岩手・大船渡で今年も開催、気仙にロックフェスをーー震災、コロナ禍を乗り越えた『KESEN ROCK FESTIVAL』の意義とは、実行委員長・千葉裕昭氏インタビュー

ニュース
音楽
2025.7.4
KESEN ROCK FESTIVAL 実行委員長・千葉裕昭氏

KESEN ROCK FESTIVAL 実行委員長・千葉裕昭氏

画像を全て表示(20件)

東日本大震災のあと、被災した港町にライブハウスを作る計画が生まれたのは14年前のこと。宮古・大船渡・石巻にそれぞれ新しい社交場が作られていくが、その中でもっとも停滞しているように見えたのが大船渡だった。街は地盤沈下が進み、土地の嵩上げ計画もはっきりと決まらない。生まれたばかりのライブハウス・フリークスは移転を余儀なくされ、代表者の顔も変わっていく。そんな折、10年前に出会ったのが千葉裕昭氏だった。肩書きは「ライブハウス大作戦・フリークス代表」そして「KESEN ROCK FESTIVAL 実行委員長」。

なぜこの街にライブハウスが作られたのか。先に『KESEN ROCK FESTIVAL』(以下、『ケセンロック』『ケセン』)があったからだ。2009年に始まり、携帯電波も届かない山奥のフェスとして始まったケセンロックは、不便さと手作りムードを維持しながらその後10年続く人気イベントへと成長。2020年以降はしばらくお休みしていたが、昨年5年ぶりに大船渡で復活。今年は6年ぶりの7月19日(土)・20日(日)の2デイズ開催となる。

その間に大船渡の街並みは美しく様変わりしていた。土地全体の嵩上げが終わり、駅前商店街は小粋なグルメスポットへ。フェス会場となる夢海公園に当日どれほどの笑顔が集まるのか、想像するのはまったく難しいことではなかった。旬のアーティストが次々と変わる時代、出演メンツがほぼ変わらない、地元有志の想いだけで続いていくフェスのありかた。千葉裕昭に改めて聞く。『ケセンロック』って、いったい何でしょう?

「田舎じゃ無理だよね」と諦めず
志ある仲間たちと手探りでスタート

一一今回は『ケセンロック』の歴史について伺います。千葉さんは、第1回目の種山ケ原のイベント広場を見つけてきて、前日夜までステージ設営をやられていたとか。

そうですね。まず、2008年に大船渡ロックフェスティバルというのがあって。その翌年、2009年も大船渡でやろうとしてたんですけど、急遽、場所が使えなくなっちゃって。5月くらいの話でしたね。もうブッキングも終わっても売ってる状況の中、いきなり場所探しの連絡が来て。「どっかやるとこないですか?」「えぇ? 今ですか?」って。

一一ほんとギリギリですね(笑)。

それで種山の、あの会場を思いついて。前に住田町でスターウォッチングのイベントをやったことがあって、それで整備した土地、普段は年間を通してもほとんど使われてない場所だったのかな。見にいった時はまだ雪がチラついていたりして。そこに決めるところから始まりましたね。

一一それ以前、大きなイベントが大船渡近郊で開催されることはありました?

いや、花火大会とか夏祭りぐらい。昔、リンドバーグとかTUBEが野外イベントで来たことはあったけど。でもそれは音楽イベンターが入ってるものでしたね。

一一『ケセンロック』はそれとは違うDIY発想で始まった。別の記事で読みましたけど、最初はステージの高さやスロープの作り方もわからなかったとか。

そう。スロープって何に使うのか全然わかんなくて。「すてはん」って言われたけど「すてはん」って何だ?って。

一一ステージ・ハンド。普通は知らないですよね。

そのためにスロープがいると言われてたから、まぁとりあえずスロープつけたんですけど、えらい急勾配でした(笑)。当時はイメージも全然なかったから全部検索してましたね。「ロックフェスとは何ぞや?」「フェスのステージってどうやって作るんだ?」って。

