかけしごむ』2本立て
■2023年3月15日(水)〜21日(火・祝)池袋・シアターグリーン
〈ベツヤクづくし②〉『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』『風に吹かれてドンキホーテ』交互上演
■2023年6月21日(水)〜25日(日)西池袋・スタジオP(Pカンパニー稽古場)
〈ベツヤクづくし③〉『消えなさいローラ』『招待されなかった客』2本立て
■2023年9月6日(水)〜12日(火)池袋・シアターグリーン
〈ベツヤクづくし④〉『会議』『街角の事件』交互上演

 

 まず、〈ベツヤクづくし①〉はノンセンス劇が上演された。『トイレはこちら』は、トイレの場所を口頭で教えてあげるという商売を考案した男の話、『いかけしごむ』は題名とおり、いかから消しゴムを作ることを発明した男の話だ。この2作は、男と女がひとりずつの二人芝居であり、台詞のやりとりが抜群に面白かった。

『トイレはこちら』(別役実作、林次樹演出) 撮影/宮川和久

『トイレはこちら』(別役実作、林次樹演出) 撮影/宮川和久


『いかけしごむ』(別役実作、林次樹演出) 撮影/宮川和久

『いかけしごむ』(別役実作、林次樹演出) 撮影/宮川和久

 次の〈ベツヤクづくし②〉では、文学作品からヒントを得て創作した作品が上演された。この2作はセルバンテスの名作『ドン・キホーテ』を下敷きにしている。

 『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』は、稀代の名優、三津田健と中村伸郎に書き下ろされた作品で、手練れな老騎士ふたりが縦横無尽にではなく、ドタバタと旅を続けていく。今回は林次樹と山口眞司が演じた。

 三津田・中村コンビがあまりにも傍若無人な老騎士だったのに比べると、いささか行儀がよく、親切な老騎士であったように思われる。三津田・中村は世界の中心に自分たちがいるようなふるまいかただったが、林・山口はまだ周囲の動きを観察し、自らをその一員として合わせたりもする。俳優の世代が代わることで、演じかたが変わるのも面白い。できれば数年に一度、おふたりにはこの作品に挑戦してもらい、さらに年を重ねることを通して『諸国~』の世界をいっそう深めていただきたい。そういう再演の重ねかたを見たいと思った。

『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』(別役実作、山下悟演出) 撮影/森田貢造

『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』(別役実作、山下悟演出) 撮影/森田貢造

 『風に吹かれてドンキホーテ』は、まさに気まぐれな風に吹かれるように、登場人物たちは「状況」に取り込まれていく。ひとりずつランダムに拉致され、捕食される感じだ。捕まえて食べる理由は「愛しているから」というものだが、それが何をしても許される呪文のように用いられるのが怖ろしい。そして、それはお祭りのように盛りあがっていく。舞台裏ではすさまじい出来事が起きているのに、どこか長閑でおおらかなのも別役劇の特色だろう。

『風に吹かれてドンキホーテ』(別役実作、山下悟演出) 撮影/森田貢造

『風に吹かれてドンキホーテ』(別役実作、山下悟演出) 撮影/森田貢造

 これから上演される〈ベツヤクづくし③〉の『消えなさいローラ』は、テネシー・ウィリアムズの『ガラスの動物園』を下敷きにしたお話で、別役夫人の楠侑子さんが気に入っていた作品だ。『招待されなかった客』は、ソーントン・ワイルダーの『わが町』を下敷きにしている。

 〈ベツヤクづくし④〉の『会議』『街角の事件』は、どちらも「手の会」で初演された社会実験劇。想定外の方向に議論が展開していった先にあるものは。思いがけない結末に言葉を失うこともあるかもしれない。

