こまつ座 井上麻矢代表にスペシャル・インタビュー(後編)

2016.4.19
インタビュー
舞台

井上麻矢・こまつ座代表取締役社長


今年創立32年を迎えたこまつ座は、故・井上ひさし氏の戯曲を上演する劇団だ。その代表取締役社長として、劇団運営に瞠目すべき手腕を発揮し、幾多もの功績を上げてきた井上麻矢氏(ひさし氏の三女)から話を聞く、SPICEスペシャル・インタビューの後編をお届けする。豊富な経験に基づく示唆に富んだ発言の一つ一つが、心の襞に沁み入ること必定だ。(インタビュアー:今村麻子)
 
 

劇団とは

今村 井上先生は、こまつ座について「究極の詐欺軍団です」とおっしゃっていました。芝居ができあがっていないのに切符を買ってもらうことについてです。

井上 そうです、ほんとうに。父は「演劇界は不思議なところで、ピンからキリまでの人がいて、ダメな人は普通だったら淘汰されていくのに、演劇界だけは淘汰されないんだよ」と言っていました。それだけ多様な仕事が残っているからでしょうけど「演劇界でいい仕事ができる人の特徴があるよ。それは楽天的なこと。君は僕に似て楽天的だから大丈夫」と言われて、さらに「究極に楽天的なのはお客様」というのが父の意見。「できあがってもいないものに、お金を払っているわけですから、あんな楽天的なひとたちはいないよ」と。演劇を愛するお客様に愛情を込めてそういう冗談を言っていたので、ほんとうに「演劇の力」を信じているのだと、すごく思いましたね。

今村 井上先生がお元気でいらしたとき、台本がまだ出来上がっていないのにを買ってもらう、そこまでは明らかに詐欺だと。出来上がったものがいい芝居だと、詐欺が詐欺でなくなる。お金をもらっていながら、つまらない内容の芝居を観せているほうが詐欺に近くなる。おもしろい逆転劇だと井上先生はうれしそうに教えてくれました。

井上 詐欺のままでは終わらないという。それぞれみんなが努力をしなくてはいけないと思います。わたしも父によく言われたのは「こんな詐欺をしているのに、ありがとうと目に涙を浮かべて手を握ってくれるひとがいる。こんないい仕事はないでしょ」と。お客様の声は百万の力となります。

今村 お客様と直接触れ合うこともあるんですね。

井上 はい。こまつ座もファンの方が高い年代になってきて、わたしにとってはおじいちゃまやおばあちゃまという年齢だから、ほんとうにバリエーションの豊かなプレゼントをくれるんです。自分で焼いたパンや自分で焼いたせんべいとか、素敵なプレゼントをくれるんですよ。手紙も走り書きで「あなたの姿を見たら、あなたにどうしてもこのパンをあげたくなった」とか。大事にとってあります。家業を継ぐ人はたくさんいても、父がやっていた仕事がすごくいいものだと思える人は少ないと思います。そういう面ではとても恵まれた環境のなかで仕事させてもらっているというのはありますね。

こまつ座草創期

今村 こまつ座が創立したのは1983年。そのころ、どういうふうにみていたのですか。

井上 実は小沢昭一さんと木村光一先生と井上ひさしの三人で劇団を作ろうとしていました。わたしが小学校高学年のとき、三人が夜な夜な集まっていました。木村先生が演出家で、小沢さんは役者、井上ひさしは作家。劇団は本がよくないといけないという人と、役者がよくないといけないという人、演出でしょという人がいる。いくら話し合いをしても同じ方針が出ない。そしてそれぞれが劇団を作りました。木村先生は地人会を、小沢さんはしゃぼん玉座、井上ひさしがこまつ座を作った。わたしは小さいときからそういう歴史をみて育ちました。劇団を作るというのは、やはりお祭りのような状態です。準備期間に4年ぐらいかけていましたが、その間、いろいろな人も来ますし、毎日がお祭り。親に心配をかけるとか、親に甘えるという時間はまったくありませんでした。こども心にワクワクしていましたし、とくにこまつ座は最初、山形でスタートをしようとしていましたので、山形の方たちもたくさん来ていました。たくさんの人が同居していたイメージなので、演劇とは、そもそもいろんな人を巻き込んで雪だるまのように小さなタマからくるくる転がしていると、いつの間にか出来上がっていく、大きくなるものだと思っていました。

こまつ座とは「ふるさと」

井上 わたしは母親っ子だったので、お母さんの行動を見ていました。母の行動を見て、母の隙間があったら甘えたいわけです。母が暇そうにしているとひたすら寄って行くお母さんっ子。母を通して劇団作りを見ざるを得なかったと思います、その苦労たるや……。

今村 麻矢さんにとってこまつ座とはどのような存在でしょうか。

井上 父と母の二人が劇団を作り上げたとき、とても嬉しそうだったので、わたしにとっては「ふるさと」そのものです。「ふるさと」は特定の場所ではなく、記憶のなかにしか存在しないものだと思うので。わたしにとって「ふるさと」はなくなってしまったから。