2009年

2009年

一一出演者はどういうふうに決めたんですか。

そこはバンアパ(the band apart)が。2001年からバンアパが毎年大船渡に来てくれて、それ見てるからもともとみんなバンアパとは仲良くて。ブッキングに関してはバンアパが声をかけてくれた感じですね。10-FEETだけは、こちらの実行委員の中にいた消防士の人が大好きで。どうしても呼びたいってことで自分でメール出してたのかな。でもそれ以外はバンアパにお任せ。

一一少し偏ったメンツになるのも構わなかったですか。

言ったら僕、バンアパぐらいしか知らなかったですから(笑)。地元のアーティストでLAWBLOWとTILITILIが出てますけど、知ってたのはそれぐらい。

一一まさに「ロックフェスって何」「ライブバンドって何」状態。そうなると、当時の千葉さんは何がモチベーションだったんです?

うーん、まぁ企画書なんかきちっと書く時には「地元を盛り上げる」ってことを書いてはいますけど。

一一……タテマエ?

そう(笑)。モチベーションとしては、みんなやっぱり何かやりたいんですよ。地元に会社があって、何かしら志を持って一度都会に出たものの、結局跡継ぎとして戻ってきた人がほとんどで。とにかく何か大きいことをやりたい。でも田舎じゃ無理だよねっていう諦めモードの人たちが集まってることが大きいのかな。俺も一度仙台に出てロックンロール・オリンピック(注:80年代バンドブームを象徴するフェス。ハウンド・ドッグ大森康平プロデュースで開始)とかは見てましたけど、「これは田舎じゃ無理だな」って肌で感じたんですね。

一一その諦めモードをひっくり返す何かが欲しかった。

そうです。ドライブインシアターをやりたいっていう実行委員もいましたし。とにかく夏祭り以外の変わったもの、もう少し若い人たちが盛り上がるイベントをやりたい人たちが多かった。ほんとB級グルメ大会でもよかったし、あと住田町で以前やってたのが釣り大会。一番大きなニジマス釣ったら牛一頭をプレゼント、とか(笑)。そういう面白いことやった先輩方も過去にいましたね。

一一そういうエネルギーは昔からこの土地に渦巻いていたんですか。

あったと思います。やっぱりアクセスがものすごく悪いので、若い人たちは街から出ていっちゃう。でも遊びに来るにはインフラが微妙なので、特に若い人たちが気軽に来るのが難しい。それは昔から感じてました。

「震災は震災。『ケセンロック』は『ケセンロック』って割り切ってる」

2010年

2010年

一一そうやって始まった『ケセンロック』は、2年目から出演者も一気に増えていきます。これもバンアパに任せたブッキングですか。

そうです。Idol Punchもeastern youthも、OAUもバンアパが声をかけてくれた。PE’Zと10-FEETだけが違うんだけど。当時はこっちもブッキングの仕方とか、メールの書き方もよくわかってなかったですから。だったらバンアパに任せて、やり方を徐々に勉強していくほうが早かったですね。

一一そして、3年目が始まると思っていた矢先に起きたのが2011年の大震災。

うん。まず大船渡の友達は生きてるのか、陸前高田の友達は生きてるのかっていう話になるし。あと俺は普段が土建屋さんなので、仮設住宅の建設がすぐ始まっちゃって。もう音楽どころではなかったですね。ただ、それ以前から『ケセンロック』に関わってくれたBRAHMANとかIdol Punchがすぐ支援物資を届けてくれて。ほんと早かった。

2012年

2012年

一一あぁ、以前に『ケセンロック』に出た繋がりがあったから、バンドマンも迷わず大船渡や高田に向かって行けた。

そうですね。岡山のRACCOS BURGERの炊き出しも、最初は陸前高田でやってたんですよね。アジカンのゴッチ(ASIAN KUNG-FU GENERATION 後藤正文)も一緒にいて。で、ゴッチが避難所になった体育館の中でマイク1本で弾き語りをやってくれたんです。せっかく支援で来てくれた人たちが、こうやって歌もプレゼントしてくれる。若い子たち、言ったら小学生とか中学生は足を止めて見入ってましたからね。俺はほんと、すごいなと思いながら見てました。同時に「あぁ、これはどこかに場所がないと」っていうのはすぐに考えたことでしたね。