 理不尽で暴力的なところもあり、思わず笑ってしまう設定なのに怖ろしい。そんな別役実の世界を、ぜひとも体験してみてください。
 

■36年前の初演の記憶

──『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』の初演は、1987年10月、パルコ・スペース・パート3でした。1963年12月に文学座が分裂したさい、劇団に残った三津田健さんと退団した中村伸郎さんは、いっしょに芝居できなくなってしまった。そこでおふたりが共演する舞台を作りたいと、文学座の塩島昭彦さんが企画されて実現したと聞いています。確認していないので、どこまで本当かはわからないんですが……。

 本当らしいですよ。文学座の塩島さんと演劇集団円の三谷昇さんを加えたおふたりが共謀してということらしいです。

──文学座の三津田さんは「おとうちゃん」、円の中村さんは「先生」というように呼ばれかたも演技スタイルもちがうおふたりですが、おたがいに認め合うところもあって企画が実現したのはうれしいことです。その後、数々のベテラン俳優によって、青年座でも、テアトル・エコーでも挑戦されました。今回はPカンパニーと山の羊舎による合同公演ということで、上演史に新たなページを刻むことになります。初演の舞台をご覧になったのは、林次樹さんだけですか。

山口 いや、わたしも。

──騎士を演じるおふたりですね。わたしも拝見しています。たぶん、36年前には、20代だったと思うんですが……。

山口 ぼくは30歳ですね。

──三津田さん、中村さんが演じられた役に挑戦されることについて、お話しいただけますか。

山口 今回、『諸国~』について、ある種、挑戦という思いもあるんですけど、円で別役さんに関わることはけっこう多かった。ぼくは研究所の3期なんですが、旗揚げ公演が『壊れた風景』で、中村先生を筆頭に別役さんを好きな俳優さんたちがたくさんいて、台本を別役さんに書き下ろしてもらって、円風の別役劇のスタイルができていく。そのなかで育ったということもあります。

 『メリーさんの羊』では、男1を演じる中村先生が、三谷さんを男2に指名したんですが、その流れで三谷さんが男1を演じられるさいに男2を指名することになり、ぼくが指名してもらって、12年の間に10回もやれました。そうするうちに体のなかに別役さんのお芝居が染み込んできて、ことあるごとに別役さんの文体の難しさにぶち当たりながらも、三谷さんといっしょにやらせてもらううちに、少しずつだけど先に進んでいる自分がいた。その上に中村先生がいらして、中村先生が追求したリアリティ、そこにいるということとか、別役さんも言ってますけど、三谷さんも追い求めたある種のたたずまいみたいなものが、やはり、自分にとってのひとつの指標、俳優として目指す目標にもなりました。

 また、いつも別役さんの作品ばかりやってるわけじゃないんですが、他の芝居をやって、また別役さんの作品に戻ると、ある種のライフワークじゃないけど、定点観測みたいな位置づけになってます。もちろん30歳のときに見た中村先生と三津田さんに追いつくことなんかできないし、また、別役さんが書かれた時代背景などを含めて、たぶん別役さんは、中村先生や三津田さんを戦後の「お父さん」として、それが枯れていく姿も写し込んでいるから、そこには明治の気骨というか、矜持というか、美意識というか、哲学というか、生きかたが込められている。だから、それはぼくらとはちがうと思うんです。ただ、別役さんの作品が持っている普遍性みたいなものには挑戦してみたい。

 「殺さないと殺されるからね」という遍歴の騎士の台詞は、強烈なまでに普遍的なものになっているし、『風に吹かれて~』は愛してるから食べちゃうという食物連鎖じゃないけど、もう強烈なまでにブラックなところがあります。

 ぼくには円で培った別役作品のやり口があり、傍(かたわ)らで、林さんは「手の会」から木山事務所につながる、ぼくとはちがう流れのなかでやっていらっしゃる。そういうわけで、林さんと別役作品ができたら、ちょっとした化学変化が起きるんじゃないかと思っているんです。

『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』で騎士2、『風に吹かれてドンキホーテ』で男1(ドンキホーテ)を演じる山口眞司。