今村 なくなってしまったというのは。

井上 うちは家族が崩壊していますし、わたし自身は離婚もして再婚もしました。再婚相手も東京生まれなので、どこが自分のふるさとかわからなくなってしまって。特定の場所がないわたしにとっては「ふるさと」とは記憶のなかにあるのだとすごく感じます。だからなんとかがんばって、こまつ座というわたしの「ふるさと」を汚したくないし守りたい。お客様がいっしょになって守ってくれようとしてくれるから、すごくありがたい。だからふるさとを失望させないようにしたいんです。

今村 麻矢さんの「ふるさと」はお客様にとっても「ふるさと」。

井上 そうです。だから劇場でお客様を迎えるために立っていると、たまに怒られることもある。「あなたね、わかってないわよ」という方もいっぱいいます。そういう方、多いですよ、こまつ座のファンは。それはつまり、みなさんにとっても「ふるさと」だからです。ありがたくって涙が出そうになります。耳には痛いのですが、みなさんにとってもこまつ座は大切な場所です。

今村 耳が痛いことを言われたら、どうしますか。

井上 なにがそう思わせてしまったのか、ちゃんと残っていただいて、聞きますし、ちゃんと言います。「おっしゃることはごもっともですけど、こまつ座もいまいろんな時代の波を背負っていましてね。昔のいい時代とは違って、いまはこういう時代ですからね」とご説明することもあります。

今村 説明されるのですね。

井上 はい。言わないと、失望されたままですから。「どういう努力をすればいいということもわかっています。でもこまつ座自体がなくなってしまうよりは、文句もおありでしょうけど、いまこうやって文句があってもやり続けるほうがいいでしょう? 生きていくしかないんです」とお伝えするようにしています。

お母様のこと

今村 麻矢さんは「母と暮せば」のノベライズも刊行されました。「父と暮せば」がヒロシマの原爆を舞台にしているのに対して「母と暮せば」は井上ひさし先生がナガサキの原爆を主題に構想を練ってはいたけれど幻になっていた作品。その構想を麻矢さんが企画をされて山田洋次監督によって映画化され、さらに共著として小説をお書きになりました。

井上 「母と暮せば」は急遽書くことになって2週間ぐらいで書きました。ノベライズといっても小説も書いたことはないですし、山田洋次監督と映画脚本をいつも組まれていらっしゃる平松恵美子さんが書いたものから小説にするという作業が、神々しいものに手を入れる感覚があったので、なんとなく自分で引き受けていいものかわかりませんでした。それで、当初、長崎原爆資料館長で芥川賞作家の青来有一さんに書いていただくのがいいのではないかとか、書いてくださる方はほかにいるかもしれないと思ったのです。「女の人が書いた方がいい」ということと、「ひさしさんの血を引いている人のほうがいい」とのことで、「麻矢さん書いてみてよ」と監督に言われ、断る選択肢はありませんでした。「僕もちゃんと目を通します」と言っていただき、とりあえず第一稿を書きました。でもたくさん赤入れをしてもらいました。

今村 こまつ座の運営もですが、麻矢さんが「書く」ということでも井上先生をお継ぎになる。

井上 芝居という生ものを扱っていると、昔ながらの老舗の人たちが同じ製法で同じものを届ける製品とはまったく違います。伝統をそのまま引き継ぐ飴作りのようなものとは違うんです。芝居はそのときの空気や時代が孕んでいるものを反映させていかないと、なかなか難しい。やっぱり「父と暮せば」を愛してくれた人は「母と暮せば」ができることをどこかで賛成し、どこかでとまどっている人がいるのかもしれない。賛成してくれているところに、わたしたちこまつ座は「ものづくり」として出していかないといけないという思いがあったんです。

今村 お母様の存在はどのようなものでしょうか。

井上 うちの親はいまも、ものすごく厳しいです。第三者の方にはとても優しいのですが、身内には厳しくて、まず褒められたことが一度もないです。褒められるという感覚もわからないですし、母はとくに厳しい。演劇の恐さも辛さも喜びも知っていますから。ただ娘が演劇を通していろいろなことを得ていることについては「パパは幸せね」とよく言っています。亡くなってからも映画にしてもらったりすることは親としてはすごく幸せなことだと思うから。だけど、いい企画は、放っておいてもどんどん広がるんです。あれよあれよと父があの世から手を差し伸べているとしか思えない神懸った出会いがいっぱいありました。だから父はそうとう作りたかったんだなと思いました。母は人知れず映画「母と暮せば」をいっぱい観てくれたんですよ。でも母は「観たよ」とか「よかったよ」とか一切言わない。「あんたは演劇屋なんだから、まずは本業」と。わたしも声が嗄れたり、口内炎が治らなくなったり、しゃべるのが困難になったこともあったのですが、母から「声が嗄れた? 仕事していたら声ぐらい嗄れますよ。やっと一人前ね」みたいな感じで言われました(笑)。下町っ子ですから泣き言も言いません。そういう意味では母の気性をわたしはだいぶ引き受けているのではないかと思います。