2012年

2012年

一一あれから、『ケセンロック』の意味って何か変わってきたと思いますか。

うーん、根本はでも一緒かな。実行委員会の中にも、被災して家流されちゃったり、身内が亡くなった人がいるんだけど、あんまり彼らは震災を引きずってなくて。「起こってしまったことはしょうがない」って感じなんですね。それより何よりも地元を盛り上げる、ちゃんとこれを突き詰める感じでしたね。震災は震災。『ケセンロック』は『ケセンロック』って割り切ってる。

一一東京から見る限りですけど、なんとなく、被災地を背負うフェスみたいなイメージも出てきたような。

あぁ。それはたぶん、震災のあと『KESEN ROCK TOKYO』って名前で支援イベントが始まるんですね。音楽雑誌『MUSICA』の鹿野(淳)さんとかが立ち上げて。みんなノーギャラでやってくれたし「支援のお金はそろえたし、2012年、『ケセンロック』やるんでしょ?」みたいな。その後押しがすごすぎて、こっちは「……じゃあやるか」って立ち上がるしかなかったのが実際のところ(笑)。

一一あはは。圧に押された。

ウチらも悪いんですよ。のらりくらりして。返事どころじゃないっていうのもあったし、でも『ケセンロック』はやりたい、みたいな気持ちもあったし。そこはほんとTOSHI-LOWにケツ叩かれましたね。「やんのかよ? やんねぇのかよ? はっきりしろ!」って言われたのは今でも忘れられないです。

「音楽の繋がりってすごいなと思う」

一一以降は2日間開催になり、出演者の顔ぶれも少し広がっていきます。

うん。バンアパだけに任せるんじゃなくて自分たちでも動き出して。名前を挙げたのがマキシマム ザ ホルモンとThe Birthday。それが叶った感じですね。あとは2014年には初めて細美(武士)さん(ELLEGARDEN/the HIATUS他)が来てくれるのかな。KESEN ROCK FREAKS(以下、フリークス)にけっこう弾き語りで来てくれて「『ケセンロック』に出たいんだけどどうすればいいの?」と詰められて。THE BACK HORNとかHEY-SMITHもそう。その頃から、まずはライブハウスのフリークスに来れば『ケセン』に出られる、みたいな流れが生まれて。

一一千葉さんがフリークスの新代表になったのは2015年。そこからはずっと窓口になって、ライブハウス現場に関わってきましたよね。

もうライブハウス関係の名刺のほうが多いですよ。本業の建設業よりも関わる人が多くなって。やっぱり音楽の繋がりってすごいなと思う。ひとりミュージシャンと繋がったら、そこから枝分かれして人脈が広がるから。ウチらの建設業ではあんまりないことなんです。これを頼むならここ、この工事ならここ、みたいな感じで終わるから。でも音楽ってひとりと知り合うと、その人が来た時にまた別の人を紹介してもらえる。その繋がりがハンパない。

一一しかも、その場の口約束でポンポン決まりますもんね。

そうそう。いきなり電話で「この日どう?」「あ、いいよ」みたいな(笑)。それが通用してしまう世界。もう信用ですよね。信用がないとできないこと。

一一音楽と関わるようになって、千葉さん自身に変化はありますか。

あぁ……なんか、やりたくないとか、それはできないっていうこと、年を取ると増えていくと思うんだけど。「いや、なんとかなんじゃないかな?」って思うようになってきたかな。あとは「あの人に聞けばどうにかなんじゃないか?」って、今までは自分ひとりで仕上げてきたことも、人を頼れるようになった。柔らかくなったとは思いますよ。

自分たちにしかできないことを。そして次の世代へ

一一そしてフェスとして初めて来場者が4000人を超えるのが2016年以降。『ケセンロック』の規模は少しずつ大きくなっていきます。

うーん。でも1日2000人のキャパでやりたいっていうのが実行委員会の考え方で。それ以上になると、種山の広場は過ごしづらくなる。だったら1日2000人、その2000人を喜ばせようって、そこは未だにこだわってるところですね。もちろん種山にも3000人は入れるんです。ただ、そうなるとサンシェード広げたり、子供たちが遊ぶレストスペースが確保できなくなるから。

一一より動員を増やそうと考える人は委員会の中にいない?