『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』で騎士2、『風に吹かれてドンキホーテ』で男1(ドンキホーテ)を演じる山口眞司。


 

■普遍的な面白さを探る

──林さんはいかがですか。

 基本的には同じなんだけど、別役さんは口では「基本的に、ぼくは当て書きはしない」と言うんだけど、嘘ばっかりだと思っていて、文学座でやるときは、やっぱり、角野卓造さんや小林勝也さんが演じることを想定して書き、新しい人が加わってそれが面白いと、次には倉野章子さんを女1にというふうに書いていた。ただ、それを当て書きという言いかたはしなかった。

 中村先生に関しては、木山事務所の木山潔さんが別役さんに「そろそろ新作1本、お願いできませんか」という話をしたときに、「じゃあ、中村さんで1本」という言いかたをなさるので……ぼくはその場にいたわけじゃないけど……別役さんのなかでは、中村さんの晩年の10年ぐらいは、新作を書き下ろすさいには可能な限り中村さんに出てもらうのが、きまりのようになっていた。

 そういう意味で言うと、それに三津田さんが加わって、別役さんはこの後、文学座アトリエに『鼻』という『シラノ・ド・ベルジュラック』の三津田さんの当たり役を題材にして1本書いた。つまり、『諸国~』で三津田さんは初めて別役作品をやったと思うので、それをご覧になって、「ああ、今度はこの人と一本やってみよう」と思って『鼻』を書いたんだろうと思うんです。

──杉村春子さんが、ロクサーヌ役で声の出演をなさっていた『鼻』ですね。

 別役さんはそういう書きかたをされるので、それ以外のことにはあまり頓着がない。好きなようにやりなさいという。だから、多作だと思うんですけれども、後からやる者は、それに敵(かな)おうと思ったところで、ほとんど意味がない。ただ、35年以上経つと、初演を見てる人もだいぶ減ってきたので(笑)……。

 もちろん、そんなにうまく行くもんじゃないとは思ってるんですけど、戯曲としては、山口さんがおっしゃったみたいに普遍的な面白さがあり、いい台本(ほん)だと思うし、ぼくは別役実作品上演許可窓口を任命されていて別役作品を普及させる役目も担っているので取り組んでみたい。やる以上は、きちっとした作品に作りあげるんだけど、初演時の三津田さんと中村さんとは別個に、この戯曲の面白さとかよさみたいなものを、いまの時代を反映させながら上演することで、別役作品は面白いなと思ってもらいたいというのが、ぼくの目標です。

 プレッシャーはものすごくあるんだけど、それを前面に出してもしょうがないので、この作品に対する自分なりの解釈とか、想いを込めて上演して、それをお客様に見ていただくつもりでいます。清水の舞台から飛び降りる的な気持ちはあるんです。他の旧作と比べて、そういう色が強いですね。

──かなり特別な作品ですよね。

 そうなんですよね。だから、山下さんとか、山口さんのお力を借りながら、そのへんをやれたらいいかなと思っています。

──タイトルに「遍歴の騎士」とあるので、ベテラン中のベテランという設定と、これまでの舞台キャリアとが重なっていく。見どころも随所にありますから、初演とは別の新しい魅力を作りだすこともできますね。

『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』で騎士1を演じる林次樹。

『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』で騎士1を演じる林次樹。


 

■削ぎ落とすことで見えてくるたたずまい

──あるとき中村伸郎さんが、台詞が多過ぎるから「ちょっと減らしてください」と別役さんにおっしゃったことがあるんですが、『諸国~』はその後に書かれた作品ですかね。

 どうだろう。

──読み直してみたら、長台詞がほとんどなくて、台詞を短くするという制約を課された分だけ、切れ味が鋭い気がしたんです。台詞については、三津田さんと中村さんのどちらに配慮されたのかはわかりませんが、中村さんは自分の役の台詞が少ないと「もっと増やしてください」とおっしゃる方でしたが、ある時期から台詞量を減らしたと別役さんがおっしゃっていたので、『諸国~』はその後に書かれたものかなと。