今村 お父様とお母様の両方のいい部分を継がれた。

井上 悪い部分も(笑)。感謝しているのは二人がものすごく働き者というところです。それは二人の共通点。わたしがたまに疲れたりすると「あんたそれだけ働いた? あの二人の子どもなのに、それだけ?」と自分で自分にツッコミが入るんですね。あの働き方を見て育っているので、まだまだできると思うことがいっぱいあります。人は極限まで働くことができるということを目の前でみせてくれました。なるべく自分は怠けないように。でも倒れないぐらいにはケアしなくてはいけないですね。

今後のこまつ座

今村 今年のこまつ座について教えてください。7月5日から紀伊國屋サザンシアターにて鵜山仁さん演出で「紙屋町さくらホテル」を上演します。

井上 井上ひさしが書いたもうひとつの広島です。いまこの時期にやることの意味はもちろん、演劇を愛した人たちが大きな力を持って打ち立ててくれた背景が書かれています。こんな不安定な時代、わたしたちは活動家ではないですから、国会前で声を荒げたりすることはありませんが、井上ひさしが残してくれた戯曲の言葉でちゃんと闘っていきたい。言葉というものが乾いた雑巾のように軽くなってしまったいま、言葉は意味があると重くなるから、この時代の軽さに釘を刺さないといけないという思いも込めます。

今村 8月は栗山民也さんが演出を手掛けて「頭痛肩こり樋口一葉」をシアター・クリエで上演。こまつ座旗揚げ公演でもある評伝劇です。

井上 東宝との共催です。明治は女性が戸主になる時代でもない、ましてや筆一本で家庭を肩で背負う時代でもない。それをこの時代に生きた女性があの世とこの世にまたがって、とくに女性にエールを送っている作品です。六人の女性が登場し、どこか自分の本質に通じている人が出てきます。そこに共感していていただいてもいいですし、生きるということと死ということを井上ひさしはどう考えていたのかがこの作品には顕著に出ています。

今村 11月には蓬莱竜太さんの「木の上の軍隊」を紀伊國屋サザンシアターにて栗山民也さんの演出で上演します。

井上 こまつ座だけで、また新たに作り直すので、もう観たよという方もぜひもう一回見ていただきたい。沖縄問題は井上ひさしが書きたかった題材のひとつ。戦争を知らない世代が、この先どうやって戦争を伝えていくのか。そのことを蓬莱さんが意識して書いてくださった。土着の香り、沖縄全体が持っている運命、担ってきた役割にちゃんと視点をおいた硬派な作品になると思います。

今村 井上先生の構想とタイトルに着想を得て蓬莱竜太さんが取り組んだ作品。麻矢さんが井上先生の墓前に台本を置いてお参りされていました。

井上 さまざまな縁に支えられて、ここまでこれました。沖縄の方もそうですし、長崎の方もそうです。井上ひさしが残してくれた小さな種を大事に大事に種の形を変えないように育ててくださったという作品ばかり。だからこれも大事にしたい作品です。ぜひいらしてください。

左=インタビュアー今村麻子さん、右=井上麻矢・こまつ座代表取締役社長


(インタビュー・文=今村麻子、写真=安藤光夫)
 
公演情報
こまつ座 第114回公演・紀伊國屋書店提携『紙屋町さくらホテル』
 
■日程:2016年7月5日(火)~7月24日(日)
■会場:紀伊國屋サザンシアター
■作:井上ひさし
■演出:鵜山仁 
■出演:七瀬なつみ/高橋和也/相島一之/石橋徹郎/伊勢佳世/松岡依都美/松角洋平/神崎亜子/立川三貴
■公式サイト:http://www.komatsuza.co.jp/
 

 
公演情報
樋口一葉没後120年記念 
東宝・こまつ座提携特別公演「頭痛肩こり樋口一葉」


■日時・会場:
2016年8月5日(金)~25日(木)日比谷シアタークリエ(東京)
2016年9月3日(土)~4日(日)兵庫県立芸術劇場文化センター 阪急中ホール(兵庫)
2016年9月7日(水)新潟県民会館(新潟)
2016年9月15日(木)電力ホール(宮城・仙台) 
2016年9月17日(土)南陽市文化会館(山形)
2016年9月22日(木)びわ湖ホール 中ホール(滋賀)
2016年9月25日(日)アルカスSASEBO 大ホール(長崎)
2016年9月28日(水)~30日(金)中日劇場(名古屋)

■作:井上ひさし
■演出:栗山民也
■出演:永作博美、三田和代、熊谷真実、愛華みれ、深谷美歩、若村麻由美

 東京・兵庫・山形

 新潟・仙台・名古屋