利益は求めていないので。毎年、だいたい収支ゼロでやってるんですよ。たまにオーバーする時もあるけど、そこは次年度に回して。だから実行委員会ってほとんどボランティアです。誰もお金もらってないし。たぶんこれ、頭の悪いやり方ですよね(笑)。

一一なんでここまで続くんですかね。

なんで続くかなぁ……? やっぱりこれと同じイベントがないっていうのが一番の理由。自分たちがやらないとこのイベントはできない。岩手だと『いしがき MUSIC FESTIVAL』とか、こないだ盛岡では『FIGHT BACK』ってイベントもありましたけど、見ると、これができるのすごいなって思いますね。

一一逆に、『ケセン』は『ケセン』にしかできないものがある。

そうです。スポンサーを入れてしまうと変わってくるし。ビジネスでやりたくないんですよね。もちろん音響とか照明さんはさすがにプロの会社に頼まなきゃ成立しないけど、それ以外のところはだいたい自分たちでできる。それってお客さんの目にも見えやすいと思うんですよね。どこぞの業者のトラックが街に来ることもない。地元の土建屋さんがステージ作ってるし、地元の飲食屋さんがブッキングしてる。その様子がみんなに伝わってるから、そうなると若い子も「あ、自分たちでできるじゃん」って感覚になれるんじゃないかな。

コロナ禍を経て、昨年5年ぶりに復活。今年はさらに街全体を巻き込みたい

2019年

2019年

一一そうやって手作りで第10回目を迎えたのが2019年でした。

もともと『ケセンロック』は二市一町で回す構想で続けてきたんですよ。いわゆる気仙地区。住田町、陸前高田市、あと大船渡市。その二市一町で回していく。ただ、2019年で10回目が終わって、次はどこか別の場所に移動しようと思ってたんです。だから来年は一回充電、お休みしようって話で。

一一あ、コロナとは関係ないところで決まっていたんですね。

そう。実際は水面下で動いてたんですよ。陸前高田の防波堤が全部完成して、野球場もできて。「その敷地内でやってくれませんか」って行政の方から連絡もあって。実際に見に行って、次はここでやりましょうって決めてたんだけど……そこに来たのがまさかのコロナでしたね。

2019年

2019年

一一以降、5年の空白期間が生まれてしまいました。

実行委員には団体職員が多いんですよ。農協だったり福祉関係だったり。それこそライブハウスに集まっちゃダメとか、縛りがけっこうあって、なかなかGOが出なかった。あとは動く予定だった陸前高田の場所も、違う予定が入ってダメになっちゃって。もうこれは初心に帰って大船渡でやるか、と。そういう話でようやくまとまったのが去年ですね。

一一今後はとりあえず大船渡で?

うーん、やっぱり種山で慣れ親しんでるから、あの孤立した森の中での設営が恋しくなる。種山にはいずれ戻ります。実行委員会のみんな、種山がホームだと思っているんで。いずれ、の話ですけど。

大船渡周辺(2021年)

大船渡周辺(2021年)

一一今、大船渡で続けることには、どんな意味が生まれています?

去年、5年ぶりに開催した時は、街の中だから子供もいるし、音の問題もあったし、周囲への念入りな挨拶も必要で。ただ、実際は交通渋滞も起きなくて、駐車場の無断駐車も全然なかった。これはフェスに来るお客さんの意識の高さが違うんだなって。それは行政とか周りのお店からも高評価だったんですね。公園の中でちゃんと完結してやれた。だったら今年はもう少し街全体を巻き込みたいってことで、飲食ブースをフリークスの駐車場でも展開するんです。もう少しキャッセン(注:フリークスも入る大船渡駅周辺の商業施設。グルメスポットでもある)をいろんな人たちが回遊できるように。街中でやる意味ってそういうものだと思う。いろんな企業、お店も巻き込める。

大船渡周辺の商業施設・キャッセン

大船渡周辺の商業施設・キャッセン

新しい世代にバトンを繋げていくためにも

2018年

2018年

一一飲食以外ではどうでしょう。他のロックフェスにはない名物。

無料のステージを作って、フラッと来た人も音楽を楽しめるようにしようと思ってます。いろいろ変なことしてるんですよ。「めくり」とか。

一一あぁ。あれって誰のアイディアなんです?