 中村さんが好きな戯曲の変遷については、ぼくは詳しくないんですけど、三島由紀夫さんの作品に傾倒なされていた時期があり、その次に別役さんを選ばれた。三島さんの台本は、割と饒舌に語られていたような気がするんです。

 中村さんは年をとるごとに、余分なものを削ぎ落としていき、しまいには舞台に残される自分のたたずまいと台詞の調和を目指していたと思うんです。だから、台詞が多いので減らしてほしいと言ったかもしれないけど、もっと少ない台詞でもおれはやれるし、舞台にいることができるということに挑戦しようとなさっていたうえでの発言ではないかと、ファンとしては推察します。

山口 ぼくの聞いている中村先生は、舞台と、もうひとつ映像の方で、小津安二郎監督の影響はあったみたいです。なおかつ、文学座では、宮口精二さんと同じように小柄であることは、中村先生のコンプレックスだったのか、商業舞台には出ないと決めたのが50歳前後で、その後、フランスに行き、イヨネスコと出会って『授業』の教授を演じる。要するに、50歳を境に、自分が求める演劇のうえでの俳優としてのリアリティを追求しようとする。

──渋谷ジァン・ジァン夜の10時劇場での上演も、ずっと続けていらした。

山口 それでイヨネスコの作品に挑戦した。25年にわたり、イヨネスコをやるうちに、言葉が日本語ではないので翻訳にならざるをえない。そういう時期に偶然、別役さんと出会って、これだという確信があり、最初の『壊れた風景』や『雰囲気のある死体』の頃は、聞いた話だけど、台詞について「もう少ししゃべれるよ」みたいな話はあったみたいです。

 それで1984年の『メリーさんの羊』に続いていくんですが、この作品は中村先生から別役さんに「リア王と道化で書いてくれ」と依頼されて、書きあがった台本(ほん)が『メリーさんの羊』だったという。あの頃はいくらでもしゃべれる時期だったのかもしれません。中村先生は『諸国~』を演じてから、この後、3年ぐらいでお亡くなりになります。

 だから、削ぎ落としやテクニカルなものもいろいろ探ってきたけれど、そういうものじゃなくて、そこにいるということで自分はいけるというような。それと、少ない台詞でも、逆にシンプルにそういうものを表現できるという確信もあったのかもしれませんね。

──たしかに50歳を境に小劇場にこだわるようになられて、至近距離からお客さんに見ていただく芝居、そこで嘘がない演技をするという課題を、中村さんはご自身に設けられていた気がします。

〈ベツヤクづくし②〉『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』『風に吹かれてドンキホーテ』のチラシ。

〈ベツヤクづくし②〉『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』『風に吹かれてドンキホーテ』のチラシ。


 

■2作の同時上演に挑戦する理由

──『諸国~』の初演の演出は、演劇集団円の岸田良二さんでした。今回はその作品に挑戦することに加えて、さらに大変だなと思うのは、いきなり2作品を上演してしまうことです。

山下 先ほど山口さんが、円の別役さんについての話をされましたが、旗揚げ公演の『壊れた風景』は見ていません。その後の『雰囲気のある死体』には演出部の一員として加わりましたが、舞台の端から見る程度のものでした。

 実際に別役さんの芝居に間近で接したのは、90年代に上演された俳優座劇場プロデュースの「五人の紳士」シリーズで演出助手をしたとき。別役さんの作品にべったり浸りながら作ったのは、そのころですね。それ以降は、円での別役作品にはほとんど関係せずに、俳優座劇場プロデュースとか民藝公演とか、その後、『メリーさんの羊』とか山の羊舎になる。だから、円ではそれほど別役さんと関わっていません。

