井上道義が語る〜鎌倉、ブルックナーvol.2

2016.3.11
レポート
クラシック

(Photo:M.Terashi/TokyoMDE)

 明日12日、井上道義指揮、NHK交響楽団による「かまくらプレミアム・オーケストラ・シリーズNHK交響楽団『いざ、鎌倉への道』」がブルックナーの交響曲第8番で最終回を迎える。

 2011年から毎年ブルックナーの交響曲を届けてきた、井上道義とNHK交響楽団。最終回を前に、去る2月6日、鎌倉芸術館で行われた井上道義のトークショー「崇高なる魂、ブルックナー」から、おもに井上の発言をまとめた。


承前

◆ブルックナーという作曲家

 ブルックナーはシューベルトのような人。シューベルトがずーっとリートばかりを書いてたように、ブルックナーは交響曲とオルガン曲ばかりを書いてた。
 ブルックナーは72で死んだけど、死に対しての考え方、死と生、エロスとタナトス、生命の力と死ぬということへの憧れも、もしかしたらあったかもしれない。

 自分はキリスト教を信じてるわけじゃないけど、生と死の狭間でブルックナーの作品が生まれてきたのは確かなこと。教会の石の響きのなかから生まれてきた作品、それがブルックナーの作品。キリスト教を知らなくても、あの世とこの世をつなぐものが意識の根底にあったことは、日本人でも彼の作品を聴くとわかると思う。

 ブルックナーは、生涯独身で、無骨だとか少女好きだったとかいろいろ言われてるけど、それは、13歳で父親をなくして、すぐさま母親が修道院に預けたことに原因があるのかもしれない。兄弟が5人くらいいて、彼以外は母親が引き取ったという話が伝えられているが、それはなぜなのか?兄弟に悪い影響を与えるからだったのか、あるいは、母親が彼の才能を見抜いていたのか?

 マーラーやモーツァルトは伝記も多いし映画にもなってるけど、ブルックナーにはそういうものがほとんどない。自画像も一つか二つしかない。兄弟のことも含め、彼の生きた環境がまとまって書かれてもいない。誰か世界中の音楽学者たちがブルックナーのことを真剣に研究してきちんとした自伝を書かないものか?

 これだけ宇宙的な作品を書いているのに、ある種、人とのコミュニケーション能力が不足していたのは不思議。最終的には神だけがコミュニケーションする相手となったのだろう。

ただ、何かひとつのことをずっとやり続けられる人は、じつはどこかいびつな才能の持ち主だ。いろんな事が出来るという人は、じつは何もできていない。

(Photo:M.Terashi/TokyoMDE)

◆交響曲第8番について

 8番は、とても満たされた曲。好きか嫌いかで言えば7番かもしれないけど、8番は優美さと無骨さがうまくバランスよく作られている。終楽章もよく出来ている。大きな作品になればなるほど、終わりが難しい。何でも終わりは難しい、人生も。

 ブルックナーも5番などは、しつこくガツンガツンと終わりを奏でるけど、8番は、終楽章でそれまでの1楽章から3楽章までのモティーフも出てくるし、マトリョーシカのような造りで、いい終わり方。とても成功している。

 2楽章はスケルツォ。このスケルツォというのは、三拍子のメヌエットをベートーヴェンが交響曲に発展させて始めたものだけど、ベートーヴェンのスケルツォは言葉通り「ふざけた」音楽。でも、ブルックナーのスケルツォはそうじゃない。ブルックナーの大発明だと思う。2楽章にスケルツォがあること自体も発明だけれど、遅い楽章とフィナーレの間にどういう関係性を持たせるかと考えたとき、ブルックナーの出した答えがこれだった。

 ホールによって響が違う。だから、オーケストラの側で、ホール毎に、それにあった響を創り出さなければならない。ホールの響きを想定した稽古をする。ブルックナーをやるときは、どの作品でもどのオーケストラでもそうだけど、特にこの8番はそれが必要。

 長い作品だから、曲の出だしや広がりが大切。僕はびっくりさせるのが好きだけど、この曲では、びっくりさせちゃダメ。管楽器のブレスも長くとるなど工夫が必要。でも、N響のメンバーならうまく演奏してくれると思う。

◆昨年の復帰公演について

 一昨年の病気は、ひどい症状だった。もうダメかと思った。でも医者は治るという。じゃあ治そうと。
 岩城宏之さんは「声が出なくなったら指揮をやめる」と言ってたけど、その通りだと思う。指揮者は稽古では言葉でオーケストラとコミュニケーションをとる。だから、声がでなければ指揮者はやれないし、外国語ができないと、海外のオーケストラも振れない。

 指揮者は稽古で仕事をしている。本番では、稽古でお互いに積み上げたものを「解放」する役目。

 復帰公演を待ってくれてるお客さんがいた。僕にはそういうお客さんは100万人もいらない。オーケストラはだいたい100人くらいのメンバー。オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)は40人弱。OEKくらいになると個々の奏者の音がきちんと聞こえるけど、大編成のオーケストラになると、ヴァイオリンなど、個々の音が聞こえにくくなる。
 学校でもそうだけど、ある程度の人数を超えると、「ひとりひとりの声」が聞こえなくなる。コミュニケーションが成り立たなくなる。
 だから、僕は「小売業」であって、大企業やチェーン店のようなことをやるつもりはないし、そういうのを目指すなら指揮者はしていない。

(Photo:M.Terashi/TokyoMDE)

◆すべてを疑うことから音楽は始まる

 いちいち疑問に思うことを僕は、自分の才能だと思ってる。なんでここでこういう音なの?と、そういうことを考えないと音楽はできない。そういう、すべてを疑うところがあるからこそ、自分は指揮者になってる。常識と思われてるものをすべて疑うところから音楽は始まる。
 世のなか、破天荒とか鬼才とか、そういうレッテルで語られるけど、人はおかしいとか、マナーがなってないとか言うけど、じゃあなぜそういうマナーが出来たの?ということを僕は常に考えてる。

◆生演奏のすばらしさ

 CDの編集スタジオでさえも、交響曲の響を完全に再現するのは不可能。CDが売れないなんて僕らが嘆いてはダメなんだ。
 基本、クラシック音楽はステレオでは再現不可能。だから、師匠のチェリビダッケが録音はノーと言ってたのはよくわかる。
 やっぱり生の演奏が一番。音楽はそこで生まれて、そして、そこで死ぬんだ。その一回性のものにお金を払って聴きに来てくれる。それが芸術なんだ。

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■かまくらプレミアム・オーケストラ・シリーズVol.26 
井上道義×鎌倉芸術館 NHK交響楽団「いざ、鎌倉への道」Vol.5
2016年3月12日(土)16:00
鎌倉芸術館
ブルックナー/交響曲 第8番 ハ短調(ノヴァーク版/1890年)
問合せ:鎌倉芸術館センター TEL: 0120-1192-40
http://www.kamakura-arts.jp/