たまたま「笑点」を見てた農協勤めの実行委員です。「これ面白そう!」って会議で出してきて、それにみんな乗っちゃった(笑)。関係者にいろいろめくらせる。「それお客さんにもめくらせようぜ」って始まったのがじゃんけん大会。あとはゆるキャラをステージに出させて踊らせるとか。

一一細かく紐解いていくと、今も本気の文化祭をやっている感覚?

近い。すんごい近い(笑)。たぶん「フェスはこうじゃなきゃ」がないんです。「フェスって何だ?」「お客さんが喜べば何でもいいんじゃないか?」みたいなところから始まってる。大雨が降った、足がドロドロになった、じゃあ高圧洗浄機で足洗ってやろう、みたいな発想ですよね。子供たちがギター持って踊ってた、じゃあギターをいくつか無料で配ろうか、とか。

一一その場で見たことが次のアイディアを運んでくる。あと、さっきから出演者の話がほとんど出てこないですよね。『ケセンロック』ほど出るメンツが変わらないフェスも他になくて。

あははは! レギュラーアーティストっていうのは内々で決まってます。それ以外のところで何組かは声かけるんですけど……結局変わんないですよね。

一一そこを問題視していないのがすごい。旬の、一番みんなが見たいと思うアーティストを出さなきゃ話にならないのが商業フェスなのに。

あぁ……そこじゃないんだなぁ。ダメなんだろうけどね。繋がりのあるとこしか呼ばない。これでいいんじゃないかなって思ってます。

一一いいと思います(笑)。今後、『ケセンロック』に加わりたい若手は、まずフリークス出演から動いてもらって。

そうそう。まずはフリークスに来て、ライブしてもらって、打ち上げで熱い思いを語ってくれればどうにかなる(笑)。もちろん、ウチらが年取るぶんレギュラーアーティストも年取っていくから、そればっかりだとダメだよねって声は実際あるんです。もう少し若手を呼びたい、あとは地元にバンドが今いないから地元のバンドを育てたいねっていう思いもあって。そうしないと今後も続けていくのは難しいですよね。新しい世代にバトンを繋げていくためにも。

一一けっこうリアルな切迫感もあります?

種山で続けた時はそんなになかったけど、去年大船渡で復活したら、「何かやりたいんです」って30代の若い子たちが数名実行委員会に入ってきたんですね。一緒になって作り上げたいと思ってくれた人たち。だから今は山の中じゃない、大船渡の街の中でやって、人に見てもらうことが大きいのかな。若い子たちに響く場所っていうのはいつでも重要だなと思ってますね。

取材・文=石井恵梨子 撮影=SPICE編集部(大西健斗)
写真提供=『KESEN ROCK FESTIVAL』

イベント情報

『KESEN ROCK FESTIVAL’25』
日程:7月19日(土)・20日(日)
時間:開場9:30 開演10:30 終演19:00 (予定)
会場:岩手県大船渡市 夢海公園
出演:
・7月19日(土)
ASIAN KUNG-FU GENERATION、ASPARAGUS、G-FREAK FACTORY、10-FEET、BRAHMAN、FUNNY THINK、THE FOREVER YOUNG、MONOEYES、DJ鹿野(OA)

・7月20日(日)
IN-pish、SBE、四星球、Nothing’s Carved In Stone、HAWAIIAN6、the band apart、FRONTIER BACKYARD、ホリエアツシ(ストレイテナー)、locofrank、LAWBLOW(OA)

 
主催:KESEN ROCK FESTIVAL’25 実行委員会(実行委員長 千葉裕昭)
 
お問い合わせ先:
公式ホームページの「CONTACT」よりお問い合わせください。
シェア / 保存先を選択