──それは意外ですね。民藝で2作演出されていますから、そちらのほうが多く関わっています。

山下 そうなんです。中村先生とは、別役作品以外のお付き合いの方が多いのかな。『眠れる森の美女』で演出助手をしたとき、毎日送り迎えをしていました。

 『諸国~』に関しては、三津田さんと中村先生の舞台をぼくは見ていないんですが、文学座の塩島さんから話は伺っていたし、従者を演じた三谷昇さんからも聞いていました。演出が円の岸田良二だったから、舞台監督や演出助手も円のスタッフが多くて、作業を円に持ち帰ってやっていたのを見ているんです。だから、見ていないのに、稽古の情報だけは入ってきていて、塩島さんが「すごいぞ」と言い、演出部が苦労してる話を聞かされた結果、この芝居だけには手をつけちゃいけないという思いが形成された(笑)。

 でも、この話が立ちあがって、林さんと相談したときに、2本立てで上演できないかと提案があり、苦しまぎれに2本同時に上演したら、それぞれの作品がおたがいのヒントになって、とっかかりが見つかるような気がしたんです。それで引き受けて、いま大変なことにはなっているんですけど。

 別役さんの芝居は、稽古場で作っているときの方が、読んでいるときよりも面白いんですよ。俳優さんたちが実際の生身で動いてくれることで気づくことがいっぱいある。それが別役さんの芝居の楽しさだと思います。他の芝居のときはある整合性を持って、ひとつのシーンと全体のテーマの位置づけを考えるんだけど、別役作品の登場人物は、それぞれが考えていることから、すでにずれていますから、そういったやりとりを作っていく作業がとても面白い。

──『ドン・キホーテ』から題材を採った別役作品は、もう一作、文学座の『にもかかわらずドン・キホーテ』もありますね。

 2本上演はぼくが企画したんですけど、『にもかかわらず~』は晩年の作品なので活字になってない。雑誌掲載もぼくの調べた範囲ではなかったので、山下さんと山口さんは円のかたですから、『風に吹かれて~』でいこうと決めました。

『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』『風に吹かれてドンキホーテ』を演出する山下悟。

『諸国を遍歴する二人の騎士の物語』『風に吹かれてドンキホーテ』を演出する山下悟。


 

■大人の芝居と円・こどもステージの芝居

──『諸国~』はパルコ・スペース・パート3で上演されたベテラン俳優による大人向けの芝居で、『風に吹かれて~』は円・こどもステージで上演された子供向けの作品です。でも、どちらもやさしく書かれているので、子供向けと考えてもいいし、どちらも生きることと死ぬことがブラックに描かれていることから大人向けであると言えると思います。

山下 『風に吹かれて~』について林さんと話したときには、子供向けの芝居として上演する気はぜんぜんなかった。ただ、作品中に歌と踊りが入っています。別役さんは2年に1作のペースで円・こどもステージに書き下ろしてくださっているうちに、だんだん歌と踊りを入れる楽しさを覚えちゃったみたいで……

──別役さんの初期の作品にも、歌と踊りが入ってるものは多いですよ。演劇企画集団66が上演した『スパイものがたり』とか……。

山下 86年の『赤ずきんちゃんの森の狼たちのクリスマス』には入ってないんですよ。その前の84年の『《不思議の国のアリス》の帽子屋さんのお茶会』にもない。フィナーレとしては音楽が入りますが、劇中にはなかった。その後も円・こどもステージに、88年の『卵の中の白雪姫』、90年の『歌うシンデレラ』と書いてくださっているうちに歌と踊りが増えてきた。そして、93年が今回の『風に吹かれてドンキホーテ』の初演になります。

 ぼく自身は、87年から91年という4年間のあいだに、登場人物が出てきて、冒頭から死ぬか殺すかと言って、とんでもない二者択一を迫る。見ている人間にもそういうものを突きつける。それから4年経つと、さらに先の「食べる」まで行ってる。それが円・こどもステージに書き下ろされた芝居だということもすごいと思うんだけど、どうして「食べる」が出てきたんだろうということには興味があります。やっぱり生きることと食べることは裏表ですから。

──『風に吹かれて~』は『ドン・キホーテ』に宮沢賢治の「注文の多い料理店」をくっつけたと単純に考えていました。別役さんは『諸国~』の後に『ドラキュラ伯爵の秋』を書かれるので、当時はヨーロッパの騎士とか伯爵といった物語の世界が、別役さんにとってのマイブームなのかなと思っていました。

 

■この芝居で何ができるかを考える

──『風に吹かれて~』は、読書をしているうちに、書かれた世界のなかに入り込んでいく設定になっています。読み進むことで、現実が物語世界に呑み込まれていく。おふたりは現在60代ですが、この作品はお能でいうと、最後に「披く」難曲のような気もします。

山口 最初に話したことと重複しますけど、ぼくが初演を見たときの舞台には太刀打ちできない。中村先生と三津田さんを見ていて、もうじき本当にいなくなるということすら感じさせる舞台だったから。それは追い求めても無理だと思うし、自分がそこまでやれるかどうかわからない。けれども、そこの部分を外して、つまり、いつも円で別役さんの芝居をやるように、状況と関係を作ることが料理法としてあるから、ちがうにおいがするかもしれないけれど、できるんじゃないかと思ったというところですかね。

 だから、死んでしまう、いなくなってしまう部分についてはどこか作りもののなかで、いまある林さんとわたしで、まだ答は見つかりませんけど、稽古していくなかで見つけていくことになるのかなと思うんですけど。

 ぼくもさっき言った理由でやるんですけど、いまの時代、爺さんをやれる俳優さんが、婆さんも含めてすごく少なくなってきた気がして。つまり、年寄りらしい年寄りがいなくなった。中村先生は小津安二郎の映画では、もう40代から、笠智衆と並んで、爺さんをやってたんですよね。

──中村さんは、いとうせいこう原作の『ノーライフキング』という映画では、死を前にしてお布団に寝ている役で出られていました。

 年齢で言えば、年を取ったから年寄りの役というだけではなくなってきましたね。

 あと、これは重たい話ですけど、その次に書かれた『ドラキュラ伯爵の秋』は木山事務所の制作で上演したんですが、あのころ別役さんのなかでは、昭和天皇が生きながらえていたことも影響していたんじゃないかと思って。『ドラキュラ伯爵〜』では、中村さんが人の血を吸って生きながらえ、死のうとしても死ねないドラキュラを演じていて、それが当時の昭和天皇の容態と重なっている。根底には天皇の戦争責任みたいなものが色濃く滲んでいると思うんです。裏面にはそういう思いが別役さんにはあったんじゃないか。だから、演じるには生身の中村さんや三津田さんのような老人でなければというのは半分正しいんだけど、そう考えるとその年齢になったときしかできない作品になってしまうので、普遍的ないい戯曲として上演するためには、死ねないというのはどういうことか、「むこうからやってくるまでだよ……」という台詞の意味、迎えにくるまで死ねない人間とは何者かと、哲学的なテーマも考えながら取り組んでいます。

 そういう意味で、名老優おふたりは、だんだんぼくの頭のなかから出てこなくなり、この芝居で何ができるかにシフトチェンジしているように思っているんです。

 

■円はテーブル、文学座は卓袱台

──秋の物語である『諸国~』と冬の物語である『風に吹かれて~』、初演の『諸国~』の舞台で看護婦を演じられた福井裕子さんが、今回は『風に吹かれて~』の女6として出ていらっしゃる。こういうつながりが、37年前と現在とをゆるやかにつないでいるような気がします。初演の『諸国~』に従者として出ていた文学座の田村勝彦さんはお元気ですが、もうひとりの従者だった三谷昇さんは今年の1月に他界されました。騎士ふたり、従者ひとり、そして医者の高木均さんも亡くなりました。だんだん減ってしまいますね。

山下 減っていきますね。

──話は変わりますが、別役さんの芝居には「お腹が空いた」という台詞がよく出てきます。この身体感覚は戦争体験から来るものなのか、それとも単なる空腹でしょうか。

山下 ぼくにはよくわからないけど、なぜいつもチーズなんだろうとか、そのチーズはなぜいつも乾いてるんだろうとか……。

──そちらの方が気になりますか?

山下 別役さんはどうして乾かしてしまうんだろうと、いつも思ってしまう(笑)。だから、別役さんの頭のなかを見てみたい。別役さんの作品には、いろんなものを食べたり飲んだりする場面がありますが、ぼく自身はあんまり意味があるとは思っていない。もちろん理屈はいろいろつけられるんでしょうけどね。

──チーズとか、紅茶とか、出てくる飲食物はどこかハイカラです。しかも、ビスケットを紅茶に浸すといった食べかたまで指定されているのが別役流かもしれません。

山口 昔、稽古しているとき、別役さんの芝居は、円ではお茶を飲むときは紅茶で、テーブルと椅子だと。でも、文学座だと卓袱台かなという話になった。つまり、俳優のことを考慮されているのかもしれないけれど、イメージとして、円に書くときは紅茶で、文学座だと卓袱台になる。

──それは興味深い指摘ですね。

山下 なんかそれは意識的に、円は洋風な感じだと思っていたし……。

──理由があって、書き分けていらしたんですかね。

山口 中村先生には紅茶が似合う感じなのかなと思ったり……。

 それはありますね。

 

■最後にお客さんにひと言

──『諸国~』は、はじめのト書きに「枯れ木が一本立っている」とあるので、おそらくベケットの『ゴドーを待ちながら』を意識されていますよね。

山下 それは、ずっとあるでしょう。究極のゴドーを待っているふたりですし、それは風景として、別役さんの頭のなかにこびりついているものだと思うから。

──『ゴドー~』を背景に考えると、「死を待ちながら」という話で、予想どおりに待っていたものは到来しないまま、そこにたたずみ続けるふたりの物語としても読めるかなと思います。では、最後にひと言ずつお願いできますか。まず、山口さんから。

山口 別役さんの最も脂の乗り切った時期、いちばんやりたいプロデュースで、何かに囚われることなく自由に書かれた台本、そこが見どころである気がします。

 ぼくは立場上、制作責任者なので、最初は『諸国~』を山の羊舎とPカンパニーでいっしょにやらないかというお話をいただいたとき、「やるんだったら2本やりませんか」という提案をしたのはぼくの方で、それは集客を含めてということもあるし、Pカンパニーが15周年ということで、去年の12月から今年の9月まで、別役作品ばかりを8本やることを頭のなかで考えていました。山下さんに2本演出してもらうのは、その後で決めたことだけど、過酷なスケジュールになりますが、半分お祭りで、「別役実メモリアル」もこれで終わりですし、今後も別役作品を上演してもらうためにいろいろと考えている者としては、可能な限り、2本どちらも見てもらいたいと思います。

山下 Pカンパニーのみなさんといっしょに仕事をするのは楽しいし、ぼく自身も新鮮な刺激を受けています。山の羊舎が中心の『諸国~』、Pカンパニーが中心の『風に吹かれて~』になりますが、そもそも山の羊舎は公演ごとの寄せ集めで、林さんを中心にスクラムを組んでいるPカンパニーとはちがうので、刺激を受けたり、お芝居作ることを改めて実感しています。

 それから、今回、セットはほとんどいっしょで、両方とも舞台に木が立っている。出演者に「どうして『風に吹かれて~』の方で、宿屋のなかに木があるの?」と言われたので、「別に家のなかに木があってもいいじゃない?」みたいな話をしてるんですけどね。

──山口さんも一度にふたつの公演の主役を兼ねるのは、60代だからでできることで、さらに10年後では体力的に難しくなる。いまが気力、体力ともに充実して、いちばんいいときのひとつなので、きっといい舞台になると期待しています。

取材・文/野中広樹

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